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瀬戸内芸術祭

昨日はいつもお世話になってるK印刷さんとタケムラ家で瀬戸内芸術祭へ。

正直そんなに期待していたわけではない(北川フラムが嫌いなもので)けど、
下馬評で良いと聞いていた女木島よりも男木島がかなり面白かった。
女木島は、よくも悪くもお芸術な感じで、なんか疲れた。
いちばん面白かったのは鬼が島の洞窟。
キッチュな鬼像が洞窟内のあちこちにいて、
むしろこっちのほーがあーとなんじゃねーかとすら。
小学校は建物のつくりは面白かったけど、作品がなんか疲れる。
少し考えさせられるというか。
きっと美術館をゆっくり何時間も見ることができる人にはお勧め。
おいらはルーブルですら1時間で出てしまうよーな人間なので、
ちょっと無理でした。
んで、男木島。こちらは島の構造からして、うれしいかんじ。
だいぶ前に行った沖の島と似た感じの島で、
船からすぐ前の急斜面に小さな集落が張り付く。
で、その集落内の家や路地にたくさんの作品がならぶ。
なかでも44の大岩オスカール、47の音の風景、52のうちわの骨の家
54の雨の路地、55の海と空と石垣の街は印象的だった。
たぶん女木島の作品群は、周辺環境と無関係な作品がどっちかとゆーと多くて、
男木島は環境に寄り添うような作品が多かったってのもあるんだと思うけど、
島のランドスケープや、路地を曲がる度に飛び込んでくる海の眺めとか
そういうのもまた男木島が良かったなーと思わせる大きな理由のような気がする。
直島はどーにも大混雑らしいけど、
いいと今日Twitterで聞いたのは、豊島。
2002年頃に産廃処理の視察みたいなので行ったことがあるけど、
もしいけたらいってみたいと思うのであった。
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広島な夏。

もう一ヶ月くらい前になるけど、ほぼ10年ぶりに広島へ行った。
数年前まで同じ沢マンの屋根の下、暮らしていた友人元112号の結婚式。
高知からは大家さん一家のほか、タケムラ家(18号、17号)ほかsumica家(11号)、ukiki家などが参加。広島なのにちょっと高知くさい、結婚式なのだった。
112号は、7年くらいまえに沢マンにふらりとやってきた。

女子なのにめっぽう空手が強くて、当時沢マン住人が呼んだ肩書きは「あちょー」。
その後実際に広島から沢マンに移住してきて、ドMなおいらほか数人がよく「てごうて」は本気のケツキックをお見舞いされたりしていた。
だけどやさしい。
当時のログを見ると空手家なのにほんわか系で面白い、的な記述。いまもむかしも強くて弱くて、弱くて強い、なんかそんなフシギな人物なのだ。
当時の沢マン住人みんなの相談相手でもあり、その逆もまたしかり。沢マンを離れてからは特に定期連絡をしているわけではないけれど、それでもなんかいまもむかしも特別な人物のひとりなのだ。
とゆーわけで、おめでたう。
結婚式は昼すぎに終わったので、夕方から街に出直し。
もちろん広島焼。
さすがB級グルメの王様。うますぎ。
晩飯は笹木というお店へ。
広島の地酒をやりつつ小料理をいただく。
店員さんの心遣いがものすごく行き届いていて、
笑顔にいやされた。
また行きたいと思う店をみつけた、という感じ。


 

翌日は、広島観光。10年ぶりの原爆ドーム。
夏になるとアジアやアメリカからも含め、戦争についてのいろんな話が出てくるけど、もう都市がまるごと壊滅するようなことなんてのは、もうこの先やっちゃいけん、とここを見るたんびに思う。加害者だったのを忘れてんのとちゃう?とか、原爆落としたから被害が減ったんだとか、そゆんじゃなくて、もうここまでひどいことになるようなことはやめましょと。
最後は厳島神社へ。
ものすごく暑くて、鹿が海辺で海藻を食べたりしながら遊んでいた。

ちょっと桃源郷っぽい。 

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浦戸湾のこんな景色が好きなのだ


ここは浦戸湾。高知の街から車で10分もかからない、玉島・ツヅキ島の界隈。
こういう風景がちょっといけばあるから、高知はいい。


小さな無人島を結ぶ橋の上から湾口を眺めると、浅蜊を潜り穫る漁師たちの姿がちらほらみえる。
潜っては鉄籠をジャラジャラ、ジャラジャラ。
大きなネットいっぱいに浅蜊を詰め込んで、自転車でよろけながら帰る漁師もいた。
完全に自分の力だけが頼りの、極めて原始的な漁。
だけど、この浅蜊がやっぱり美味しいんだ。

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沖の島小旅5 「10月に泳ぐ」

 前日の晩は、昼寝が効いたのか他のみんなよりも眠気の来襲が遅く、「もののけ姫」のアニメブックを完読。おもろいねーやっぱり。そして、乙事主は何を言っているのかわからんかったけど、こんなことを言いよったがやねーと一人感心。その後は11hが和ベッドに移動したことで2人分になった布団を思い切り占領して爆睡。

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 翌朝目覚めると、昨日の鯖が焼かれて出てきた。刺身もうまいが焼いてもうまい、感動の味。毎日こんなおいしいものが食べれたるなんて、やっぱり贅沢ですよ。いいなあ。

