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マッチのあった頃、街は元気であった。

昭和40年代から50年代。
あの頃、高知の街は元気でした。

私たちの手元には、当時の街の姿を偲ぶことのできるたくさんのマッチが残されました。
喫茶店、クラブ、スナック、キャバレー、居酒屋、ソバ屋、料亭・・・
いまも残る店はわずかですが、
数多の商いがこの街の活気を支えていたことを、
私たちはこれらのマッチから知ることができます。

ひとつひとつのマッチの向こう側には、たくさんの物語があったはずです。
いかにも小さい店構えであったであろうスタンドで、
いつまでも管を巻く酔客に手を焼く女将。
まだまだ海外が遠かった時代、ヨーロッパへの憧れいっぱいの店名をつけたマスター。
喫茶店で、バーで、毎夜繰り返されるたくさんの恋愛沙汰や事件の数々。

マッチのデザインには、その時代の流行りや技術も凝縮されています。
横尾忠則風デザインのマッチ、その名もよど号というバーのマッチ、
まだまだ珍しかった炊飯器をイチオシする電器店のマッチ。
いまや「禁煙」が時代の流れになってしまったなかで、
もはやマッチ自体が時代の遺産とでもいうべきものになってしまいましたが、
使われずに大切に残されてきたマッチは、
この街が過ごしてきた時代をそのまま私たちに伝えてくれるのです。

TACOの締めとなりそうな一冊「マッチと街」改め「マッチのあった頃、街は元気であった。」。
この製作が2014年6月刊行に向けて本日より本格スタートしてしまった。

この本は、2年くらい前にgraffitiで好評開催された「マッチと街」展で蒐集したマッチを中心に、昭和40年代〜50年代のマッチのデザインを一覧することのできる一冊としようとするもの。

作業的にはもう1年以上前からスキャンはしてもらっていたのだが、なんとなく腰が重くて放置プレーを続けてきた。
しかしgraffitiのシノッチが「マッチ本をつくりとうてしかたがないがよ」と言い続けるので、もーこれは限界だということで取りかかることに。

マッチ総数700近く、画像点数1500点のコンタクトシートを眺めつつ整理しつつ、なんだかんだと2週間近くアタマと時間を取られながら256Pの台割を作成。
まー8Pだろうが16Pだろうが32Pだろうが、本を作る時に一番楽しいのはこの台割の作成だ。
編集脳とデザイン脳をいったりきたりしつつ、面白い流れを作りながら面白くデザインできそうな方向性を考える。台割を考えるのはとにかくなんかアタマが破裂しそうに一杯になるので、この期間はパソコン環境を遮断できる喫茶店(主にメフィストフェレス)とかで一服→台割→珈琲→台割→週刊ポスト→一服→・・・の順番で作業を行う。
今回の場合は、全てのマッチに実際に目を再度通しながらデザインしたり撮影したり取材したりもしないといけなさそうなので、工程の計画もなかなか面倒で、果たしてどうなることやら。

ちなみに8月にはA5版16Pのフリーペーパーに衣替えする「OBIBURA第3号」、9月には高知県立美術館の「塩田千春ーありがとうの手紙」のドキュメント本、11月に「OBIBURA MAP2013」「旅たび高知第11号」も発行。しばし編集+デザイン系が今年後半は一気に増えるわけで、楽しみであり、、、恐くもあり・・・・