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東京小旅2010-2011+関西

2010年から2011年にかけては、やったら東京へ行くばかりで、

あんまり旅らしい旅はしなかったのだった。

まあわかったのが、

商売人でもない限り、東京は年に1-2回行けば充分なのだということなのであった

(3回目は本当に行きたい所も用事もなくて、それが幸いして東北へ行けた)。

小旅総覧09-10の続きです

 


2010.11.4-6 オールライト工房3兄妹ご案内による東京活版巡り

初日は昼便で東京入り。渋谷の宿入りしてすぐに嫁は世田谷美術館などへ行き、おいらは三鷹の山田文具店などを訪問。夜は表参道で土佐和紙プロダクツの設置で相談中のお店など訪問。夜は妹真奈の放送作家で婚約者の四駆郎さんと初会食。
翌日は8月のイチハラヒロコ展で初めてお会いしたオールライト工房の高田3兄妹のご案内で、東京の活版関連のスポットを一日中ご案内いただいた。
江戸川橋の佐々木活字店では古い鋳造機からテープを読み込んで一気に文字を鋳造する大きな機械などを見学。それからどんどん地下鉄と徒歩を継ぎながら、親子で活版印刷機を回している清澄白河の東海印刷、銀座の中村活字、千駄木のPAPIER LABO、そして最後に鵜の木のオールライト工房を見学。かなり足の痛い一日だったけど、東京でもその灯がいつまで続くか分からない活版印刷を、どうやって次へつないでいくかを考えさせられる一日なのだった。
3日目は銀座のアンテナショップへ。地下一階の土佐和紙商品はいまひとつでため息。1階も四万十ドラマと馬路の物がやたらと目立つ格好で、それがかえって隣の沖縄と比べた時になんとなく高知県全体の商品力の弱さが引き立つ感じがして、これもまたため息。まあ始まったばかりで商品の数も少なかったりするのでなんともいえないけど、こういうお店って開店直後のイメージが結構重要な気もするだけに気がかりなのだった。
ちなみにアンテナショップにはウチもその後置いて貰うことになるが、売上げは芳しくはない。なかなかやっぱり物を売るというのは難しいのだ、ということを思い知らされることになる。理想と現実・・・

 

2011.3.7-9 東京ヒノキカグデビュー

東日本大震災直前の東京ひとり訪問。初日は東京ビッグサイトで行われる展示会に大正町森林組合が出展するので、その展示の手伝いへ出動。夜はスーベニアプロジェクトの小池田夫妻と初対面めし。TOSAWASHI PRODUCTSを軸に商品開発や販売計画を立てていこうというお話で、ついついいろいろ盛り上がって終電間際に。
2日目は目黒区美術館で「包む」展、庭園美術館で「20世紀のポスター」展、さらに飯田橋の印刷博物館、八重洲の雑貨店、蔵前の「カキモリ」へ。足はプルプル。夜は夏頃にイギリスに留学するべく準備中だという富士通のコンサル友達と根津で久しぶりに飲む。
3日目は渋谷。オンリーフリーペーパーを初訪問し、静かに話が盛り上がる。どうやって稼ぐかほんま課題ですな。ぜひ続けて欲しいだけに。。。それから久しぶりに渋谷中をウロウロしてみるも特に収穫はなく(この昼過ぎに東北で東日本大震災の前震)、午後は再びビッグサイトへ。
空港まではバス。その車中、こんなところで地震来たらいやだなあとか、この狭い街で地震来たらほんま危ないなあとか思っていたら、2日後にそれが本当のことになった。
この11日は、組合のメンバーも有明からでれなくなり、物産開発でたまにお手伝いさせてもらっているM君もちょうど東京入りしていて当日は東京脱出ができなくなったりした。

 

 

2011.5.7-10 東京・仙台

妹の結婚式。ライセンス司会のなか、やっぱりちょっと変わった結婚式なのであった。
ビデオメッセージはココリコなど吉本芸人が続々と登場。
こっちの仕事とは全く性格の違う仕事なんだなあと改めて思う。
2人が出会うきっかけとなったのは、よさこいで最近人気の「かなばる」でのこと。
従って、披露宴も二次会も、四駆郎氏がかなばるのダンスを激しく踊った。
どうも竹村家系統の結婚式では新郎が踊る羽目になるらしい(おいらもyummyと踊った)。

結婚式の翌日3日目ははじめての仙台へ。
牛タンを食べたいというのと、やはり一度は見ておきたいということと。
しかし今考えると、地震から2ヶ月後という結構早い時期で、よく余震に会わなかったものだと。
仙台の記事は「仙台小旅」「石巻・福島。」へ。
2011.7.17-19 関西強行軍

前日は四万十市で@sakanayamaさんと@shin9さんと飲み。
翌日から久しぶりの松山経由関西小旅。
嫁は芦屋の姉宅に先乗り。
おいらは松山でyummydanceの「ドロップス」を鑑賞してから、全速で芦屋に向かうも、途中姫路の少し手前でダウン。
昔ならもっと走れたはずなのに、3時少し前になるとやっぱりどうにもならない模様。
結局四万十〜松山の疲れも溜まってたらしくドップリSAで寝てしまい、芦屋に着いたのは昼過ぎ。
それから京都に入って「かねよ」で昼飯を取り、恵文社やガケ書房、裏具など毎度の訪問先を訪ねる。
ちなみに夜は寺町のスタンドと六曜社など。
祇園祭が終わった直後だったのだが、まだ囃子が新京極に出ていたりしてうれしい。
最終日は大阪で活版印刷に取り組む明晃印刷へ。
イケイケドンドンなまさに大阪商人で、東京で活版に取り組むメンバーとはまた違った迫力。
帰路は台風の嵐の中をいつ橋が止まるかヒヤヒヤしながら、明石鳴門経由で四国入り。
が、高松道に入ってしばらくすると嘘のように風も雨も止み、夕焼けが広がり出した。
なんでだ、おい。目の前に台風あんのに。

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石巻、福島。

 

石巻は、少し市街地に入っただけで目を背けたくなる状況だった。
だいぶ片付けも進んだと聞いて行ったのだが、実際に石巻駅前付近から川沿いにかけて裏通りはほぼ被災直後のままのような風景で、表通りの店もほぼ全てが「深刻な」という言葉では言い表せないような被害を受けていた。また、少し低い場所にある路地は今も乾いた泥に覆われている状況で、信号も動いていない様子だった。この先はもうとても行けない。まともに降りることもできず、すぐに仙台へ引き返した。この道の先には街が消えた三陸がある。

今回の小旅で訪ねた仙台、松島、石巻。
これが高知だったらどうなんだろう。若林区の風景は南国や高知空港付近の地理条件と似ているし、石巻は高知市や安芸市、三陸は須崎や中土佐などと相通じる。もし連動型になったりすれば、救援の手は今回よりもずっと遅い。どー考えても、静岡や愛知、大阪などを優先せざるを得ない。そして高齢化も今よりずっと進んでいるだろうから、逃げ遅れる人がたくさん出てくるのは間違いない。また、県内の土木建築業界も相当小さくなっているだろうから、復旧の人役自体あまり工面できないかも知れない。2030年頃の想定人口は、県がほぼ60万人、高知市が30万人。その高知市も中心部~東部が石巻のような被害(地盤沈下と長期浸水)を受ける。


