土佐電鉄の社員さんが、沿線の住宅に全社をあげて営業に出ているという。

沿線人口は減っているわけではないだろうし様々な努力もしているわけなんだけど、それでも乗降客は年々減り続けているのが現状で、営業職も役員さんも労組も関係なく回っているのだそうだ。

土電が〝どぶ板営業〟

午後の住宅街。土佐電鉄(高知市桟橋通4丁目)の取締役や労働組合の委員長、社員らが一軒一軒、民家を回っていた。「土電です、電車に乗ってください」―。利用客が減り続ける中、10月から始めた戸別営業だ。1904(明治37)年の開業以来、初の〝どぶ板営業〟だという。

で、こういう話題に接すると、ブログ書きの一人として「頑張ってトデン!みんなも乗ろうや」的なこととか言ってみたくもなるわけだけど、

ブログで記事をアップしました

→しばらくは「私も乗りました。いいものですね」なんてゆーコメントが付いて

→1か月もたてば乗らなくなる、てか忘れる

ようになるのが当然なオチなわけで、こういうところにテレビや雑誌、新聞はもちろんのこと、ブログやtwitterがマーケティング手段として有効に働く飲食や小売と決定的に異なる公共交通の難しさがあるねえと改めて思う。

結局公共交通は「移動」のための手段であって「目的」ではない。「移動」の先に「目的」が設定できれば当然良いわけだけど、その「目的」も商店街が衰退しビジネス街も分散している高知ではなかなか絞りきれない。

「トデンに乗ろう」というキャンペーンを振るっても、ただ乗るだけになっちゃうから当然その行為は続かないわけで、町全体の構造や公共交通全体の枠組みが変わらなければ現実に乗る機会が増えることになんかならない。

蓮舫が大ナタを振るう流れの中で公共交通関連の補助が減額なんていうことになれば、高速無料化で打つ手が無くなるJR四国と共にトデンが数年以内に無くなるなんてことも絵空事じゃないような気がする。

で、悲しいかな、今現在の問題として土電が無くなって超不便という人は少ないのかも知れないけれど、バスやJRがそうであるように、土電が無くなって困るという人は確実に存在する。

で、なぜ使われないかというと不便だからであって、なんで不便かというと公共交通の連続性が高知には全くないからに他ならない。

まだレポートをよう書いてないけど、人口20万人足らずのドイツの小さな町では公共交通が異常なまでに充実していた。よく知られるフライブルグはもちろん、フランクルフルト近郊のマインツでも、いずれも公営のトラムやバスが元気に走っていた。

フライブルグでは5本のトラム線が市内を軸に東西南北に走り、その末端にバス路線が設定されている。そして、ヨーロッパでは標準という信用乗車制で、乗りたい人は車内の自販機などでチケットを買って自分で刻印をし、改札も何もなしで乗り降りする。トラムとバスの乗換でチケットを買い替える必要もなく(パリのメトロも同じ)、5人まで使える一日乗車券や各種回数券も充実していた。

フライブルグの公共交通は赤字だが、その他の市民へのサービスと同列で公共交通が位置づけられているのだろうか、様々な経営改善策を打たれながら徐々に数値も良くなっていると聞いた。

まあこれと同じことは高知ではできない。県庁にそこまでやる予算と気概はなさそうだし、高知市からそういう話を聞いたこともない。トデンと県交通も仲があまりよろしくない印象があるし、なによりかにより、公共交通へ投資なんかすると県民が黙っていそうにないのもある。

ヤレ東には高速がないだの、うちの前の道は狭いだのなんだかんだ。全くもって東には高速がないしうちの前の道は狭いのはそうなんだろうけど、高知市近辺の活力が無くなれば高知県全体の活力も確実に削がれるのもまた高知県の現実だ。平等にってのもまあ分かるけど、その平等のレベルを維持するためにも中央部の政策は勘案されるべきなように思う。

中心部の公共交通の整備は都市居住の快適性を上げて行くこと、観光客の流動性を高めることにつながる。全県人口の半分がいる高知市の衰退は高知県の衰退にそのままつながる。こう書くと東京と地方の関係になぞらえられそうだけど、高知市と高知県の関係は東京・神奈川と千葉・埼玉や山梨あたりの関係に近い。東京と高知の関係とは全然違う。

