さらばとでん

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あと1時間で、土佐電鉄がその110年の歴史に幕を下ろす。
地方の公共交通はどこも厳しいけど、
新会社にはなんとかがんばってほしいもんだ。

路線網の再設定や系統番号の設定、ですかの充実、接遇の改善、将来のスマホ対応のバスロケーションの導入など、ホームページを見るといろいろ変わりそう。

まあ冷静に考えれば半分くらいはそんなこと10年前にやっとけよ!、という話だけど、事ここまで至らなければ変わることにもならなかったんだろうな、とも。

現状電車には月に1-2回くらいしか乗ってないしバスなんて10年に1回くらいしか乗ってないけど、乗れば案外便利なもんだーといっつも思うので(そりゃ当たり前なんだけど)、どうやったら一人でも多くの人にとって「便利!」ってなるのか取り組んでいってほしいもんだ、と。

新会社の名前は「とさでん交通」と最近の鉄道会社に多い「軽め」の名前。
だけど、これからも引き続き「とでん」と呼べるのは、ありがたし。
「りょうまでんしゃ」とか言わされたらたまらんかった。

で、いろいろ土電のことについて書いてきたはずと思って過去のブログも見てみたけど、意外と書いてない!

バスと土電でちと小旅
https://takemura-design.com/blog/?p=399

ガンバ土電
https://takemura-design.com/blog/?p=663

ですかですか
https://takemura-design.com/blog/?p=499

安芸線のはんこ
http://takaramachi.tumblr.com/post/5245161229/3

移住のモヤモヤ。

うーん。絶賛大炎上しているときぐらいしか拝読したことないんだけど、有名ブロガーの方が高知に移住されるそうな。
で、何人かの高知人が書いてたけど、なぜだかちょいとモヤモヤするんですわな。

 

高知の良さって

最近ずーっと思ってたこと。そもそも「高知に移住する」ってなんなんだろうと。

高知県は、ちょっと前まで「自分の県に自信がなさすぎ」で、移住政策も観光政策もうまくいっていなかった。それがここ数年はあの時代はウソだったんかと思うくらいイケイケ。逆になんか自信持ち過ぎっていうか、そこまで何を誇って売り出そうとしているんだ大丈夫かてなくらいな状況になっている。悪い意味ではなく。

この動きは震災以後の東京民の「精神疲労」にリンクしているような。震災以後、東京はもうダメだーということで東京からの移住者がずいぶんと増えてきた。関西や他の地方からの移住者はほとんどまわりでは見かけなくて、ほとんどが東京とその近郊。ウチになぜか移住相談にくる人も、ほぼ100%東京。まあ高知みたいな場所にとっちゃとてもよろしいことだしやっと高知の良さが分かられるようになってきたんだなあとホクホクするはするんだけど、一方でここらへんからなんかモヤモヤするものも出てきたわけで。

高知の何がいいんだろと。
いや、そもそも高知は超いいと自分も思ってるんだけど、どうして急にこうなったんだと。

黒潮町佐賀の漁家民泊。漁師さんが釣ってきた鰹を一緒にさばいて藁で焼く。
そこからは夜まで飲みながら海の話を楽しむ。

高知の良さってなにか。
まあ飯がうまい、人がいい、自然いっぱい、歴史もあって、、、そんなところが基本にはなるわけだけど、まあこれはどこの土地に行ったとしても同じこと。青森だろうが静岡だろうが鳥取だろうが熊本だろうが、まあ同じことだ。

じゃあどこが高知はよそと違うのか。
思うのは、どう転んでも僻地ゆえに雇用吸収力のある企業も少なく
→従って自営業者が多くなるという土地柄で
→それなりの競争力が問われることになるので
→たとえば美味しい小さな飲食店や品揃えのいいお店が人口の割に多い
という流れがある点が、どうにもポイントに思える。