高知の人間に限らず、今回の震災の被災地は見ておくべきだと思う。今回の仙台訪問、実際問題化していた「ただの野次馬」と同じかもと思い、行くか行かないかちょっと迷った。だけど、やっぱり実際に見ないと分からない。また、こと高知だと今回の震災はあまりにも遠い出来事だ。むろん間接的な影響はあちこちに出ているけど、放射能も含め「実感」していないことには、なんか「始まらない」ような気がした。実際、見てはじめて、被災地の余りの広さも、本当に何もかも根こそぎ奪っていく津波というものも、やっと実感できたような気がする。実感してなんなんだ、とも思うけど、実感せんとどうしようもないと思う、妙な感覚。
新幹線では、福島や郡山を通った。通っただけだけど、車窓から見る福島の風景はきれいで、もちろんたくさんの人が行き交っていた。街の東には山並みが見えて、その先には原発がある。何も普段と変わらない風景なのに、小学校のグラウンドは掘り返さないといけない。その山の向こうには、家があるのに家に近づくことができない人がいる。原発に近いところでは、もう山の管理をしばらく諦めないといけないところもあるという。これはなんなんだ?と思いながら、流れる風景を見ていた。
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仙台小旅


実感しないとわからない。
スマトラの映像ではいまいち映像を「日本へ置き換え」することができなかった(スマトラの低い堤防だから津波を防御できないんだ的な見立てをまず脳内でしてしまっている)。ここ数年時々やってきていた津波も川を遡上したり港沿いの街が静かに海にのまれるという程度の映像観であり、過去の須崎湾を遡上する津波映像や宝永町あたりの壊滅的な被害写真などを見ていても、やっぱり「戦後まもなくのことでしょ」的な、「現代日本での置き換え不能」な映像観で見てしまってきていた。
それが今回、これから来るであろう災害に対する想像力を「広げすぎる」ほど、膨大な映像量が流れてきた。そこへさらに原発という目に見えない災害が続き、もう自分たちの街にどの事象も置き換え可能な映像観がすっかりできあがってしまった(それはそれで過剰な防災対策も出てきそう)。
仙台を実際に訪れてみると、やっぱりテレビやネットで見ている印象とは全然違っていた。仙台の町はもう普段の日々を取り戻しているように見えた。だけど、松島に向かうために仙台東道路に入った途端、すぐ右手の車窓一面に荒野が広がった。左手は仙台の町並みが広がり、右手は荒野。あらゆるところが砂や泥に覆われ、車と瓦礫と砂防林の大木があちこちに流れ着いている。海岸沿いにあった集落も流されて、海岸まで見通せてしまう。瓦礫や車は撤去できても、この泥を除去して街や田んぼとして復活させられるのだろうかと思ってしまう。その後訪れた街でも然り。
遠く高知から働きながら支援できることなんて、やはりあまりにもなさすぎると感じるし、実際に家を失ったり仕事を失ったり家族を失ったりというのもテレビだけではイメージできなかったけど、実際にその風景を見てしまうと、どこから立て直していくべきなのかさっぱり見当もつかないし、また何かをしてあげられる術もないように感じてしまう。
実際に自分たちにその日がやってくるとして、支援される側になった時に必要なことってなんなんだろうか。少なくとも現段階では知人でも中嶋さんらの取り組んでいる薪風呂の支援や栗田さんのお茶の発送、畠中さんらのお米の発送などがあるが、そういう生活の根っこに近い部分の支援というのが一番うれしいような気がする。
しかしその先はどうしたらいいのだろう。本格的な生活再建、仕事再建はお金をかければ治るというものじゃない。またこればかりは他所の地域がどうしたところでなんとかなるものでもない。むしろ他所の地域や国外への産業移転が進んだり、想定以上の人口移転で計画がうまく進まない可能性がある。
いずれ高知の沿岸集落でもこうした風景が広がる日が来る。その時、高知の主力産業である農業や漁業の拠点はどうなるんだろう。高知県の主要政策である地産外商の根幹にも関わる大問題だ。そう思うと、ある意味で、一体何のための仕事をするんだろうとも思うし、また同時にだから仕事をするのだとも思うし、よくわからなくなる部分もある。
だけど、、、仙台の牛タンは本当に想像を絶する美味しさだった。松島の煎餅もうまい。津波で壊れた店の隣で、なんとか再開した店もあるのだ。


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瀬戸内芸術祭

昨日はいつもお世話になってるK印刷さんとタケムラ家で瀬戸内芸術祭へ。

正直そんなに期待していたわけではない(北川フラムが嫌いなもので)けど、
下馬評で良いと聞いていた女木島よりも男木島がかなり面白かった。
女木島は、よくも悪くもお芸術な感じで、なんか疲れた。
いちばん面白かったのは鬼が島の洞窟。
キッチュな鬼像が洞窟内のあちこちにいて、
むしろこっちのほーがあーとなんじゃねーかとすら。
小学校は建物のつくりは面白かったけど、作品がなんか疲れる。
少し考えさせられるというか。
きっと美術館をゆっくり何時間も見ることができる人にはお勧め。
おいらはルーブルですら1時間で出てしまうよーな人間なので、
ちょっと無理でした。
んで、男木島。こちらは島の構造からして、うれしいかんじ。
だいぶ前に行った沖の島と似た感じの島で、
船からすぐ前の急斜面に小さな集落が張り付く。
で、その集落内の家や路地にたくさんの作品がならぶ。
なかでも44の大岩オスカール、47の音の風景、52のうちわの骨の家
54の雨の路地、55の海と空と石垣の街は印象的だった。
たぶん女木島の作品群は、周辺環境と無関係な作品がどっちかとゆーと多くて、
男木島は環境に寄り添うような作品が多かったってのもあるんだと思うけど、
島のランドスケープや、路地を曲がる度に飛び込んでくる海の眺めとか
そういうのもまた男木島が良かったなーと思わせる大きな理由のような気がする。
直島はどーにも大混雑らしいけど、
いいと今日Twitterで聞いたのは、豊島。
2002年頃に産廃処理の視察みたいなので行ったことがあるけど、
もしいけたらいってみたいと思うのであった。
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小旅総覧09-10

旅好き。だけど最近は記録に滅法残さなくなってしまってることを悔やみ中。

なのでこの2年の間、どこへ行ったか備忘録。

今年はなぜか東京と京都がやたらと多い。

 

 

2010.7.23-25 松山~広島
松山でyummydanceの撮影、三津で美味しい丼を食べてからフェリーで広島へ移動し、夜は旧沢マンメンバーで広島飲み。翌日はあちょーの結婚式に出て、夜は小料亭。最終日は宮島へ。帰路、大豊~南国通行止で土佐町経由で帰宅

