ドラえもんへの雑考(1993)

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ドラえもんの最終話については、一時“のび太は植物人間で、ドラえもんはその夢の中での人物であった説”が流布され、巷間を騒がせた事があった。私はこの噂を聞き、本当に泣きそうになったものだが、実際には第6巻の「さようなら、ドラえもん」でドラえもんは終わっているのだ。その内容とは、次の通りである。

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藝術ウンコ論(1998)

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2008.6追記
10年前に大阪の友人とメールで対談した記録です。
この時代はまだネットなんてそれほど充実はしていなくて、
こーゆーのを友人と書いてはデザインして印刷して、あちこちのお店を回って配っていたわけです。
お金もかかるし手間もかかるフリーペーパー。
だけど今のブログみたいに「さっと書ける」ことがないかわりに、
案外じっくりと書き込んでいて今読んでもミョーな力があるような気がします。
そうなのです、今じゃ絶対書けないのです。
ミョーに青臭いけど、軽くないような感じがする。
自分で書いた文章にハッとさせられたりする一文もあったりするし、
案外10年後の今読んでも、たとえばギャラリーの質低下やブログの増殖と同質化を
なんか見込んでいるような感じがして面白い・・・と自分は思ってしまいました。

アツ:アナマニア創刊、おめでとうございます。いやあ華々しく突然の創刊ですね。若者のやる気、いいじゃないですか!明るい未来だなあ!というわけでタケムラさん。今回のテーマは創刊記念特集に相応しく、「芸術はうんこだ!」というものなのですが。ハハハハ。
まあ読者の方々のために簡単にご説明いたしますと、芸術作品を制作する、ということは、うんこを出すことに通ずるもんがあるんじゃないかとこういうわけです。
いや私は何もうんこ自体を悪いもんだと言っているわけではないんですよ。まあね、うんこにもいいうんこ、悪いうんこもありますし、それを見りゃ現在の体調の善し悪しもわかる。つまりはうんこ(作品)を見て作者が最近何を食ったか(何に興味があるか)、ひいては現代社会の様相もわかるという大変便利なもので。ただ、そんなにかっこいいもんでもないんだぞ、という多少の皮肉も込めて、芸術=うんこと定義したいわけです。
ただねー。失礼千番を承知でいうと、いまのうんこ界ってあんまり魅力感じられないです。最近の風潮として、どうもうんこたれすぎじゃない ですか?全体的に。しかも自分のうんこの始末も付けられないうんこたれが増えてきたという感が往々にしてあるような。どうでしょう?
タケムラ:いやいや、本当そうなんですよね。芸術はうんこ。うんこっていうと何かいい印象はないけどね、実はすごい芸術っていう曖昧模糊としたものをはっきり見せる言葉だと思うのね。
うんこって臭いじゃないですか。でも、すごい臭いときもあれば別に臭いすらないときだってある。色も形も毎日違うし、他人のうんこは見たことないから知らないけど、多分形も臭いも少しづつ違う。今の地球上の人類がたとえ一斉にうんこをしたとしても、多分そのうんこは全部違うと思うのね。やっぱその人が食べてるもの、生活のリズム、体調その他云々で確実に違うモノができてくるわけね。
ほら、これって芸術っていうか制作行為と同じなわけよね。みーんな偉そうなゴタクならべて作品っていう名前のうんこをつくり続けているっていうわけで。
でもそのうんこ、最近みんな出しっぱなしなのよね。ああ今日のうんこはちょっと臭いからちょっと生活変えようっていうことにはならないわけで。これって無責任だよなあ。要はノグソですよ、ノグソ。

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桜の頃(1999)

