「けんちくの手帖」が終わったのが夜中の12時20分。そこから歩いて5分のカプセルホテル大東洋に直行し、長い一日も終了。ホントは天王寺の安宿に泊まりたかったのだが、もしやのこともあると思って近場にしておいて正解だった。もしこれが天王寺だったら、ちとだるすぎ。
翌日は、大東洋を出てまっすぐ村上ファンドで大騒ぎ中の阪神百貨店の無印良品を目指す。

その道すがら、旧阪急梅田駅のコンコースへ。大阪でも特にフォトジェニックで、ゴージャス大阪らしいステンドグラスや列柱のあった空間だけど、阪急百貨店の改築でまるごとなくなることになってしまった。写真は、その最後に残った部分。阪急百貨店も、中のパニック状況はともかく、心斎橋のそごうや難波の高島屋と共に風格ある建物の百貨店だっただけに、なくなってしまうのは寂しい限りだ。
日々雑記今日の阪急梅田コンコース

朝食は四つ橋線西梅田駅のマクドナルド。先々月あたりに「スーパーサイズミー」を見て以来、食べる気をなくしていたマクドだが、大阪で朝食を取るときはだいたいマクドか西梅田のスタバになってしまう。まあ今日はたくさん歩くし、別にカロリーあってもいいか・・・などと言い訳しつつ注文。
その間も、まあ次から次へとサラリーマンみたいな人や学生みたいな人がハンバーガーを購入していく。食べる所は立ち食いコーナー。通路の片隅でバーガーを頬張りながら道行く人をしばらく注視。
なんだかなー、やっぱり人が多い。梅田はいつきてもそうだけど、東西南北各方面から人が湧き出すようにやってきては縦横に消えていく。ちょっと怖くなるねこの感じは。。。

東梅田から地下鉄で3駅、四つ橋のカフェで昨日の会でもたくさんお話をしていたY氏、N氏と合流。彼らは堺市や家島で自発的なまちづくりプロジェクトに関わっていて、その話を聞いたり、成果の本を購入したり。ちなみにこの本、「高知遺産」でやらなかった「次への提案」や「街の哲学」を徹底的に追及した本で、あわせて5500円。貧乏タレのおいらには少々イタイが、これは買っておかない手はない。たぶんこれからも、「高知遺産」軸でお付き合い願うことになりそうなお二人である。まだまだたくさん話をしたいんだけど、今日は1時間程度。
しかしこの本の制作プロセスを聞くと、とにかく「とことん突き詰める」ために、それはもうとことん議論と学習を重ねていることが印象的だった。それは、正直高知では考えられないくらい、深く、長い戦い。たったひとつの言葉の奥深さを知るために、あらゆる人物が語ってきた「言葉」を調べ上げてみたり、何度も何度もスタディーを重ねてはやり直してみたり。そして、嫌われてでも「いいもの」をつくろうという気概がリーダーにはあるし、スタッフも「嫌いだけど」参加しなくて誰がやる!くらいの気構えがある。
この姿をみていて思ったのは、高知では、どのような場面においても「まず実行」ありきで、その手前にあるべき「調べる」「考える」ということが欠けていることが多いんじゃないかということだった。議論が敬遠されていたり、もしくは議論があまり深まっていない(ことが傍目にみていてわかるイベントや企画が多い・・・!)。
このことは昨日の会でも話が出たんだけど、高知では旧い建物はどんどん壊されていっても全然OK!みたいな、「後ろを振り返らない」ある意味前向きな特性がある。そして、この特性は、考えるよりも先に行動することに価値がある、「先をとにかく見たいやりたい!」という前向きな特性と重なっていくように思える。とにかく前向き、「えいじゃか」「おもろいやか」だけで全てが進んでしまうこのおおらかさ。
この特性は、かつて土佐の地から自由民権運動が生まれた一つの理由なのかも・・・とか思ったりするけど、あの時代は「話」を敬遠していたわけじゃないだろう。むしろ土佐の自由民権家は異常なほどの勉強家で、議論家だった。そうなると、今の高知の状況は・・・なんてことを思ってしまう。
ま、行動しない土地よりははるかにマシ。行動力があるということそれ自体は現代高知の最大のいいところ。そこにもう少し議論が加われば、お互いもっと勉強するだろうし、もっと面白くなる・・・そんな気がする。

その次は、長堀橋の設計事務所へ。こちらは、以前おいらが勤めていたランドスケープの事務所(六本木ヒルズのランドスケープを担当)から独立して生まれた会社で、5年目だけど一気に伸びている会社だ。前の事務所時代、おいらが手下となって働いていたN氏と、K氏が共同社長を務めている。
かつての手下時代の話を書いておくと、おいらは当時N氏と建築のI氏とチームをつくって働いていた。担当業務は埼玉新都心のケヤキを120本以上植えた超モダンな「けやきひろば」の設計や西梅田のビルの谷間の設計などで、おいらはAutoCADを使っての図面いじりと、CANVASというIllustratorの廉価版みたいなソフトを使ってのプレゼン資料の作成をやっていた。
今思えば、この両氏からは「見せる資料」をいかにつくるかということへの異常なこだわりを教わった。どうでもいい書類でもとにかく「かっこいい」とN氏がいうまで資料は作り直し。たぶん、ここでこういう仕事をしていなかったら、今のような公私の仕事にはつながっていないような気がする。
なにはともあれ、長堀橋までトコトコ歩いて事務所を目指す。途中クリスタ長堀という地下街を歩く。ここはおいらがまだ心斎橋で働いていた時代に鳴り物入りでできた第三セクターなんだけど、当時からしょぼくて、最近はついに更生法だったかの適用を受けたとか。大阪はとにかく役人の天下り天国で、それゆえに経営感覚のない施設だらけになってしまったらしい。商売の都なのに、日本で一番商売がうまくいってないんだから、なんだか変な感じである。
なにはともあれ事務所着。出迎えてくれたのはK氏。N氏は造園学会で不在、かつて同じ事務所で「バイト軍団」を形成したT氏も建築士の勉強で不在だったが、8年ぶりの再会である。K氏はランドスケープやインテリアの設計を中軸にしながら、甘えを許さないコンサルとしての筋を通した商店街の活性化に取り組んだり、大阪市の改革チームの座長を務めたり、その他も書ききれないほどのプロジェクトに取り組んでいる。なんだかとても幅広い活動。詳しい話は書かないけど、とにかく楽しみながら本気で仕事をしているなあと実感。。。
それにしても、さっき会ったばかりのY氏やN氏もそうだけど、ランドスケープの視点から見ると、建築や土木からは見えない何かが見えてくる時があるような気がする。行政や住民の表と裏、都市や地域のアイデンティティなどなど・・・。「高知遺産」を評されるとき、よくおいらが地域計画の仕事をしていることもあって「都市計画とかコンサルの視点が生きている」といわれるんだけど、むしろ風景や景観を扱うランドスケープにおいらのデザインとか思想の原点があるのだとすれば、そっちの方が大きいのかも知れない。
ただ、残念なのは、高知ではランドスケープの需要がそんなになかった、ということか(笑) はりまや橋公園を見たら誰でもわかるように、コンセプトなき要望だけが詰まったダメダメ公園が多いのが実情ですからね。また、あの公園が「いい」と思っている行政マンの多さときたらもう(絶望的)
(つづく)