スタッフ紹介

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代表:タケムラナオヤ

1973 高知市うまれ。
1992-96 京都造形芸術大学環境デザインコース(京都市)
1996-97 (株)鳳コンサルタント 環境設計部(大阪市)
1998-06 (株)相愛 地域計画室(高知市)
2006-08 (有)梅原デザイン事務所(香美市)
2008- タケムラデザインアンドプランニング
 

1973-1985 想像を絶する田舎に思えた、30年前の高知

実は案外豊かな高知を、もっと楽しく暮らせる場所にしたい。
そう思って京都から高知に戻ったのは1998年のこと。
以来18年、その思いはひとつも変わることがありません。

子ども時代の8年間は東京・吉祥寺暮らしでした。そして、夏休みに里帰りする場所は母の田舎の島根県安来市であり、8年間のうちで自分のふるさとである高知に帰ったのはわずかに1回。生まれたところなれど、物心ついた時には高知は縁遠いふるさとだったのです。
1985年の春、中学進学と同時に高知に戻りましたが、事実上初めて見る高知の街はあまりにも田舎臭いものでした。最寄りの駅は土を盛っただけの小さな無人駅で、民放もたったの2つ。同級生もチューチューゼヨゼヨと言うばかりで正直何を言っているのかさっぱりわからない。中心商店街だという帯屋町のアーケードも古臭くて、中央公園も薄暗いし、デパートも小さい。
それゆえに、初めて抱えた将来の夢は「高知を都会にする」ことでした。商店街をもっと立派にして、公園をもっときれいにしたいと、そんなことをおぼろげに思っていたのです。
・・・今思えば当時残っていた古い路地や店はとても魅力的なものですが、子供には全くそうは見えなかったのです。
「高知を都会にする」というのはあまりに幼稚です。しかし、生まれた場所はやっぱり気持ちのいい場所であってほしいし、住んで楽しい場所であってほしい、という思いは今に続いているのかもしれません。
 

1985-1995 ワークフローは中学時代に覚えた?

「高知でデザインをする」という現在の場所へたどり着くまでは、当然ながら長い時間がかかりました。
東京から高知へ戻りたての中学の3年間は標準語と土佐弁の言葉の壁に悩み、その辛さから逃げるように鉄道旅行へ避行。紀行作家である宮脇俊三の影響を受けた膨大な文量と写真からなるノート三冊分の旅行記をしたためたりしたのですが、この時に「写真を撮り、文章を書き、それを読者が飽きないように編集し、レイアウトする」という今の仕事へとつながるワークフローをなんとなく覚えました。また、同時期には大好きな場所だった島根・安来の清水寺三重塔を真下から描いた絵で高知県子ども県展特選を受賞したことで「絵が描ける」と勘違いし、数年後の美大進学への道をつけてしまします。

「高知を都会にする」という短絡思考は高校生になる頃には消えました。残ったのは、なんとなくですが「高知はなんだか面白いな」ということです。それなりの都会である高知市のすぐそばには田んぼだらけ、いきものだらけの田舎があって、きれいな山や川や海はいくらでもある。魚も美味しいし、祭りも楽しい。高校も後半になると、高知にいた時間が短いぶん、早く高知に帰って仕事をしたいと、思うようになっていました。高知の魅力「圧」は、それほどにも高かったのです。

高校卒業後は美大進学を目指して東京の美術予備校へ。しかし、東京は人の数が多いだけと感じて特に面白みを感じることができず、ホテルや駅の建築を巡る景観論争が最高潮に盛り上がっていた京都へと関心が移行。また、高知に戻って仕事をするとなれば、もはや東京のサイズは参考にならない、という思いもありました。

翌92年、京都造形芸術大学の環境デザインコースへ入学しますが、4年間をとおして本業の設計よりも写真の方に夢中になります。なぜか1年生の終わりから部長を務めることになった写真部では、毎年1回の写真展の開催や写真を語る小冊子「Camera Talk」の発刊に心ときめき、部長=編集長として同誌の特集の計画や差配、原稿の督促やとりまとめに取り組んでゆくことになります(この活動は、以後2003年頃まで10年にわたり続きました→カメラトーク友の会)。また、荒木経惟に傾倒していたこともあり、自分で焼いたモノクロ写真を構成した「たけず写真帖」なる写真集を十冊近く編集もして友人に見せたりもしていました。
そして、気ままに動けるこの4年間の中で、北海道の知床で1ヶ月ほど働きながら遊び暮らしてみたり、阪神大震災で被害を受けた神戸のテント村の調査に参加したり、岡山で恩師が手がけた「自由工場」というオルタナティブアートスペースでの持ち込み企画に少しだけ携わってみたり、各地をぶらぶら旅したりする中で、都市と地方それぞれの面白さや価値観、課題を考えるきっかけを多く得ることができました。
 

1996-2006 公園の設計から地域計画へ

大学卒業後は大阪の大手ランドスケープ設計事務所・鳳コンサルタントでさいたま副都心のけやき広場や西梅田ガーデンシティなどのCAD引きを担当し、98年には子供のときの夢のままに「高知で公園設計ができる」現場として高知の建設コンサルタントへ入社します。