自営業者が多いから、そうしたところの人脈から仕事を拾うことのできるデザインやイラスト、写真といった業種も田舎の割には頭数が多いように思えるし、いいお店が多いから(取り扱ってくれるお店があるので)クラフトやアートなどの作家業の人々も、やっぱり案外多いような気がする。
高知ほど工場や大企業に恵まれない土地も珍しいと思うけど、でっかい工場や大企業がないからこそみんながなんとなく食える、そんなところが案外よその地方では考えにくい「良いとこ」にはなっているような気がする。少なくとも現状では。
だから・・・自分も生きていられる。そしてそもそもの、やっぱり酒と飯がうまい。これ最高にして原則。 “移住のモヤモヤ。” の続きを読む

みませ屋の城下さん。

干物のみませ屋の店主であり、仁淀川お宝探偵団など仁淀川の活動でも10年近くお世話になった城下さんが亡くなった。

昨日夕方、お宝探偵団の生野さんから電話が入った瞬間、なぜか城下さんが亡くなったんだと思って、その時は電話を取れなかった。
少ししてから、もしかしたら違うかもと思ってかけ直したら、やはりそうだった。

ちょっと前にだいぶ悪いらしいとは聞いていたけど、たぶん本人も驚くほど早く、お迎えがきてしまった。

熱い人で、たまにその熱さがうざいぐらいの時もあったけど、半年くらい前にみませ屋の新しいパッケージのことで相談に見えたのが結局お会いする最後の機会になってしまった。その時は、あと5年、短くても3年は、太く生きるつもりだからよろしくと語っていて、既にほぼ完成させた状態だった新商品のパッケージの案も喜んで見てくれていた。
これでいきましょうと。あとは中身だねと。

このときは、ちょっと遅れ気味に見ていた「桐島、部活やめるってよ」にモンスター役で出演していたことなんかもその時にちょっと聞いたりして、楽しかったのを覚えている。

が、結局それから間もなく体調が悪くなってしまい、また回復を待っててください!ということで電話があった。
毎年司会役を務めてくれていた仁淀川での水切り大会もお休みになってしまい、結局その時に電話で声を聞いたのが最後だった。

城下さんとは、仁淀川やみませ屋のことでよく議論になった。
いや、議論というよりも、自分が意見をブワーッとぶちまけるという感じで、ウンウンと聞いてくれるのが城下さんだった。
結局曲げないところは全然曲げてくれないんだけど、
なんだかんだとわがままな自分のことを信頼してくれていたと思うし、
なんというか城下さんにだけはなぜかわがままを通したくなる、そんな相手だった(デザイン屋として良いかどうかは別として)。

かるぽーとの吉田さんも書いていたけど、悲しい。
まだまだあの熱さをうざがったりしたかった。でも、デザインを見せたら喜ぶ、あの浅黒い顔をまた見たかった。

この冬は、オーガニックマーケットの弘瀬さん、西日本科学技術研究所の福留さん、そしてみませ屋の城下さんと、これからの取り組みがどうなるのか気になる大人たちが逝ってしまう冬になった。

合掌。

東京画


© 1985 REVERSE ANGLE LIBRARY GMBH, CHRIS SIEVERNICH

一番好きな映画は、ヴィム・ヴェンダースの「東京画」だ。
1992年、京都の大学にいた頃、えらい荒木経惟にはまった。

一番はじめに手にして、一番はじめに買った写真集が荒木の「東京物語」。
小津安二郎の「東京物語」へのオマージュとしての写真集であり、
「芸大生的作家的活動」としてはじめていた写真にはまりはじめていた自分はずいぶんとこれに影響を受けることになる。
90年代初頭の「平成元年」「冬へ」「東京物語」は現在の荒木の写真とはまた違った独特の暗さがあった。バブルもほぼ弾けてしまい、なんとなく大学生なりにこれからどこへ行くのかよく分からない時代が始まろうとしていたし、いろいろなモノコトにどこかで虚しさを感じるようになりはじめていた頃で、自分的には荒木のここらの写真集というのは、そんな時代感覚を奇妙に映し出してくれる鏡のようになっていたのだ(セットされた写真で攻めていた篠山紀信は、今見ると全く違う角度からそんな風景を撮影しているような気がする)。