 食後はしばらくのんびりして、いざ海へ。一応今日から10月だけど、沖の島など高知の西部ではまだまだ泳げる。今年は全然海にも川にも泳ぎに行っていなかったので、うれしい。。。しかも沖の島。
 目指すは母島側にある「うどの浜」。だけどいまひとつ行き方が分からなくて、うどの浜近くと思しき石積の集落で道を尋ねる。どうやら道を一本間違えたらしく、母島集落の方からじゃないと入れないらしい。ここで島名物の落花生を少しわけていただく。なんでも息子さんだったか孫だったかにあげるためにつくっているのだとか。。。ちなみにこの落花生、激ウマ。
 母島の集落は、弘瀬のそれとはまた違う構造。弘瀬が海に対して面的に屹立しているとすれば、母島は海からつながるV字谷に寄り添うように集落が奥へとのびている。同じ島でもきっと生活は少し違うだろうから、今度は母島で泊まってみたいものだ。
 うどの浜へは、母島から南に折れて、海沿いの道をしばらくいったところにある集落(さっき落花生をもらったのはこの集落の上段の家だった)に車を止めてしばらく歩いていかなければならない。
 この集落がまた素敵で、海に向かって長い石段の神社が立ち上がり、その中程に番犬のような犬がいたりする。まわりは全て瀬戸内の島々を思わせるベージュ色の明るい石積みに覆われていて、なんか模型にしたくなるような集落だ。
 この集落から浜までは、歩いて5分くらい。でもシュノーケルとか弁当とか色々な持ち物があるので結構大変。途中蛇に遭遇。マムシ?
 この道が意外と長い。そして、意外と楽しい。ちょっとした登山じゃないけど、ハイキング気分。途中、落葉が路面いっぱいに落ちていて、その陰などなどとにかく全面にフナムシがいそうな(1cm2あたり1匹)「フナムシ天国」ゾーン、もし足を滑らせたら海までそのまま落ちていきそうな「ちょっと断崖」ゾーンなどドキドキも。

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 うどの浜はまさにプライベートビーチ。波も穏やか。ちょっといったらすぐ深みになるので、おいらのようなカナヅチは必ず浮き輪を用意すること。間違いなく楽しめません。別に全くおいらも泳げないというわけじゃないけど、「足がつかない」と分かった瞬間に間違いなく溺れ出す。そういう環境に慣れていないんですな。おいらの水泳環境というのは、子供時代からどうもそういう深いところがないところばかりだったのです。
 メインの泳ぎ場だったのは湘南海岸(神奈川)と皆生海岸などの浅瀬海岸、YSPプール(鳥取)や飯梨川(島根)などで、特に鍛えなくてもなんとかなるところばかり。従兄弟は子供時代にYSPプールに泳げない状態で放り込まれたりしていたので「足が着かなくても」泳げるようになったけど、おいらはプールなら足が着く状態で「1mでも遠く」泳げることを教えられた(でもやっぱり泳ぐのは苦手だった)ので、「足が着かない」なんていう環境を知らなかった。まあ普通は泳げるんでしょうけどね。カナヅチの言い訳です、はい。
 何はともあれ、おいらは、今回浮き輪は17家にあった海難救助用を借りてきた。でもどうやらこの浮き輪、11hが気に入ったらしく写真撮影。

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 その後はTシャツのまま海へざぶざぶ。シュノーケルとか足鰭を付けて、おいらは浮き輪も付けて海へ。意外と浮き輪でもかなり十分楽しめるんじゃね。まあ男32歳が浮き輪なんかして〜とウダウダいう人がいないというのもあるだろうけど(そういう意味でもこのメンバーは異常に楽だったのう。高知はだいたい泳げないのがダメだみたいに言う人多すぎなのですよ)、海の中覗いているとなんか棒みたいな魚とか小魚の大群とか、色々な魚が水中漫歩しちょる。
 このへんの写真はいずれsawaman room11で発表されると思うけど(水中カメラを持っていっていたので)、こういうのを見た瞬間、やっぱり高知はいいなあと再認識したですよ。まあ沖縄ほどじゃないかも知れないけど、お金もほとんどかけずにこんなんが楽しめるだなんて。わざわざ沖縄なんか行かなくても沖の島で十分じゃん。
 1時間くらい海をたゆたい、17母の弁当タイム。昨日の余りメインだけど、麦酒とあわせて最高にうまい。そして石拾いタイム。瓶石がやたらと多くて感激。高知周辺じゃあ瓶石はあまり落ちていないけど、ここは瓶石だらけでした。
 その後は、そうして拾ってきた石にタイトルをつけて見せあうコンクールをしたり、浜辺にぽっかりあいて洞窟のようなところを覗いてみたりしているうちに、帰宅期限の1時に。もっと遊びたいんですが。
 ここから先は、帰りがちかづいてきてなんだか寂しいモードなので、あまり覚えておりません。しかし海水浴場から弘瀬に帰る途中で見える海の美しさには本当に驚いた。ここから見えているのは豊後水道で、はるか先には九州が見えているはずなんだけど、こんなに海広かったけかと思わず思うくらいでかいし、きれい。なんだか青が深いんよね。いやー絶対また、来年こなければ・・・
 しばしの賑わいを見せた17家は再び施錠され、昨日着いた港へと歩く。なんだか昨日来たとは思いにくいくらい、長い2日間だったような気がする。。。
 港は、秋の夕方のような強い日差しで、カーっと熱い! 車の陰でアイスを喰らいながら、しばらく待っているうちに巡航船が到着。たくさんの荷物が行きと同じように吐き出され、また積み込まれていく。
 おいらたちは客室に荷物を置いてまっすぐに甲板に向かい、弘瀬の集落との名残惜しい別れを・・・とか思っていると、集落のあちらこちらから手が振られていることが分かる。弘瀬のてっぺんに近い家では、タオルをたぶん振っているんだろう。はしっこの方の家でも、下の方の家でも・・・。ちょうどお祭りの次の日の帰りの便で、17母・祖母のように久しぶりの里帰りの人もいるから、こうして手を振る人がたくさんいるんだろうという。

