アユをしゃくる。

はじめての経験。
アユのしゃくり漁。
ついぞこないだ、「旅たび高知」の取材で訪れたグリーンパークほどので出会った、まるで高田純次のような適当さと生真面目さを持ち合わせた兄さん「ほそやん」とミョーに意気投合してしまい、はじめて出会って3週間後、仁淀川のアユ解禁にあわせて漁へ出た。

起床は2時30分。もうただでさえ入校前で毎日2時3時という時期に、この時間から活動というのは酷すぎる。事務所で数時間仮眠して、3時30分には伊野の川の駅で合流し、ボチボチと吾北・上東のポイントへ。

ご案内いただいたのは、ほそやんと、3年前からほそやんと一緒にアユを捕っているという岡林さん。こちらはいつも旅たびで取材に出るukikiと山中とおいらの3人。前日に翌日のアユとの出会いを夢想するだけで興奮しつつ手作りしてくれたというしゃくりの漁具を譲り受け、川へ突入する。


写真は水中を探索する2人。結局このポイントではアユは一瞬しかいなかった。
“アユをしゃくる。” の続きを読む

室戸

▲太平洋にVの字を描いて突き出す室戸岬。
どう考えても辺境。
この灯台も実に古く、 機銃掃射の跡が今も残っている。

▲江戸時代に野中兼山が築いた室津港。
高知で見るべき土木遺産はほとんどが兼山がらみだ。
写真は新港から港口への運河様の航路。

▲室戸岬のアコウの大木。なんとも奇妙。
このあたり、主張が控えめで見落としがちだが、自然の力ってものを静かに感じさせられる風景が多い。

 

 

そしてまた帯屋町に通う日々。OBIBURA MAPとOBIBURA PAPER。

2年前に発行したOBIBURA MAPの2012年版と、帯屋町など中心商店街一帯の「へえ!」情報を探るフリーペーパーの取材と制作が同時進行している。

街を歩いていると、2年前より人が少なくなったとか、そんなことは思わない。思うのは、思ったより若い子が来ているということとか、思ったより新店ができているということ、思ったより店の新陳代謝も進んでいるということ。斜陽が叫ばれつつも、たとえば徳島とか高松あたりの商店街に比べるとまだまだ高知の中心商店街は人口の割には元気なもんだと改めて思う。

が、それでもやっぱり少しずつ斜陽には突き進んでいるようにも思える。これは商店街自身の問題というよりも社会構造の問題だろう。高齢化する都市に合わせていけば当然若い人は離れる。高齢者に合わせていればいずれ街は滅びることになるし、若い人に合わせていては商売にならない。そのギャップの中で、高知のような地方都市の商店街はどっちつかずになりやすくて、なかなか舵取りが難しいんじゃないかと。

しかし、もっと街に来る「用事」が増えないと、やっぱり基本的には厳しいよなとも。買い物の質という意味では、正直郊外のショッピングセンターと商店街に大差はない。昼飯や夜飯もついでに食べるのなら、気軽に安く済ませるつもりならショッピングセンターが手っ取り早いけど、美味しいところはさすがに商店街の方がはるかに多い。最大の問題として指摘されるのは子連れ客への対応や駐車場の有料無料という問題だけど、これも言われるほど大きな問題かというと、実際にはそうでもないように思えてならない。

結局は、街の情報があまりにも流れていない、そのことにつきてるような気がする。昔ならメガネのかどたのように今でも口ずさまれるCMが街発信でたくさんあったけど今はない。新聞やテレビ、タウン誌といった店の情報を報じてくれた媒体も総じて一昔前に比べると影響力を失っている状況の中で、街のどこになにがあって起きているのか、さっぱり分からなくなってしまっている。

