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NPOと行政の協働とはなんぞや

NPOと県の協働を進めようという動きがビミョーに盛んだ。
おいらは、こういうのってなかなか難しいと思ってる。NPOと行政の性格の違いはあまりに大きいし、お互いに目標とするところが近いようで遠い。県としては、これからの地域を考えたらNPOと協働したいということなんだろうけど、自分たちの生活や時間、何より思いをかけて事業に取り組むNPOと、所詮担当課を3〜4年で替わり、その度にミッションが変わっていく行政とでは、思惑が合致するはずがないのだ。

以前、コンサルとしてあるNPOの立ち上げから運営まで支援していた時、とある県庁マンからそのNPOのために「お金を出してやっちゅう」と言われたことがあった。そして続けて、県が予算つけざったら持たんろう、だけど県としてはそのNPOを育てたいがよ、と言われてしまった。
これがちょうど5年くらい前のことだ。で、そのときすぐにムキになって言い返したのが、「そんな天からお金が降って来るような状態じゃNPOが育つはずもないし、一番大切な「思い」より前に『県から降って来るお金のために仕事する』ことが先になってしまって、最終的には疲弊する」ということ。
そして、行政がそんな思いで妙な金を付けたりしているから、いつまでたってもNPOというのが一般市民から白い目で観られるし、「ええことしゆう、ということに溺れてる」なんていう風な評価をされるんだと思った。まあ一方で、NPOや市民活動家自身がそういう「いいことやってます」に溺れている人が多いから、どっちもどっちなんだけど。
で、結局行政のNPO観とは当時そんなもの。今もどうだか分からない。が、一般市民の感覚も、おそらくはそんなに変わらない。なんせ、NPOやってますとか、それでちょっとだけメシの種になってますなんていうことを言ったら、理解できないという人の方が多いわけだから。これは、「NPOは助成金や補助金で成立していて、スタッフは有給がNGでボランティアだけだ」という変な誤解が今も強く残っているからだろうし(また事実そうであるところも多いし)、NPO自身がそういうボランティア万能体質を取り除かない(もしくは減らす)ことをしなければ、いつまでも変わらない。
もちろん、ボランティアが支えなければいけない局面は極めて多いので、それを一切を否定するものではないけれど、たとえば企画や技術といった人海戦術だけでは成立しない「実働」にフィーがなければ、かえって社会構造をぶちこわすことにすらなりかねない。
たとえば、それまで良心のある企業が様々な要素を検討して報告書をまとめてきたことが、ボランティア精神溢れる(けれどプロ根性もない)NPOによってまとめられることになるとどうなるか。同じ業務でも企業相手なら300万がNPO相手ならたとえば50万になる可能性が高い(指定管理者でもよくある問題)うえに、内容も「市民活動色」がやたら強くなってバランスを欠いたものになりそうだ(←これには語弊があるかも。バランスが必要な企画でもバランスを欠く可能性があるということ。また、あえて書く事もないが全てがそういうわけじゃあない)。
そして、この果てにあるのは、価格と品質の低下。ある意味NPOは総じてワーキングプアに陥るだろうし、アウトプットの品質も低下していく。企業が300万でなんとか利益を出していたのが、NPOに50万円でできるはずがない。ハナから依頼者がNPOをボランティアと決めつけているか、NPOが労働の価値を下げているかどちらか・・・。
だからこそ、こんな「協働事業」をやるのなら、行政は「手伝ってやってるんだ」みたいな意識を根っこから取り除くべきだろうし、これまで頑張って来たNPOは「行政を便利に使ってやる」みたいな意識をさっぱり捨てないといけない。面倒な手続き関係だけやってもらってちゃあいかんのだ。
・・・だけど、手元に届いた県側担当課の「協働内容」をまとめた資料をみると、行政もたとえば手続きの簡素化や広報支援など「こんな便利なことしてあげる」メニューしか用意できていない。また、NPO側もそれしか望んでいない(もし自分がそのNPOなら、実際それしか望まない。なぜなら、それ以上のことができると思ってない)。
これは難しい。果たしてこの協働の先に何があるのか。本当に協働するというのなら、たとえばそのNPOがこれからやろうとしている企画にも積極的に、行政の立場だけを粛々と説明するのではない形で、次から次へと提案をするべきだろう。また、NPOの側も、県庁の人々が本来持っているはずの高い総合的な見識(バランスが良いというか、良すぎるというか)を活かして、こんな企画をやりたいがグイッと中央から金を持って来れんかとか、いろんな課を回って出会って来た民間人や激烈に面白いけど県庁内では日陰族扱いになってしまってる県庁マン(たまにいる)の「アタマ」を貸してくれんかと訴えてみるべきなんじゃねえか。
そのバランスが取れるようになったら、NPOへの意識もNPOの立場も変わるような気がするし、ワーキングプアなことにはならない仕組みへと移行できるような気がする。

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嗚呼プロポーザル*第一部

行政の仕事を受けるための仕組みとして、よく知られるのは競争入札。競合社同士が金額を競い合って仕事を受けるシステムで、まあ基本的にはとっても公平な仕組みで、またある意味王道的な仕組みなわけだが、最近では談合の温床という指摘もあってどうにも評判はいまひとつ。
これに対して、数年前からでてきたのがプロポーザルという制度だ。これは、おいらがこの春まで勤めていた地域計画系など企画部門の仕事で特に多いんだけど、企画書と場合によっては見積をあわせて行政に提出をし、総合的にそれを役人が判断をして業者を決めるという仕組みだ。
思えば前の会社の後半は、そのほとんどがプロポーザルによる競争で決まっていたんだけど、そのたびに思うのが「いったい何を基準にして業者を選定している」のかが不鮮明で、しょっちゅうモヤモヤとした気分におそわれたものだった。