あれから11年。彼らがのった列車が上海で事故に遭ってからもう11年だ。
自分はあの列車にのっていたわけではないし、知っている人も失礼な言い方だがそんなにたくさん亡くなったわけではない。でも、未だに3月24日が近づくと突然どきりとする。これこそがトラウマというやつなんだろうか、たとえばニュース速報の音、彼らの棺が並んだ空港の倉庫、3・2・4の数列、高校の校舎、テレビカメラの放列、上海という言葉の響き。いまだに逃れることのできない傷口がそれらを見聞きすると疼きだす。
別にあの事故を背負っているわけでもなく、そもそも背負う必要もなく、でも忘れることのできない恐怖の日々がいきなり蘇る。はじめて死ぬということを直接間接に見たときだった。あまりにもその死のカタチはいびつすぎて、あまりにも強烈な時間が流れすぎて、消去できない日々になってしまった。だから、もう忘れようとすることはやめた。
高校の時の友人なんてもう誰もつながりがなくなったのに、あの高校で育ったことすら後悔するほど嫌いな学校なのに、それでもあの事故だけは残り続ける。桜が咲き出すと、毎年こんなことを考える。もう11回も繰り返して。
Idletalk第5号(1999.5)所収
このテキストは、カメラトーク友の会から引用したものです。

京都って、なんだろう(2000)

text/フジガキアツ・タケムラナオヤメール対談

アツ:ああとうとうこの時がやって来てしまいました。満を持してのこのテーマですねえ竹村さん。いや今回ばかりはあの頃に戻って「リーダー」と呼ばせていただきたい。ねえリーダー、このテーマを持ってくるって言うことは、アイドルトーク、いやカメラトーク友の会にとって物凄く大きな意味を持つことですよね。これやっちゃったら後が無いじゃん、みたいな。ん? まままさか、アイドルこれで終わりなんてことはないよね? まあ、お終いじゃないにしても、ひとつの節目となりうる重大なテーマということですね。
忘れようとしても忘れられず、思いだしては笑い合い、時に胸がぎゅっと苦しくなる学生時代、あの頃私たちは京都に住んでいて、そして出会いました。全てが京都で始まったわけでしょ。それだけに思い入れが深いってこともあるけど、それだけに留まらない何かが、あの町にはある気がします。それは何なのか。過去のかさぶたを無理矢理はがし、傷口に塩を擦り込むような気持ちで、今回の対談を進めてみたいと思います。

竹ムラ改めリーダー:はいどうも。背水の陣というやつですね、ずっとやりたかったテーマなんだけど何か難しいテーマ。結局「過去にいた」という事実そのものがあまりにセンチメンタルで、筆が進まない。こんなに苦しいテーマって他にないかも。
思いがもう混乱してて、いろいろな記憶がありすぎて、何から書いていいのか、どこへ落としたらいいのかがようわからん。まあそんな難しいテーマだけど、それでも京都ってなんなのか、ちょっとずつ自分たちなりに紐解いてみたいね。なんでこんなに京都が好きなのかってことを。
僕は京都から高知に移ってもう2年半ぐらいになるのね。それで出張やら遊びやらで京都には半年に1回くらいは行っているわけ。恵文社で本探したりとか、同級生の結婚パーティだとか、出張ついでとか何だとかで。それで思ったのが、京都って、たまに行ってもあんまり「よその町」っていう感じがしないってことなのね。
まだアツが京都にいた頃、車で高野の家まで行ったでしょ。あの時は京都離れてからはじめて京都行った時だったんだけど、なんだかとても普通で、帰るときもいまいちこれから高知まで帰るんだっていう感じがしなかった。五条の家に帰るような錯覚覚えたりするくらいで。あーまだ離れて間もないしこんなもんかってその時は思ったんだけど、やっぱり行くたびにそうなのね。そーゆうところがあるから、なんだかあーまた帰ってきたいなあって思ってしまう。

アツ:ううん、まさに。私も大阪に住んで1年半になるけど、ふた月とあけずに京都の友達に会いに行ってるかな。でその帰り京阪電車に乗ってる時の淋しさったら無いですよ。友達が住んでるからってこともあるけれど、たとえばこれが私が京都に住んでいて大阪の友達のところに遊びに行った帰りだったとしたら、きっとこんなに淋しくはなんない。やっぱり京都に行くたびに「ただいまあー」って言いたくなるし。
何でかって考えてまず出てくるのは、学生だったからってことかな。私が京都で過ごした6年間はずっと学生だったんですけど、やっぱ学生時代って特別じゃないですか。私たちは特に親元離れて京都に住んだわけだし、ひよっ子のペーペーが一人で生活を始めることによって、ちょっと成長するというか。私なんか京都という町でもう一度「生まれた」と言っても過言じゃないくらい、それまでとは根本的に考え方とか価値観とかが変わったもの。見るものやること全てドキドキの体験ですよ。加えてお金はないけど時間はたっぷりある。そうすると何をするでもなく無駄にだらだらする時間が増えて、結果的に地域に親しむってことになるんですよね。そうすると京都ってのは昔から学生の町だったりして、貧乏な若者でも不自由しないような作りになってると。チャリでどこでも行けたり安い食堂があったり文化的な施設があったりね。ちょっと外れればすぐ山や川があるのもいいところ。もう縦横無尽にチャリで走りましたよ。転んだのもいい思い出です。