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 きっとこんな風景もこの巡航船では珍しくはないのだろうけど、もう言葉には表せないくらい、この情景には感激した。
 そしてなぜか、かつて池川で神楽を見たときのことを思い出した。そのクライマックス的な場面、鬼面が子どもを担いでぐるぐる回る場面があるのだが、あまりにも子どもの数が少なすぎて、本来は担がないはずの中学生やら息子やらまで担ぎだし、果ては町長まで担ぎ出していたときの情景−。
 地域の一体感だとか地域の変容の象徴的場面だなんだとか、まあコンサル的にこの情景をまとめるのは簡単なんだけど、いまだにこの情景、目に焼き付いて離れない。
もうひとつの沖の島レポは・・・
sawaman room11へ。




 第一位の座からついに無念の陥落。次はいつ復帰できるのでしょう?
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沖の島小旅4 「島の闘い」

  もうなんか、この島にきて2、3日目のような錯覚を覚えているんですけど。
 眠りからさめれば、そこは戦場。
 いよいよ神輿を神社に上げる番。聞いていた時間よりもだいぶ遅く、5時30分のスタート。
 今度は朝と違い今度は若い人が多い。しかもなんか一人ひとり結構ごつい。なので今回は脇役だ。11wが後綱、17kとおいらが前綱。 ラッキーとか思っていたら、これが地獄でした、はい。

 港の御旅所を出て、すぐに神輿の「練習」もかねて前綱と後綱での引き合い。それが終わるとすぐに石段スタート。
 今度はかなり島の人が出てきていますな。路地のあちこちから、おじちゃんやおばちゃんが出てきてる。神輿は、その中をヨイヤサーとかけ声を出しながら進んで行く。ちなみに、朝一緒に神輿を下ろしたおんちゃん連中は、全員酔っぱらっている(笑)

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 やっぱりこの階段は長い。すぐに息が切れだすけど、気持ちがいいので意外と大丈夫。そして、みんなが疲れた頃を見計らうかのように、神輿を時折とめて長唄が入る。しかもおんちゃん連中は酔っぱらっているから、少し手順が崩れたりしてその度に止まったりして。
 途中の広場で御練り。神輿を前と後で引き合い、前がそれに打ち克つと神輿ごと走り出し、最後は神輿を高くみんなで掲げあい、長唄の休憩。
この繰り返しを約5周。おいらはここで喘息が出てしばし休憩。茶を飲んでいるうちに11hが到着。風呂上がりでいかにも気持ち良さそうだけど、おいらたちはもう汗だくだ。
 神輿はおいらが休憩中も3周か4周し、いよいよ参道の階段へ突入。だけどこの階段、あがっては戻り、あがっては戻りの繰り返し。実際に重いので簡単に上げられないというのもあるし、きまりごととして戻すというのもあるらしい。だけど相当スリリング。急な階段のあと、すぐにまた急な階段が続く難所なので、事故がありやしないかそんなことまで不安になってくる。
 というわけでおいらもここで復帰。この状況を放置しておいたらさすがに男がすたるのかなんのかよくわからんけど、とりあえず戻ったときの写真がコレ↓

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 ホントにきつい。17kもさすがにダウン気味。だけどまだまだ参道は続く。最後に待っているのは神社の石段100段以上。ここでかけ声が変わって(なんといっていたか忘れたけど、かなりかっこいい)、一気に駆け上がる。もう10-20代の若い師も完全にクタクタだ。
 だけど、だけど、まだまだ!
 やっと神社の境内に戻ったと思ったら、ここからまた御練り! しかも何回回してもまわりのおんちゃん連中が「あと18回!」とか「あと200回!」とかいいゆう。
 こらもう死にそうです。すごいです。ここまでやらないと神様はかえらへんのかとすら思い出します。神様なんて普段意識しない人間でも、思わず神様を意識するようになる瞬間です。とりあえずタケムラ32歳はここで息の根が止められてしまい、ダウン。17、11はまだ20代なので元気です!
 まあそんな感じで境内をグルグル回っているうちに、ようやく周囲のギャラリーから拍手が。これが終わりのサインなのか、ゆっくりと神輿が本堂に戻り、巡行ならぬ荒行が終了。すっかり日も暮れた境内に、ラッパと鈴の音が響きます。
 はー、疲れたけど参加して良かった!
 まずこんなこと滅多に体験できないことだし、おいら的にははじめてまともに神様というものを見てしまった瞬間だったような気がする。
 終わってみると足袋もビリビリ。激戦の勲章なのだ。

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 17家に戻ると、炭火焼肉と鯖、伊勢エビなどの疲れも吹っ飛ぶ豪華な食事! 17祖母の小唄を聞きながら、麦酒に酎ハイをやりながら、まるで2-3日分はあったんでないかというくらい充実した長い一日を振り返ったのでした。
 そして、夜には満天の星空のもと花火大会&天の川観察会。まるで高校生のような夜の過ごし方ですが、そんな過ごし方がこの島では一番なのです、きっと。。。




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沖の島小旅3 「島の昼寝」

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 くたくたの身のまま、帰宅。特に11wは心底疲れてしまったらしく、肩の痛みを訴えている。背が高いからね彼は。特に神輿が肩に食い込んだらしい。
 まあなにはともあれ午後はきまいと3人で弱音を吐く。
 その言葉だけが頼り。結局は都会育ちというか体力自慢ではないおいらどもにとって、下りですら大変だった神輿を担ぎ上げるなんてことはどう考えても不可能なことと感じられた。もはや、無謀というか。ましてや石段ですから。
 17家に着くと、祭りに誘ってくれたおじさんが来ていて、担いだかと聞く。しかし疲れきったおいらどもの顔を見て何かを察したらしく、
「午後もあげんといかんけん、絶対にいきよ」と強く云う。

