© 1985 REVERSE ANGLE LIBRARY GMBH, CHRIS SIEVERNICH

一番好きな映画は、ヴィム・ヴェンダースの「東京画」だ。
1992年、京都の大学にいた頃、えらい荒木経惟にはまった。

一番はじめに手にして、一番はじめに買った写真集が荒木の「東京物語」。
小津安二郎の「東京物語」へのオマージュとしての写真集であり、
「芸大生的作家的活動」としてはじめていた写真にはまりはじめていた自分はずいぶんとこれに影響を受けることになる。
90年代初頭の「平成元年」「冬へ」「東京物語」は現在の荒木の写真とはまた違った独特の暗さがあった。バブルもほぼ弾けてしまい、なんとなく大学生なりにこれからどこへ行くのかよく分からない時代が始まろうとしていたし、いろいろなモノコトにどこかで虚しさを感じるようになりはじめていた頃で、自分的には荒木のここらの写真集というのは、そんな時代感覚を奇妙に映し出してくれる鏡のようになっていたのだ(セットされた写真で攻めていた篠山紀信は、今見ると全く違う角度からそんな風景を撮影しているような気がする)。

で、こうした写真集の解説や雑誌のインタビューなどでことあるごとに荒木がその名を出していたのが、小津安二郎の「東京物語」や「東京画」だった。

当然、見る。が、小津の「東京物語」は、なんというか前半の家族の過剰なまでな冷淡さがなんとなく肌に合わなくて、見る毎になんとなーく暗い気分になったりした。昨日も前半を見ていたら、やっぱりどうしても暗くなるので消してしまった。ここで描かれる東京とは、「3丁目の夕日」が描く「明るい東京」とは全く違う。
そして、その一方で、新幹線ができる前の戦後日本のまだまだ美しい風景とか、なんというか今ではちょっと信じられない時間の流れとかが普通に描かれていて(演出かも)、これに驚きもさせられる。


▲東京物語


▲東京画

「東京画」は、そんな小津の描いた東京を訪ねる映像による旅日記であり、また小津の東京が失われてしまったことを嘆きもする映画だ。

「東京画」では、公園でスーツを着たまま缶詰とビールで花見を楽しむサラリーマンの映像が流れる。
翌日には同じ公園で揃いも揃って短パンの小学生たちが野球をし、原宿ではタケノコ族がアメリカの音楽に合わせてブンブンと腰を振り、正しい振付をお互いに教え合う。
ゴルフの練習場では、ボールをカップインするはずのゲームの練習なのに、パターの練習をするよりもいかに美しくスイングを決めるかに必死の人々の映像が映し出される。
笠智衆や小津チームのカメラマンの厚田雄春へのインタビューをはさみながら、古びた街中を走る新幹線や無数に走る電車の姿、レストランの蝋見本の製造工場や黙々と人々を玉を打ち続けるパチンコ店の風景がヴェンダースの「もう小津の描いた東京は、ない」ことへの嘆きと共に流れてゆく。

小津の「東京物語」が撮影されたのは1953年。
ヴェンダースが東京を訪れたのはそのちょうど30年後、83年。
自分も丁度東京で暮らしていた頃だ(78〜85年)。
そして今年は、ヴェンダースが訪れてからちょうど30年。

いま、この「東京画」を見ると、ヴェンダースが「東京物語とぜんぜんちゃうやん」と嘆く以上に、この30年でまた東京は変わったように思える。都市としての基本的な構造は変わっていないと思うけど、「東京画」の東京は、まるで今の中国の映像でも見るかのように、なんというか奇妙な迫力がある。
まあそらそうだ、バブル直前の頃の話だもんといってしまえばその通りなんだけど、

小津が描く、いまから60年前の静かで美しいけれど、崩れ始めた「ふるきよき日本の東京」は、ヴェンダースが撮った30年後には「すっかりなくなって」いた。全編を通して東京は混沌とし、個人対個人の結びつきを感じられる画を撮ることが難しいとヴェンダースが嘆くほどになっていた。
だけどそれから30年経ってみると、まだ30年前のあの頃は普通にまだまだこの国は当たり前のように成長し続けると信じて誰もが働き、その寸暇を惜しんで飲んだり打ったり遊んだりする、奇妙な陽気さと暗さがあるように見えるのだ。
そして、笠や厚田の小津への深すぎるほどの尊敬。特に厚田は、本当に小津という一人の人の生き様を信じ、他の監督にろくに浮気することもできなかったというが、これもまたちょっと今見ると「不思議」な感じをなんとなーく覚えるのだ。
今見ると、ヴェンダースが嘆いた東京すら、「すっかりなくなって」いるんじゃないか。
電車の数は格段に増えた。暮らす人の数も増えた。ビルの数も比べものにならないくらいに増えた。みんな働き、みんな東京という遊びを楽しんでいる。だけど、もう30年前の熱気も、60年前の静けさもない。なんとなく白けていたり、なんとなく不安であったり、そんな空気がやっぱり「なんとなく」支配しているように感じる。
だけど、仕事をしていると、みんながそんな街の方を向いている。これもまた、「なんとなく」どこかで虚しくもあり。

下の映像は2005年に編集した「高知遺産」のムービー。単なる写真の羅列だけど、「高知遺産」は「東京画」からも影響受けてることを改めて思う。