まさに雑考、「課題」という奴。

仕事を増やすか守るかするために、「課題」といわれる奴はうまれるのかも知れない。

さすがにやりすぎでしょという暴対法にしても、突然降ってわいてきた自転車は車道レーン走りなさいってやつも、地震が70%くるかもよってやつも、副流煙が怖いから禁煙しろ肺がんになるわと五月蠅いあれにしても、アーケードで何かやろうとしてもここからここまではダメだから◎▼×※・・・!っていう警察から横槍にしても、あちこちで生まれる条例とか規制ってやつも、一部の人にとっては不愉快で仕方が無かったり現実に問題があったり不安だったり不条理だったりしたとしても、それが当然全員ではないということは抜きにしてまるでそれが真理であるかのように物事が動くさまを最近よく目にするのだ。ライブドアはダメだけどオリンパスはギリとかいうのも、イランはダメだけどイスラエルはOKでしょとか、そんなんも実際には経済界にとって何かを守ったりするためだったりそんなことだろうから、実際には同じコトなのかも知れない。

まあこういうことは会社を興したりプロジェクトを興したりする場合にも、あっちは「これが課題です!」といい、こっちは「そんなんどうでもいい」とかいう話にもなるし、それぞれがそれぞれの仕事や取り組みのためにそれぞれの課題を見つけて課題解決のために動いているわけだからまあ似たようなことなわけだけど、これが条例とか規制っていうことになってくると、なんというかどこまでこうしてそんな関係のない人たちのための仕事づくりをせないかんのだとどこかで思ってしまうわけで。

会社やプロジェクトである限り、それがやたらと政治色を帯びたりマスコミ使いがやたらとうまくない限り、ある程度は無関係を装うことはできる。だけど、条例やらなんやらになるとそうはいかない。しかもそれが自転車レーンは車道だけど決してそうともいえませんわみたいなグレーゾーンの話だったりすると、チャリで動いているこちらにとってはただただ怖いっていうだけの話で、ドイツ並みにチャリ道整備してから言えやと言いたいけど言う先もないしと。警察と道路屋さんと保険屋さんは仕事が増えるけど、それ以外はあんまり増えそうにないし。

地震70%とかの数字遊びも、それが経済や社会を壊す可能性があることを別に考えずに、学者が自分たちの縄張りを争うために醜い姿を晒しているだけのように思えるわけで(突っ走った東大に京大がツッコミを入れて、東大がなんとか誤魔化そうとしている←今ここ)、良心的な地震学者にとってはたぶん相当迷惑な話だろーしと。

こういう風に雁字搦めになっていった後、これが壊れるのはどういう時なんだろう。戦争に負けたらガラガラポンになることは知っているけど、もし勝ったりしたらどうなるのかよく知らない。災害が起きて変わるかというと、この1年で変わるとか言われながら別にここらへんは特に変わらなかった。そーなると維新的な刷新とかいうことになってくるけど、まあこれも民主主義の姿なんか誰もよく分からないのでどうにもならん。まあそこらへんを少しでも手直ししてくれと政権交代に期待していたのも数日で果ててしまったし。

これから人口がヒタヒタと減っていくなかで、まるでSMのように縛られた荒縄がさらにきつく感じられるようになったりしそうで、なんというか、いやな感じだねえ、という小咄。

MEGA QUAKEがきたらば。

しばらく書いていなくて、久しぶりに文章を書き出すととまらない。書きたい欲が堰を切る。で、また欲が空っぽになったらしばらく書かなくなる。毎日ブログを書き続ける人々のその文章欲たるや、なんとすごいことかと思う。日々ネタを探していなければ書けなくなるのではないか、書かないと寝付けなくなるのではないか、はたまた書くために日々を生きなければならなくなるのではないかと少々余計な詮索をしてしまう。

今から5-6年前は、毎日のように書いていた。まだその頃は安穏とした会社員だったし、何を書いても別に良いような感じがしていた。ブラックな話ややや攻撃的な話でも、書きたいから書くというような姿勢で書いていた。守られてるのってすごいと。

だけど、自営業を始めるとそうもいかなくなった。なんとなく、書きづらい。かつてと違い、文章や写真、思ったことといったネタは、仕事と完全に表裏一体のモノになってしまったし、あまりこっちでそういうのを出し過ぎると仕事でやることがなくなってしまう、そんな問題が発生してしまった。また、日々思うことでオイオイと思うことは数あれど、それに関わる人を知っていたりすると当然書きにくい。大人はそんなこと書いたりしないもんだと言われることもあるけれど、そういう議論や討論がなくてなんでもかんでも伸介みたいに「ステキやん」で収めるからいろんなことがフニャポコンなんだとイライラしたりもする。