 顔を見合わせる3人。もう「はい」と云わなければおじさんは納得してくれなさそう。
 「はい、行きます」
 なんとか声を振り絞って答える。
 少しブルーになる3人。どう考えても、あの石段を750kgの神輿を担いでいくだなんてありえない。
 そんな感じになっていると、具沢山のカレーを振る舞われる。芋とニンジン、肉、それぞれが結構大きくて、まさに「おうちのカレー」。昼間から飲む麦酒と合わせ、なんだか幸せになってきて午後の神輿のことをしばし忘れて行く。。。
 おいらは、一日6時間半寝ないとだめな体質だ。もし夜5時間しか寝れなければ、あと1時間30分は昼寝や夕寝などでカバーしてやらないと思考能力、体力等が一切フルパワーにならない。この1時間半を翌日に持ち越しても、確実に蓄積されていくので、最終的にはどこかで早めに寝なければならない日がやってくる。
 今日は、1時過ぎに寝て5時半に起きたので、2時間は不足している。それゆえに、とにかく眠たい。朝の神輿は担げたけど、カレーでおなかがいっぱいになったとたんに猛烈な眠気がやってきた。
 なので、土間のベンチで一眠り。顔にタオルをかけて、おばあちゃんの声をバックミュージック?に。夢も見たんだけど、いずれもすぐそばで起きている会話が夢に反映。現実と夢の境界がわからなくなる。
 30分くらいここで寝たんだろうか。起きてみると、海の見えるテラスでみんなは一服+昼寝。なんとかおいらもここで起きないと!と思って最近のお気に入りタバコ「うるま」を一服。
 だけど眠い。部屋に戻って茶でも飲もうかと思うと、その向こうに和ベッドがちらり。ぼーっとベッド周辺をみていたら、17母が「寝たらえいけん」と一言。
 そのとたんにまた猛烈な眠気に襲われて、ベッドに倒れ込む。扇風機もかけてくれて、再び爆睡40分。
zzz…
 夢から覚めたのは、11夫妻が散歩に出るという声。
 せっかくこんな島にやってきて散歩せんわけにいかん! と思ったとたんに目が覚めて、おいらも一人散歩スタート。ホントは相棒とウロウロできたら一番おもろいんだけど、まあ今回は欠席なので仕方なし。
 ほんとにこの集落では、どこからも海が見える。犬がのんびり無警戒に寝ていたり、窓を開け放して老夫婦が会話を楽しんだり。

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 この島、高齢化は相当進んでいるし、17家がそうであるように島を後にした人も多い。立ち並ぶ家も、意外と空き家が多いのだとか。
 だけど、不思議とこれだけの立体路地、立体空間の中を歩いていると、どこまでも人の気配を感じることができる。どこからか人がこちらを見ているかのような錯覚。都市の縦横に整理された団地のような「死角」はここにはないのだ。
 この島は、お年寄りにとっては間違いなく不便な土地だけど、「帰ってきたい」という17祖母の言葉の意味がよくわかるような気がした。
 気がつけば、また路地の片隅にできた日陰で、またうとうとと眠ろうとしていた。いかん、いかんよ!寝過ぎだ。
 船から見えたこの集落は、「小さい」感じだった。だけど、歩いてみると坂だらけなのでいちいち遠い。だいたい40-45度の急斜面ですからね。しかも、意外と行き止まりも多いのね。いかにも思わせぶりに下まで続いていそうな道なのに、いきなり柵が出てきて「だめー」となる。

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 30-40分散歩してから17家に戻り、今度は17祖母が座る窓辺でみんなでのんびり。3時から神輿を上げるという話を聞いていたので、この窓辺からみんなで御旅所を眺めて「いつでも出れる体制」でもあるのだ。足袋も履いたりしてね。
 ところが、待てども待てども気配がない。そうこうしているうちに、またもや睡魔。この写真、11hが左の方で寝ていたりするが、入れ替わりでおいらも 1.路面で寝る →2.港の見えるテラス方面で寝る ととにかく「寝る」の繰り返し。まあこれでなんとか一日の睡眠時間量をキープしたことになる。




まだまだつづく




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沖の島小旅2 「島の朝」

 イルカの群れから離れて数分。
 右舷には姫島(無人島)、左舷に沖の島がみえてくる。沖の島でまず見えてくる集落は母島(もしま)。江戸時代の土予国境紛争のあった時代には伊予領だったという集落だ(当時は母島/弘瀬間での婚姻も認められていなかったとか)。
 豊後水道のはじっこにあたるからか、このあたり、特に波がきつい。ゴツンゴツンと波を越えて行く。

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 8時15分頃には、沖の島弘瀬が見えてくる。ちょうど岩場に貝殻がくっついているのと同じような感じで、山裾にびっちりと集落が固まって張り付いている。でも、思っていたよりは小さい印象(この印象がまた後で・・・)。
 8時20分、弘瀬着。ここで下船。17kの母と祖母に引き連れられて、今日泊まる家に案内してもらう。
 集落はまさに山裾にしかない。平地は、港のところだけで、あとは平らな部分なんてひとつもない。港沿いの道からすぐに細い階段やスロープが集落の中へと続いて行く。