リーダー:確かによく転んでた。高瀬川で「follow me!」とか叫びながら滑り込むとか、凄まじかったよね。まあそれはいいとして、学生は時間がたっぷりあるのはどこのまちでも同じことだとは思うのね。でも、そもそも京都っていうまち自体がなんだか時間をたっぷり持ってて、いやあの、1200年とかそういうんじゃないよ。かといって田舎的のんびり感じゃなくて・・・どう言ったらいいんだろ、とにかく過ごしやすい時間が流れてる。大阪みたいにせせこましくないし、東京みたいに角張ってもいない。焦りがないっていうか。で、そんな時間の流れ方と、学生の時間の流れ方ってのがなんかすごいフィットしていたというか。特別な時間を、なんだか特別なまちで過ごしたなあってよく思います。
大体チャリってのもいいよね。足は市バスか自転車か。今回の特集で原稿集めててもチャリに関する話は多かった。僕も日曜のたんびに嵯峨野だ伏見だって走り回って、最後のほう足が上がらなくなったりしてましたよ。

アツ:よく走ってましたよねえ。一時。アホじゃなかろうかと思うくらいに。っつーかアホだったんだろうねえ、あの頃は。いや、リーダーだけじゃなくて皆ね。酷く疲れたときだとか、傷心なときだとかにぼけーっと走ったことって私もよくあったなあ。まあ精々上賀茂止まりでしたけどね。自転車で走ると景色がゆっくり見れるんですよね。京都って何気ない景色でも絵になるところが多いでしょ。高野川べりの桜並木とか賀茂川べりの柳のやわらかい枝とか。春でも夏でも秋でも冬でも、いつでも何かしっくり来る。
凄く好きで何度も良く行ってた場所ってありましたよね。私はやっぱり川沿いだなあ。賀茂川のホラ、北大路通りの植物園よりのところにテーブルあるでしょう。あそこによくご飯作ってお酒持って行ったりしたな。昼でも夜でも。昼は犬が大集合したりして。それから疎水。動物園の裏とかでよく釣りしました。コーヒー沸かしたりしてね。老若男女が釣り糸を垂れてるの。目指すは勿論巨鯉、でも釣れるのはブルーギルや似鯉。夜のしじまを縫って動物が突然奇声をあげるわけ。猿だか鳥だか解んないけど、「ギャアーッ」って。ギョッとします。雰囲気あるよー。夏の夜とかのあの生ぬるい空気が良かったな。盆地ならではの物凄い猛暑の一日が終わり、微かに熱の名残が残る、密度の濃い空気。もう何か猛烈に幸せになって、そのまま夜明けに宝ヶ池公園まで自転車飛ばして、忍び込んで子供用のトランポリンやったり。アホですね、やっぱり。
リーダーのお気に入りスポットってどこ?

リーダー:僕はやっぱり疎水かなあ。疎水いうてもマイナー疎水で、市バスの北白川あたりから高野の方へ向かうあたり。哲学の道みたいに観光地化されていなくて、なのに大きな桜がこれでもかって春には咲いて、たまらなかった。別当町のあたりにおいしい蕎麦屋があってよく行ったりしてたわ。なんだか世話好きでモノをあげたがるおばちゃんがいて、なんか知らないけど大きい扇子だとか障子だとか貰ったりして困ったこともあった。あと鴨川。川端二条とか河原町五条とか意外と長いこと鴨川沿いに住んでたってこともあるけど、自転車でぶらーっと先斗町あたりを眺めながら走ってみたりして気持ちよかったな。酔っぱらって河原で寝てたこともあるし。
でもなんかお気に入りっていうと川とか池とか水廻り多いねー。それこそアツのいう盆地の猛暑から少しでも逃げようとする自然の摂理なんだろか。京都では数少ない、風のよく抜ける場所だしね。