2010.6.22-24 東京~京都
夜行列車サンライズ瀬戸で東京入り。案の定興奮して寝付けない。
初日、東京ではTOSAWASHI PRODUCTSの営業。三鷹の山田文具店、吉祥寺のサブロ、高円寺の道具屋、目白のポポタムなど。久しぶりに吉祥寺のサンロードではよく見たら25年前とぜんぜん変わってない看板を発見。
夜は池袋で大宮在住の夫妻の結婚式関連ツールの打ち合わせ。翌日は京都へ移動しイチハラヒロコさんと京都駅で打ち合わせ、終了後徒歩で河原町まで移動し、六角のかねよで夕飯。


2010.5.7-9 東京~鎌倉~茅ヶ崎
初日は横浜の築地活字で「文字のできるまで」を見せてもらう。昼からは銀座や八重洲あたりをウロウロ。夜は有楽町で焼鳥、銀座のど真ん中で銭湯堪能。翌日は錦糸町での吉岡さとるさんの写真展を見てから、鎌倉へ移動。鶴岡八幡宮など。夕方には茅ヶ崎に移動し、祖父と嫁初対面。
最終日は祖母の墓参りへ。空港へ向かおうと駅に入ったらJRが全線ストップしていて難渋。戸塚までタクシーで移動したところでJRが再開し、なんとか出発に間に合う。




 2010.3.6-7 芦屋~京都

美術館の河村学芸員と現地集合でイチハラヒロコさんと打ち合わせ。
夜はMeetsでみつけた「よし田」というお惣菜屋さんで晩飯。めちゃうま。翌日は漬物屋さんや「裏具」、「かねよ」など。



2009.10.13-25 Paris,Mainz,Freiburg,Muenchen
日本制覇してから!と思ってたけどついに初海外。思いのほか面白すぎ、2年に1度はどっかへいきたいと夢見るようになる。

2009.9.12-13? 芦屋~大阪~神戸
11月からの使える和紙展に備え、道具や参考品探しに大阪へ。帰りに神戸のIKEAに寄り思いのほかコーフン。

2009.5.16-5.17 倉敷~松山
松山でのyummydanceの「耳打ちせずにいられないことが」観覧にいく前に、遠回りして倉敷へ。三宅商店でメシ。倉敷は表通りよりも裏通りがはるかにいいことを知る。結構マニアックな店も多くて面白い。夜は松山入りし観覧、その後の懇親会にも出席することになり泊まることに。mama!milk清水さんやトオヤマタケオさんら楽団員も見に来ていて、いろいろお話。めっちゃいい人や~。
翌日は松山城でのイベントへ。全体的に、こういうクラフトやアート、エコ系のイベントの質は高知が異常にハイレベルだということを改めて理解。

2009.5.1-5.4 島根~鳥取
おいらのもーひとつの田舎、島根への小旅。出雲大社、松江城、お堀巡り、島根県美など。子どもの頃いくつ食べられるかが夏休みの絵日記のサブテーマにもなってた「八雲庵」の割子蕎麦も10年ぶりくらいに賞味。夜は新天地というビルのてれすこという店などハシゴ。翌日は安来の旧宅跡と飯島の本家へ。商店街ではちょうどお祭りをやっていた。また、こども県展で特選を取った絵を描いた清水寺の五重塔にもたぶん20年以上ぶりに登る。
米子では最近観光地化しているらしい駄菓子屋さんや皆生温泉の浜辺などに立ち寄る。帰りの高速は渋滞。疲れたの
で湯原温泉でイップク。久しぶりに射的なぞも。



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パリ小旅[4日目]びくびく

一年遅れで旅日記を再開。やっぱドイツまで旅日記もたどり着きたい。いつになるかわからんけど。

さて旅も3日目。この3日で、ずいぶん荷物をためこんだ。なので朝一番で郵便局に出向き、日本へ荷物を諸々発送。無事届くのかよくわからんけど、届いてもらわないとヒジョーに困る。7kgの制限を超えないように、目の前で荷物を出し入れしたりしながら調整。嫁は郵便グッズを購入するべく窓口と奮闘。要は「なんでそんなもんがいるんだ?わからん」ということらしい。

さて、1日目は朝から晩まで自転車と徒歩で16キロ、2日目は朝から晩まで10キロを踏破。この夏ぐらいから急に体重増加の傾向にあるせいか、なんかだるい。それでも家訓は「旅はボロボロ」。行くしかない。というわけで今日もチャリを借りようと(パスポートは諦めて)再びBIKE TOURSへ向かうも、誰もいない。たぶん日中はツアーに出ているのでスタッフを置いていないんだろうと思うけど、残念。

まあしかたがないので、結局ホテルから歩いて1分のForum des Hallsにチャリ屋があることをいまさらながら旅本で発見し、同じ道を再び戻る・・・も、こちらも「冬期休業」の看板が。冬期ってまだ10月なんすけど。

もうこれはチャリを期待しても時間の無駄だってことで、メトロに乗り込んでモンマルトル方面へ向かう。メトロ乗車もかれこれ3日目、なんだ聞いていたより安心やんとか思いつつ、4号線からBarbes Rochecouartで乗り換え2号線へ。

が、どーもこの2号線はそれまで乗っていたラインとは雰囲気が違う。なんか、ちょっとだけ天王寺あたりのちょっとだけ不穏な空気感。これまでどこの路線でもいたアジア人の姿は消え、全体的に大きな黒人さん主体で、慣れない風景だけにちょっと怖い。しかも山手線並みにギューギューで身動きも取りづらいときてる。別に誰か周囲で悪企みをしてるようにも思わないけど、ちょっとこれまでと雰囲気が違いすぎて明らかに怖い。乗車していたのはたかだか3駅だけど、パリに来て以来ずっと前掛けにしてたカバンから手が離せない感じだった。

後から調べてみると、パリはこれまで訪ねて来た南~西よりも、北~東の方が治安が悪いらしく、所得格差もすごいらしい。確かに空港からLes Hallsに向かう間も北駅やその界隈を通過してきたんだけど、なんかちょっとだけ荒れた感じはしていた(ちなみに今晩から最後の2日は北駅周辺に泊まる)。なので、そのあたりを走るメトロはどれもちょっとアブないのだとか。

で、Blancheで降りたらそこはモンマルトルの麓だ。ちょっと上がるとアメリの舞台になったカフェがあるも超満員で、その他小さい道になんか結構鈴なりの人だかりが続く感じで、なんかだるい。鎌倉か清水坂あたりをウロウロしているとだるいのと同じで、下町的な店も多いけどそれ以上に土産モン屋が目立つ感じで、想像していたよりもあまり面白くない感じだ。なので、初めてまともに見たアールヌーボーなメトロの出入り口にもそれほど盛り上がらず、なんか今ひとつの気分のままサクレクール寺院のたもとのケーブルカーへ乗車。

ちなみにこのケーブルカーもメトロの回数券カルネを使うことができて便利だった。まあたった1-2分のために回数券一枚(1ユーロちょっと)ってのも勿体ないんだけど、いちいち小銭を用意したりするような手間が省けるのは動きやすいし使いやすい。高知とかでも参考になりそうな話だ。

ここまでは旅のあとまもなくに書いてたんだけど、ここで頓挫。ここからは2010年9月、すなわち旅から約1年での記憶になるので、パパーッと書くことにする。

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でまあなんとかサクレクール寺院に到着。寺院の前の階段では、やたら陽気な音楽が流れていて、しかもビートルズだったかなんだかを生演奏していて、ミョーにアメリカンな空間になっていた。まあそれはそれでいいんだけど、アメリorのだめな感じを期待しているだけに、ちょっと残念。しばし街を眺めて過ごす。