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 17家は、集落のやや右手にあり、玄関周りからすぐ外に海がみえる。おじいちゃんが改造しまくったという家で、たぶん漁船とかで使ったのであろう派手なペンキや黒ペンキで、ところどころセンスよく塗り分けられているのが印象的だ。
 波音も、心地よく聞こえてくる距離。この集落では、どこからでも海が見える。そして、着いて間もなく家の近所を少しだけ散歩。きれいに積まれた石垣のなかを、縦横無尽に路地が抜け、海に向かって突き出すように、はたまた石垣と石垣を渡して、洗濯物や海産物を干すための縁台が設けられている。そう、この風景こそ沖の島。
 17家到着後、しばしのんびり。背の低い家で、何もかもがコンパクトにまとまっているけど、路地側の窓辺にはおばあちゃんが道行く人を捕獲するための窓(家の中/外ともに椅子付き)があったり、海の音を聞きながら寝ることのできる和ベッドがあったり。また、屋根続きの土間には、到着後まもなく早速地元のおんちゃんやおじいちゃんがやってきて、おばあちゃんと大きな声でお話会が始まったりしている。
 この地域は幡多弁。「している」が「しちょう」、「すごい」が「ざまに」など、結構言葉としてはかわいらしい言葉が多いところだ。んで、この島に居るあいだに何回も聞いたのが「うっとうしい」。要は「邪魔」とか「めんどくさい」とかそんな意味らしいんだけど、なんだかこれをおばあちゃんとかが言うとかわいらしいやら面白いやら。
「この雨戸はずさんとうっとうしい」とかね。
 そうこうしているうちに、17母が、せっかくだからお祭りの御神輿かついだらえいけんと足袋を買ってきてくれた。いやもうこれはほとんどお断りする理由も無く、いやお断りする間もなく。
 で、9時30分頃には荒倉神社へ。この神社は、弘瀬集落のまさにてっぺんにある神社で、そこまで上がるのでも結構脚がガクガク。ほんと平地が無いので、休むこともできん。とにかく上がるのみ、だ。
 そういえば、この島では荷物を運ぶのに、木で組んだ「担ぎ用」のL字型のリュックのようなものを使っている人が多い。おいらがみたのはお年寄りがメインだったけど、このL字型担ぎ材に荷物をくくりつけて上り下りするわけだ。
 実際、そんなものがなければ、これはきつい! でも、この階段を神輿をかついで降りてくる・・・だなんて、これまた想像を絶する。

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 で、早速想像を絶するところへ。
 神社に到着後、しばしのんびり。境内に大きなアコウの木があって、その気根のはり具合に眼を奪われたりする。
 で、そのうち神社の法被を渡され、お宮の中へ。まさに中ぶりという感じの御神輿のまわりに、体格など考慮して配置が決められて行く。おいらは後綱、17kは前綱、11wは担ぎ役。とりあえず綱は楽なのだと地元のひとが教えてくれる。良かった。おいら喘息持ちですから。
 御神酒。結局2杯くらいもらいながら、まわりの何人かは酒を御神輿にぶっと吹き付けたりしてる。紙パックの安酒だけど、うまい!
 そうこうしているうちに、本殿での祈祷?が終わり、ラッパが吹き鳴られる。一斉に御神輿の周りに付けられた鈴を鳴らし、宮司が神となって神輿へと入る役回りを演じる。おいら、こんな風景を目の前で見た事無いので、もう感動ですよこの段階で。

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 神が神輿に移った後は、布で扉が空かないように神輿を締め付けたりして、いざ出発。基本は長唄?をところどころ挟みながら、「ヨーサンヤ・ヨーサンヤ」というかけ声をかけながら巡行するもの。
 とりあえずおいらたちはどういった経路で、どういった速度で、どこまで巡行するのか、も全く一切わからずに行っているので、戸惑いの連続。綱も引っ張ったらいいのかなんのかよくわからないし。。。とりあえず境内を出てからは、途中の広場で御練をしたりしながら、港の御旅所までおりていくわけですが、ところどころで休憩も兼ねて唄が入り、唄に合わせてかけ声を掛け合う場面が。また、練りは神輿を前後の綱で引き合い、最後は前の綱が勝って広場の中を走り、高く神輿をかかげるということの繰り返し。おいらにはこれがきつかった〜!(特に、午後)
 その間、女性は神輿に賽銭を投げ入れ、神輿の下をくぐって戻る。担ぎ役の男性陣は入れ替わってしばしの休憩。11wは既にダウン気味。
 30分くらいかけて御旅所に着いた頃には、クタクタでございました。そして、午後の「帰り」はもう参加すまいと決心して、17家へと戻ったのでございます。 
ところが・・・




まだまだつづく




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沖の島小旅1 「島への道」

 高知の西端、宿毛湾の沖合に浮かぶ孤島・沖の島(宿毛市)。この週末は、沢マンの17号(17hと17k)、11号夫妻(11hと11w)と共にこの沖の島へと小旅に行って参りやした。
 沖の島の中心集落弘瀬は、17kのお母さんのふるさとで、今回の小旅は弘瀬の荒倉神社の秋祭りで17k母、17k祖母が一時帰島するのにあわせてお邪魔しようというものです。
 もともと沖の島はすごい行きたいところでした。高知に戻ってきて約8年、県内で行ったことのない集落はあんまりないんではないかというくらいウロウロしてきたのですが、沖の島、鵜来島などの島だけはその中で完全に抜け落ちていたのです。まあこれは、沖の島に入るには朝夕2往復の船に乗るしかなくて、行くには前日に宿毛入りしておかないといけないというのが大きかったわけですが。。。

