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MEGA QUAKEがきたらば。

しばらく書いていなくて、久しぶりに文章を書き出すととまらない。書きたい欲が堰を切る。で、また欲が空っぽになったらしばらく書かなくなる。毎日ブログを書き続ける人々のその文章欲たるや、なんとすごいことかと思う。日々ネタを探していなければ書けなくなるのではないか、書かないと寝付けなくなるのではないか、はたまた書くために日々を生きなければならなくなるのではないかと少々余計な詮索をしてしまう。

今から5-6年前は、毎日のように書いていた。まだその頃は安穏とした会社員だったし、何を書いても別に良いような感じがしていた。ブラックな話ややや攻撃的な話でも、書きたいから書くというような姿勢で書いていた。守られてるのってすごいと。

だけど、自営業を始めるとそうもいかなくなった。なんとなく、書きづらい。かつてと違い、文章や写真、思ったことといったネタは、仕事と完全に表裏一体のモノになってしまったし、あまりこっちでそういうのを出し過ぎると仕事でやることがなくなってしまう、そんな問題が発生してしまった。また、日々思うことでオイオイと思うことは数あれど、それに関わる人を知っていたりすると当然書きにくい。大人はそんなこと書いたりしないもんだと言われることもあるけれど、そういう議論や討論がなくてなんでもかんでも伸介みたいに「ステキやん」で収めるからいろんなことがフニャポコンなんだとイライラしたりもする。

まあなんにせよ、婉曲して書くのもなんかつまらんし、文章を書いて余計なストレスを抱えるのなんてゴメンこうむりたい。ましてや、オイオイと思う先が取引先とかだったりすると当然さらに面倒。だからそういう文章はすっかり書けなくなってしまった。裏ログでもやりゃいいんだけど、文体で多分ばれるだろうし結局やることもできない。facebookあたりをそんな使い方にしようかなと思ったこともあったけど、それ以上に友達申請が多いのでそれも無理になっちまった。

さらに、たまに人からたまに書かれてますよね、たまに読んでますよ的な振りをされると、やっぱ人として悪い気はしないのでまた書こうと思うのだけど、そういう理由ではまた文章欲が高まっているわけではないので(単にその人にいい顔をしたいだけだ、しかもその人がまたすぐここに来るかといえばそうでもないし)、結局書きかけの文章だけが溜まっていくことになる。

だから、人のブログもすっかり見なくなった。なんか、自由に書けてる人が羨ましく思ってしまいそうで、また下手をすればオイオイとか思い出しちゃったりもしそうで、ほとんど読んでない。つくづく面倒な人間性だなんて思いつつ、我慢するためにBLOGOSあたりを読みに行くと、こっちはこっちで平気で誤字脱字だらけの文章があちこちに。1個2個の誤字脱字ならともかく、推敲してないからなのかいいまつがいのオンパレード。日本語って確実に崩れだしてるよななんてこっちでも思い出したら、これはこれで一エントリー書けそうだなんてことを思い出す。

で、自由に最近やってんなと思うのが(一部の)地震学者。関東直下M7クラスが4年以内に70%とか、東海〜南海〜日向灘大連動M9.0-9.2とか、三陸沖アウターライズ地震とか北海道沖〜青森沖M9が近いとか房総がやばいとか富士山がやばいとか、それはもう雨後の竹の子のごとくで、阪神大震災以来素人なりに地震のことを勉強してきた中で「聞いたことのなかった話」が次から次へと出てきている。

しかしなんというか、1年前まで「日本ではM9はない」としていたはずなのに、一回「想定外」で起きた途端に「日本全国太平洋岸ならどこでもM9がきますよ、しかもどこも逼迫度高いですよ」に変わるのは、なんというか、ちょっと信用ができなくなってしまう。こないだの東大地震研究所の関東直下M7-4年以内70%説も、その元PDFを見に行くと去年9月までの余震レベルが今後も続いた場合の話で、それから以後の4ヶ月間の余震の逓減は反映されていない。なんで今発表したのかなと素直に思ってしまうし、なんか田中宇的な見立てで裏があるんじゃないかと思ってしまう。だいたい「関東直下」でM7なら元々いつでもあり得る話で、それが曖昧な状態で発表に至るのもちょっとわかりにくい。なんにせよ、最近の「逼迫」学説はどれもこれも雑誌「ニュートン」みたいな話じゃねえかとついつい思ってしまうのだ。