しかし地平線の向こうに山が見えないってのはやっぱりフシギ。街を超えると畑が延々と続いている感じで、この感覚はなんかないなあと思ったのだった。

寺院を下りるとまるで原宿の竹下通りのような感じ。ここでメトロの路線図の下敷きみたいのをゲット。一回クリシー通りまで出て、ブランシュの駅近くにある「三つ編みおばさん」の店を目指す。

が、朝から何度もきていた通り雨、ここにきて少し激しくなってきて、ビガール駅あたりに着いた頃には特に雨脚が強くなってきて、軒下で雨やどり。あたりを見回すとちょっとだけ歌舞伎町な感じで、ポルノショップや劇場っぽいのがあったりする。パリで一番のピンクタウンらしくて、なんか雑然猥雑としているんだけど、それでもまだ微妙にオシャレに見えるというのがなんか面白い。まあ夜とか来たら、たぶん娼婦とかいたりするんだろうけど。で、「三つ編みおばさんの店」へ。ここは日本人スタッフも在籍しているというチョコレートのお店で、嫁は大量のお土産をここでゲットした。なんつかほんまおばちゃんなんだけどキュート。日本のおばちゃんだったらちょっとムカとくるかもなあ。

さて、ブランシュ駅から再びメトロ。が、入ってくる電車の車内は、見るからになんかチョット治安悪そーな感じで、思わず躊躇する。朝のメトロもちょっと変な感じだったけど、明らかにここは悪い感じ。スリも多い路線だというので、こりゃ危ないということで2本パス。

もし3本目も変だったらタクシーかバスで移動することも考えようと思ってたら、3本目は普通だったので乗車し、2号線→13号線→サンラザール乗換→14号線でシャトレ駅まで移動。14号線はエラい飛ばすなーと思ってWikiで調べてみたら、ほとんどの路線が100年の歴史を持つメトロの中で唯一最近できた路線だとゆー。なので道路の下を走るわけでもなく、ガンガン地下を飛ばして走ることができるのだ。車内もかっこいいけど、イマイチ撮影するのは危険な感じでぼーっと車内を眺めて過ごす。この間1時間、珍しく一切写真も撮っていない。で、気を取り直してポンピデューのあたりの商店街をウロウロする。ここらへんは昨日の夜もうろついてたのでだいぶ地理観が付いてきて、また少しは度胸も付いてきて、カフェでサンドイッチを食べ、書店で本を何冊も買い込み、おもちゃ屋さんで変なサイコロとかを買ったりして一気に荷物を増やす。実は今晩からホテルを変えるので、ここらへんをウロウロするのも最後っぽいので一気に歯止めがなくなってしまった感じだ。

新しいホテルは北駅の近くのALANEというホテルで、タクシーで移動。最初の3日を過ごしたPRINCE HOTEL FORUMに比べると新しくて、またちょっとだけ広い。フロントの女性はこれまた美人で、英語もフランス語もよくわからずモゴモゴしてると大笑いしたりしはじめたり。

で、早速周辺探索へ。

・・・・が、これがホントに怖かった。特に何も考えず、駅の南にあるパサージュ・デュ・デジールを見たくて今朝乗車した4号線の真上にあたる大通りを歩いて行くと、明らかにこれまでとは違う雰囲気。

なんか、全体的に黒人街。白人もこれまで散々目立っていたアジア人もほとんど見当たらず、やたらと黒人が多い。あちこち窓ガラスも割れ、あちこちでまるで怒っているかのよーに携帯で電話をしている人がおり、美容室を覗けば店内に黒人がひしめきあい、なんかある意味初めてまともに「異国に来た」と感じさせられる街並が続くのだ。でもとにかく引き返すわけにもいかず(結局また怖い思いをするだけだし)、パサージュも見えてきたので強行突入。ここはインド系の雰囲気が強いパサージュなんだけど、引き続きなんか強烈。日当りも悪い感じで、なんかちょっとお店に入るにはせめて英語が堪能でないと怒られそうな感じ。とにかく嫁も明らかにひきつった顔をしているので、早足で抜ける。

まだまだちょっと怖い感じは続いていて、ちょっと天王寺の裏道的な感じ。さっきよりはだいぶましとはいえ、引き続きカメラなんて撮れるはずもなく、もーとにかく一回宿に戻ろう腹も減ったし!ということで北上。

途中モノプリもあったので買い物をするも、これまたこれまでのモノプリとはぜんぜん違う感じで、お惣菜とかもなんかちょっと日本人には難しそうなものばかり並んでる。結局ハムとかだけ買ってレジに並ぶも、レジの人がこれまたムスっとしていて、早口で「○▼!」とかいうもんだからビビってしまう。

とゆうわけで宿に戻り、結局嫁はここでダウン。それでおいらは夜の再探索へ。駅周辺は別に危険な香りがするエリアもなく(ただし一本ずれると危ない感じのところもチラホラ)、また書店とか時間潰しができる店があるわけでもなく、1時間くらい散策して結局戻り、ハム食って寝た。

これまでに3日間は特に怖い思いもしてなかったけど、今日はなんか違う1日だった。ミョーに危険、ミョーに怖い。せめて英語はしゃべれるようになろうよ。そう思わせられる一日だったのだ。

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広島な夏。

もう一ヶ月くらい前になるけど、ほぼ10年ぶりに広島へ行った。
数年前まで同じ沢マンの屋根の下、暮らしていた友人元112号の結婚式。
高知からは大家さん一家のほか、タケムラ家(18号、17号)ほかsumica家(11号)、ukiki家などが参加。広島なのにちょっと高知くさい、結婚式なのだった。
112号は、7年くらいまえに沢マンにふらりとやってきた。

女子なのにめっぽう空手が強くて、当時沢マン住人が呼んだ肩書きは「あちょー」。
その後実際に広島から沢マンに移住してきて、ドMなおいらほか数人がよく「てごうて」は本気のケツキックをお見舞いされたりしていた。
だけどやさしい。
当時のログを見ると空手家なのにほんわか系で面白い、的な記述。いまもむかしも強くて弱くて、弱くて強い、なんかそんなフシギな人物なのだ。
当時の沢マン住人みんなの相談相手でもあり、その逆もまたしかり。沢マンを離れてからは特に定期連絡をしているわけではないけれど、それでもなんかいまもむかしも特別な人物のひとりなのだ。
とゆーわけで、おめでたう。
結婚式は昼すぎに終わったので、夕方から街に出直し。
もちろん広島焼。
さすがB級グルメの王様。うますぎ。
晩飯は笹木というお店へ。
広島の地酒をやりつつ小料理をいただく。
店員さんの心遣いがものすごく行き届いていて、
笑顔にいやされた。
また行きたいと思う店をみつけた、という感じ。


 