アツ:ああ、そういやそうかも。水辺好きだよねえ。まあ確かに暑いからってのもあるだろうけど、水辺ってなんか感傷的っていうか叙情的な気分になるじゃない? 特に京都だからって訳ではないんだけど。でも京都ってそう言うセンチメンタルが似合う気がする。私だけかな、そう思うの。
まあそれに関係するのかもしれないけれど、「京都」にあるのはどういうわけか前向きな力ではないような気がします。何かしら後ろから引っ張る力。それは歴史の重さとか郷愁とか保守的とか言うことかもしれないけれど、町自体にそう言うベクトルがある。人も町並みも、守るものの大きさに、頑なになってる気がするんだよね。勿論それに反発して異様に革新的になろうとする動きもあるんだけれど。
だからかもしれないけれど、京都のことを考えるにつけ何か思考が後ろ向きになるんですよ。これって私たちがよそ者だから? 地元の人たちにすりゃ「そんなことあるかい!」って感じなんだろうけど。まあ京都に住んでいる間はあんまり感じたことが無かったって事は確かなんだけどね。

リーダー:基本的に「歴史都市」ってのはそういうもんなんじゃないろうか。奈良とか鎌倉とかもそうだけど、やっぱ守備専門なんですよね、基本的に。
アツの言うとおり引っ張られるものが多すぎて、何かする度考える度にいちいち郷愁にはまらないといけないっつーか。ほんで、その郷愁にはまり過ぎていることに気が付いたりした時、逆転の力が働いてみたりしてね。・・・郷愁で終わったのが祝祭1200年の一連のイベントで、逆転の力が京都タワーだとか京都駅だとかに残ってるような気がするんだけど、どうだろ。
まあそれでも京都はうまく行ってる方かなあとは思いますよ。後ろ向きの力に反発する力が働くというだけでも。やっぱ歴史への郷愁だけじゃ都市は成り立たないんですよね。都市のアイデンティティを郷愁におもねるのは結構だけど、結局そればっかになっちゃうと歴史の重みが都市の歩みを邪魔をするわけで、そうなったら最後、奈良とか高山みたいになるのもまた見えているわけでさあ。
ほんで僕らが京都のことを思うと後ろ向きになるってのは、見事郷愁にはまっているというわけなんですよ。これってもう立派なよそ者になったっていうことなんじゃない? 逆に僕らが京都に「京都はかくあるべきだ」っていうイメージを押しつけようとし始めているというか・・・。

アツ:・・・リーダー、随分丸くなったよねえ。学生の頃のピリピリするような辛さが嘘みたい。こういう話題にはまず噛みついてた。その事だけでも充分、私たちが京都から遠いところに来てしまったんだなあっていう郷愁を感じるよ。
確かに私たち「よそ者」がやいのやいの言ってイメージを押し付けてるってのは事実。でもそれって逆に考えると、それだけ「京都」に価値があるってことを皆が認めているからですよね。常勝の辛さって言うの? ジャイアンツと一緒よね。まあ迷惑かもしれないけれど、でも京都にはそれを受け止める器の大きさがあると思う。甘受するでも全否定するでもなく。何よりも町にも人にもプライドがあるから。いい意味でも悪い意味でも、自信を持ってるでしょ。今じゃもう笑い話みたいだけど、フランス輸入の橋が架かりそうになったとき(*1)にもちゃんとノーって言ったし。自分たちで取捨選択が出来るってことは、それだけの自信があるってことだよね。あんまり認める人はいないけど、私個人的には京都タワーってある意味凄い京都っぽくて好きだなあ。京都駅から一歩出て空を見上げたとき、暗闇に浮かび上がる象牙の塔はなかなかの絶景。
プライドと自信のある町。だからこそ私たちは京都に惹かれるのかもしれない。特に若い頃はラディカルなものに対する憧憬と反発心が強いから余計にさ。