なんかここまで「想定外」レベルの地震が「逼迫」してるよということになると、これはもうもしかしたらかつて「東海地震予知」じゃないと国の予算がつかなかったけど、今後は「連動」「M9」でないと予算がつかないようになったのではないか、なんていうことを思ってしまう。そして、そこには「想定外」が「標準」になることでもたらされる経済や社会の混乱ってものがあまり想定されていないようにも思える。

おそらく今年の春くらいに出るであろう超巨大型南海地震での津波想定は、高知県にとってかなり厳しいものになるんじゃないかと思う。津波は今の倍とか1.5倍とかになるだろうから、沿岸部はすべからく三陸の諸都市以上の被害を受ける想定になるだろうし、高知市も2mの沈降では済まない話になるだろうから、もしかすると紀貫之の時代のように浦戸湾が大きく市内にまで広がってしまうようなことになるかも知れない。

 

だいたい高知平野はもともと1000年たらずの歴史しかない。紀貫之がウダウダと言いながら土佐を後にした頃、浦戸湾は福井まで広がっていて愛宕山(中津)や小津のあたりは港だった。それからたった600年後の江戸時代にはほぼ今の浦戸湾の湾形ができているから、600年で浦戸湾7河川がこの平野を土砂で埋めたという話になる。たった600年で埋まるのか?というのもよくわからない(一方で少なくとも100年おきに高知平野あたりは1-2m沈降するはずなわけで)が、3m以上沈めばこんな感じに再び戻ってしまう可能性もなきにしもあらずだろう。そもそも、もしかするとこの地形もいずれかの南海地震で受けた爪痕のすがたかも知れない。

で、春に出る想定はこんな紀貫之時代ほどひどく無いかも知れないけれど、これまでの宝永安政級をベースにしていた想定よりは遙かにひどくなるだろう。これまではどちらかというと西部が大被害という感じだったのが、震源域が西に北へ南へと広がっていくことで安芸や奈半利などの東部諸都市の被害も大きく出るだろうし、土佐湾の扇のど真ん中の高知平野はちょうど仙台平野がそうだったようにこれまでの想定よりもずっと奥深くまで津波がやってくる羽目になる。震源域自体、四国全域という設定に変わるかも知れないから、高知平野や高岡、須崎あたりはこれまでの設定よりもさらに沈んでしまうだろうし、室戸や足摺はさらに上がって港が使い物にならなくなるという想定になるかも知れない。大阪や名古屋もしかり。

そうなったらどうなるか。「想定外」クラスを想定することは決して否定できるものではないけれど、それを基準にしはじめるともう日本の太平洋岸の都市部なんて使い物にならなくなるんじゃないか。事務所の物件探しをしていた時、高知市下知の物件が急激に値を下げていることがわかったけれど、高知なんて地震が来る前に亡所になるんじゃないか。

もう二度と想定外と言いたくない意地はあると思うし、実際大連動したと思しき証拠も次から次へと出てきているし、上の図のように高知がなる日のことも想定しないといけないのかも知れない。その時は、その日が来るまでの命と思って生きるしかないのかとも思ってしまう。でも、そんな切ない生き方は正直イヤだ。

最大級の想定は想定以上に社会を壊す可能性だってある。素直に考えれば、20-30年以内にこんなことに(確実に)なるのなら、高知や大阪、名古屋あたりではもう何もできない。投資なんてもってのほか、住むことなんて怖くてありえない。でも、その確率は○%と当然ながら曖昧だ。

というわけで、高知の未来がどうのこうのと考えるとき、一番目の前の、手前にある心配が、この新しく出されるであろう津波想定、というお話。高台に引っ越しした方がいいんかな。