翌日は、広島観光。10年ぶりの原爆ドーム。
夏になるとアジアやアメリカからも含め、戦争についてのいろんな話が出てくるけど、もう都市がまるごと壊滅するようなことなんてのは、もうこの先やっちゃいけん、とここを見るたんびに思う。加害者だったのを忘れてんのとちゃう?とか、原爆落としたから被害が減ったんだとか、そゆんじゃなくて、もうここまでひどいことになるようなことはやめましょと。
最後は厳島神社へ。
ものすごく暑くて、鹿が海辺で海藻を食べたりしながら遊んでいた。

ちょっと桃源郷っぽい。 

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鞆の浦架橋白紙

広島の知事が変わって、鞆の浦の架橋計画が白紙になる見込みなのだとか。
もし橋が架かっていたら、この写真のちょうど船が写っているようなあたりに橋がかかることになっていた。
こんなきれいなところだけど、裏に入ればこんな感じ↓
とりあえず超狭くて大渋滞。
こんなんじゃ観光シーズンとか地元の人の暮らしはどーにもならん。
てゆうことでとにかく橋を!いやトンネルを!みたいな感じで揉め込んで、地元は二つに割れてしまうわ裁判沙汰になるわ宮崎駿がちょっと神様目線で論評してしまうわでニッチもサッチもいかなくなってしまっていた。
まあこういう話はよくあるけれど、観光で喰わないのなら別に橋を架けてもいいんだろーなとは思う。実際鞆の住民の多くは賛成だというし。
でもー。
以前、幡多の方のある町で仕事をしていたとき、バイパスが通る前と比べたら車の通行量が激減して、地元の商店の方たちが車を呼び戻すべく動いているとか、なんとかせいと役所に文句を言われると嘆いていた。開通当時はみんな喜んでいたのに、一年も経たないうちにそんな状態ながですと。
他の町でも似たような話をよく聞いたけど、バイパスができたら車が減るのは当たりまえ。目の前の車が大変→バイパス事業に賛成→減ったら減ったでまた新しい問題発生→活性化を要求っていうのはなんかおかしい。そんなん想像の範囲内のことで、過去の数多の事例を紐解けばすぐにわかるじゃんかと。
それで、その町はまた新たに起債して小さな公園を作った。合併前にやれることやっちゃえ状態で。だけど、そんなんでヒトが来るはずが無い。その後数年してその町では面白い取り組みが芽生えつつあるけど、たぶん普通の商店は正直辛い状態が続いてるんじゃないだろーか。
で、鞆はどうなるんだろう。おそらく、今よりさらに寂れるとしか思えないんですが。
バイパスって、そういうもんですからな。伊野に西バイパスができたらほぼ間違いなく寂れちゃうだろうなーと素直に想像できちゃうのと同じで。
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パリ小旅[3日目]チュンチュン


今日は美術館めぐり。が、いちおーART NPOの理事を務めながら、実は正直それほどパリの美術館巡りにゃ興味が無かったりする。

たとえば誰かと一緒に美術館に行ったりすると、おいらはとにかくパーッと見てしまう。一点一点の前で立ち止まるだなんて、よほど好きな作家でないかぎりほとんどない。ましてやルーブルやオルセーなんていう規模になってしまうと、それはもう地獄とでもいうべきものだとすら思っていた。なにより、本屋でお腹が緩むように、美術館を歩いていると足のどっかの小骨がパキパキと鳴りだす。それが気になって仕方が無い。

まーでも「パリ行きました」「ほんとー!ルーブルは行った?」だなんてもし聞かれて「行ってません」だなんて言うと、まず誰もが顔をしかめるだろうから行っておく、というわけで。

・・・が、まーやっぱり行って良かった。だいたいヨーダイがタケムラは多いので、注意が必要なのだ。



 さて、ホテルで出発時に2日間有効のミュージアムパスをゲット。これがあればまー大抵のミュージアムは入り放題なのだ。あー、また自転車じゃないけど、なんでこの程度のことが高知でできんかなあ。文化財団系列だけででも、こういうわかりやすいことやったらえいのにとイラつく。一応四国のミュージアム88カードラリーみたいのもやってるけど、名前を聞いただけで既にちょっとわかりにくい。ホームページもこれまたわかりにくいし。

そう、こういうのはただ単に「ミュージアムパス」でいいのだ。システム系は簡単明解であることが何より重要ですよ。分かりにくい構造を表に出しちゃ絶対誰も使わない。まあこれまた高知はそういう意味で「分かりにくい」ことが多いわけですけど。

で、奥様の足の調子が悪いので、chatlet駅からメトロでLouvre Ruvoli駅へ。ちなみにこのLouvre駅、内装がなんか他の駅とは明らかに異なる美術館調だ。もちろん全部レプリカにしても、こういうのはなんか気分が盛り上がることは盛り上がるねえ。結構破損してたりするのはおいといて。 

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で、ルーブル美術館へ突入。なんか機関銃持った軍隊が3人くらい歩いていたり、犬を連れて散歩している爺さんがいたり、のどかなんだか恐ろしいんだかよくわからん。機関銃とか、日本じゃまずみないもんね。もしここで突然おいらが奇声を上げてなんか変なビンでも片手に走り出したら蜂の巣になることもできるのだと思うと、それはそれで不思議。まあたぶんその前に取り押さえられて首をグイッと掴まれてなんか訳のわからん言葉で怒られるのがオチなんだろうけど。 
それにしてもまあでかいこと。ルーブルの中庭に県立美術館の建物を丸めたら全部入ってしまうんじゃないのというぐらいにでかい。ここにあちこちからかき集めた美術品があんのか。でもそのわりになんかセキュリティ甘いよーな気も。窓ガラスいっぱいあるし、パリンと割ったら彫刻一個くらい取れるんじゃないかと。 
日本で美術館というと、まず窓がない。自然光で見せる美術館が異常に少ない。品川の原美術館や丸亀の猪熊ぐらいしか、でっかいところでは自然光を見たことがないような気がする。それゆえ、このあけっぴろげ感はなんか不思議だ。 

 
で、簡単なセキュリティチェックを済ませて、いよいよ館内へ。朝一番だというのにもー結構たくさんのヒトがウロウロしていて、この段階で少しめんどい。が、そんなこと言ってたら怒られちゃうので、何カ国版あんのよっていうくらいたくさんの言語が揃えられたマップの中から日本語版を探しだして、まずはほぼ一目散にミロのヴィーナスへ。 

 
いやー、しかしやっぱりきれいね。写真撮ってもまるでどっかの素材集のようにキレイに撮れます。自然光だから、ますますきれいに見えます。ついつい鉛筆と画板を持ってデッサンしたくなるような感じです。 
てか、美術館内写真OK、っていうのもうれしい。日本だとカメラ持ってるだけで係員が付いて来たりすることあるもんねえ(一回震災で崩壊する前の兵庫県立美術館で誰かがフラッシュをたいて、まるで犯人のようにおこられたトラウマがある)。 