リーダー:そーなんだよね、京都は恵まれてる。京都ホテルや京都駅の高層化で景観論争が巻き起こった時も、実際洛中は大揉めだったけど、それ以上に洛外で様々な立場から京都の景観とは何かってことが議論されてた。さっきも出た奈良や鎌倉ってのも度々景観を巡って論争が沸き立つけど、京都はその比にならない注目度なんだよね。中身はともあれ対外的に認められてる「価値」が異常に高いんかなあ、期待もすごいされているし。
しかも面白いのが、外が沸き立てば沸き立つほど、中にいる京都人たちは醒めていくというところがあることなんだよね。僕が京都の大学に行こう! って決めたのは景観論争というお家騒動を兎にも角にも見てみたい! って思ったからだったんだけど、いざ来てみるとかなりみんな醒めていて、東京の方で流れている本やテレビの情報ってのがいかに「東京の眼」っていうアテにならないもので書かれてるかを知りましたよ。とにかくね、京都人の当時の反応の多くは、「しゃーないですわ」ってのが多かったと思うよ。仏教会もその頃にはおとなしくなってて通常通りに拝観できるようになってたし(*2)。あれから8年近く経って京都ホテルも京都駅も全てできてしまった今、ますますこの「しゃーないですわ」度は強まる一方ですよ。
プライドが高いから、みんなが騒いでくれないと腹が立つ。でも、プライドが高いから、みんなが騒ぐとイヤになる。最後はもうどーでもえーでー好きにしーやーみたいな感じで突然放棄して、結局あの時あんなに騒いだのは一体なんだったの? って感じになる。そして、いつの間にか京都にとけ込んでいく。これって受け止める器の大きさ・・・ってことなんかな。よく言えば「ちょっとやそっとじゃ変らへん」という迫力も感じるし、悪く言えば「まあ出来てしもうたんやし」仕方がないっていうやる気のなさを感じたりもする。他人任せっていうか固執しないっていうか・・・ゆとりがあるんかな。
だからね、鴨川のシラク芸術橋は洛外にまで反響を及ぼすような大きなうねりにはならなかったから、京都がきちんとノー! って言ったようなフウに見えるわけで、もしアレが大騒ぎになっていったらたぶんまた途中で「誰かが決めてくれはる」ってことになったと思うよ。大体あの橋の反対運動の先頭に立っていたのはキーンさんでしょ。キーンさんいうたら僕らの大学で一時造園を教えてくれてたヨーロッパの人・・・国名忘れた・・・でさ、元を質せば京都どころか日本の外の人ですからね。

アツ:なる程ね、さすが本業、詳しいね。っていうかリーダー、丸くなったと思ったのは単に気のせいだったみたい。やっぱり噛んで来た。
でもさあ、そんなこんな言ったって、やっぱ住人なんてそんなもんなんじゃない? っていうか人間なんてさ。それこそ生活のダイナミズムだし、結局そう言うもんでしょう。文句言ってても京都駅利用しないと新幹線乗れないわけだし。
京都をより「京都」たらしめているのは京都の外のひと、或いは内部にいる一部のひとのコンプレックスと憧れなのかもね。ホレ、京都には学生や文化人多いし。皆別の土地にちゃんと故郷とか現住所とかがあるから、好き勝手にあーだこーだ言えると。何か思いっきし私たちのことですねえ。

リーダー:まーそれを言っちゃあそーゆーことだよ。結局は関係ないからね、自分らのセンチメンタルを放言して押しつけることが存分に可能なわけよね。これって外の人間だから思うのかも知れないけど、また京都っていうまち自体がそれを望んでいるようだし。またそのセンチメンタルにこたえることができるだけの歴史の町並みだとか生活だとかの資産があるよね。こんなに語れる街はないよ、もう。語ったら寒いまちばっかだもんね、もう。逆にいつまでセンチメンタルでいくんだ? って聞きたくなることも多かったりしてさ。
まーそれで、京都にはあーだこーだって語るのが仕事とでもいうべき文化人やら学生やらのインテリ連中がたくさんおるわけで、そうなったら京都の生粋人はどこへ行ったの?って感じだけどね。いやほんまどこ行ったんだ?