 

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石巻、福島。

 

石巻は、少し市街地に入っただけで目を背けたくなる状況だった。
だいぶ片付けも進んだと聞いて行ったのだが、実際に石巻駅前付近から川沿いにかけて裏通りはほぼ被災直後のままのような風景で、表通りの店もほぼ全てが「深刻な」という言葉では言い表せないような被害を受けていた。また、少し低い場所にある路地は今も乾いた泥に覆われている状況で、信号も動いていない様子だった。この先はもうとても行けない。まともに降りることもできず、すぐに仙台へ引き返した。この道の先には街が消えた三陸がある。

今回の小旅で訪ねた仙台、松島、石巻。
これが高知だったらどうなんだろう。若林区の風景は南国や高知空港付近の地理条件と似ているし、石巻は高知市や安芸市、三陸は須崎や中土佐などと相通じる。もし連動型になったりすれば、救援の手は今回よりもずっと遅い。どー考えても、静岡や愛知、大阪などを優先せざるを得ない。そして高齢化も今よりずっと進んでいるだろうから、逃げ遅れる人がたくさん出てくるのは間違いない。また、県内の土木建築業界も相当小さくなっているだろうから、復旧の人役自体あまり工面できないかも知れない。2030年頃の想定人口は、県がほぼ60万人、高知市が30万人。その高知市も中心部~東部が石巻のような被害(地盤沈下と長期浸水)を受ける。


高知の人間に限らず、今回の震災の被災地は見ておくべきだと思う。今回の仙台訪問、実際問題化していた「ただの野次馬」と同じかもと思い、行くか行かないかちょっと迷った。だけど、やっぱり実際に見ないと分からない。また、こと高知だと今回の震災はあまりにも遠い出来事だ。むろん間接的な影響はあちこちに出ているけど、放射能も含め「実感」していないことには、なんか「始まらない」ような気がした。実際、見てはじめて、被災地の余りの広さも、本当に何もかも根こそぎ奪っていく津波というものも、やっと実感できたような気がする。実感してなんなんだ、とも思うけど、実感せんとどうしようもないと思う、妙な感覚。
新幹線では、福島や郡山を通った。通っただけだけど、車窓から見る福島の風景はきれいで、もちろんたくさんの人が行き交っていた。街の東には山並みが見えて、その先には原発がある。何も普段と変わらない風景なのに、小学校のグラウンドは掘り返さないといけない。その山の向こうには、家があるのに家に近づくことができない人がいる。原発に近いところでは、もう山の管理をしばらく諦めないといけないところもあるという。これはなんなんだ?と思いながら、流れる風景を見ていた。
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仙台小旅