で、こうした写真集の解説や雑誌のインタビューなどでことあるごとに荒木がその名を出していたのが、小津安二郎の「東京物語」や「東京画」だった。

当然、見る。が、小津の「東京物語」は、なんというか前半の家族の過剰なまでな冷淡さがなんとなく肌に合わなくて、見る毎になんとなーく暗い気分になったりした。昨日も前半を見ていたら、やっぱりどうしても暗くなるので消してしまった。ここで描かれる東京とは、「3丁目の夕日」が描く「明るい東京」とは全く違う。
そして、その一方で、新幹線ができる前の戦後日本のまだまだ美しい風景とか、なんというか今ではちょっと信じられない時間の流れとかが普通に描かれていて(演出かも)、これに驚きもさせられる。


▲東京物語


▲東京画

「東京画」は、そんな小津の描いた東京を訪ねる映像による旅日記であり、また小津の東京が失われてしまったことを嘆きもする映画だ。

「東京画」では、公園でスーツを着たまま缶詰とビールで花見を楽しむサラリーマンの映像が流れる。
翌日には同じ公園で揃いも揃って短パンの小学生たちが野球をし、原宿ではタケノコ族がアメリカの音楽に合わせてブンブンと腰を振り、正しい振付をお互いに教え合う。
ゴルフの練習場では、ボールをカップインするはずのゲームの練習なのに、パターの練習をするよりもいかに美しくスイングを決めるかに必死の人々の映像が映し出される。
笠智衆や小津チームのカメラマンの厚田雄春へのインタビューをはさみながら、古びた街中を走る新幹線や無数に走る電車の姿、レストランの蝋見本の製造工場や黙々と人々を玉を打ち続けるパチンコ店の風景がヴェンダースの「もう小津の描いた東京は、ない」ことへの嘆きと共に流れてゆく。

小津の「東京物語」が撮影されたのは1953年。
ヴェンダースが東京を訪れたのはそのちょうど30年後、83年。
自分も丁度東京で暮らしていた頃だ(78〜85年)。
そして今年は、ヴェンダースが訪れてからちょうど30年。

いま、この「東京画」を見ると、ヴェンダースが「東京物語とぜんぜんちゃうやん」と嘆く以上に、この30年でまた東京は変わったように思える。都市としての基本的な構造は変わっていないと思うけど、「東京画」の東京は、まるで今の中国の映像でも見るかのように、なんというか奇妙な迫力がある。
まあそらそうだ、バブル直前の頃の話だもんといってしまえばその通りなんだけど、

小津が描く、いまから60年前の静かで美しいけれど、崩れ始めた「ふるきよき日本の東京」は、ヴェンダースが撮った30年後には「すっかりなくなって」いた。全編を通して東京は混沌とし、個人対個人の結びつきを感じられる画を撮ることが難しいとヴェンダースが嘆くほどになっていた。
だけどそれから30年経ってみると、まだ30年前のあの頃は普通にまだまだこの国は当たり前のように成長し続けると信じて誰もが働き、その寸暇を惜しんで飲んだり打ったり遊んだりする、奇妙な陽気さと暗さがあるように見えるのだ。
そして、笠や厚田の小津への深すぎるほどの尊敬。特に厚田は、本当に小津という一人の人の生き様を信じ、他の監督にろくに浮気することもできなかったというが、これもまたちょっと今見ると「不思議」な感じをなんとなーく覚えるのだ。
今見ると、ヴェンダースが嘆いた東京すら、「すっかりなくなって」いるんじゃないか。
電車の数は格段に増えた。暮らす人の数も増えた。ビルの数も比べものにならないくらいに増えた。みんな働き、みんな東京という遊びを楽しんでいる。だけど、もう30年前の熱気も、60年前の静けさもない。なんとなく白けていたり、なんとなく不安であったり、そんな空気がやっぱり「なんとなく」支配しているように感じる。
だけど、仕事をしていると、みんながそんな街の方を向いている。これもまた、「なんとなく」どこかで虚しくもあり。