 今回は、前日の金曜日の夜に沢マンを出発。全員が沢田マンション住人で、しかも全員が3階に暮らしている超ご近所さんなので、もうあまりにも楽です。途中で拾ったりする必要がない! マンション出発は20時30分。途中馬鹿話などしながら23時には宿毛着。泊まりは宿毛の17kの実家です。なんだか改築に改築を重ねたらしい立派な家で、着くなり早速ビールとおつまみを出して貰い、のんびり思い思いの時間。んで、おいらは眠かったので早めに睡眠。
 気付いたら、朝。船は7時の出航なので、5時30分に起床。おいらがこんな時間に起きることは一年に数回もありません。正直眠い、眠い。だけどなんでこんな時間にきちんと目が覚めたかというと、この家の愛犬であるジンの散歩に行ってみたかったというただそれだけのこと。

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 愛犬メイが亡くなって以来、あんまり犬とふれあうのが好きじゃなくなっていたんだけど、やっぱり犬はえい。しかもなんか歩き方が変な犬で、まるで欽ちゃん走りのような歩き方。そんな歩き方だからかしらないけど、ちょっとした溝もようジャンプできん。だけどおなかをなでると猛烈な勢いですぐにひっくり返り、足をバタバタと上下運動。
 あーかわいい。こういう馬鹿犬(実際にはかなり賢い犬種ですが、喜び方が馬鹿なほどかわいい犬という意味)、おいら好きです。わかりやすいというか。。。
 んで、朝食を摂ったのち、宿毛港へ。旅はここから。朝7時、朝日とともに宿毛港を出港。船は春の直島ツアー以来。だけど今回の船は本当に小さい船。下手をすればちょっと大きめの漁船なみというくらいの大きさなのだ。船には島への郵便物や食糧、その他荷物等が積み込まれ、ピーという電子音にも似た警笛を鳴らしながら港内を出る。
 興奮モードのメイツは小さいけれど海風が気持ちのいい甲板に上がり、大月海岸や宇和海岸を眺める。 

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 まず向かうは鵜来島。小さい船ということもあって、時折何かにぶつかったような揺れ方をする。こら酔い止め持っていなかったら結構厳しいかも。
 そして結構飛ばすのね。徳島の鳴門の渦潮観潮船ほどではないけど(北朝鮮の工作船よりも速いという)、舳先で砕かれる波しぶきは相当に大きい。。。
 この間少し仮眠をとって、鵜来島に7時50分着。島では荷物を積み降ろしし、何人かの島民が乗り降り。面白いのは、ここに限らず係留するためのロープの「受け」を島民がやっていること。船から投げられる係留ロープを受け取り、港の留め具に手際よく結びつける。おいらが見たのでは、鵜来島はおばあちゃんで、沖の島弘瀬は子どもだった。
 ここから30分で沖の島。一度仮眠で全員客室に引っ込んでいたけど、島が近づいてきたこともあってみな外へ。すると11hがなんだか大騒ぎをしだしている。なんじゃなんじゃと思って右舷を見ると、そこにフリッパ〜!!!!!!!

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 11wによると計5頭が船周辺を並走していたらしく、右に左に行き交いながら時折ジャンプしてくれる!
 野生のイルカ!
 なんでもこの巡航船でもイルカの群れに会うのは珍しいらしくて、船員さんも写真を撮っていたりする。隣に立っていた女性客もひとりパチパチと拍手。うん、これは拍手したくなるし興奮します。



 もうまさに幸先のよい旅路。これだけでも幸せな感じです。



しかし島でおいらたちを待っていたのは・・・・




つづく





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沖の島小旅(予告編)

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 金曜日の夜から2泊3日で沢マンの11hw、17hkと沖の島(宿毛市)へ5人旅。たぶんブログにきちんとまとめて出すにはしばらく時間がかかりそうなので、「予告編」としてそのクライマックスだけ軽くご紹介!

 沖の島は宿毛港から小さな船で約80分の沖合にある高知県最大の島です。んで、その沖の島の中心集落が今回泊まった弘瀬。この日はちょうど荒倉神社のお祭りの日で、11wと17k、そしておいら18は神輿担ぎにかり出され、集落の最高所にある荒倉神社と港の御旅所との間を神輿担いで(実際には引っ張る)往復しやした。
 この写真で右上の方に写ってるタオル巻いたのがおいらですな。その少し右に居る後ろ頭が見えているのが17。階段から転げ落ちそうな神輿を引っ張る役です。
 まあこれがとにかく大変。おいら喘息持ちなので途中2回ちょっと休憩させてもらいましたが、高低差でいえば100Mはありそうな階段をずっと神輿引いたり担いだりして「ヨイヤサー」とかけ声あげながら上げて行くわけですよ。しかもその途中の広場で神輿かついで何度も何度も走りまわったりするわけですよ。
 もう、死にそうだったけどほんとに面白かった。
 というわけで明日以降、この旅の模様を少しずつアップして参ります。
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四国漫遊記-4【地中美術館から南寺まで】

4月6日。旅も最終日。皇室なみのスケジュールで今日までやってきたが、最終日こそきつい!スケジュールで動いていくのであった。

本日は朝6時起き。結局前の日2時過ぎまでゴロゴロしていたのでそりゃ眠い。朝飯は6時半から。昨日の夜とはうってかわってかなり豪華な朝食。湯豆腐まで付いている。

8時過ぎのフェリーで高松から直島へ一時間の船旅。結構大きなフェリーで、積み込まれた車は土木用の作業車や産廃処理の車が多いように感じられた。

 宮ノ浦到着後、ベネッセアートサイトへ直行。途中やけに立体的な安全人形や草間弥生の南瓜を発見。いいねえ。のどかだねえ。やっぱり草間さんは最高だねえ〜

 

