仕事を増やすか守るかするために、「課題」といわれる奴はうまれるのかも知れない。

さすがにやりすぎでしょという暴対法にしても、突然降ってわいてきた自転車は車道レーン走りなさいってやつも、地震が70%くるかもよってやつも、副流煙が怖いから禁煙しろ肺がんになるわと五月蠅いあれにしても、アーケードで何かやろうとしてもここからここまではダメだから◎▼×※・・・!っていう警察から横槍にしても、あちこちで生まれる条例とか規制ってやつも、一部の人にとっては不愉快で仕方が無かったり現実に問題があったり不安だったり不条理だったりしたとしても、それが当然全員ではないということは抜きにしてまるでそれが真理であるかのように物事が動くさまを最近よく目にするのだ。ライブドアはダメだけどオリンパスはギリとかいうのも、イランはダメだけどイスラエルはOKでしょとか、そんなんも実際には経済界にとって何かを守ったりするためだったりそんなことだろうから、実際には同じコトなのかも知れない。

まあこういうことは会社を興したりプロジェクトを興したりする場合にも、あっちは「これが課題です!」といい、こっちは「そんなんどうでもいい」とかいう話にもなるし、それぞれがそれぞれの仕事や取り組みのためにそれぞれの課題を見つけて課題解決のために動いているわけだからまあ似たようなことなわけだけど、これが条例とか規制っていうことになってくると、なんというかどこまでこうしてそんな関係のない人たちのための仕事づくりをせないかんのだとどこかで思ってしまうわけで。

会社やプロジェクトである限り、それがやたらと政治色を帯びたりマスコミ使いがやたらとうまくない限り、ある程度は無関係を装うことはできる。だけど、条例やらなんやらになるとそうはいかない。しかもそれが自転車レーンは車道だけど決してそうともいえませんわみたいなグレーゾーンの話だったりすると、チャリで動いているこちらにとってはただただ怖いっていうだけの話で、ドイツ並みにチャリ道整備してから言えやと言いたいけど言う先もないしと。警察と道路屋さんと保険屋さんは仕事が増えるけど、それ以外はあんまり増えそうにないし。

地震70%とかの数字遊びも、それが経済や社会を壊す可能性があることを別に考えずに、学者が自分たちの縄張りを争うために醜い姿を晒しているだけのように思えるわけで(突っ走った東大に京大がツッコミを入れて、東大がなんとか誤魔化そうとしている←今ここ)、良心的な地震学者にとってはたぶん相当迷惑な話だろーしと。

こういう風に雁字搦めになっていった後、これが壊れるのはどういう時なんだろう。戦争に負けたらガラガラポンになることは知っているけど、もし勝ったりしたらどうなるのかよく知らない。災害が起きて変わるかというと、この1年で変わるとか言われながら別にここらへんは特に変わらなかった。そーなると維新的な刷新とかいうことになってくるけど、まあこれも民主主義の姿なんか誰もよく分からないのでどうにもならん。まあそこらへんを少しでも手直ししてくれと政権交代に期待していたのも数日で果ててしまったし。

これから人口がヒタヒタと減っていくなかで、まるでSMのように縛られた荒縄がさらにきつく感じられるようになったりしそうで、なんというか、いやな感じだねえ、という小咄。