まあなんにせよ、婉曲して書くのもなんかつまらんし、文章を書いて余計なストレスを抱えるのなんてゴメンこうむりたい。ましてや、オイオイと思う先が取引先とかだったりすると当然さらに面倒。だからそういう文章はすっかり書けなくなってしまった。裏ログでもやりゃいいんだけど、文体で多分ばれるだろうし結局やることもできない。facebookあたりをそんな使い方にしようかなと思ったこともあったけど、それ以上に友達申請が多いのでそれも無理になっちまった。

さらに、たまに人からたまに書かれてますよね、たまに読んでますよ的な振りをされると、やっぱ人として悪い気はしないのでまた書こうと思うのだけど、そういう理由ではまた文章欲が高まっているわけではないので(単にその人にいい顔をしたいだけだ、しかもその人がまたすぐここに来るかといえばそうでもないし)、結局書きかけの文章だけが溜まっていくことになる。

だから、人のブログもすっかり見なくなった。なんか、自由に書けてる人が羨ましく思ってしまいそうで、また下手をすればオイオイとか思い出しちゃったりもしそうで、ほとんど読んでない。つくづく面倒な人間性だなんて思いつつ、我慢するためにBLOGOSあたりを読みに行くと、こっちはこっちで平気で誤字脱字だらけの文章があちこちに。1個2個の誤字脱字ならともかく、推敲してないからなのかいいまつがいのオンパレード。日本語って確実に崩れだしてるよななんてこっちでも思い出したら、これはこれで一エントリー書けそうだなんてことを思い出す。

で、自由に最近やってんなと思うのが(一部の)地震学者。関東直下M7クラスが4年以内に70%とか、東海〜南海〜日向灘大連動M9.0-9.2とか、三陸沖アウターライズ地震とか北海道沖〜青森沖M9が近いとか房総がやばいとか富士山がやばいとか、それはもう雨後の竹の子のごとくで、阪神大震災以来素人なりに地震のことを勉強してきた中で「聞いたことのなかった話」が次から次へと出てきている。

しかしなんというか、1年前まで「日本ではM9はない」としていたはずなのに、一回「想定外」で起きた途端に「日本全国太平洋岸ならどこでもM9がきますよ、しかもどこも逼迫度高いですよ」に変わるのは、なんというか、ちょっと信用ができなくなってしまう。こないだの東大地震研究所の関東直下M7-4年以内70%説も、その元PDFを見に行くと去年9月までの余震レベルが今後も続いた場合の話で、それから以後の4ヶ月間の余震の逓減は反映されていない。なんで今発表したのかなと素直に思ってしまうし、なんか田中宇的な見立てで裏があるんじゃないかと思ってしまう。だいたい「関東直下」でM7なら元々いつでもあり得る話で、それが曖昧な状態で発表に至るのもちょっとわかりにくい。なんにせよ、最近の「逼迫」学説はどれもこれも雑誌「ニュートン」みたいな話じゃねえかとついつい思ってしまうのだ。

なんかここまで「想定外」レベルの地震が「逼迫」してるよということになると、これはもうもしかしたらかつて「東海地震予知」じゃないと国の予算がつかなかったけど、今後は「連動」「M9」でないと予算がつかないようになったのではないか、なんていうことを思ってしまう。そして、そこには「想定外」が「標準」になることでもたらされる経済や社会の混乱ってものがあまり想定されていないようにも思える。

おそらく今年の春くらいに出るであろう超巨大型南海地震での津波想定は、高知県にとってかなり厳しいものになるんじゃないかと思う。津波は今の倍とか1.5倍とかになるだろうから、沿岸部はすべからく三陸の諸都市以上の被害を受ける想定になるだろうし、高知市も2mの沈降では済まない話になるだろうから、もしかすると紀貫之の時代のように浦戸湾が大きく市内にまで広がってしまうようなことになるかも知れない。

 