実感しないとわからない。
スマトラの映像ではいまいち映像を「日本へ置き換え」することができなかった(スマトラの低い堤防だから津波を防御できないんだ的な見立てをまず脳内でしてしまっている)。ここ数年時々やってきていた津波も川を遡上したり港沿いの街が静かに海にのまれるという程度の映像観であり、過去の須崎湾を遡上する津波映像や宝永町あたりの壊滅的な被害写真などを見ていても、やっぱり「戦後まもなくのことでしょ」的な、「現代日本での置き換え不能」な映像観で見てしまってきていた。
それが今回、これから来るであろう災害に対する想像力を「広げすぎる」ほど、膨大な映像量が流れてきた。そこへさらに原発という目に見えない災害が続き、もう自分たちの街にどの事象も置き換え可能な映像観がすっかりできあがってしまった(それはそれで過剰な防災対策も出てきそう)。
仙台を実際に訪れてみると、やっぱりテレビやネットで見ている印象とは全然違っていた。仙台の町はもう普段の日々を取り戻しているように見えた。だけど、松島に向かうために仙台東道路に入った途端、すぐ右手の車窓一面に荒野が広がった。左手は仙台の町並みが広がり、右手は荒野。あらゆるところが砂や泥に覆われ、車と瓦礫と砂防林の大木があちこちに流れ着いている。海岸沿いにあった集落も流されて、海岸まで見通せてしまう。瓦礫や車は撤去できても、この泥を除去して街や田んぼとして復活させられるのだろうかと思ってしまう。その後訪れた街でも然り。
遠く高知から働きながら支援できることなんて、やはりあまりにもなさすぎると感じるし、実際に家を失ったり仕事を失ったり家族を失ったりというのもテレビだけではイメージできなかったけど、実際にその風景を見てしまうと、どこから立て直していくべきなのかさっぱり見当もつかないし、また何かをしてあげられる術もないように感じてしまう。
実際に自分たちにその日がやってくるとして、支援される側になった時に必要なことってなんなんだろうか。少なくとも現段階では知人でも中嶋さんらの取り組んでいる薪風呂の支援や栗田さんのお茶の発送、畠中さんらのお米の発送などがあるが、そういう生活の根っこに近い部分の支援というのが一番うれしいような気がする。
しかしその先はどうしたらいいのだろう。本格的な生活再建、仕事再建はお金をかければ治るというものじゃない。またこればかりは他所の地域がどうしたところでなんとかなるものでもない。むしろ他所の地域や国外への産業移転が進んだり、想定以上の人口移転で計画がうまく進まない可能性がある。
いずれ高知の沿岸集落でもこうした風景が広がる日が来る。その時、高知の主力産業である農業や漁業の拠点はどうなるんだろう。高知県の主要政策である地産外商の根幹にも関わる大問題だ。そう思うと、ある意味で、一体何のための仕事をするんだろうとも思うし、また同時にだから仕事をするのだとも思うし、よくわからなくなる部分もある。
だけど、、、仙台の牛タンは本当に想像を絶する美味しさだった。松島の煎餅もうまい。津波で壊れた店の隣で、なんとか再開した店もあるのだ。


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室戸沖と駿河湾、イヤな地震が続くねえ

 

ここ最近、室戸沖、東海道沖、駿河湾、今日の八丈島と気になる地震が続く。
駿河湾の地震は東海地震に直結するのかしないと騒がれてるけど、
それを言うなら室戸沖であった地震の方も、ちと不安。
古い記録を見ていたら、南海地震の前後数十年の間には、
小被害を伴うまあまあの地震が高知県直下でも起きる。
今回の室戸沖地震はここ40年地震がなかったところだけど、
久しぶりに起きたそういうタイプの地震、といえるよーな感じがする。
明日東海や南海が起きるというほどでもないけど、
長い目でみれば今回の一連の地震は前駆的地震のひとつになるんでしょうな。
というわけで、よーやくでっかい本棚に突っ張り棒を設置。
正直あんまかっこよくないけど、こいつが倒れて来たらちょっとヤバかったので仕方ない。
次は冷蔵庫にも設置予定。
ほんで、ついでに最近事実上引退していたOS9をお休みにしてWindowsを復活。
weathernewsの緊急地震速報も受信できるようにしてみるのであった。

おひまならぜひ→→→ 

 

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や~な感じの地震が続く

ここ1週間くらいのあいだ、静岡東部や茨城など関東、福井などビミョーに揺れる(震度4)地震が秘かに続いている。大ニュースにはまあならないわけだけど、震度4の地震が続くことって結構珍しい。とくに富士山西側の地震は、ふだんあんまり地震を聞いたことがないところで、ミョーに気味が悪い。駿河トラフとも繋がってる富士川河口断層のすぐ北っていうのもなんか気持ちが悪い。

