26日、東京からやっと帰ってきたと思ったら、その翌日は「週刊プレイボーイ」のグラビア撮影のお手伝いである。被写体は岩佐真悠子! なんだか妙に落ち着かない!
もともとは高校時代の友人のカメラマンが「高知遺産」をみて、高知遺産を巡るような形でロケハンしたい!ということから生まれた話。おいらから県の観光コンベンション協会やフィルムコミッションを紹介した関係もあって、またその関係者の方も同伴するということで、おいらも撮影に一日中付きそうことにした。
撮影地は、準備期間中いろいろな場所が浮かんでは消えていたが、結局その前日になって「高知遺産」から沢田マンション、土佐電鉄、旭の玉水町、赤岡で決定(かなりたくさんの方にご迷惑をおかけしました。。。この場を借りてお詫びします)。

この日は朝8時過ぎから撮影開始。なんと18号室が控え室となって、普段寝起きしている和室(書斎)がグラビアアイドル・岩佐真悠子さんの着替え室に早変わり。うーん、なんだかとっても変な感じ。家が家でないというか。
沢マン内では、まず16号室前の階段、コインランドリー、リフトなどで撮影。水着に服をまとったような感じで、なんだかやっぱり岩佐さんの周りだけ沢マンが沢マンでないような変な感じ。引き続き、当初撮影候補地だった11、95、97がそれぞれ日照の関係で撮影できなかったので、わが18のベランダで撮影。うーん、ますますなんだかとっても変な感じ。自分の部屋でグラビア撮影て。これがもし表紙になったりなんかしたらますます不思議な感じ。
そして最後に、6階の大家さんの部屋にて水着のみの撮影。うーん、ますますとっても変な感じ。というのも、水着撮影をしている横で沢マンキッズたちがわいわいままごとしたりして遊んでいるし、徐々に一族が撮影しているすぐ横の部屋に集結してきている。決してキッズたちにみせていい風景とはいえないような気もするし(笑)
そして沢マン内での撮影終了。すぐさま沢マンの母こと裕江さんがサインをお願い。引き続き、一族との記念撮影開始。これは沢マンを訪問した芸能人が必ず通らなければいけないしきたり。でもなんか面白い光景。

沢マンでの怒濤の撮影終了後、引き続き玉水町へ。ここはかつての赤線地帯で、いまも当時の旅館が何軒か経営を続けているところ。旅館の前にあるベンチやそのすぐ前を流れる小川・枡形川で撮影。たぶんこの写真、すごいきれいだと思う。


ここからおいらは一行から離脱。一行は電車でごめんまで移動し、その間貸切で撮影を続行。
昼食は野市と赤岡の間にある結構大きなレストラン。ただここの店、少し変。こともあろうに岩佐さん本人が定食からご飯だったか一品だけ付けないで構いませんからというと、どうやら店長と思しき店員が「いや、それは一緒になっているからお得なんで・・・! なんでつけないんですか」みたいな感じでどうやっても「かしこまりました」と言わない。ちょっとした押し問答。挙げ句の果ては首を傾げて厨房に帰る始末。そして、うちらの座った席は厨房のすぐ横だったんだけど、「なんでつけんのや」とか他の店員と喋っているのまで聞こえてくる。あまりの無警戒に無神経。友人のカメラマンが席の後ろに肘を付いていたら、その肘の下にあったメニューを「すいません」とも言わず乱暴に抜き取ってみたりして。これでうまければまあいいし、安ければいいんだけど、申し訳ないけど値段の割には普通の味。こういう店は、やっぱり問題ですよ。空港にもほど近いし、国道沿いということもあって一見さんだけで持っているのかも知れないけど、こういう態度では高知のイメージまで悪くなる。
まあそれで少し気分を害しながらも、最後は赤岡漁港と吉川海岸で最後の撮影。ここは水着ですな。おいらは50mくらい離れたところから見ていたけど、うーん、ほんとにこの仕事って大変だ。吉川の段階で夕方の5時過ぎだったから、都合9時間以上撮影しているわけだけど、岩佐さんはもちろん、カメラマン、マネージャー、スタイリスト、ヘアメイク、コーディネーター云々8人がそれぞれの役割分担をてきぱきこなしながら撮影を続けてる。正直休む暇なんてない。
ヘアメイクの人に「ホントに大変な仕事ですね」と聞くと、でも好きですからね〜とのお答え。そうでなければ、きっとこの仕事はマジでできないですよ。
まあどちらにしても、かなり濃い一日でした。残念というか無念だったのは、最後まで「サインくらさい!」と言えなかったこと、だろうか。妙にサインをお願いするタイミングもないし。
でも、岩佐さんは、なんとも気さくな方でした。当たり前ですがファンになりました。てゆか、来られる前にきちんとファンになっておけばよかったです。。。