美術館は静寂であるもの。厳かであるもの。 

おいらが美術館に長期滞在しないのは、そういうルールが原因なのかも知れない。そういえば、大学の卒業制作は美術館を遊園地化する「amuseum」というタイトルの作品だった。原則撮影OKで遊べて触れる作品ばかりを揃えた美術館と、映像や演劇、映画など様々なアート活動のための制作・公開の仕組みを揃えた超バブリーなミュージアムという計画で、敷地はかるぽーとから土佐橋までの西側一帯。建物にも一切平行なところがなく、ほとんどの建物を地中に埋めて上は公園にしちゃうという希有壮大なスケールだったのだが、当然それは全く実現することなく15年の月日が流れてしまっている。 

 
ルーブルには、もう一個見たいのがあった。その名も、サモトラケのニケ。これは美大受験をしたヒトなら誰でも知ってるであろう、一番でっかい石膏像になってる像。なんかまたこの像が階段を上がったところにあって、見せ方が超憎い。そこに高い天窓から自然光が降りて来て神々しいったらありゃしない。 
その前後にも様々な像がいろいろ。東京の予備校で一年間みっちり描き続けた石膏像の原型もあちこちにいて、なんか久しぶりの再会のような懐かしい気持ちにもなる。中には、お前は滝川クリステルかみたいなかわいいきれいな像もあったりして。 
 
で、信じれないくらい早くルーブルを退出し、小さな凱旋門の近くのPAULというパン屋さんでいくつかパンをゲットしてお昼にする。こういう小さなお店のレジはだいたいが黒人さんが多いんだけど、昨日や一昨日のスーパーでもまごついてるとちょっとムッとした顔を正直に見せてくれるので泣きたくなる。特にここの店員さんはかなりイラレで、最終的には後ろにいたフランス人の子(たぶん中学生???)にフランス語を英訳してもらってなんとかクロワッサンやタルトを購入した。で、すぐ近くのベンチでメシ。 
基本的にパリの鳩はふてぶてしい。なんか太ってるし、とにかく数が多いこと夥しい。そのことは、昨日のチャリでも十分に分かっていた。 
だけど、雀までふてぶてしいとは知らなかった。そして、もはや手乗りしてきそうなくらい近くに寄って来る雀も初めて見た。パンを食べてると、次から次へと寄って来る。ひどい奴になると地面に落ちたパンとかじゃなく、手に持ってるパン本体に狙いを定めて飛びかかって来る奴までいる。そして、振り払ってものかない。最後は机の上に雀が10羽近く、机の下に鳩が30羽近く集合して大変なことになった。 

 
気を取り直して、また歩く。のだめが孫ルイに付き合わされたとき、ボートが流れてパンツ丸見せで池ポチャしたチュイルリー公園。フランス式の公園つか庭園てやつで、超グリッドな感じで木々が並ぶ。木々の間の通路を歩けば、めまぐるしく、だけど整然と風景が流れる。手入れも行き届いていて、ゆったりと歩けるのがうれしい。 
 
街のど真ん中にこういう舗装もされていないでっかい森があると、自然とヒトは集まってくる。高知城や丸の内緑地、そして当然中央公園が高知ではこのかわりになっていて、夕方になると結構たくさんのヒトが歩いているけど、もう少しランドスケープの観点から緑地の整理や休憩ポイントの整備、サインの整備を行なえば(なんでもかんでも龍馬のロゴつけたりせずに)、長い目でみてもっと愛される場所になるなあと常々思うんだけど、残念ながらそういう感じにはいまのところなっていない。 
そして、公園から南へいくと、オルセーにつながるレオポール・セダール・サンゴール橋へ至る。ここはかつて90年代に京都市長が先斗町と祇園を結ぶ橋を架けたいとか言いだして、その見本にした橋だった(と思う)。で、猛烈な大反対を受けて頓挫。いくらパリ市と姉妹都市だからといって、パリのシンボル的な橋を京都のどまんなかにもってくんのはどーかしてる。当時は京都ホテルや京都駅の建て替えで景観論争たけなわの時代で、この論争の中で唯一立ち上がることのなかったプロジェクトだ。 
まあでもやっぱりつくらなくて良かったかも。床材は全部たぶんイペという木材を使っているんだけど、それが鉄骨に置かれているだけでなんか怖い。日本、それも京都のようなところだったら数年で全部腐ってしまいそうだ。作るはいいでも管理が面倒。そんな橋におそらくなっていたに違いない。 
で、この橋のたもとでは、老人がトランペットを吹いていた。絵になる。 

で、この橋のたもとの河畔では、老人が犬を散歩させていた。絵になる。 

いちいち絵になる。外人だからかね? 

 
オルセー。ここは出発前に誰もかれもからお薦めされた、曰く「日本人好きする美術館」。確かに入ってる作家もセザンヌにゴッホ、ゴーギャンにミレーなどなど、日本の美術教科書に出て来る西洋画家のオンパレードだ。サイズも手頃だし、込み具合もルーブルより少しましかも知れない。 
が、やっぱり教科書でさんざんみた画家の本物を見ても、スイマセン、別にあまり感動せんのですよ・・・まあこんだけの名画をホントに触れる距離でみれるというのは超シアワセなはずなんだけど、なんだけど、なんだけど・・・結局、ココで一番漉きだったのはCuno Amiet とかいう画家の絵。原研哉の無印良品シリーズとも相通ずる構図で、なんか惹かれる。色も好き。 

 
再びオルセーを信じられないくらい早い時間で退出して、出てすぐのタバコ屋で飲み物をゲット。ここの冷蔵庫、木造でかわいい。おじさんは無愛想だけど。 
しばし休憩(この段階で2人とも足がかなり厳しいことになってる)してから、RERでChamp de Mars Tour Eiffel駅へ移動。メトロと違い、2階建ての列車で、車幅も広い。こちら側のRERは、北に向かうRERと違って高級住宅地方面行きだからか、なんか乗ってても安心感があるのは気のせいか。 

駅を上がると、日仏会館みたいのがあってそこにちょっと立ち寄ってみる。結構厳しいセキュリティチェックがあるけど、黒人の警備員がなんか優しくてニコニコしてるので安心。 
で、たったそれだけの笑顔でホクホクしつつ、エッフェル塔へ向かっていると、向こうから中近東系の身なりをした女性がなんかほにゃほにゃ言いながら近づいて来る。で、この英文を読めと。 
読んでみると、なんかどっかのアフリカの国かなんかで難民がいるのでそれを助けるために募金せいみたいなことが書いてあって、募金してくれ募金してくれ募金してくれ募金してくれ募金してくれ募金してくれ募金してくれと手を差し出して来る。 
ここで気弱で優しいおいらはついつい1ユーロ渡してしまう。奥様はこういう行為に対してきちんと怪しむので「やめちょきや、こんなくでこんなヒト、おかしいやろ」とか言ってるけど、優しいおいらは「まあ1ユーロくらい・・・それににげれんやろ、めんどいし」とかいうて渡してしまう。 
だけどやっぱりおかしいわいなあとか思いつつ、エッフェル塔の下あたりまでくると、似たようなのがゴロゴロ。途端に腹が立つ。1ユーロ返せ。 
この旅では、この後もポンピドゥーのあたりでも引っかかりかけ、ICE
で北駅を出る直前でも列車内で引っかかりかけそうになるなど、なぜかおいらばかりが標的にされ続け、ひっかかり続けた。モンマルトルのミサンガ売りは見事な身のこなしでミサンガ装着を免れたけど、パリ初心者はホニャホニャ女に要注意だ。 