下の映像は2005年に編集した「高知遺産」のムービー。単なる写真の羅列だけど、「高知遺産」は「東京画」からも影響受けてることを改めて思う。

好きです。さっぽろ(個人的に)


高知遺産を作ったのはもう8年も前になる。もうそろそろ絶版になるのでこういう話ももうなくなるだろうけど、たまにその時の話を聞かせてくれということでお呼びがかかる。んで、今回は札幌。イベントの表題は「好きですさっぽろ(個人的に)」。

個人的な偏愛にまみれた空間や場所をその都市や地域に対して持つことが大事ではないかという感じのことがテーマの企画で、市民からの写真公募と今回のトークセッションからなるイベントだ。
札幌は190万の日本で四番目の大都市だ。しかも道内各地、全国各地から集まった人の寄り合い所帯のような都市だから、他人には無関心で他人への関わり合いをそう持たない土地柄だという。そのうえ名古屋のような地下都市としての成分も濃いから、地表での面白さは正直少ない。綺麗な碁盤の目の街であり、さらに歴史も浅い都市ゆえ、その無機質感にはまた輪がかかる。
だからこそ、今後どのような取り組みに転化していくのかはまだよくわからいところはあったけど、個人的な偏愛空間をひとまずはこの企画で表明しあい(もしくは改めてそれを考えるきっかけと作るということで)、札幌という都市をそれぞれがそれぞれの形で愛していくことをしよう!というわけだ。
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はじめての分業。

10月下旬から高知県立美術館でスタートする「大絵金展 極彩の闇」のためのチラシやポスター、図録かわりになる250ページ以上の絵金定本、看板などの準備を進めている(さらにCMもあるらしい)。

この上、この夏からやらせていただくようになった美術館ニュース改め「KENBI LETTER」のレイアウト(前回のリニューアル号はうまく切り替えできなかったが、担当のMさんも少し慣れてきて、今回から結構ガラリと「変えたかった方向」に変わりそう。もちろん絵金特集)もあるので、なんだかんだとここまでの1ヶ月とこれからの1ヶ月くらいは絵金まみれの時期なのである。

本については、図録としても、また書籍として各地の本屋でも売るものなので、なかなかできない経験になりそうである(とかこの時期にいうてるのはかなり危険なのだが)。しかも、高知でも出版系や印刷の会社にでも勤めていなければなかなかやれない上製本。並製本とはノドの考え方もちょっと違うし、並では当然決めることのないスピンやハナギレの話もある(付けないけど)ので、それだけでなかなか面白い。これまで作ってきた本はどれもこれも並か無線ばかりなもんで。

そして、今回これもまたはじめての経験なのが、東京のgrambooksというやり手編集者さんも入って校正や製本に関する差配をしてくれていることだ。grambooksは大竹伸朗のど派手な本とかも出しているところで、担当のKさんは穏やかな人なんだけど仕事はさすがに丁寧で細かい(高知にありがちなガハハえいやんそれでいこうや or ハイあんたに任せたきね後はやってや ・・とかで終わらない)。高知ではなかなかこうした書籍に関する編集専業の人を見かけないし、いたとしてもこういう美術書ができる人はまあ当然ながらいないわけで、改めて(というかはじめて)編集の仕事というものに触れるような感じすらするわけである。