 最初に覗いたのは地中美術館。安藤忠雄設計の真新しい美術館だ。あまり事前に情報を入れずにいったのだが、ここもイサムノグチと同じで写真は一切厳禁だとビジターセンターで変なトレーナーを着たお兄さんに指導を受ける。建物も、作品も、何もかもすべて。撮っていいのはビジターセンターだけ。建築まで規制するというのはなんかおかしいと思うんですが。

 それでなんだか釈然としないまま地中美術館まで少し歩かされる。左手にはまだ自然になりきっていないビオトープが。あとで調べたらこれはモネが愛した植物を配した庭園なんだとか。

 はじめに見せられるのは、「チケットもぎり」ボックス。作品でもなんでもないチケットもぎりの人が入るための箱だが、1M×1M÷2の三角形の中に人が入っていて、チケットをもぎってくれる。どうみても苦しそう。どうみても荒行。どうみても変。この先の道程に否が応でも心が躍る。この先、どんだけ変なのか。

 スロープをあがり、エントランスへ。しばらくは安藤建築独特のコンクリートの通路を往く。すると右手にトクサの植えられたドライガーデンがあらわれ、この周囲を回りながら2Fへと入る。背の高いトクサの周囲には羽虫が少しだけ群がり、なんかラピュタの操作室でムスカが「はぁ〜うぁっ」とか言いながら虫をはねのけゴリアテをおとすシーンを思い出す。「見ろ、人がゴミのようだ」

 この間、安藤忠雄的コンクリートの壁に囲まれた空間を往く。無機物と空の対照は自然と人との関係を喚起させ・・・なんていう言葉はあまり響かない。なんだかただただ無機的。そして今度は石が敷き詰められた三角形の広場へと出る。無の広場という感じ。

 そしたらいきなりサティアンの映像で見たことがあるような白い服をまとった無愛想な女子がそこに突っ立っている。どうやら展示室らしい。第一室、デ・マリアの間。広い空間に大きな階段、中央に漆黒の御影石。周囲によく分からない金色の物体。まるで聖廟。音のない空間に光が射し込み、足音がやけに響く。無愛想な白衣の信者に向かって御影石の巨大な玉をころがしてやりたいが、たぶんそんなことをしたら変なトレーナーを着た信者に怒られそうなのでやめておいた。空虚な権力を象徴するかのようなこの空間に出迎えられることで、見る者はこの美術館の「異常性」にいきなり引きずり込まれる。

 次にジェームス・タレルの間。まず見るのはなんかよく分からない光が壁に照射されているさま。これは意味がわからん。次に通されたのがお墓の中。白い光が台形の石室に柔らかく射し込み、思いの外暖かい。ここに30分もいたら、きっと頭がおかしくなる。最後に通されたのが、青い光の間。ここだけは白衣の信者はいなくて、なんだかそこらへんを歩いていそうなオシャレなお兄さん。信徒じゃないらしい。青い間は3〜4人ずつしか入れないようになっていて、しばらく暗いベンチで待たされる。なんだかキャバクラで席待ちしているかのような錯覚を覚えるのはどうしたことか。青い光の間は、死への光。死への空気。死へと向かう道。なぜか信者に「真ん中を歩くように」としつこくいわれながら御影石の階段をのぼり、青い光が支配する空間に立つ。あまり奥に行き過ぎると警報が鳴る。その警報線の向こうには立体感覚のない壁が。触りたくても触れない光。

 それにしても警報がうるさい。昨日のお笑い番組で中川家が「マクドナルドでポテトをつくる人」の物まねをしていて、ハォワ、ハォワという仕上がったというお知らせブザーが鳴る様をしていたことを思い出す。どうにもおいらは雑念が入りすぎらしい。ちなみに、警報のセンサーをまたいでみたりするが、やっぱり鳴る。

 脱力感を覚えながら、信者とすれ違いながら最後の室、モネの間へ。床に敷き詰められた白い1cm角の大理石は柔らかく、少しだけ地上を浮いて歩いているような感触がある。部屋はそのすべてが白い空気に包まれ、すっかり見飽きたはずのモネの睡蓮もなんだか生き生きとして見える。あるブログでは「瞬間と永遠」とこの室を表現していたが、なるほどその通りだ。

 

 おいらには地中美術館は「死と生の美術館」に感じられた。作品を展示しているのではなく、まるで死生観を展示しているような感じ。作品はむろんこれを直接間接的に表現し、見る者にそれを喚起させる装置として機能する。そして、これを取り巻くスタッフはオウムの信者のように白い衣装に身を纏い、あの事件に深い衝撃を覚えたおいらにはこの空間を一つの宗教施設かのような錯覚感を与えてくれた。無愛想なのもまたこれを演出する装置なのか。何を言っても馬の耳に念仏っぽいところもそう。たぶん彼らは、決められたことしか言わない。というか言わないでほしい。笑ったりしないでほしい。「地中カフェ」もまるで斎場の休憩室のように、整然と机が並び、その上に整然と水差しが並ぶ。「いらっしゃいませ」とか言わず、静かにお茶と落雁を出してくれたらいいのに。

 おいらは作品を見るとき、いつも何かと対照させながら見る癖がある。自分の価値観や記憶と対照させながら、その作品と自分との距離感を計り、理解をしようとする。なんだかいい見方だとは思えないけど、ラピュタやオウム、斎場といった記憶(しかもかなり俗的でチープでごめん)とあまりにもぴったりとくる、そしてそれ以上の何者もないほどに死生観や宗教といったことを心の奥底から感じさせられた。ものすごく強い脱力感だ。