だいたい高知平野はもともと1000年たらずの歴史しかない。紀貫之がウダウダと言いながら土佐を後にした頃、浦戸湾は福井まで広がっていて愛宕山(中津)や小津のあたりは港だった。それからたった600年後の江戸時代にはほぼ今の浦戸湾の湾形ができているから、600年で浦戸湾7河川がこの平野を土砂で埋めたという話になる。たった600年で埋まるのか?というのもよくわからない(一方で少なくとも100年おきに高知平野あたりは1-2m沈降するはずなわけで)が、3m以上沈めばこんな感じに再び戻ってしまう可能性もなきにしもあらずだろう。そもそも、もしかするとこの地形もいずれかの南海地震で受けた爪痕のすがたかも知れない。

で、春に出る想定はこんな紀貫之時代ほどひどく無いかも知れないけれど、これまでの宝永安政級をベースにしていた想定よりは遙かにひどくなるだろう。これまではどちらかというと西部が大被害という感じだったのが、震源域が西に北へ南へと広がっていくことで安芸や奈半利などの東部諸都市の被害も大きく出るだろうし、土佐湾の扇のど真ん中の高知平野はちょうど仙台平野がそうだったようにこれまでの想定よりもずっと奥深くまで津波がやってくる羽目になる。震源域自体、四国全域という設定に変わるかも知れないから、高知平野や高岡、須崎あたりはこれまでの設定よりもさらに沈んでしまうだろうし、室戸や足摺はさらに上がって港が使い物にならなくなるという想定になるかも知れない。大阪や名古屋もしかり。

そうなったらどうなるか。「想定外」クラスを想定することは決して否定できるものではないけれど、それを基準にしはじめるともう日本の太平洋岸の都市部なんて使い物にならなくなるんじゃないか。事務所の物件探しをしていた時、高知市下知の物件が急激に値を下げていることがわかったけれど、高知なんて地震が来る前に亡所になるんじゃないか。

もう二度と想定外と言いたくない意地はあると思うし、実際大連動したと思しき証拠も次から次へと出てきているし、上の図のように高知がなる日のことも想定しないといけないのかも知れない。その時は、その日が来るまでの命と思って生きるしかないのかとも思ってしまう。でも、そんな切ない生き方は正直イヤだ。

最大級の想定は想定以上に社会を壊す可能性だってある。素直に考えれば、20-30年以内にこんなことに(確実に)なるのなら、高知や大阪、名古屋あたりではもう何もできない。投資なんてもってのほか、住むことなんて怖くてありえない。でも、その確率は○%と当然ながら曖昧だ。

というわけで、高知の未来がどうのこうのと考えるとき、一番目の前の、手前にある心配が、この新しく出されるであろう津波想定、というお話。高台に引っ越しした方がいいんかな。

 

山の町は優しくて恥ずかしがり屋な人が多いのだ。

3ヶ月に一度やってくる土佐電鉄のバス車内誌「旅たび高知」のしごと。
むろん色々な制約はあるけれど、比較的自由に自分色を出すことが(なんとなく許されているのか)やらせてもらえるこの仕事が大好きだ。 そして、この冊子の文章を書くことになる少し前の時期になると、文章慣れしようと身体がしだすのか、このブログやtwitterあたりでも少しだけエントリーが増えるようだ。

さて、来月3月1日からバスや銀座のアンテナショップ、空港あたりで配り始める第五号の取材が先週からワタワタとはじまって、先週は3日連続で嶺北へと通い詰めた。来週もたぶん一泊の予定で最後の取材をかける。どうしても冬場なだけに撮影できるものも限られてしまうのが残念なところで、いつもの号よりはやや力を入れにくいのだけど、それでもいろんな人と次から次へとバトンタッチするように出会えるので楽しい。

これまでの号では、室戸や須崎・中土佐などに重点をあてた特集を編成してきた。それでよーくわかるのが、その土地土地ごとの人々の性質の違いだ。室戸は基本みんなぶっきらぼうだけど、蓋を開けてみれば(もしくは酔っ払ってみれば)かわいらしいおんちゃんやおばちゃんがいた。曇りの日が多いけど、晴れたらとことん晴れる。メシは基本魚で、水は酒。そんな感じ。
須崎・中土佐は、イメージ的には開けっぴろげに見えるけど、意外ととっつきにくい感じがすることが多くて、室戸とはまた違う港町人の個性が垣間見えたりした。取材がしやすいようでしにくいというか、恥ずかしがり成分がそのままぶっきら成分に転化していってるような、そんな感じを受けることが多かった。むろんそれがイヤな感じだとかいうのではなくて、それがまた港町らしくて、とてもいい。