とはいえ、以前同じく東京で編集をやっている妹が、帰省ついでにウチの事務所を「まるで我が事務所」のように活用した折にも、雑誌編集の現場の片鱗を見たような気はした。なるほどとにかく編集ってのは差配なのだなと。心配りなのだなと。とにかく細かくないとこりゃ無理だなと(自分には無理だなと)。ウチの事務所のように編集もしながらデザインをしつつ取材をしつつといったザックリ事務所(まあ田舎ならではなのだが)ではなかなかできんわいと。

まあなにはともあれ、編集者と一緒に仕事をするのはとにかく初めてなわけである。
で、先週東京に行ったのは、このKさんと打ち合わせをするためだったのだが(それまで一回高知で一瞬しかお会いしていなかった)、画像の取り扱いや紙の問題など、不確定要素が多かった印刷に関して印刷屋さんも交えて協議をさせてもらい、翌日には印刷所との話が決まらないとなかなか決めにくい表紙のことなども紙屋さんに赴いて決めたりして、一気にいろいろとまとまった。

こういう速度でモノゴトが決まるとなかなかうれしい。印刷所では、実際にその場でこの紙だったらいくらになるか、取り合いは良いかという話も即座にわかり、その場で紙を決めることができた。なので、半日はかかるかなと思っていた打ち合わせも2、3時間で終わった。あんまり言いたくないけど、都会の速度というのはなるほどこういうことなのねというのも改めて思わさせられる。

まあKさんによると、東京でもこんなに話が速くてコトのわかっている印刷屋さんと紙屋さんはいない(つまりいい担当者さんを狙い撃ちしている)ということだったので、そこそこ例外的事例なんだろうなとは思うけど、高知ではなかなかできない「分業」の良さというか、楽しさというか、そういうのをこの仕事をやりはじめてから初めて実感した次第なのである。

 

 

 

特撮博物館展、巨神兵あらわる。

東京都現代美術館で開催中の庵野秀明の特撮博物館展は、
ここ数年見た展覧会の中でも異色さと面白さが際立っていた。

ウルトラマン、巨神兵、ゴジラ、戦艦や飛行機などの軍事物と、
自分ら世代が通ってきた道の裏側でどのような技術と苦労があったのか。
館長庵野秀明特撮博物館

特にオール特撮で撮影した「巨神兵あらわる」は映画本体もさることながら、そのメイキングが秀逸だった。
ものを作るというプロセス、その技術と、継承の難しさ。
職人の仕事はその多くが行き先怪しい状態だが、
特撮は印刷などと並びこの先が厳しい職種の一つなのかも知れない。

が、男としかこの面白さを共有できないのは残念。

言葉とカラダのパフォーマンス。

実はまだDVDにも目を通さず、Youtubeに上がっている映像も見ず、蛸蔵でHanbun.coの「やぎさんゆうびん」をやってほしくてお願いしたのが去年の暮れくらいのこと。以来半年やっぱりDVDにもYoutubeにも目を通さず、いただいた写真でチラシを作って地味に広報に努めたのがこの1ヶ月。気がつけば公演は明後日のことになってしまったわけで。

さて、Hanbun.coで踊るのは、一昨年帯屋町で100人を率いて踊ったり、県立美術館で「SCRATCH」を制作発表したり18周年のイベントで記念のダンスを踊ったyummydanceの得居幸。そして、ダンスにあわせて言葉がはねるアニメーションを制作したのは、同じく「SCRATH」でアニメーションを担当した山内知江子。

この二人と、Hanbun.coのマネージャーを務める高市さん本日高知入りして、設営から一回目の部分リハを行った。

そしてはじめて生で見る「やぎさんゆうびん」は、想像以上に心をどこかに持って行かれる面白さに満ちていた。映像とダンスの華麗なる融合とチラシでは書き込んだけど、まさにその通り。映像の中でダンスをし、ダンスにあわせて映像がついていく。そこに、童謡から取った音符だけで構成したという音楽が流れ、なんとも静かにトランス状態に持って行かれるのだ。