アツ:家でプロ野球見てはる。今日も巨人が勝ちます。てのはいいとして、京都ってやっぱ昔から、それこそ戦国時代ぐらいからずっと、よそ者に干渉され続けてきたわけじゃない。やれ上洛だとかさ。んでそんな状況下でずーっと、京都の人たちは「京都」のコケンを必死になって守ろうとしてきたと。だから外部からどうこう言われることなんてある意味慣れっこなんじゃないかな。
っていうか、どうやら外部からの干渉を期待しているフシがある。待ち受けて、まんまと網にかかってやってきたそれらの横槍に対する反発のパワーを発奮材料にして、「京都」の秩序を再確認してるって言うか。仮に外部からの圧力によって、京都の人たちも実はやせ我慢していた事がちっと便利になったとしても、それはそれで儲けもんかな、ぐらいに。とりあえず文句だけは言ってみたりして。
ちょっと穿ち過ぎかなあ。いや、でもホラ、リーダーの嫌いないわゆる「京都人」のタイプって、そんなの多いじゃん。やんわり返しながら執拗に責め続けるっつーか。決して自分の損にはしないっつーかさ。

リーダー:そーなんよね。言いたいことあるんならはよ言え! って感じの人多いもん。人を褒め上げながら落とすというか、あんま人の話聞かないっていうか、自分の話しかしないっていうか。京都人はO型体質なんやろかね。まーそれはともかく、ずっと京都に籠もってる人と話をしてたらほんま身がもたんね。なんぼキレてもキレきれない。
関西人自体がそうかも知れないけど、他人への干渉もかなり激しいしね。
「余計なお世話かも知れへんけど、リーダーって■■なとこはええと思うわぁ、せやけど●●は全然あかんやんなぁ」
早いとこ言うたらいいのにね、「リーダーはあかん」って。
アツは結構京都人の友達多かったと思うけど、そういうのなかった?

アツ:不思議なことに女友達は殆ど地方出身者。京女は一人か二人くらいしかいない。そのかわり男の子は殆ど京都人。洛中の子も何人かいるけど、別に普段はコレといって「京都人」だなーこいつって思ったことはないかなあ。でもふとした時にプライドが割と高いかも。将来は立派な京都のおっちゃんになりそうな人もいる。あと甘えたがりね。あっこれは別に京都人に限ったことじゃねえか。オホホ。
若い人にはあんまりいないんだけど、タクシー運転手のおっさんに田舎者扱いされたことはありましたよ。こっち来たてでね、いたく傷ついたのを覚えてるよ。それ以来行き先を告げるときは極力地元民を装ってた。インチキ関西弁を駆使して。今考えると馬鹿みたいだけど。タクシー運転手だって地方出身者多いのにねえ。
まあ私たち地方出身者からすれば、京都って所は憧れの町ですからね。でも東京に対するような卑屈さはない。素直に、「京都っていいなあ!」って思えるし、公言できる。

リーダー:東京に卑屈になるのは君がすっかり関西の人間になってってことよ。もう福島には帰れないね、あなたは。・・・でもアツは猛烈巨人ファンでしょ、そのへんはいいの?
まーそれはおいといて、東京と京都は全然違う憧れのまなざしを注がれるまちだと思うのね。東京はなんか別の国でも見るかのような憧れで、いわば「異文化」のモノや人に対する憧れを集めてるわけ。ほんで京都はもうちょっと分かりやすい、ゆうたら「日本」的世界を覗くようなセンチメンタルに近い憧れで、場所や時間の魅力に対する憧れを集めている・・・みたいなね。
どっちにしても、完全に別れるところだろうね、東京派か京都派かってのは。僕は渋谷の人波を歩くだけで憂鬱になりそうな人ですし、第一巨人なんてキライですからね、東京派なんて信じられませんよ。