で、エッフェル塔は登ろうかと思いある列にならんでみたんだけど、窓口で聞いてみるとこれは徒歩で登る人向けの窓口だとゆー。で、エレベーターで行くならあっちじゃと言うからそっちをみたら、まあビッグサンダーマウンテン並みの大行列。当然2秒で諦めて、対岸の広場へと向かった。 
しばし雨。対岸の広場は、のだめ実写版で上野樹里がヤキグリ食べてたりする名シーンの場所。でもやっぱテレビと実際の印象って、なんか結構違うんですな・・・ 

まあそれにしてもなんとまあでかい塔なんでしょうか。 
こんなんを100年以上前に作ったってのはスゴいですな。基礎とか見てたらなんか石積みっぽかったりするから耐震性とかどうなんよという感じだけど、それが決して変に色あせることなく今にあるってのがすごい。 
 

さて、ここから再びOPERAへ。天蓋がものすごいことになってるデパートGALERIES LAGAYETへ。これデパートすかとツッコミが必ず必要な美しさ。 
まあパリのデパートはあちこち天蓋があるんだけど、わしら程度の身分つか経済力ならここがオススメ。だけどこの天蓋をゆっくりと見渡せるような場所はほとんど皆無なので要注意だ。ここの文具コーナーでは、イロイロ資材を買い込む。日本と違い、商品の管理もなんか甘くて、パッケージが結構ビリビリ行ってたりするのが多い。 
 
で、表に出ると目の前にユニクロが。オペラの真ん前にユニクロ。なんかやっちゃいけねえことやってる感じだけど、これがまた凄まじいヒトだかりで、次から次へと人が吸い込まれて行く。 
で、 
ユニ
クロ

の新しいロゴ、なんかおいらは余り好きじゃなかったんだけど、こうしてパリで見るととっても目立つ。ものすごく記号的で異国的で、なんかアトムのよーな科学的な感じまでしてくる。店内に入ってみると「JAPAN TECHNOLOGY FROM JAPAN TOKYO」などと書いてある電飾があちこちに走っていて、パリの街中で超猛烈な違和感を放ってなんか変なワクワク感を催させる。ちなみにレジは30分待ちか1時間待ちか、というぐらいの長蛇で、ヒートテックを買っておこうかと思ったけどこれまた2秒で諦めた。 
んで、ユニクロから少し歩いたところにある雑貨屋さんペリゴへ。ここは生活雑貨がイロイロ揃ったお店で、奥様が行ってみたいという。 
入ってみると、すぐに一人の店員さんがニコニコしながら近づいて来る。「Japonais?」 
んだ、と応えると、これまたかわいい笑顔でニホンダイスキと。んで、自分の眉をさして「MAYU」としゃべりだす。う~ん、かわいい。 
この子、お客さんで日本の人がきたら、ちょっとずつ日本語を教えてもらっているらしくて、うちらはTSUMEとかFUKURAHAGIとか、ちょっとマニアックなところを20分くらいにわたって教えてみる。そして、数字とかも14くらいまでサラーと言えたりして、まあとにかくすごい。 
そしてその一方、フランス語はおろか英語すら超カタコトな我々は何をしているのだろうかとちょっと残念な気持ちになる。そう、せめて英語くらいもう少し勉強しておけば良かった。たぶん、もっともっとお話できるのに。 
 
再びOPERAの正面へ。まあここがやっぱり一番パリっぽいですな。車がめちゃくちゃになって走っているのってアジアの風景だと思ってたけど、パリも凄まじい。あちこちでクラクション鳴りまくりで、あちこちでなんでぶつからんの?という距離ですれ違う。どの車も別にピカピカに磨かれてたりなんかしなくて、むしろボロボロ。傷の付いたベンツなんて初めて見ましたよ。 

 
そして夜。ホテルで一服の後、ポンピドゥーセンターへ。ミュージアム系ではここが一番行きたかったところで、大学時代以来の夢ひとつよーやく叶ったりだ。 
んで、建物の外に付いたチューブエスカレータを登って行くと、エッフェル塔が遠く向こうに見える。街全体が黄色い光で、これはもうなんだかとっても暖かい。東京の夜空は白いけど、ここは赤い。街の景観って言う意味じゃ、やっぱりこれはパリに圧倒的軍配があがるねえ。ひとこと、きれいだもん。 
ちなみに写真を拡大したらわかるけど、この時のエッフェル塔はただのライトアップじゃなくて塔全体がキラキラ光っていた。毎正時になると5分だけこうなるらしいんだけど、間近でみたらどんな感じなんだろうか。そら遊びすぎだろーっていう感じがしますけんど。 
ポンピドゥーの中は、デュシャンをはじめもーそれはそれは現代美術の見本市。展示室の配置も面白くて、次の部屋はなにがあるの?と期待をさせてくれる。なんか小さいギャラリーが連なっているような感じといった方がいいかも知れない。9時頃

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パリ小旅[2日目]チャリチャリ


まだ夜明け前の6時過ぎ、目が覚める。日が出るのは8時前だから、まだまだ暗い。しかし朝は朝。向かいのアパルトマンではおばさんがボーッと外を見ながらタバコを一服していたり、なんかよくわからん店が早くもシャッターを開けていたり。

というわけで、9時前には宿を出発。今日はレンタサイクルを借りて一日じゅうパリを走り回って土地勘を得る。メトロやバスでいきなり右も左も分からずに動くよりも、体で覚えた方がよっぽど早い。ましてや、パリ滞在はわずかに4日。ふだんの旅よりもさらに効率的に、さらに幅広く、さらにねっとりと動き回りたい。

世界に冠たる観光都市でもあるパリでは、2007年から市がレンタサイクルVélibを運営している。市内1500カ所以上にサイクルポートを設置し、2万台以上のチャリンコを24時間いつでも借りることができる恐るべしサービスだ。しかもこのVelibのスタートにあわせて自転車専用レーンの整備やセーヌ河岸道路の日曜日開放など、交通政策全体も改めているから、なかなかスピード感がある。

日本でこういうことをしようと思ったら、多分国交省に県警、県庁、市役所がそれぞれいろんなことを言いだして、絶対に前に進まない。いちど高知でベロタクシーができないかどうか思って問い合わせてみたときも、条例が云々とか、県警が許さない可能性高しとかで、3分で面倒になって諦めた。ましてや高知だと「公共交通政策」が皆無なので、やろうと思ったら100年はかかるだろう。利便性の最低条件でもあるバス路線のナンバリング程度でもできないわけですからねえ。

でも、帯屋街の東と西にこういうサイクルポートがあったら、結構便利だろうねえ。観光客にとってももちろんだけど、車やバス、電車とかで街まで出て、東から西へ買い物に歩く。またそのまま帰って来るのは面倒だから、チャリで戻ると。そのチャリは鏡川大橋の下に置いてるチャリとかを使って、サイクルポートの管理は高知女子大のエスコーターズに委託。それで片方のポートが空になったら移してもらうとかしたら、それはそれで面白い。