チラシでも、写真でも、単なる映像でも、この面白さはやっぱり伝わらない。自分もはじめて松山でyummydanceのパフォーマンスに触れるまでは、「こんてんぽらりーだんす?」という感じだった。なにがおもしろいんだとも思っていたし、正直よくわからなかった。が、見終わった時には、mama!milkのふたりの演奏を聴いて「蛸蔵」をつくりたいと思ったように、可及的速やかに高知でも公演してほしいし、企画しましょうよと声をかけてしまっていた。

そもそも、パフォーマンスというのはとても告知が難しい。高知の場合は、もともとダンス文化=よさこいになっているところもあるから、コンテンポラリーは殊更に難しい。それゆえ、その後「企画」が実際に実現するに至った2007年のかるぽーとでの「knewman」公演にしても宣伝美術で関わった高知県立美術館の「SCRATH」にしても、集客に共に大いに苦労する羽目になったのである。今回もやはり同様。土曜日の公演はほぼ満席になったものの、ダンサーもいよいよ濃密さをましていく最終公演である日曜日の夜はまだ空いているような状況で(マジでもったいない)、主催者だからいうのではなく、ホントに相当もったいない状況になっている。

この映像は、今日のミニリハの風景。まだ蛸蔵の会場のスケールを掴むためのリハだけど、映像の光と流れゆく言葉、それと交錯するカラダの「まさにコラボレーション」に息をのんだ。そして、そんなパフォーマンスではないのに、不思議と涙まで出そうになった。
これまでいろいろとパフォーマンスや演劇は見てきたけれど、この手のものはこれまで正直見たことがない。見たのは45分の公演中数分だけで、あとは静かな場面もあるらしいけど、テクニカルな面からも、パフォーマンスの面からも、早く公演当日を迎えたいと思ったのである。

[会場]蛸蔵 高知市南金田28
[日時]6月2日(土)18:30開場/19:00開演
6月3日(日)①13:30開場/14:00開演 ②18:30開場/19:00開演

[料金]一般前売1800円/当日2000円
hanbun.co@hotmail.co.jpまで①お名前②ご希望日時③枚数④連絡先を送信してください。折り返し確認メールを送信いたします。

[公演情報]http://warakoh.com/?p=2085

 

まさに雑考、「課題」という奴。

仕事を増やすか守るかするために、「課題」といわれる奴はうまれるのかも知れない。

さすがにやりすぎでしょという暴対法にしても、突然降ってわいてきた自転車は車道レーン走りなさいってやつも、地震が70%くるかもよってやつも、副流煙が怖いから禁煙しろ肺がんになるわと五月蠅いあれにしても、アーケードで何かやろうとしてもここからここまではダメだから◎▼×※・・・!っていう警察から横槍にしても、あちこちで生まれる条例とか規制ってやつも、一部の人にとっては不愉快で仕方が無かったり現実に問題があったり不安だったり不条理だったりしたとしても、それが当然全員ではないということは抜きにしてまるでそれが真理であるかのように物事が動くさまを最近よく目にするのだ。ライブドアはダメだけどオリンパスはギリとかいうのも、イランはダメだけどイスラエルはOKでしょとか、そんなんも実際には経済界にとって何かを守ったりするためだったりそんなことだろうから、実際には同じコトなのかも知れない。

まあこういうことは会社を興したりプロジェクトを興したりする場合にも、あっちは「これが課題です!」といい、こっちは「そんなんどうでもいい」とかいう話にもなるし、それぞれがそれぞれの仕事や取り組みのためにそれぞれの課題を見つけて課題解決のために動いているわけだからまあ似たようなことなわけだけど、これが条例とか規制っていうことになってくると、なんというかどこまでこうしてそんな関係のない人たちのための仕事づくりをせないかんのだとどこかで思ってしまうわけで。