また、さらに悪いことにネットを使った商店街からの情報発信量は圧倒的に少なく、結果的にTwitterやらなんやらでも飲み屋とひろめ情報は散々流れるけど街の店情報はほとんど流れない・・・という悪循環。ネットショップで儲けを弾きだしている店も結構ある一方で、ネットでなんぼ検索しても出てこない店があまりにも、圧倒的に多すぎる。スマホが当たり前になってどこでもいつでも新ネタが誰でも拾えるような時代になってきている中で、これはやっぱりちょっと厳しい。wifiも街で飛んでいるわけでは当然なく、モバイルが安心して使える店も少ないから、珈琲でも飲みながら仕事できる店も、やっぱり少ない。

昔通りにブラブラして「買い物するものを探す」買い物スタイルは、もうなかなか流行らない。他の街に旅に出てメシを食うところを探すにも、服屋の位置を探すにも、ネットにそのへんのことが分かる情報がほとんど転がってないという状況では、結局なんにもならないのだ。

また、商店街が「ちいきおこし」とかそういう市民活動的な話、学生の思い出づくり運動になんとなく使われる場面もなんとなく多くて、結局店の情報が流れるというよりも中央公園で何があったとか、そういうことにしかなってないのもまた無念。

それゆえ、過渡的措置として今回のフリーペーパーやMAPの存在価値は出てくるわけだけど、これだってあまりにも一時的なもの。取材に出歩いてみれば、あちこちに面白いものは転がっているし、これは!と思う味や人がゴロゴロとしている。まだまだ見つけられた数は少ないけど、もっと街自身が自信を持って情報を出していかないことには、やっぱり10年先には大変なことになってしまう、そんな気がする。

働き者の港

 

高知県須崎市野見湾。リアス式海岸の続く須崎市でも特に広い湾が広がる。
湾の周囲には点々と集落が続き、港内にはたくさんの漁船やイカダが浮かぶ。
その合間を忙しなく漁船が動き回り、集落ではおばあさんたちが賑やかに働く。
静かだけど、活発。そんな不思議な風景がこの港には広がっている。


	

結膜炎侮るべからず

予想以上に激しかった結膜炎の2週間を記録。
最初の一週間は特に外出も禁じられず水場の禁止と手洗いをヨクスルことだけを言われていたが、その1週間のうちに徐々に「岸部一徳」化が進展。この間は結構忙しくてアチコチしてたので、誰かにうつしていないかどうかがきわめて不安。いまのところそういう知らせは聞いてないので大丈夫だと思うけど、もしうつっている人がいたらごめんなさい。
悪化が始まってからは、眼科に行く以外は宝町すら出ていないという1週間ですた。
8月8日、花火大会の前日、突然に左目に不具合。
8月9日、右目ウルウル、目やにが止まらない。
8月10日、眼科へ。結膜炎の診断。銭湯とプールは禁止。その他の活動は特に止められず週末以降再診を勧められる。
8月11日、左目に症状が拡大。ウルウル止まらず、腫れがひどくなる。
8月12日、全く症状かわらず。共同通信取材を受けるも写真撮影は後日に延期。
8月13日、駅弁販売開始、午後は美術館でイチハラさんやオールライト工房さんと対談。ちょっとマシになってたが美術館のスタッフから「うさぎ」のようだと。
8月14日、ちょっとマシになってくる
8月15日、安芸。運転してたら気持ち悪くなる現象。夜は牧野へ行くも「岸部一徳病」と名乗る。元気でないのであまり人ともかかわらない。
8月16日、盆開け始業。嫁にも症状が出始め、2人で眼科へ。「あちゃー右目にうつっちゃったねー」ぐらいの感じで、治りかけてると思うみたいなことをいう。症状が全く良くならず伝染も不安なので仕事キャンセル開始。
8月17日、朝起きると左目の視力が劇的に低下。全体的に真っ白にぼんやりと見える。角膜にしわが寄ったり、なんかボロボロに崩れているのがわかる。とある委員会も欠席。カラダの元気がなくなり一日じゅう寝る。
8月18日、引き続き一日じゅう寝る。全く気力でない
8月19日、眼科へ。しかしそれほど細かい説明はなく、1週間程度で治るでしょうくらいの話。目薬を1日5回から1時間に一本に変更。仕事や打ち合わせ諸々キャンセル。
8月20日、来週からの土佐和紙研修もキャンセル。
午後、セカンドオピニオンじゃということで、新しく大津の眼科さんへ。流行性結膜炎から流行性角結膜炎の重症の診断。少し強めの目薬に変更。最初の眼科は人気のところで1.5時間待ちでしかもなんか適当診断、新しいところは30分で後遺症の可能性も含めて対策を指示。3-7日程度で治癒の見通し。
夕方から仕事再開するも左目が見えないのでかなり厳しい。文字がぜんぜんみえない。
8月21日、目の腫れがほぼ収まり、リンパの腫れもかなり引いてくる。視力はあまり変わらないが突然よく見えるときがある。
8月22日、視力もだいぶ復活気味。やっとデスクワークを復活するが細かい作業は無理。文字はなんとなく打ち込んでる感じだけど打てるようになっただけかなりまし。
おそるべし流行性角結膜炎。目に不具合があったらすぐに眼科へ!