まあパリでやってるからといってVelibを日本でやる必要はないわけだけど、単純にこういう政策は分かりやすいので感心する。

高知でもエスコーターズVelibみたいなことをうまく電車やバス繋げば、その利用率アップにもつながるんではないか???(パークアンドライドは車⇆電車だけじゃない)。
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が、このVelib、ICチップ付きのクレジットカードじゃないと借りれないのが残念なところ。うちらは一枚もそんな最先端カードを持ってないので、あえなく断念して市役所の近くのレンタサイクル屋「BIKE ABOUT TOURS」からチャリを借りることにした。 
バイクレンタル料は一日15ユーロ。だいたい2000円ですな。ただちょっとビックリしたのがパスポートとの引き換えだったこと。超陽気なスタッフに「This cycle is my life,passport is your life」みたいな感じで言われて、ついついフツーに信用して渡してしまったが、あとで奥さんに「気軽に渡すような代物ではない」と小言されるハメになる。まあここのレンタサイクルのお客さんはみんなそうしてるんだろうから問題はないんだろうけど、そういうのが気にならない人でVelibを使えない人にはこのお店、オススメです。 

 

されどやっぱりチャリは気持ちがいい。右側通行で路面を走らないといかんのも「慣れないと危険」とか聞いてたけど、あちこちに当然チャリ走らせている人がいるのでそれほど怖くない。でもホントにスレスレで車が走って行くときがあるので、事故になった大変そうだ。 
さて、今回のチャリは「パリを知る」がテーマ。まずはマレ地区のピカソ美術館へ。ここはmietteの奈々ちゃん他多くの友達がオススメしてくれたミュージアム。 
・・・が、館の前まで到達すると固く閉ざされた門の前に、なんだか小さな人だかり。まさか・・・と思っていると、2012年くらいまで改装工事で閉館なんだと。。。ただでさえパスポート預ける事件で凹み気味のところにさらに一押しだ。 
上の写真は二人の会話もなく西へと進む路地で撮った写真。 

 

まあでも気にしていてもしゃーないので、なくなったら大使館に駆け込むことにして、サイクリングを続行。途中なぜか「愛」の字の刻まれた歩行者ボタンがあったり、ちょいとした商店街があったりしてるうちに回復し、とにかくペダルを漕ぎ続ける。やがていつの間にかオペラに着き、サントトリニテ教会を経てマドレーヌ、コンコルド広場へ。全く前知識なしで来た街なので、地図はいつでも出せるように右にも左にも突っ込んで、学習学習。 
 
そこからさらにセーヌを渡り、河畔をしばらく走ってオルセーの裏道へ。ここらへんもなんか清水坂のような「I♥PARIS」みたいなTシャツ屋があったり、超洒落た本屋さんがあったり、大学や寺院があったりと面白いスポットが点在している。 
 

んで、ここらへんでやっとお昼だ。再びマレに戻って、パッと入れそうな店に入ると中国人の店。エビチリとか餃子とか適当に選んで食べるがなかなかウマい。ちなみに注文は「This! one!」でなんとかなる(なんとかしてくれる)。 
んで、店先の公園で一服していると、老人がこっちに近寄って来る。どーもそこらへんで拾ったタバコに火をくれという感じ。火をつけたげると、そのあとも振り返ってはニコニコしながら去っていった。 
ここらへんから、ようやく少しずつフランス語慣れしてくる。とりあえずBonjourとMerci、Pardonを使えばなんとかなるということ。とりあえず片言の英語でもなんとかなるということ。そして、Japonais?と聞かれたらウィと応えること。そしたらパリ人たちは日本人慣れしてるから「コンニチワ」とか「モシモシ」とかいうてくれること。 
まあそれでもコミュニケーションが見事成立してるわけではないのでいかんけど、とりあえず昨日着いた空港での両替失敗、空港からホテルまでのタクシーでの見事な静寂と緊張、そんな失敗はもうしない。 
マレでは、ところどころにある雑貨屋さんやオリジナルのファイルや文具をいろいろ置いてるPapier+
、その向かいの小さな文具店Melodies Graphiquesなどをウロウロ。Melody…では一時店内が日本人だらけになってしまい、変な空気に。んで、買い物をする日本人カップルを見ていると、お勘定をしてありがとうというべきところで「Bonjour」と間違え、すぐに「あ!」と気づくも「Merci」と応えて訳のわからんことになっていた(その後の2日間で自分も何度もコレを連発。身に付いていない言葉はこれだから困る)。 
ちなみにこの日に走った経路は青のライン。そこそこ走って4時にチャリを返却。一回ホテルに戻って夜にはメトロに挑戦である。 

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ちなみにこの日に走った経路は青のライン。そこそこ走って4時にチャリを返却。一回ホテルに戻って夜にはメトロに挑戦である。メトロにしてもバスにしても、ヨーロッパの仕組みは日本に比べてなんかおおらかだ。区間毎の料金制ではなくゾーン毎の料金制でわかりやすい。改札もオール自動改札で、出口駅でも自動改札は通るけど回収はない。不正しようと思ったらなんとでもなりそうな仕組みだ。 
が、そんなメトロに乗る前に障壁がひとつ。変な棒をコロコロ転がして選択する自販機になんか慣れなくて10分ばかり悪戦苦闘、買いたいのは10枚つづりの回数券であるCarnet(カルネ)なんだけど、どこをどうやればそうなるのかがいまいちつかみにくい。しかも空港のロワッシーと同じで小銭しか使えんし! まあそれでもやっぱりどうにかなるんですな。ある瞬間にああこれかい!と理解できたら話は早い、あっさりと買えました。 
んで、自動改札を通過する客の様子を観察したうえで、いよいよメトロ突入。1900年頃にほぼ全線が開通したというだけあって、とにかく何もかもレトロだ。天井も低く、照明も決して明るくはない。車両も小振りで長堀鶴見緑地線のようなサイズだ。 
そして決定的に日本と違うのは、駅名板に次駅表示が無く、コンコースのサインにも路線番号と終着駅しか表示されていないということだ。つまり、高知駅に行っても「1番線高松/2番線窪川」としか書いてないようなもので、途中の後免に行きたくてもそれが高松方面だということを知らないと辿り着けないわけだ。 
んで、行き先はオペラ駅。とりあえず今日昼も行ってるし、夜のオペラも見ておきたい。ただそれだけ。 
でも、オペラに着いたら欲が出る。エッフェル塔や特に行く予定にしていない凱旋門もちょっとは見ておこうということでコンコルド駅へ向かい、そこからシャンゼリゼ通りをとことこと歩く。 
だけど、シャンゼリゼ通りって全線なんかスゴいブランド通りなんかと思ったら、東半分は公園の中を通る道なんですな。そんなことも調べずに降りたので、果てしなく長い公園の中を抜ける道をひたすら凱旋門に向かって歩くハメに。ほいたら途中雑誌ELLEの歴代表紙を道沿いに並べたところもあったりして(いいネタのタネもあったのでここでは写真出さない)、20分くらいでなんかそれらしい区域に到着。 
もうクタクタ。さらにここで奥様が足を挫いたので、メトロで至急ホテルへと戻って今日の旅路はおしまいおしまい、である。 

タケムラ家家訓「旅はボロボロ」 指数 70 

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