会社やプロジェクトである限り、それがやたらと政治色を帯びたりマスコミ使いがやたらとうまくない限り、ある程度は無関係を装うことはできる。だけど、条例やらなんやらになるとそうはいかない。しかもそれが自転車レーンは車道だけど決してそうともいえませんわみたいなグレーゾーンの話だったりすると、チャリで動いているこちらにとってはただただ怖いっていうだけの話で、ドイツ並みにチャリ道整備してから言えやと言いたいけど言う先もないしと。警察と道路屋さんと保険屋さんは仕事が増えるけど、それ以外はあんまり増えそうにないし。

地震70%とかの数字遊びも、それが経済や社会を壊す可能性があることを別に考えずに、学者が自分たちの縄張りを争うために醜い姿を晒しているだけのように思えるわけで(突っ走った東大に京大がツッコミを入れて、東大がなんとか誤魔化そうとしている←今ここ)、良心的な地震学者にとってはたぶん相当迷惑な話だろーしと。

こういう風に雁字搦めになっていった後、これが壊れるのはどういう時なんだろう。戦争に負けたらガラガラポンになることは知っているけど、もし勝ったりしたらどうなるのかよく知らない。災害が起きて変わるかというと、この1年で変わるとか言われながら別にここらへんは特に変わらなかった。そーなると維新的な刷新とかいうことになってくるけど、まあこれも民主主義の姿なんか誰もよく分からないのでどうにもならん。まあそこらへんを少しでも手直ししてくれと政権交代に期待していたのも数日で果ててしまったし。

これから人口がヒタヒタと減っていくなかで、まるでSMのように縛られた荒縄がさらにきつく感じられるようになったりしそうで、なんというか、いやな感じだねえ、という小咄。

なぜこの島で暮らすのか。その答えを求めに、四国の本をつくる。

四国ってのは、なんか変な島で、魅力があるんだかないんだかよくわからないところなのだ。

でもただある種の人を引きつける力はあるようで(まあそれをいえばどこの地方も同じことだ)、九州や北海道とは全然違う色の、なんだか明るいんだか暗いんだかよくわからない、未来があるんだかないんだかもよくわかならい、そんなアンニュイというか、悪く言えば中途半端というか、だけどそんなところがギスギスしちゃった都会の人たちには妙に光って見えてみたり、はたまたただの暗い九州の手前の島扱いになったりと、やっぱりひとことでいえばよくわからない島なのである。

そんな島で、そんな島に暮らす人間たちだけでそんな島のことを本にすることになった。
言い出したのは高松でROOTS BOOKSという事務所をやってる編集者小西さん。2005年に「高松アジト×高知遺産」というイベントを高松でやって以来の飲み仲間。何か四国でやろうと挨拶のように言い続けて6年の仲である。昨年、ついにそれが動き出した。双方ともなぜか「徳島」だけは知り合いが少なくて困っていたところ、ある日突然活動的な徳島の面々が現れてしまい、ついにゴロゴロと唸り始めてしまったわけである。
去年の秋は一回目の顔合わせを高知で、二回目の真面目な編集会議は小松島で開いた。そしてこないだはコアメンバで新宮で小会議。

小松島での話は、どんな言葉がキーワードになるかだった。
高知に限らず、香川徳島愛媛を何度も往復していても思うこととしては、この島には「大したもん」はほとんどないということだ。四国は日本の3%経済といわれるように、また観光客数などの統計をみても、四国はほんとうに普通なのだ。てか、今の日本で考えたら普通以下かも知れない。この島にあるのは、凡庸な普通の暮らしがそこにあるということ。その暮らしの先っぽがちょっと地域性なるものをキラキラさせていて面白いということだ。

暮らしというのは、朝起きて働いてご飯食って仕事をし、買い物に行ってたまに旅して、遊んで酔っ払って寝る、そんなことの繰り返し。
四国に暮らすということは、そんなただの日常の繰り返しを、この島で送るということ。
結果、ふっと出てきた言葉が「生業」だった。「業」を生きる。単にそれがあるからここにいる。