そして今回の嶺北。ここはみんな冗談が好きな感じがする。表向きあまり相手にしてくれなさそうだけど、ちょっと話をすれば途端に冗談を言い出すような、しかもなかなか家路につかせてくれないような人なつっこさに溢れている。一方で、顔写真を撮ろうとすると半分以上の確率で彼方此方に身体をぶつけながらでも逃げ出して、モデル代をもらわんといかんきほらwと男女問わずに撮られ逃げ口上を語る。・・・これは、恥ずかしがり屋でソロバン勘定をきちんとしているということか?
そして、男にはたまらない、豊かな食。土佐赤牛や黒牛など畜産の地域だけあって、肉がやたらとうまくて安くて、どこの店もボリュームがあって、大阪のお好み焼き屋のソースが店毎家毎の個性を競い合うように多くの店が「秘伝のタレ」を持っていることをさりげに自慢してくれる。

これはちょっと自分には意外な発見。取材に入るまで、嶺北は高知の中では数少ない、何もないところだと少し思っていた。きれいな棚田と美味しいお米はあるけれど、なんだかいろんな意味で静かなところだと思い込んでいた。

実際訪ねてみないとわからない。話を聞いてみないとわからない。「取材」という名分があると、こういう楽しみがあるもんだと、この仕事をやるたびに思うのだ。

 

ちなみに上の写真は、本山の商店街にある駄菓子屋さんの80過ぎのおばあちゃん。とっても話し好きのおばあちゃんで、写真を撮りすぎて「私この人嫌いw」と冗談で言われてしまった。いつまでも元気でいてほしい。

旅たび高知

 

 

 

 

 

 

 

なぜこの島で暮らすのか。その答えを求めに、四国の本をつくる。

四国ってのは、なんか変な島で、魅力があるんだかないんだかよくわからないところなのだ。

でもただある種の人を引きつける力はあるようで(まあそれをいえばどこの地方も同じことだ)、九州や北海道とは全然違う色の、なんだか明るいんだか暗いんだかよくわからない、未来があるんだかないんだかもよくわかならい、そんなアンニュイというか、悪く言えば中途半端というか、だけどそんなところがギスギスしちゃった都会の人たちには妙に光って見えてみたり、はたまたただの暗い九州の手前の島扱いになったりと、やっぱりひとことでいえばよくわからない島なのである。

そんな島で、そんな島に暮らす人間たちだけでそんな島のことを本にすることになった。
言い出したのは高松でROOTS BOOKSという事務所をやってる編集者小西さん。2005年に「高松アジト×高知遺産」というイベントを高松でやって以来の飲み仲間。何か四国でやろうと挨拶のように言い続けて6年の仲である。昨年、ついにそれが動き出した。双方ともなぜか「徳島」だけは知り合いが少なくて困っていたところ、ある日突然活動的な徳島の面々が現れてしまい、ついにゴロゴロと唸り始めてしまったわけである。
去年の秋は一回目の顔合わせを高知で、二回目の真面目な編集会議は小松島で開いた。そしてこないだはコアメンバで新宮で小会議。

小松島での話は、どんな言葉がキーワードになるかだった。
高知に限らず、香川徳島愛媛を何度も往復していても思うこととしては、この島には「大したもん」はほとんどないということだ。四国は日本の3%経済といわれるように、また観光客数などの統計をみても、四国はほんとうに普通なのだ。てか、今の日本で考えたら普通以下かも知れない。この島にあるのは、凡庸な普通の暮らしがそこにあるということ。その暮らしの先っぽがちょっと地域性なるものをキラキラさせていて面白いということだ。

暮らしというのは、朝起きて働いてご飯食って仕事をし、買い物に行ってたまに旅して、遊んで酔っ払って寝る、そんなことの繰り返し。
四国に暮らすということは、そんなただの日常の繰り返しを、この島で送るということ。
結果、ふっと出てきた言葉が「生業」だった。「業」を生きる。単にそれがあるからここにいる。

大したもんはない普通の島。なのに、なんでそこにわざわざ生きているのか。たぶん、ここでわざわざ生きているのは、そこに「業」があるからだ。仕事があるからだ。つまり、超単純なことなのだ。 人に仕事があるから、他の人にも仕事がある。社会とは、たぶんそんなことの連鎖でできている。空気が好き、のんびりとした感じが好き、そんな理由でこの島に暮らしている人もいるだろう。だけど、結局遊んで暮らしているわけにはいかない。人は暮らすためには働かないといけない。働くために生きて遊んでいる。