アツ:アハハ~ンだ、京都には結構巨人ファンが多いんですよーだ。関西=京都って図式はちょっと違うんだもんねー。プーン。っていうかジャイアンツ優勝おめでとう!
でもね、私は絶対に「関西人」にはなれないし、なろうとは思いませんね。だからって東京の方が好きって訳じゃないよ。もちろん場所も人も京都が好き。でもそれはあくまで「よそ者」としての「好き」なのね。なんつーか、愛と恋とは違うじゃない? 私は、京都に恋し続けていたいわけよ。今までも、これからも。そう在りたいと思ってる。
っつーかさあ、関西の東京に対するコンプレックスも度が過ぎるとむかつく! まあこれが出るころにはとっくに日本シリーズで勝利してるだろうけどさあ、昨夜、まさに昨夜ですよ! 今世紀最後のミラクルが日本中の巨人ファンを熱く熱く震えさせたのよ。あの劇的なリーグ優勝(*3)! ところがどうよ、今朝のこっちのスポーツ新聞。マジ酷い扱い。関西人心狭すぎ! そりゃあシドニー女子マラソンの金メダルは凄いことだし、まあこうなるだろうって予想はしてたけどさ。何かここまで来て関西の意地とか何とかそんな事言ってるのって、ほんっとケツの穴小せえよなあ。まあ何でも許せますけどね、今は。ボエ~。
前にも書いたけどね、京都と巨人は似てるのさ。オレンジ色の夕焼けが似合う町。歴史と伝統、期待されてるところ、たまに期待外れなところ、政治的なところ、プライドとそれ相応の実力、それ故に妬まれるところ、外部からのプレッシャー、でも強いところ! だから好き。それでいいじゃん!
おっ、ジャビット君!(走り去る)

リーダー:おいおいどこ行くねん! 銀座パレード? またええとこで逃げやがって、いつもそうじゃねえか!
しかし昨日の君の祝勝酩酊の君の電話はなかなかのもんやったね。もうほとんどオヤジ状態! 何はともあれ優勝おめでとう。
まあそれはともかく、自分も京都は好きだけど、関西人なんてもんになりたいって思ったことは一度もないね。僕もやっぱよそ者として、京都のお客さんとして、京都を楽しみ続けれたらって思う。楽しませてほしいしね、これからも。
あと喜びに水を差す関西人の東京コンプレックスはしゃーないでしょう、もう。あれは性分、それこそ生きる糧な部分でもあるわけでさ。まあでも「地域」ってのをこれだけ意識している地域ってのはもう関西が最後かなあって気がするから、許していこうよ。新聞の偏りとかメディアの偏りとか言うんだったら東京のメディアの方がよっぽど酷いしね。ただ阪神王国では巨人報道ではとてつもなく酷い仕打ちがなされるというわけで。でも今回のは高橋尚子にぜんぶやられてちょっと野球好きとしては腹が立った。
何はともあれ、京都はよそ者に好き放題いろんなこと言わせんのが得意なまちってことやね。やっぱ強いわ。強すぎるわ。そら惚れるわな。
まーでも金任せの補強はしないけどね、アツオさん!
・・・ってアツオさんホントに消えた? またビール? おいもう目を覚ませ!

アツ:(オレンジ色に染まったライトスタンドより)えー? 呼んだー?
金任せの補強? 何言ってんのそれは企業努力ってもんでしょうに。日刊スポーツで落合博満も言ってるぜ! 金を惜しまないのがプロの心意気よ! 京都だって同じ、勝っても負けてもいずれ官軍なんだからさ、どうせやるなら強気なほうが気持ちいい。ファンとして、そう在って欲しい。
じゃあまた来シーズンに! ほらほらリーダーも、夕日に向って両手を上げて! 行くぜv2!
(2000/8/1~9/26)

(*1)確かシラク大統領が来日した時、桝本京都市長に姉妹都市としてセーヌ川にかかる芸術橋を鴨川にもかけてはどうかと言われ、何の思想もない市長はウィと答えて先斗町から祇園にかけて歩行者専用橋をかけることになった。しかし、結局反対運動がまきおこって白紙撤回となった。
(*2)京都ホテルの建設が明らかになった94年頃、京都の名刹で構成する京都仏教会は「京都ホテル系施設に宿泊の方は拝観禁止」というややこしいことをしていた。その前には古都税とかの導入で全面拝観停止といったこともあった。
(*3)2000年9月24日、対中日戦、於東京ドーム。0-4で迎えた9回裏、一死満塁から江藤が満塁HRで同点、続く二岡がライトスタンドへ決勝打。誰も予想しえなかった劇的なサヨナラ勝ちで巨人が4年ぶり29度目のリーグ優勝を決めた。