大したもんはない普通の島。なのに、なんでそこにわざわざ生きているのか。たぶん、ここでわざわざ生きているのは、そこに「業」があるからだ。仕事があるからだ。つまり、超単純なことなのだ。 人に仕事があるから、他の人にも仕事がある。社会とは、たぶんそんなことの連鎖でできている。空気が好き、のんびりとした感じが好き、そんな理由でこの島に暮らしている人もいるだろう。だけど、結局遊んで暮らしているわけにはいかない。人は暮らすためには働かないといけない。働くために生きて遊んでいる。

最近は、ちょっとした田舎暮らしブームだ。特に311以降は、東京から田舎への回帰がたぶん戦後初めて真面目に進み始めた。だけど、なんか最近の「田舎」とか「暮らし」という言葉はどことなくフワフワしていて、ちょいと居所がわるい。それはなんでだろうかと思ってみると、結局は都会との繋がりの中でしか生きていけない、そんな感じの田舎に向かうニュアンスがどっかにあるからなんじゃないかと思う。むろんそんな役割を担う人がいてもいいしそれがないと人々の「暮らし」の集合体たる地域は成り立たなくなるわけだけど、そんな人やコトばかりになったらやっぱりそれはそれで気持ちが悪い。そんなんじゃ、都会がダメになったら田舎も道連れで潰れてしまう。でも、なんとなくここんとこの田舎はますますそんな方向に向かってる。311前の状況をひきずりながら、311後を模索している。こないだどーしてもなんか信用ならない東大地震研が東京で4年以内にM7が起きるとか言い出したり(実際には昨年9月までの余震が多い時期までのカウントを元に出した話で、なんとなく情報の正確性が曖昧で眉唾な感じが強くてしかたがない)したけど、東京の消費意欲が失われたら高知なんて一発でダメになっちゃうんじゃないかと心配になる。

実際、土佐和紙プロダクツも去年の3月11日まではそこそこ出るようになっていたのが、11日を境にぱったりと出なくなった。回復には数ヶ月かかり、しかも東京への出荷が中心だった傾向も弱くなった。食品とかじゃない、いわば「暮らしの余裕」部分の商材なので当たり前ではあるんだけど、おいらがやっているような仕事って、結局暮らしの「のりしろ」のような、余裕部分だけを担っている仕事なんだねと思ったもんだった。実際いま一番の不安は、いずれ南海地震がやってきて高知が壊滅的被害を受けたとして、その後に自分の仕事ってあるんだろうかということだ。少なくとも2-3年は用事がなさそうだとすら思う。

話を戻す。東京から田舎への回帰が進むのはいい。ここ20年が60年代と並ぶ東京への集中が進む異常期だっただけだと思う。だけど、その20年の間に、田舎はずいぶんと東京がないと持たない構造になってしまった。都会がないとやっていけない。こと高知は超高齢化県で県土が広いっていうこともあって、都会の儲けで道路を作って貰ってその工事費が回り回ってウチらのおまんまになっているようなもんだ(高知は金がないだなんてとんでもない。自分らの稼いでいる分の3倍近い金を東京や大阪から回して「いただけている」身の丈以上に金がある県だ)。他の四国三県は二次産業が高知ほど酷くないにしても、まあ全国の中でみればドングリの背比べ的なもんだろう(まあ高知は愛媛がクヌギなら高知はシイくらい小さなドングリだけど)。

そんなことを考えていたら、やっぱりこの島に暮らす人々から、理由を聞きたいと思うようになった。カタログをつくりたいということになった。千差万別の、この○があるから仕事がある人、この○があるから仕事を作った人。そんな数多の生業の先に、数多の生きる理由がある。それをまとめたら、なんかフワフワしぎみな四国ってものの、もうちょっとはっきりとした輪郭が見えるのではないかと。