 さっきはなんかよくわからなかったモネの庭も、終わってからみるとなんかラピュタの庭園みたいに見えてくる。「すべて」が終わった後の庭園で、ロボットがその命の続く限り手入れを続ける、そんなイメージ。そう、ここをロボットがピコピコいいながら歩いていてもおかしくない。通りがかった時は丁度園丁が庭の手入れをしていたが、彼を見ながらS氏とラピュタの一節を思い出しながら喋ってみた。

「動いていない!」

「ずっと昔に、止まっていたんだ」

爆笑。おっとこんなところで爆笑していたら、ビジターセンターのトレーナーさんに怒られる。

地中美術館
開館時間:3月1日〜9月30日
       10:00〜18:00(最終入場17:00)
       10月1日〜2月末日
       10:00〜17:00(最終入場16:00)
休館日:毎週月曜日、火曜日および12月30日〜1月2日
     ※ただし月曜、火曜が祝日の場合は開館
     4月29日〜5月5日、8月13日〜8月15日は開館
入場料金:大人2,000円、子供(15才以下1,000円)税込み
       年間パスポート10,000円
※ベネッセアートサイト直島に一泊以上滞在する場合は滞在期間内の再入場可能。詳しくはフロントにて問い合わせを。

 ここから道を戻り、ベネッセハウスへ。地中美術館の異常さにすっかり頭をやれているので、何を見ても響かないし面白くない。基本的に「高校美術」の教科書を地でいくような基本的な作品が多く、きわめてノーマルな美術館のすがたを示しているような感じだ。おいらにはちょっとつまらない。地中美術館とベネッセの美術館、見るならこっちから見ないとつらいかも知れない。

 でも、柳幸典のバンザイコーナーには感動だ。今回は柳の代表作に2つも出会えて、うれしい。ここはつまらなかったので20分もたたずに退場し、キャンプ場で珈琲を飲んで一休みして、宮の浦へ戻る。

ベネッセハウス◆入館料1000円 8ム21時

 宮の浦には何カ所か食べるところがあるが、選んだのは「ふじ食堂」。ずいぶんと小さなコンクリートの箱がそのまま食堂になっていて、いかにも「島的食堂」。入ると小さなおばあちゃんがせっせと準備をし、奥で補聴器をつけたお爺さんが鼻をかんでいる。ヌードポスターが壁に貼られ、その向かいには神棚が。お爺さんとお婆さんは仲がいいのか悪いのか、たぶん耳が悪くて少し耄碌しつつあるお爺さんに苛立つのか、お婆さんが何度も怒鳴るのも微笑ましい。カレーライス(500円)はジャガイモがなくなるくらいに煮込まれていて、うまい!

 次に家プロジェクトと屋号プロジェクトをやっている本村地区へ。宮の浦とはうってかわってなんだか大きな家や仕舞のきちんとした家が多いのが印象的な集落で、この町並みの中に「南寺」「角屋」などのアートスペースが散在する。ただ、町歩き好きのおいらにとっては、思ったより「普通」の町歩きに終わる。サインもかわいらしいし、町並みもキレイなんだけど、逆に発見して楽しい部分は少ない。サインがきちんと付いていることで、むしろその家への探求心が失われるような部分もあった。町歩きという面では、意外と宮の浦の方が良かったりするかも知れない。

ただ、集落を見下ろす高台にある八幡神社は良かった。これは屋号でもなんでもないのだが、大きな楠の下をくぐりぬけて上がっていく参道は素晴らしい。少しだけくねくねとした道成に山門があらわれ、これを抜けていくと突然本堂へ到達する。本堂の裏を入っていくと「家プロジェクト」のひとつである「護王神社」があらわれる。

 そして「南寺」。本当に光も何もない、真っ暗闇の部屋の中で5分ほど待機すると、朧気に光が見え、その光へと向かう波紋が見えてくる。自分には音も聞こえてくるような感じがした。狭い空間のはずなのに、無限の広さを持つ空間のようにいつの間にか錯覚し、方向感覚の一切がなくなった。恐るべしジェームス・タレル。

 最後は「角屋」へ。原美術館以来の宮島達男との再会。なんかこの人の作品は言葉にしがたい。柳幸典と宮島達夫はやっぱり好きだけど、好きに言葉はあまりいらんのかも。

  さて、そういうわけで思ったより早くに直島の全行程を見終え、3時過ぎには港へと戻る。しばらくお土産などを買い込んで、4時の宇野行きのフェリーに乗り込んで本州上陸。結局ここからだと高松にまっすぐフェリーに乗ろうが、宇野経由で瀬戸大橋に乗ろうが、それほど値段に差がないのだ。それに4日間も旅を共にするとさすがに別れがあまりに寂しいので、S氏を岡山駅まで見送ることにしたのだ。

 それに、94〜96年に岡山の大供交差点にあった「自由工場」の跡を見に行きたいというのもあった。この場所では、間もなく取り壊されるビル全体をアートの実験場としていた場所。唯一の恩師で現京都市立芸大の井上先生が主催していたプロジェクトで、ビルと一緒に消えゆく作品を展示したり、ビルの欠片を使った作品をつくったりと、たくさんのアーティストたちが自由に、様々な方法で作品をつくっていた。おいらやS氏も94年にB氏と一緒に来たことがあって、自由工場の写真を建物に埋め込んだりしていたことがあった。

 でも、もう当然ながら跡形もないし、どこにあったのかももはやわからない。11年という歳月はこんなにも!と思えるのだった。

そして、疎遠になったり近くなったりしつつ、11年以上もご縁が続いているというのも不思議というかうれしいねえと話したりしつつ、S氏を見送って小旅行は終了!

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