最近は、ちょっとした田舎暮らしブームだ。特に311以降は、東京から田舎への回帰がたぶん戦後初めて真面目に進み始めた。だけど、なんか最近の「田舎」とか「暮らし」という言葉はどことなくフワフワしていて、ちょいと居所がわるい。それはなんでだろうかと思ってみると、結局は都会との繋がりの中でしか生きていけない、そんな感じの田舎に向かうニュアンスがどっかにあるからなんじゃないかと思う。むろんそんな役割を担う人がいてもいいしそれがないと人々の「暮らし」の集合体たる地域は成り立たなくなるわけだけど、そんな人やコトばかりになったらやっぱりそれはそれで気持ちが悪い。そんなんじゃ、都会がダメになったら田舎も道連れで潰れてしまう。でも、なんとなくここんとこの田舎はますますそんな方向に向かってる。311前の状況をひきずりながら、311後を模索している。こないだどーしてもなんか信用ならない東大地震研が東京で4年以内にM7が起きるとか言い出したり(実際には昨年9月までの余震が多い時期までのカウントを元に出した話で、なんとなく情報の正確性が曖昧で眉唾な感じが強くてしかたがない)したけど、東京の消費意欲が失われたら高知なんて一発でダメになっちゃうんじゃないかと心配になる。

実際、土佐和紙プロダクツも去年の3月11日まではそこそこ出るようになっていたのが、11日を境にぱったりと出なくなった。回復には数ヶ月かかり、しかも東京への出荷が中心だった傾向も弱くなった。食品とかじゃない、いわば「暮らしの余裕」部分の商材なので当たり前ではあるんだけど、おいらがやっているような仕事って、結局暮らしの「のりしろ」のような、余裕部分だけを担っている仕事なんだねと思ったもんだった。実際いま一番の不安は、いずれ南海地震がやってきて高知が壊滅的被害を受けたとして、その後に自分の仕事ってあるんだろうかということだ。少なくとも2-3年は用事がなさそうだとすら思う。

話を戻す。東京から田舎への回帰が進むのはいい。ここ20年が60年代と並ぶ東京への集中が進む異常期だっただけだと思う。だけど、その20年の間に、田舎はずいぶんと東京がないと持たない構造になってしまった。都会がないとやっていけない。こと高知は超高齢化県で県土が広いっていうこともあって、都会の儲けで道路を作って貰ってその工事費が回り回ってウチらのおまんまになっているようなもんだ(高知は金がないだなんてとんでもない。自分らの稼いでいる分の3倍近い金を東京や大阪から回して「いただけている」身の丈以上に金がある県だ)。他の四国三県は二次産業が高知ほど酷くないにしても、まあ全国の中でみればドングリの背比べ的なもんだろう(まあ高知は愛媛がクヌギなら高知はシイくらい小さなドングリだけど)。

そんなことを考えていたら、やっぱりこの島に暮らす人々から、理由を聞きたいと思うようになった。カタログをつくりたいということになった。千差万別の、この○があるから仕事がある人、この○があるから仕事を作った人。そんな数多の生業の先に、数多の生きる理由がある。それをまとめたら、なんかフワフワしぎみな四国ってものの、もうちょっとはっきりとした輪郭が見えるのではないかと。

 

 

そしてまた帯屋町に通う日々。OBIBURA MAPとOBIBURA PAPER。

2年前に発行したOBIBURA MAPの2012年版と、帯屋町など中心商店街一帯の「へえ!」情報を探るフリーペーパーの取材と制作が同時進行している。

街を歩いていると、2年前より人が少なくなったとか、そんなことは思わない。思うのは、思ったより若い子が来ているということとか、思ったより新店ができているということ、思ったより店の新陳代謝も進んでいるということ。斜陽が叫ばれつつも、たとえば徳島とか高松あたりの商店街に比べるとまだまだ高知の中心商店街は人口の割には元気なもんだと改めて思う。

が、それでもやっぱり少しずつ斜陽には突き進んでいるようにも思える。これは商店街自身の問題というよりも社会構造の問題だろう。高齢化する都市に合わせていけば当然若い人は離れる。高齢者に合わせていればいずれ街は滅びることになるし、若い人に合わせていては商売にならない。そのギャップの中で、高知のような地方都市の商店街はどっちつかずになりやすくて、なかなか舵取りが難しいんじゃないかと。