上海列車事故の記憶(1994)

その一週間前、私は高知学芸中を卒業した。その卒業式で、校長の佐野先生は学芸創立30周年の記念として、今高校の修学旅行団が中国に行っておりますと話をしていた。佐野校長は朝礼だとか集会がある度に平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」という言葉から話を始め、最後は中国の悠久たる大地がどうのこうのとか、蘇州のどこそこはこうだとかで話を終える、とにかく中国好きな人だった。その日はまた話が異様に長く、かなりの人が眠りへと誘われていた。学芸は私立の中高一貫教育校であり、ついでに予備校まで作ってしまうような、いわゆる進学校の類いに入るものである。また、殊更にスポーツが強いとか東大に何十人も合格する訳でも無い、高知県外の人なら誰も知らないような平凡な、そして平和な進学校でしかなかった。

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病室の祖母には会えない理由(1999)

「長生きするばあやったら早う死にたい」
杖なんて使いたくない、そこらのおばあちゃんみたいに腰を曲げてまで生きたくない、白髪なんて絶対見せたくない。とにかく恰好をつける祖母だった。足腰は確かに弱っていたが、それでもどうみても若い、着物が本当に似合うかっこいい祖母だった。
そんな祖母が倒れたのが2年前。今、祖母は海の見える病室で、しずかに暮らしている。あの日から祖母は言葉を失った。ふくよかだったはずの祖母はいつしか白髪になり、すっかり痩せてしまった。やや固くなった手は、ぎゅっと握ると軽く握り返してくる。

病室を訪れても、ただただつらい。会えば会うほど、昔の祖母がどこか遠くへいってしまうようで、だから数ヶ月に一度しか自分は病室を訪れない。行く度にまたすぐ来るからねとは祖母には言う。最後に祖母に会ったのが春のことだから、もう半年も会わないでいる。
母方の島根の祖母は、八年前に癌で亡くなった。病室の祖母は日に日に力を失っていくのが目にみえて、やがて自分では起きあがれなくなった。そんな感じの祖母と病室で話をしていたら、発作がはじまった。見ていれなくて、何も言えずに病室をあとにした。変わり果てゆく祖母の姿。その夜、祖母は死んだ。
死は、唐突であれ予測されたものであれ、それまでの記憶を掻き乱す。死によって記憶は死の瞬間よりそこにとどまっていく。もしくは、死に臨む姿を見ることでかつての記憶をひとつひとつ潰してゆく。
本当なら、できるだけそばにいてあげるべきなんだと思う。返事がなくても話をしたり、ただ手を握ったりしているだけでもいいんだと思う。
でも、自分は日曜市でばったり会って写真を撮ったり、祖母の部屋でお茶をたててもらったりしたあの頃のままでいたい。きっと祖母もそうだと勝手に思いこんで、いけないままでいる。
祖母に昔自分が祖母に宛てて出した手紙が出てきたと伝えると、泣き出してしまった。なんで言ってしまったのかわからなかった。
それから、もう半年以上祖母には会っていない。最近、祖母は元気だそうだ。
Idletalk第6号(1999.11)所収
この後、2001年に祖母は亡くなりました。結局、亡骸になるまで、会う事はできませんでした。
このテキストは、カメラトーク友の会から引用したものです。

未だ見ぬ収穫の日、適切な距離、虫の克服(1999)

園芸は愛に始まり愛に終わる。しかし、その愛が足りないのか、愛の注ぎ方が中途半端なのか。なんぼ収穫の時期や開花の時期がこようとダメなものはダメなのだ。
今を遡ること一年前の春、とある友人に請われてアトリエの庭掃除と庭づくりを共同でやることになった。それで意気揚々と土から種、手袋から草引き鎌、はては石灰に至るまでを買い込んで30平米はあろう庭を隅々まで友人と掘り返し、種を蒔き、そして苗を植え込んだ。

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