そう思って検索したら、結構静岡の地震はあちこちのブログで記事が出てた。地元の人からしても珍しいみたい。うーむ。

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14年目の1月17日

この1週間前、木造建築の占有率を調査する仕事で尼崎をウロウロしていた。地区の多くの建築が古い木造で、地震が来たら危ないねえなどと一緒に調査した人と話をしたりしていた。
この前日には、近所の食堂で京都・大阪も地震の危険がある!という雑誌記事を読んだ。近畿は活断層の巣で、吉田神社から京大グラウンドを通って北へのびる断層や西山の断層が動いたら大変だということ。今出川通り沿いのその食堂は吉田神社のすぐ真北で、まさに活断層の真上だった。シャレにならん・・・と話をしていた。
当日、京都は震度5。ゴーという地響きが揺れの間ずっと続いて、今まで体験したことのない揺れだった。途中一回弱くなったかと思ったら、途中からさらに強く揺れだして、気付いたら叫んでいたらしい。
第一報は京都震度5。神戸の震度が出ていなかったのが、すごく不気味だったのを覚えてる。窓をあけて今出川通を見ても、車は普通に走ってる。それがまた不気味だった。
それからしばらくして、テント村の避難者調査に出向いた。ついでに三宮も立ち寄ってみると、街は埃っぽくて、いまだに傾いたビルや潰れたビルがあちこちに建っていた。駅北のアーケードも人の気がない。
長田区の方まで行くと、瓦礫はだいぶ整理されていたけど焼けこげたアーケードやマンションがまだ残っていた。写真はアーケードの跡地。おそらくここにはお店が並んでいたはずで、露地に商品を並べた仮設のお店がパラパラと並んでいた。
そんなこんなからもう14年。短いような、長いような。いま、神戸に行っても震災直後の面影は当然にない。だけど、たまーに神戸に行っても未だに当時のことを思い出す。まだたったの14年なんよね。
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春の空

_DSC1504.jpg
先週の土曜日、graffitiで蛸仕事。その合間、ふと一服をしに川辺に出ると。あちらこちらに飛行機雲。
鹿児島や沖縄方面行き、福岡方面行きの路線が交錯する高知上空は、実は意外と飛行機雲天国。
この日も4−5本の飛行機雲が同時に見えていた。

でもまあこれがたまに地震雲と勘違いされるんですが。
img20041109234939.jpg
↑この時は、全く違う場所で、全く違う人たち3組から「地震雲がでた」という話を聞いたんだけど、
やっぱり飛行機雲らしい。
参考記事
地震雲に翻弄される人々




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阪神大震災から10年

もう10年というべきか、まだ10年というべきか。神戸の街が壊れてから10年が経った。
あの日は京都の自宅にいて、午前3時くらいまで雑誌「カメラトーク」の特集記事用として京大裏に事務所があったエイズポスタープロジェクトへのインタビューをしていた。なんだか静かに噺が盛り上がってなかなか帰れなくなって、やっとこさ帰ってきて爆睡してたら突然の大揺れ。
モノが落ちるというのは辛うじて無かったけど、ゴーッという地響きのなか本棚が倒れそうなくれいに揺れ、レンジやテレビがあともう少しで落ちるというくらいまでずれてしまった。テレビを付けると大阪のスタジオは停電してパニックになっていたり、東京の方から流れる平和なニュースがあったりと訳が分からないし、外を見ても車は結構普通に走っている。京都は震度5。一番はじめに出たニュース速報では京都と豊岡か米原だったかが震度5と出ただけで、震源はそれを見る限り京都でないの?という感じだった。