しかし、もっと街に来る「用事」が増えないと、やっぱり基本的には厳しいよなとも。買い物の質という意味では、正直郊外のショッピングセンターと商店街に大差はない。昼飯や夜飯もついでに食べるのなら、気軽に安く済ませるつもりならショッピングセンターが手っ取り早いけど、美味しいところはさすがに商店街の方がはるかに多い。最大の問題として指摘されるのは子連れ客への対応や駐車場の有料無料という問題だけど、これも言われるほど大きな問題かというと、実際にはそうでもないように思えてならない。

結局は、街の情報があまりにも流れていない、そのことにつきてるような気がする。昔ならメガネのかどたのように今でも口ずさまれるCMが街発信でたくさんあったけど今はない。新聞やテレビ、タウン誌といった店の情報を報じてくれた媒体も総じて一昔前に比べると影響力を失っている状況の中で、街のどこになにがあって起きているのか、さっぱり分からなくなってしまっている。

また、さらに悪いことにネットを使った商店街からの情報発信量は圧倒的に少なく、結果的にTwitterやらなんやらでも飲み屋とひろめ情報は散々流れるけど街の店情報はほとんど流れない・・・という悪循環。ネットショップで儲けを弾きだしている店も結構ある一方で、ネットでなんぼ検索しても出てこない店があまりにも、圧倒的に多すぎる。スマホが当たり前になってどこでもいつでも新ネタが誰でも拾えるような時代になってきている中で、これはやっぱりちょっと厳しい。wifiも街で飛んでいるわけでは当然なく、モバイルが安心して使える店も少ないから、珈琲でも飲みながら仕事できる店も、やっぱり少ない。

昔通りにブラブラして「買い物するものを探す」買い物スタイルは、もうなかなか流行らない。他の街に旅に出てメシを食うところを探すにも、服屋の位置を探すにも、ネットにそのへんのことが分かる情報がほとんど転がってないという状況では、結局なんにもならないのだ。

また、商店街が「ちいきおこし」とかそういう市民活動的な話、学生の思い出づくり運動になんとなく使われる場面もなんとなく多くて、結局店の情報が流れるというよりも中央公園で何があったとか、そういうことにしかなってないのもまた無念。

それゆえ、過渡的措置として今回のフリーペーパーやMAPの存在価値は出てくるわけだけど、これだってあまりにも一時的なもの。取材に出歩いてみれば、あちこちに面白いものは転がっているし、これは!と思う味や人がゴロゴロとしている。まだまだ見つけられた数は少ないけど、もっと街自身が自信を持って情報を出していかないことには、やっぱり10年先には大変なことになってしまう、そんな気がする。

今日も日が暮れる。

よーやくオープンなのだ。
準備足掛け約1年。ほんまたくさんの人がかかわってできる、新しい場所。

今日は準備の最終日。今日は朝から入ってなんだかんだとイロイロしているうちに、
あっという間に日が暮れてしまった。
この1週間、とにかく日が流れるのが早いこと早いこと。

今日朝から、じつは藁の束をイメージしてつくったアートゾーン藁工倉庫や
シェフと相談しながらボールペンでゴリッと描いた文字をそのままロゴにした土佐バルの看板も本日一式設置。
ポスターケースにも明日から始まる「パリに渡ったニッポンのアール・ブリュット」のポスターを収納。

昨日まではこういう「色気」成分がなかったのでなんとなく淋しげだったけど、
看板が入ると一気に「それらしく」なるのは不思議なところ。
植栽周りの照明とかも入ったのでますます「なんかやってます」感が出てきた。

ゆっくりとでいーので、高知にとってなんとなく必要な、気持ちのいい場所になったらえいのになあと思う。

http://warakoh.com/

ひとりでウロウロするとイロイロ考えてしまう。


今日はなんだか事務所だとなんか眠くてはかどらないので、街で仕事をしようと思い、でかける。
が、その直前にNPO蛸蔵の登記が通ったということで法務局から電話があり、登記簿謄本や印鑑証明を取りに法務局へ。NPOの設立にかかわるのはこれで3つ目になるけど、いつまでたってもこのプロセスは面倒くさい。印鑑を一体いくつ押して、「この写しは原本と相違ないことを証明する」などと原本証明の短文を書いたことか。所轄庁も法務局も細かいところをきちんと指示してくるので、基本細かいことが苦手なおいらはどーしてもイライラするしかない。
まあそれでも、旧法務局に比べると全体的に作業がスムーズになっているようにも思えた。以前は登記部門と申請部門がごっちゃだったのが別々になったりしたからか、なんか待ち時間が短くなったような気がする。