超絶結婚式

一昨日、大石君の結婚式に参加させていただいた。
なんでもこの結婚式、一部と二部に分かれていて、
一部は政治家主体、二部は友人や知り合い系らしいのだが、
それぞれ500人位、あわせて1000人という超大規模なもの。
mocoさんも書いてたけど凄まじい経済効果じゃ。
まーもうこれからこの先、こんな大規模なものに出席することはあるまい・・・。
それだけにまー知り合いも多いこと多いこと。
シノッチや町田さん、まんぼさんはもちろんのこと、
mocoさんに四万十ドラマの畦地さんや迫田さん、
村岡さんに大西さん、デハラ君にマンガミットの吉村さん、
バッフォーネの摩周さん夫妻に書家の北古味さん、
hyggeの和田さんにジケイさんなどなどなどなど。
カメラマンは先日パリから戻ったばっかとゆー門田さんだし。
まあとにかく顔が広い。
おいらなんぞ顔が広いよーでそれほどでもないので
まだそれほど挨拶に駆け回るよーな必要はなかったけど、
知り合いの多そうな面々ばかりだったのできっと大変だったんではなかろーか。
知事や議員さんたちは一部も二部も通しでの出席で、
最初の一時間はなんだかんだと皆さんの演説。
しかしやっぱうまいね。
政治家の挨拶なんて!とか思ってたけど、案外聞いてみるとさすがつかみがうまい。
まあこれは大石君の体格の良さがネタになってたからというのもあるけど、
ぐったりしつつも意外とアッというまの一時間でした。
最後は菅直人のビデヲレターだし。
ああ、実在してたんだなあとふと思ってしまう(こないだのパリ旅行でロシア上空を飛んだとき、ホントにロシアってあったんだと思ったのと同じよーに)。
で、「使える和紙展」に知事が来てくださってたので、
そのお礼もかねてはじめて生知事挨拶。
ものすごい和紙展のことを気に入ってくださってて、
また近いうちに県庁へ行っていろいろアイデアや戦略をお話できたらなーと思う次第です。
なにはともあれ、おめでたうございます。

12月の毎日

たまにやる備忘録
ブログなんぞ何してたか後で見て思い出すための資料
知らない方は読み飛ばすが吉
1日
県庁での打ち合わせでそれまでの段取りがすべて崩れる
イラストをしっかり書き出さないといけないことになってしまった
予算度外視、日程度外視と一旦は憤慨するも
もともとそれを度外視すれば面白くなるのは目に見えてたので
早々に諦めて晩から早速イラストを描き始める
必要なイラストは安芸、足摺~中村、高知県全県、高知市上空の4つの鳥瞰図
2日
さっそく安芸のイラストを半分くらい描き上げてみる
途中画材を買いにでかけるとその隣のマンションで火事
まるで911のよーにタワーのてっぺんから煙がモクモクとあがる
3日
春野で打ち合わせ。
4日
ある森林組合と東京のある企業の方と打ち合わせ。まだ打ち合わせ不足に意思疎通不足でなんかロゴがうまくまとまっておらず2週間の保留期間をもらう
5日
graffitiでシノッチと打ち合わせ
ホンマ次から次へといろんなオモロがこの人の周りには集まってくる

