10月24日、神山町にアーティストインレジデンスの現場を見に行った帰り(これもいつか書きます)、徳島市で何か飯屋はないかとウロウロ。
しかし徳島、夜だというのにひとけもなく、若い人もどこにもおらず、飯屋的にも「徳島ラーメン」以外には特に何も琴線に引っかかるものがなく、正直「なんだこの町は」状態。この直前の金曜から土曜は高松、土曜夜には松山にも行っていたので、はからずも四国四都を同時期に見ることができたわけですが、徳島のこの寂れようはちょっと異常。

商店街は死滅状態で、やや賑やかなのは駅前だけ。高知や高松(32万人)と比べて徳島がそんなに小さいというわけでもない(28万)んだけど、どうしたことなんでしょう。やはり徳島人は高速バスで神戸や大阪に買い物に行くというけど、そういうことなんかなこの惨状は。
まあそんなこんなで相当ブルーになってしまっていたわけですよ。そして、いそいそと駐車場へ踵を返しておったわけですよ。
ところがですね、駐車場まであと1分というところで、ひとけのないアーケードからふと横路地を見ると「きよ」と記された黄色い看板が目に入りました。取り扱っている品は「お茶漬け」。近づいて行くと、中から常連客と思しき人たちの声が。むー、これは入りたい!!!  茶漬け屋。その存在自体が謎すぎる。
しばし店の前で連れと悩み込み、何度も離れようとしたんだけど、やっぱり気になる。
最後は意を決し、扉をガラリ。
おお。おばあちゃんちやん!!!!
狭い店内にはカウンターがあり、そのまわりに6席程度。そこに40代くらいのおんちゃんと80代のおじいちゃんが。カウンターの中には小さいおばあちゃんが。
まずは怪訝そうな顔で見られます。そらそうですわいな、たぶんこういう店はなかなか一見で入ってこないだろうし。
着席。しかしメニューはない。あるのはカウンターに並べられたお惣菜。たぶんこれを取るんだろうけど、よくわからない。おばあちゃんがどうしますか?というけどわからないので、思わず「システムがわからん」と呟いてしまう。少しおばあちゃんの顔が緩んだような気がした。
システムは、お茶漬け各種と、好きな惣菜を盛りつけるもの。あとは適当。そんな感じ。
茶漬けは普通。だけどこれは酔い覚めとかに食べるとすごいおいしそう。そして、なんか島根の家に帰ってきたような感じ。惣菜。これはうまい。蕗やら肉じゃがやら魚やら色々あるんだけど、いちいちうまい。それも、おばあちゃんの味ですよ。連れと完全に静かなる興奮モード。入って良かった。徳島の評がが少し上がった。
一服タイム。お隣は80代のおじいちゃん。聞けば昔は零戦のパイロットで、病気をして休んでいるうちに終戦になったのだという。そして、いまは映画館の社長を引いて、悠々自適に奥さんと暮らしているのだとか。そこで聞いたのは、戦後間もなくお見合いで知り合った妻との初夜の話(今と違いエッチに関する情報もないので仕方がわからないとか、バラックの家で隣室の親が普段はかかない「いびき」をかいているすぐ横でやらないといけんかったとか・・・)、零戦とグラマン戦闘機の装甲の違い(零戦は装甲が薄く、グラマンは厚い。日本は兵隊を何とも思っていなくて、アメリカはそうではなかった)、今の若者の根性のなさ、小泉首相への賛辞、中国や韓国との歴史問題についてなどなど。
特に中国や韓国への反応は、やはり戦争時代を越えてきたからかきわめて強い蔑視感があって、それはそれで興味深かった。というか、正直驚き。おいらは中韓とは仲良くするべきだと思うし、いずれの国にもそれぞれ正すべき点があると思っているんだけど(まずは何をおいても日本からだけど)、そんな考えはおじいちゃんからすれば「平和ボケ」なのかも。やはりこうした実際に戦争をした(仕掛けた、仕掛けられた)世代では、60年前に持った感情や感覚は消しがたいのだろう。・・・そして、これがある限り、中韓日はどこかで融和できないのかも知れない。
しかし、ふらっと入ったにもかかわらず気がつけば約2時間、そんな感じで面白い話をたくさん聞けた。そして、ちょっと徳島が好きになった。やっぱどんな町に行くのでも「人と会わないとね」。それが結論ですじゃ。
きよ
徳島市かごや町 53-2215