さて、法務局に到着すると、なんだか一階でイカツイ服の男たちがウロウロとしておる。駅ウラに新しく建てられたこの灰色の全くもって魅力のない建物には、税務署と法務局、自衛隊が入っているので、間違いなく自衛隊だ。
どうも自衛隊のイベントかなんかがあるのか、胸にたくさん階級章も付いた服を着用したオジサンたちが忙しなく動いている。ついこないだ坂の上の雲を見たせいか、ちと軍服的なものに興奮する。やっぱ正直かっこいいわ。
最近なにかの記事かで、ガンダムの影響で日本の男子は軍事音痴が多くなっているとあった。普通、子ども時代の男子は戦艦や戦闘機が好きになったり一時期軍事にえらい興味をもつものだが、日本ではガンダムにそれが収斂されてしまうのだとか。
まあほんまかいなという感じの記事だったけど、おいらは超絶ガンダム世代ながらはまったのが小学校4年頃からだったこともあって、どっちかというときちんとその記事でいうところの「軍事に関心持つの道」をしっかりと通過した。
今の自分の思考パターンにもどっか通じるんだが、持っているプラモはほとんどがネームシップではなく二番艦が多かったような記憶がある。確実に作った記憶があるのが、武蔵(大和型の二番艦)、瑞鶴(翔鶴型の二番艦)、陸奥(長門型の二番艦)、矢矧(軽巡洋艦で阿賀野型三番館)。空母をあともう一個くらい作ったような気がするが、これにたくさん零戦や紫電改とかのすごい小さな飛行機を積んだり飛ばしたりして遊んでいた。
んで、その後はロボダッチや宇宙戦艦ヤマトのプラモ道を通り、小5くらいからはガンプラ→MSVシリーズへ突入。最終的にはNゲージにまで行って自分の中での模型道は80年代のうちに終わりを告げた。
てか今の子ってのはプラモとか作るんだろーか。最近のガンプラは、色を塗らないでもいいようになってたりするらしいんだが、それは本当に面白いのだろうかなどとどーでもいいことを詮索する。

まあそんなことを考えていたら、登記簿謄本があっさりできてきた。

で、街へ行く前に、看板の設置位置とかを確かめに工事中のアートゾーン藁工倉庫へ。あと2週間もせんうちに、mama!milkのライブ。3週間もせんうちに、全体オープン。内部は8割がたできてきているものの、なかなかこれは忙しない。実体がないこともあってなかなかその道の人たちへの広報がうまくできてないのも気がかりなところ。まあできたら後は流れるように流れていくのだろうけど、毎度のことながらイベント前というのはどうにも気が落ち着かないのだ。人は入るのだろーかとか、事故はないだろーかとか。まあしかし、四国全体の文化観光に資するものとして、何かこの場所が役に立てばうれしいもんだ。

さてようやく街へ。ひろめに停めて、まずは街を一周。どんどん日程が遅れて来月末発行予定でようやく決まった「商店街のまだ拾い出されていない魅力を知ってもらえるようなフリーペーパー」のネタ探しだ。
とはいえ、普通に歩いていてもやっぱそうそう見つからない。気がつくのは、去年「OBIBURA MAP」を作った時に行った店が無くなっていたり、新しい店になっていたりすること。なんだかんだいうても、まだここの商店街は他所の地方都市に比べたら新陳代謝が進んでる。
イオンやネット時代の中であんまり必要性がない扱いされてしまう商店街だけど、やっぱこういうところがないと、「都市」じゃないわなあ。イオンはやっぱどうしても逆に田舎臭い。都市の魅力っていう話につながらないわなあ。でもイオンにやっぱ人は行くわなあ、便利だし、などと思いながら、金高堂へ。
ここでちょっとデザインの参考になりそうな本を探していたら、駅弁学会のE氏にばったり遭遇。普通金高堂の3階なんてあんま人こないところなのに。TCGの見本市の帰りだそうで、踊り場のところで鉄道話やら駅弁話やらでミョーに盛り上がる。思えば高知で鉄話できる人、この人だけなんよねえ。駅弁学会も事実上活動ストップ状態だけど、まあどっかで仕切りなおしして、駅弁業者や鉄道事業者の生業の立ち位置から提案できるような形にしていきたいもんだと思う、久しぶりに。