神戸が震源とわかったのは約一時間後くらい。それからは少しずつ神戸の映像が入るようになり、煙に包まれる六甲の街並みの姿が映し出された。マンションが倒壊したとか新幹線が崩壊したとかバラバラといろんな情報が入ってくるけど、まあその段階では信じれない。だけどそれも昼くらいまでには映像が入ってくるようになって、どうやら現実のものらしいと。神戸が揺れだしたら大阪のスタジオが揺れ、10秒くらいしたら京都も揺れる。その間にクッションを頭に。そんな体験もはじめて。
震災後に腹が立ったのは、2日後くらいになったら「もし東京でこの地震がおきたら」なんてことを言い出した時だった。そんなことしてる間にも神戸はまだ燃えていて、大阪や京都も少しパニック状態なのに、なんつー平和な。ニュースキャスターの暴言妄言もこの時たくさん聴かれたし、その後も東京の大学を出た人たちと噺をしていると結局このレベルでいつもなんかおかしいなと思った。
2ヶ月くらい後にはやっと自分も神戸入り。阪神で御影あたりまで入って、東灘区のテント村の状況を調査した。避難している人たちに怒られたりもした。そんな調査する間があったら・・・と。それから歩いて三宮に入り、以前よく遊びにきていた三宮の北口や博物館のあたりをうろうろ。建物があちこちで歪んだまま倒れたままになっていて、すさまじい塵がたちこめる。以前賑やかだったアーケードも崩れ、店もあらかた閉じている。瓦礫もそのまま。ここからわずか一時間ちょっとの京都ではノホホンと暮らしているのに、なんだこの違いはと愕然となった。呆然として、言葉も出なくなった。おいおい、おいおい・・・そればかりだった。
それから高知に帰ってきてからも、年に一度くらいは大阪や京都のついでに神戸に行っていたが、8年目の一昨年、6年ぶりくらいに行った時には本当にびっくりした。三宮の復活ぶりはまさに「目をみはる」感じで、何もかもが新しくなった街並みに強い違和感を感じた。きれいすぎてなんだか東京のどっかの再開発地区でも歩いているかのようだった。だけどその一方で古い商店街はまだ閉じたままのところがあったり、壊れたままの建物があったり。
これが震災。震災は大切なものをたくさんこの町から奪い去ったよーな気がした。そして、いま高知の各地で津波対策が騒がれているが、その処方箋としてよく言われる「集落まるごと移転」論の結末はこういう形になるんだとも思った。

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地震雲に翻弄される人々

最近「地震雲をみた」という人が異常に多い。

先月など、それぞれはまったく関係のない人たち3組から地震雲を見たという話を聞いた。1つはマンション内の友人、1つは飲み屋さんでのお隣さんの会話、一つは6年来の友人。そして、もう明日には南海地震が起こるぐらいの勢いであったということが共通していた。
2chの地震雲の板を見たら、毎日全国各地の「地震雲」情報が写真付きで掲載され、その中にもおそらくこれが3組の人々がみた地震雲だろうという写真もアップされていた。

いの町から撮影された地震雲といわれる雲(11/9)img20041109234939.jpg 1280×960 pixels

確かに気味の悪い雲。
高知上空は丁度飛行機の空路の交叉点で、飛行機もずっと空を見上げているとあちこちを飛んでいるのがわかるところだ。これは、たぶんそれらの飛行機が残した雲が崩れたものなんだと思われる。
確かに気味が悪い。新潟の地震の数週間後で、しかも新潟で地震雲が見られたということが大ニュースになったあとだったので、自分でもこれを見たら少し焦ったかも知れない。
ただ、こうした雲を見て騒ぐかどうかはまた別の話だ。
2ちゃんねる 地震板画像掲示板を見るとわかるが、どうみても飛行機雲とか、どうみてもただの雲としかいえないような雲まで「南関東で大地震」とか平気でタイトルをつけて煽られている。阪神大震災の直後も、暮らしていた京都では「○月○日に京都で地震が起こる」などとまことしやかに囁かれ、友人から避難した方がいいんじゃないかなんていう連絡まで回ってきた。
しかしこの秋の地震雲騒ぎは少し異常だ。全く関係のないところで少なくとも自分のまわりでは3組の人々が怖がっているのだから、地震に対する恐怖心は相当に高まっているということだろう。そう思っていたらこんな記事が。

地震雲みた、犬ほえた…問い合わせ増、専門家は「冷静に」 – asahi.com : 社会


地震雲みた、犬ほえた…問い合わせ増、専門家は「冷静に」
 「地震雲を見た」「直下型地震が首都で起きるのではないか」——気象庁や全国の地方気象台には、新潟県中越地震の後、こんな電話やメールが相次いでいる。「地震が多発している」との不安が背景にあるらしい。しかし、今年の地震数は決して多くはなく、専門家は「冷静に受け止めてほしい」と話している。 </blockquote>