入社後数年間は長崎県大村市の小さな公園や香美市の甫喜ヶ峰森林公園(2001)のキャンプ場やユニバーサルトレイルなどの設計をてがけていましたが、そもそも設計案件が滅多にあるわけでもなく、やがて仁淀川の川の地図づくり事業(2002-03)、四万十クラインガルテンの基本計画(2002)、高知市の里山・皿が峰の歴史・交通・生態系の調査(2003-04)など地域計画や環境調査まで思いもかけず幅広く担当していくことになります。社の旅行経費を使いながら伊豆、東海、飛騨、長野、関西、山陰、九州と西日本各地をのべ3週間近く旅するという今では考えられない機会を与えられたのもこの時期のことでした。

また、この時期は社外活動も活発で、98年には高知市内の雑貨屋や作家と共に紙・布・木などの部門からなるものづくり集団「20W製作所」を立ち上げてみたり、2002年から08年までは土佐の九龍城こと「沢田マンション」に暮らしながら住民たちと「沢マンEXPO」を企画運営してみたり、2005年には高速道路の開通後凄まじい勢いで変貌を遂げる高知の残したい風景を記録した書籍「高知遺産」を発行してみたり(発行元:ART NPO TACO)と、高知を面白くする活動、高知の面白さを再定義する活動を仲間とボチボチ行っていきます。

会社員としての生活を送りながら様々な人々とつながり、様々な取り組みを行うことができたこの10年間も、また貴重な時間でした。
 

2006- いざ、デザインへ

デザイン事務所に移籍したのは2006年のこと。
建設コンサルタント時代にてがけた領域がとても広かったこと、社外での勝手な活動で得た知識や仲間から得た刺激が大きかったことが、結果的にデザインという世界に飛びこむきっかけになります。結局様々な現場に行ってわかったことは、「高知が〜」といくら語ってみても、最終的には「伝える」ということが大切ということでした。それは、楽しさであったり美味しさであったりいろいろあるわけですが、それがうまくいかなければどうしようもないのではないか、と思ったのです。

とはいえ、いまや全国に知られるデザイン事務所で勤めた2年間は辛いものでした。コンサルとデザイン事務所では求められる「語彙」も「頭の動かし方」も「手の使い方」も全く違い、おそらく事務所的には全く使い物にならなかったはずです。何をどうやったら「デザイン」になるのか、さっぱりわからないままに過ぎた2年間でしたが、高知県内だけでなく長野や九州など各地の仕事を手伝わせてもらいながら、デザインという仕事の面白さだけはこれでもかというほどにたくさん教えてもらったのです。

フラフラのまま退職し、しばし充電の後、2008年5月にタケムラデザインアンドプランニングを設立。追って2011年には活版印刷の良さを伝える「竹村活版室」を開設し、以後土佐和紙の素材の良さを商品にのせて伝える「土佐和紙プロダクツ(2010~)」、古い藁蔵を再生したミニホール「NPO蛸蔵(2011)」の立ち上げ、四国各地の仲間と四国の隠れた情報を発掘発信する「ウエブマガジン四国大陸(2013~)」を立ち上げて現在に至ります。
 

高知の良さは、いまだよくわかりません

今思えば、高知に帰った98年の段階では「高知の良さ」は全くわかっていませんでした。まもなく20年となる今でも正直なんだかよくわかりませんが、魚や肉、野菜に米と美味しいものがとても多いということ、長短あいまみれる「郷土の歴史」を誰もが溺愛していること、このふたつは高知の個性をかなり形作っているように思います。

メシがうまくて誇れる歴史がある。

これは、とても単純なことなれど「郷土愛」まみれる人間を養成する最大要素のように思えます(その証左として、郷土愛の控えめな地域では食文化が凡庸で往々にしてB級グルメに走りやすかったり、江戸時代に複数以上の藩や国に分かれていた歴史があって「郷土史」が細切れになっていたりする気がします)。
おそらく、高知の良さとは、単純にこのことのような気がするのです。

というわけで、これからも、こんなよくわからない「高知の良さ」に少しでも何がしかの広がりをもたせていくために、「楽しく美味しく暮らせる高知」という場所を維持していくための仕事がしたいと思っています。

◎Takemura Design & Planning代表(2008~)
◎特定非営利活動法人蛸蔵 理事長(2011~)
◎TOSAWASHI PRODUCTS 代表(2010~)
◎ウエブマガジン四国大陸 編集長(2013~)
◎ヴィレッジ 実行委員(2013~)
◎ART NPO TACO 理事(2006~2016)
◎NPO 仁淀川お宝探偵団(2002~)

 

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小笠原裕美子

1984 高知市うまれ
2005 京都造形芸術大学空間デザインコース卒業
2009 タケムラデザインアンドプランニング

 

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竹村愛 [竹村活版室]

1981 安芸市うまれ
2002 嵯峨美術短期大学グラフィックデザインコース卒業
2003 編集事務所勤務(~2004)
2005 印刷会社デザイン部門勤務(~2010)
2011 竹村活版室オープン

 

業務パートナー(デザイン部門)

タケムラデザインでは、信頼できるパートナーと連携して仕事を進めています。

取材執筆ー眞鍋久美さん(まなべ商店)、高橋佐代さん
ウエブコーディングー伊東愛友美さん(雨風食堂)
イラスト制作ー柴田ケイコさん、梶原希美さん、オビカカズミさん、イワサトミキさん ほか
商品開発ー山根綾子さん(d.d office)、土佐の山紙資源の会の皆さん
ほか