結局2時前に出たのに、喫茶店に到着したのは5時すぎのこと。今日の街で見たこととかも踏まえつつ、12ページの構成を検討する。よく考えたら、台割考えるときはだいたいいっつも喫茶店かマクドだ。なんか事務所や家だと台割用の脳味噌にならないらしいなあとはじめて気づく。
ほんでここで街在住のO氏にネタ探しで電話したところ、ちょうど近くにいて、久しぶりに珈琲。イロイロと最近の街ネタを仕入れる。
で、聞いたことを纏めようと先日買ったばかりのMacBookをだしてFON接続しようとすると、なんだか妙にうまくつながらない。wifiって便利だけど、見えなさ過ぎてやっぱよくワカンネと思う。

そして、wifiがなんかうまくいかないときの変なざわめきは、5月に仙台と石巻を訪れた時に通った福島で感じたザワザワ感とどっか似ていると思った。車窓に映る福島は、本当に綺麗な街だった。しかしこの街のあちこちにホットスポットがあるわけで、この山々の向こうには福島第一がある。どうしようもない、心の奥の方で蠢く、カサカサ、ざわざわ。
でも、自分はこの街には住んでいないから、最終的な感覚はよくわからなかった。あくまでただの通過する人間の感じ方だった。
で、余りにも些末な比較なんで困るけど、wifiにつながったりつながらなくなったり、その原因がわからなかったり、でも解明のしようもなくて、というこの状況の向こうに、なんとなく福島に暮らす人たちの不安感がほんの少しだけ立体的に感じられたような気がした。
高知もセシウムかなんかが山中に落ちている可能性があると数日前にネットで流れていた。どうしようもない不安感。でも、どうすることもできない不安感。やっぱり、こんなことが日本の日常になるなんて、本当に寂しい。

蛸蔵と藁工ミュージアム

 

藁工倉庫。
江ノ口川一文橋のほとりに建つ、高知市内ではもう最後ともいえる土佐漆喰の倉庫群。
この倉庫群を失われそうだという危機感を持って「高知遺産」で紹介したのが2005年。その後、高見町の物件を追われたgraffitiが入居したのが2006年冬、ART NPO TACO運営による蛸蔵がオープンしたのが2007年冬。以来5年を経て、現在のgraffitiや蛸蔵のある一文橋西側だけにとどまっていた「アートゾーン」的なるものが東の倉庫群へとさらに広がることになる。

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18th anniversary,11/3.

ああ、あの建物を初めてみたショックから、もう18年か。

今ではすっかり見慣れて愛着がある建物だけど、初めてみた時は蔵をそのまま拡大したようなオーバースケール感と和洋混合の迷走感にえらい失望をした。これでコンテンツがどっかの公立美術館みたく渋チンだったらやだなーと思っていたら、結構初期から地方美術館とは思えないことをドンドンしてくるミュージアムに。
まあどうしてもホール事業の方が目立つ感じはあるけども、展覧会も見応えのある企画が実際には多い。高知の人間は高知のモノをなかなか評価しない(そのくせ東京とかで評価されたことが耳に入った途端に乗っかっていくのよね。)けど、そこらの美術館よりよっぽど刺激的なこと密かにやってるのが高知県立美術館なわけで。

そんなこんなではやから18年。あれからおいらも18回、齢を重ねたとゆーことだ。

今年の美術館の誕生日は、石元泰博写真展がなんといっても目玉。そしてかなりシュールなパフォーマンス「ひつじ」やyummydanceのパフォーマンスが彩りを添える。全館無料で20時までの夜間開館もあり。軽食なんかの販売もある。田中珉が踊った去年のこの日はすさまじい人出だったけど、たぶん今年はもう少し落ち着いて見れるんじゃないか。ということで期待。
 

トンネル。

今日は仁淀川町池川へ茶畑の簡単な取材。
しかし雲行きが悪くて、写真が撮りにくいことこのうえなし。

439号の改修がほんの少し進んでいて、池川寄りの数百メートルの区間が仮設道に付け替えられていた。
んで、その仮設道から掘削中のトンネルが見えたので撮影。
案外こういう風景って見たことがないかも知れない。
中を見せてくれと危うく言いそうになったけど、時間がなかったのでやめた。

さて、酷道439もこの吾北・池川間の区間が開通すると、
土佐町にほんの少し旧道区間が残るものの大豊から長者までは高速のような道になる。
それはそれで面白くないような、まあえいような。