人々は、東京へ向かう。

◇高知に戻ってもう10年。そのあいだに、結構たくさんのまわりの人々が、高知を去って東京へ向かって行った。出て行った人々の多くは帰ってくることなく、もしかすると帰る機会も失ったまま、東京で暮らしている。
東京という場所に暮らすことは、何かを得ることにつながるはずだ。高知のような生ぬるい街では得られがたい経験やつながりが東京では得られるはずだ。しかし、なぜかそういうことを思う友達たちの口からは、意外とその他の都市や国のことを聞くことがない。
大都市だけで考えても、おそらく東京と大阪では学ぶことは見ることは全く違う。京大・阪大・神大の学生が、おいらの知る限り見事なまでに性格が違うように、京都・大阪・神戸の三都もまた違う。札幌や福岡、名古屋も、それぞれ九州、北海道といった地域を束ねる大都市ということもあり、関東関西の大都市よりもどこか深い、変な濃密さがある。そして、それぞれの都市が東京とは全く違う経験を与えてくれるだろうな、と思う。
だけど、この10年の間に、そんな東京以外の大都市を選んだ人は誰もいない。まあ関西は東京一人勝ち時代の構造不況に喘ぎ続けているから、行かないほうがまともなのかも知れないけれど、一人ぐらいそういう人がいてもいいものなのに、少なくともおいらのまわりではみかけない。

◇東京は甘酸っぱい。「東京で暮らす」というだけで、何か自分が大きく変わることができるような、そんな甘美な響きがある。だけど、正直いってそんなに事情は甘くはない。多少は物事の見方が広がるであろうにせよ(たぶんそれはどこに住んでもそうだ)、高知にいようと東京にいようと、その人自身は案外「東京へ行く前」といつまでも同じ悩みを抱えたままであったり、「東京で見るもの・知るもの」の楽しさの呪縛にハマってしまい、高知がやがて「見るもの・知るもの」がないところに思えだす。
東京が楽しいのは、与えられるからなのだ。いつでもどこかで何かが起きていて、与えられることでお腹が一杯になってしまう。イオンモールを歩いているとついつい買い物がしたくなる(?)ように、目の前にたくさんの餌がぶらさがっているから、単純にいって楽しい。目の前の餌が不味ければ次の餌が隣にある。その点でいえば、高知はそんなに餌が並んでいない。探さなければ餌にありつけない。「見るもの・知るもの」は、「見に行くもの・知りにいくもの」になる。

◇高知をはじめとする地方に、それほど「見るべきもの・知るべきもの」が少ないとは思えない。むしろ、東京は単なる坩堝、美味しい野菜やフルーツを掻き混ぜすぎて一体何が入っているのかさっぱりわからんミックスジュースのような感じがする。美味しいけれど、なんなのかよくわからない。
しかし、時代はミックスジュースなのだ。ハリウッドがアメリカ政府の御用映画を作るのと同じように、日本のメディアは東京の御用番組をせっせとつくりだす。地方の民も、できれば地元素材のぶっ濃いジュースを飲みたいけれど、とりあえず安くて美味しく飲みやすいミックスジュースについつい手が伸びてしまう。他所の町のジュースにはなかなかありつけない。
そして、地デジ導入で疲弊した地方局は、広告収入の減少もあってますます地産地消ジュースを作る力を失い、この傾向はますます強くなっていく模様。数十年後、地方局という存在はなくなって、「地方らしいニュース」を東京から“流してもらう”ためのキー局の支店になっているかも知れない。
90年代まで、テレビ番組では関西制作の番組が結構あって、それはもう面白かった。特に90年代中盤のEXテレビ(日本テレビ)は、週5日の放送日中2日間が関西制作の「EX OSAKA」で、とことん東京に対抗意識を燃やす上岡龍太郎や紳介がそれまでのテレビの常識をぶち壊す企画をどんどん立てていた。その勢いは三宅裕司が司会で進めるトレンドや時事情報をアーカイブする「EX TOKYO」を遥かに凌ぎ、いまでもEX OSAKAから派生した番組として「行列のできる法律相談所」や「なんでも鑑定団(テレビ東京)」が残っているほどだ。
だけど今、関西制作の番組はずいぶん少なくなったようだ。ワイドショーで「情報ライブ ミネ屋」が急速に勢力を伸ばしているほか、目立つのはEXテレビの影響を何となく感じる「たかじんのそこまで言って委員会」や「M-1グランプリ」などほんのわずか。関西が一番勝負できる価値であったはずのお笑いも、東京式の1-2分の短くて分かりやすい「効率的な」ネタしかやらせてもらえないから、ダウンタウンや中川家のような本物の芸人が育たなくなってしまった。また、雛壇芸人が重宝されるように、やっぱりここでもミックスジュース化がすすんでいる。「EX OSAKA」のような地産地消なぶっ濃い番組は、もはや受けないのか、やらせてもらえないのか。
テレビ以外にも本社機能の流出など大阪の地盤沈下はよく喧伝される。このことがますます「東京へ行きたいの」症候群を加速させているような気がする。「東京」を考える手前で、同列で比較できる対象物がなくなってしまったというか。

◇東京とは、そう思うと進行した農耕民族型社会というか、はたまた進化した社会主義型社会のように思えて来る。どこかへ何かを探しに行く前に、目の前の集約化された畑で収穫できたものを食べられる。必要(そう)なものは与えてくれるし、特に考えたり動かなくても、一応飢えることはそうそうない。むしろ、お腹が一杯。EX TOKYOは、その点で典型的な番組だった。
で、田舎は逆。自分で何かを探さなければ面白くない。目の前にあるのはホントの畑で、情報の畑はないから、とりあえず狩りに出かけないといけない。必要なものは探さないとみつからないし、そうしないとつまらなくて仕方がない。不満がたまってお腹が一杯になる一方。仕事量の面でも同様で、失業率だけで考えると帰って来るのは二の足を踏んでしまう。その点で、EX OSAKAは、そこをどう楽しむか・切り開くかに命を張っていた番組だったし、良心的なブログやタウン誌はそういうことを探し回っているような気がする。
なぜ東京へ出た人が帰って来れないかというと、いったん農耕民族社会に慣れてしまうと、そこでわざわざ狩猟民族に戻ろうとしても、そこで必要な技術や生き方がずいぶんと異なるからじゃないかと思う。逆に、わざわざ東京を捨てて高知へやってくる人もたまにいるけれど、そういう人たちの東京時代の生活を聞いていると、狩猟する必要がそれほどない東京型社会に鬱憤がたまっている「自分で探したほうがおもしろいや」な猟師タイプが多いようだ。
東京へ出て行った人々の一人でも帰って来ていたら、たぶんこんなことは思わないんだろうなあ。だけど、現実に一人も帰ってこないというのは、しと悲しい。まあ、実際に求人がないから帰れない、とも聞く。それも大きいね・・・と言いたくもなるけど、じゃあなぜわざわざ東京から高知へ来て仕事にフツーに就いている人がいるの???と思ってしまうわけで。結局はその人次第、ということか。