高知の町は、かつて電車通りを軸にした東西に細長い形から北環状線や各バイパスを軸としたまさに典型的なドーナツ型の町の形になってしまっている。最近でこそ都心回帰の流れが出て来て善くも悪くも街中にマンションが目立ち始めたが、まだまだ外部ドーナツの圧力は強い。

現段階で一番理想的なのは、複雑怪奇な経路ばかりのバス路線を整理して南北系統と東西系統、循環系統に整理して、トデンやJRとの接続を良くすることだけど、おそらくこれだと「確実に収支改善」するかどうかわからない賭けになるので、特にバス会社が反対しそうだ。傍目に見る分に
は、今よりは売上げ上がると思うんだけどねえ。

んで。

たとえばデザインとか編集の仕事をしていると、まずターゲットって誰なんだ?ってのを設定する。で、できるだけその人の立場にたって物事を考えることから作業に入る。その人が喜びそうなこと、楽しんでくれそうなこと、来てくれそうなことを言葉にし形にし、チラシなら置く場所を設定し、部数を考えて行く。で、うまくいくときもあればハズスときもあるわけだけど、今の公共交通政策にこういう感じがあるかというと無いような気がするわけです。

で、このターゲットが現在の公共交通では「今使ってくれてる利用者」にのみあるっぽい。しかも、安全パイ的になんかそうなってる感じ。

だけど、それでしばらくやってきたけど、冒頭のトデンがそうであるように乗客の減少に全く歯止めがかからない。たぶんバスも似たようなところかと。つまり、これまでの既存顧客を少なくとも離さないための安全パイ戦略ではもううまくいかない。既存利用者はお年寄りがメインで、当然これから減り続けて行くわけだから当たり前の話で、だからこそトデンの社員さんが動き出した。

掴むべきはまず沿線住民。個別訪問されて時刻表を配ってくれたら、何もしないより絶対お客さんは増えるはずだ。

でも、もちろんこれだけだと弱い。トデンが走る沿線はかつての中心部=高齢エリアだから、やがては放置しておけばまた衰退する恐れがある。

だとすれば、かつての阪急の真逆で、郊外団地に住む人々を街中に誘導する戦略も持つべきだと思う。中心部でのマンションや団地開発に投資できなくても、たとえばそのマンションに路線図や時刻表を貼るとか、無理だろうけど「ですか」のチャージャーを設置するとか、はたまたチャリアンドライドができるように沿線の空き屋や空き地を借りてほんの少しでもいいからチャリ置き場を設けてその利用権を家賃に含む形でサービスしてもらう。要はマンションの付加価値としてできそうなことならなんでもする。そういう形で、自動車が当たり前になってる郊外団地暮らしの団塊世代を街中に(あと数年すれば車にも乗れなくなるかもと)引き込むことを狙う。

観光客向けにも、今日の新聞に高速バスに190円分の初乗り運賃を付加することがでていたけど、幸いにも主な観光地的なものはトデン沿線にほとんど固まっているから、たとえば日曜市を楽しむにも蓮池町通から入ってお城まで行って高知城前からまた乗って戻るとか次に行くとか、そんな使い方の提案ができるはず。190円といわず500円チケットをプレミア付けて売ってもいいんじゃないだろうかね(東京線なら12000のところ12400円で一日乗り放題とかにしたらいいんでないかと)。

アレですよ、東京モノレールの切符を関空や千歳だったかで買えるのと同じで、先取りチケットにしちゃえば、少なくとも全然乗ってくれない今よりははるかにいい。

で、そんなことを考えだすと、さいさいこのブログでも百足館でも書いていた路線図っしょやっぱってことになる。高知はバス停に行っても路線図がないところがほとんどだけど、これじゃあ観光客や新しい客を断っているようなもの。新しく利用を考える人間からすれば、「どこ走ってんのかわからん」バスには乗りたくない。

パリではメトロの路線図グッズがオシャレーにな形で売られていた。まあそんなことにはならんにしても、路線図があるかないかで全然使われ方は変わる。たぶん路線が複雑すぎたり事業者の調整が難しかったり余りにも大変すぎるってのがあるんだろうけど、これをやらなければバスはホントに乗る機会・・・てゆか自信がないですよ。

バスに乗る時、まるでヨソの町でバスに乗るのと同じような緊張感を強いられますからね、高知では。

あと、やっぱ路線番号。路線図作る時に作ってしまえばそれで終わり。できれば、路線整理もしてからの方がいいですけどね。