灰色の審査
たとえば欽ちゃんの仮装大賞。各組終了後の審査はおなじみの「プップププププッ・・・プッ・・・・・・プッ・・・・・・・・ホワワワワ〜〜ン」。「どーしてなの? よかったじゃな〜い」と落胆する仮装人たちを励ましながら、欽ちゃんがバカボンパパに扮した赤塚不二男に「なぜ押さなかったのか」その理由を問うわけですよ。で、赤塚がその理由を述べる中で、ふと「いや良かったけどさ〜」なんて感じで口をすべらせて、欽ちゃんが「じゃあ押してあげようよ、なんで押さないのさ」みたいなことを言って合格!みたいなのがまさに王道。ある意味とても安心感のある審査。
結局、この仮装大賞では、まあ論拠がどうとかそういうのはおいておいて、結構審査基準は明確だし、審査員の顔も声色も見えているから合格なら合格で納得がいくし、不合格なら不合格で納得がいく。合否の説明が一応は聞けるし、ああ今年はルパンがいるからあのネタは少し控えめにとか、そんな戦略もできた。
だけど、おいらたちが相手にするのは赤塚ではない。相手はそんな芸能人のような色もなく、そもそも一般の人間のもつような色も捨てることがどちらかというと求められ気味の県庁マン。色味でいえばまさに灰色の人々が審査をする。
正直いって読めない。
そして、悪いことに彼らは往々にして審査基準を明確にはしない。見積付きの場合などもっとひどくて、お金を重視するのか企画を重視するのかもわからない。さらに悪いことに、ほかにどのような業者が入っているのか、どの業者が落札したのかも明らかにはしないと宣う。
こちらが出した提案書を他の業者に見せたり、こちらの提案書にある事項を他の業者に漏らさないという可能性がないわけでもない。事実、県西部の仕事でうちらが落選したプロポを受けて執行された業務の成果品(要は他の業者が仕上げたもの)に、なんだかうちらが提案したことがそのまんま入っていたようなこともあったし、逆にこちらが提案して受託をした仕事なのに、落選した他の業者の提案内容の一部をこちらで実現するように言われたりしたこともあったりする。
堅物の財政課と、市民の声にも問題
どう考えても出来レースのプロポも多い。これは、本来ある程度継続的におなじ業者やスタッフが行うべき仕事を、市民や財政課が「受注の平等」を訴えて、他社も含めて企画提案を出さなくてはいけない場合に多い。正直いって、平等平等という原則を押し通しすぎると、仕事の質が下がることがあるということをもう少し認識するべきだと思うんですが。価格が不当に高ければそれを是正するのは当然だけど、継続性の重要な仕事から継続性を奪うのはなんとも意味がない。これは、猫も杓子も指定管理者制度を闇雲に導入しようとする流れとも通じるわけだけど。
また、そうした事情を市民団体に説明できない行政の体質にも問題があるだろう。継続性の重要性は県庁職員の多くが認識しているのに、それを説明することの重要性は認識できていないし、説明できないことを恥じることもない。筋を通すということがどうにもできんというのを、もう少し考えるべきだとおうもんですが・・・
あーあと一番よくないのが財政課ですな。なんぼ担当課が継続性の重要性を認識していても、継続性よりも予算・決算といったごく短期の単年度のことにしか頭にないから、なんでもかんでもプロポでだせー、継続性よりも明確性じゃーなどといって仕事を破壊していく。
アイデアはただではない
発注される仕事の多くがプロポと化していくと、その都度ゼロから頭をひねって新しい企画を考え、見積をはじいて、提案書を書き上げないといけないわけだから、業者からすればたまらない。ましてや、継続性のある仕事でなお企画提案を出すとなると、ますます難しい。
正直、地元業者は利ざやを得てやろうとかそんな意識はないわけで(あくまで企画系)、むしろ高知のために何ができるか考えて仕事をしてきているわけで、たとえば100マンの仕事なら100マン筒いっぱいまで使ってでもいい仕事をしようとしているわけですよ。下手をすれば赤字も仕方がないという気持ちぐらいで。
なのに、これまで数年にわたって積み上げてきた仕事を、ある業者が文句言ってきたからといって公開プロポにして、企画書を新しく出せと言われても困るわけで。
もしくは、予算は100万だけど要求量(仕様書)は数年前の300万の時代と変わりませんと平気で宣われても困るわけで。「なんぼ安くても取ったんだから責任を持ってやってください」いわれても、じゃああんたらは給与下がることもなく仕事してるけど、1/3の予算額でこれまでと同じように仕事ができるのかと聞きたいわけで。
企画はただで出せ、見積はやすく出せ、仕事は今まで通りにしろ、でもお金はとにかく安く済ませろ・・・では、アイデアもいつかは出せなくなりますよ。出したくなくなるはずですよ。いい仕事なんてありえなくなりますよ。
県庁は、「アイデア」や「企画」に金がかかるという意識をもう少し持つべきだと思うし、仕事そのものにももっと誇りをもつべきだと思う。
まあ3年に一度人事異動があるうちは、わからないだろうけど。
※このテキストは5月に書いていたものです