“12月の毎日” の続きを読む

愛と笑いのイチハラヒロコさんと飲む

 
イチハラさんは言葉の力の作家。愛と笑いにこだわって、デビュー以来一貫して言葉だけの作品を作り続けている。
同じ大学の大先輩にもあたり、デビュー以来ずっと好きな作家さんの一人。1995年頃に大阪のサムミュージアムで開かれた大展覧会に行ってものすごい衝撃を覚えたことを今でも鮮明に覚えている。
おいらが作家名を「タケムラナオヤ」にしはじめたのもイチハラさんの影響モロ受けだし、愛とか笑いとか、なんかそういうのがものすごくデザインにせよ地域計画にせよ必要だなーとお門違いに捉えるようになったのも、影響モロ受けだ(愛と笑いは、恩師井上明彦先生からの影響もでかい!)。
で、エンジンゼロワンで微妙に賑わうきのうの夜、そんなイチハラさんとTACOメンバ、高知大の学生さん、県立美術館の皆さんで宴inパンダ屋。
イチハラさんは作家さんがよく持ってる変なオーラをビシバシと出すこともなく、もんのすごくきさく。吉川晃司のことを語りだしたらもう止まらないところとか、なかなかたまらない。でも、作品の話になると本当にまじめで、なるほどデビュー以来20年近くにわたり美術の最前線で異色の活動を続けて来たその芯の太さを改めて感じたのでした。15年前からやっていることは一見変わらないのに、常に前の作品を越えて行かなければならないその強さ。15年経っても飽きない、作品の強さ。学ぶこと大杉。
イチハラさんの愛と笑いと少しの棘ある言葉を街で踊らせることができないか???
そんな風景を見たいです。
とことんやれば、世界中からヒトがくるで。

rusk

Decembreのビルの横の小径を抜けると、
パーッと白い空間が広がる。
rusk。
先月オープンしたての、
大阪から最近移って来た夫婦???が営みはじめた小さな雑貨屋さんだ。
雑貨屋王国高知に新たなるシンプウ。
パリにもしばらく住んでいたとのことで、
さっそくパリ情報を少々仕込む。
なんかすごい好きな感じのパーカーとかもあって、
旅行前に買うべきか買わないべきか迷いどころ。
いやあ、やっぱ高知って静かにおもろい。

モロコソノベクントーキョーヘ

モロコのソノベ君が東京へ移ることになった。
んで、桜井町のterzotempoで送る会。
「悲しくなんてありません」
歩屋のあゆみさんの挨拶が泣ける。
まあソノベ君とはメッチャ親しいというわけでもないわけなんだけど、
この夏スタートした雑貨屋、代理店、カフェ、村役場職員といった
超異業種の男友達だけを集めた「男会」で
これからもいろいろ話せるのうと思っていたところだったので残念。
とはいえ、東京へ行ったからといって帰ってこないわけでもない。
むしろ、その歌声をもっともっとアチコチで聞かせてほしいものだ。
最近お気に入りの画家さんも、県外へ移ることを考えているのだとか。
つくづく思うに、音楽と美術だけは田舎で成立させるのは少々厳しい。
なので、この二人ともドシドシやっていってくれたらと思うのであった。
で、「寂しくなるなあ」とかいうてたら、
東京から去年移って来たterzotempoの佐野君が「かわりがくる」説を披露してくれた。
誰かが去れば誰かが来る。
そうね、確かにそうだねえと思う。
東京や京都へ行く友達がいれば、大阪や東京からまた誰かがやってくる。
それでまた新しい輪がアチコチへ広がって行くのだ。