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特撮博物館展、巨神兵あらわる。

東京都現代美術館で開催中の庵野秀明の特撮博物館展は、
ここ数年見た展覧会の中でも異色さと面白さが際立っていた。

ウルトラマン、巨神兵、ゴジラ、戦艦や飛行機などの軍事物と、
自分ら世代が通ってきた道の裏側でどのような技術と苦労があったのか。
館長庵野秀明特撮博物館

特にオール特撮で撮影した「巨神兵あらわる」は映画本体もさることながら、そのメイキングが秀逸だった。
ものを作るというプロセス、その技術と、継承の難しさ。
職人の仕事はその多くが行き先怪しい状態だが、
特撮は印刷などと並びこの先が厳しい職種の一つなのかも知れない。

が、男としかこの面白さを共有できないのは残念。

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東京小旅2010-2011+関西

2010年から2011年にかけては、やったら東京へ行くばかりで、

あんまり旅らしい旅はしなかったのだった。

まあわかったのが、

商売人でもない限り、東京は年に1-2回行けば充分なのだということなのであった

(3回目は本当に行きたい所も用事もなくて、それが幸いして東北へ行けた)。

小旅総覧09-10の続きです

 


2010.11.4-6 オールライト工房3兄妹ご案内による東京活版巡り

初日は昼便で東京入り。渋谷の宿入りしてすぐに嫁は世田谷美術館などへ行き、おいらは三鷹の山田文具店などを訪問。夜は表参道で土佐和紙プロダクツの設置で相談中のお店など訪問。夜は妹真奈の放送作家で婚約者の四駆郎さんと初会食。
翌日は8月のイチハラヒロコ展で初めてお会いしたオールライト工房の高田3兄妹のご案内で、東京の活版関連のスポットを一日中ご案内いただいた。
江戸川橋の佐々木活字店では古い鋳造機からテープを読み込んで一気に文字を鋳造する大きな機械などを見学。それからどんどん地下鉄と徒歩を継ぎながら、親子で活版印刷機を回している清澄白河の東海印刷、銀座の中村活字、千駄木のPAPIER LABO、そして最後に鵜の木のオールライト工房を見学。かなり足の痛い一日だったけど、東京でもその灯がいつまで続くか分からない活版印刷を、どうやって次へつないでいくかを考えさせられる一日なのだった。
3日目は銀座のアンテナショップへ。地下一階の土佐和紙商品はいまひとつでため息。1階も四万十ドラマと馬路の物がやたらと目立つ格好で、それがかえって隣の沖縄と比べた時になんとなく高知県全体の商品力の弱さが引き立つ感じがして、これもまたため息。まあ始まったばかりで商品の数も少なかったりするのでなんともいえないけど、こういうお店って開店直後のイメージが結構重要な気もするだけに気がかりなのだった。
ちなみにアンテナショップにはウチもその後置いて貰うことになるが、売上げは芳しくはない。なかなかやっぱり物を売るというのは難しいのだ、ということを思い知らされることになる。理想と現実・・・

 

2011.3.7-9 東京ヒノキカグデビュー

東日本大震災直前の東京ひとり訪問。初日は東京ビッグサイトで行われる展示会に大正町森林組合が出展するので、その展示の手伝いへ出動。夜はスーベニアプロジェクトの小池田夫妻と初対面めし。TOSAWASHI PRODUCTSを軸に商品開発や販売計画を立てていこうというお話で、ついついいろいろ盛り上がって終電間際に。
2日目は目黒区美術館で「包む」展、庭園美術館で「20世紀のポスター」展、さらに飯田橋の印刷博物館、八重洲の雑貨店、蔵前の「カキモリ」へ。足はプルプル。夜は夏頃にイギリスに留学するべく準備中だという富士通のコンサル友達と根津で久しぶりに飲む。
3日目は渋谷。オンリーフリーペーパーを初訪問し、静かに話が盛り上がる。どうやって稼ぐかほんま課題ですな。ぜひ続けて欲しいだけに。。。それから久しぶりに渋谷中をウロウロしてみるも特に収穫はなく(この昼過ぎに東北で東日本大震災の前震)、午後は再びビッグサイトへ。
空港まではバス。その車中、こんなところで地震来たらいやだなあとか、この狭い街で地震来たらほんま危ないなあとか思っていたら、2日後にそれが本当のことになった。
この11日は、組合のメンバーも有明からでれなくなり、物産開発でたまにお手伝いさせてもらっているM君もちょうど東京入りしていて当日は東京脱出ができなくなったりした。

 

 

2011.5.7-10 東京・仙台

妹の結婚式。ライセンス司会のなか、やっぱりちょっと変わった結婚式なのであった。
ビデオメッセージはココリコなど吉本芸人が続々と登場。
こっちの仕事とは全く性格の違う仕事なんだなあと改めて思う。
2人が出会うきっかけとなったのは、よさこいで最近人気の「かなばる」でのこと。
従って、披露宴も二次会も、四駆郎氏がかなばるのダンスを激しく踊った。
どうも竹村家系統の結婚式では新郎が踊る羽目になるらしい(おいらもyummyと踊った)。

結婚式の翌日3日目ははじめての仙台へ。
牛タンを食べたいというのと、やはり一度は見ておきたいということと。
しかし今考えると、地震から2ヶ月後という結構早い時期で、よく余震に会わなかったものだと。
仙台の記事は「仙台小旅」「石巻・福島。」へ。
2011.7.17-19 関西強行軍

前日は四万十市で@sakanayamaさんと@shin9さんと飲み。
翌日から久しぶりの松山経由関西小旅。
嫁は芦屋の姉宅に先乗り。
おいらは松山でyummydanceの「ドロップス」を鑑賞してから、全速で芦屋に向かうも、途中姫路の少し手前でダウン。
昔ならもっと走れたはずなのに、3時少し前になるとやっぱりどうにもならない模様。
結局四万十〜松山の疲れも溜まってたらしくドップリSAで寝てしまい、芦屋に着いたのは昼過ぎ。
それから京都に入って「かねよ」で昼飯を取り、恵文社やガケ書房、裏具など毎度の訪問先を訪ねる。
ちなみに夜は寺町のスタンドと六曜社など。
祇園祭が終わった直後だったのだが、まだ囃子が新京極に出ていたりしてうれしい。
最終日は大阪で活版印刷に取り組む明晃印刷へ。
イケイケドンドンなまさに大阪商人で、東京で活版に取り組むメンバーとはまた違った迫力。
帰路は台風の嵐の中をいつ橋が止まるかヒヤヒヤしながら、明石鳴門経由で四国入り。
が、高松道に入ってしばらくすると嘘のように風も雨も止み、夕焼けが広がり出した。
なんでだ、おい。目の前に台風あんのに。

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小旅総覧09-10

旅好き。だけど最近は記録に滅法残さなくなってしまってることを悔やみ中。

なのでこの2年の間、どこへ行ったか備忘録。

今年はなぜか東京と京都がやたらと多い。

 

 

2010.7.23-25 松山~広島
松山でyummydanceの撮影、三津で美味しい丼を食べてからフェリーで広島へ移動し、夜は旧沢マンメンバーで広島飲み。翌日はあちょーの結婚式に出て、夜は小料亭。最終日は宮島へ。帰路、大豊~南国通行止で土佐町経由で帰宅

2010.6.22-24 東京~京都
夜行列車サンライズ瀬戸で東京入り。案の定興奮して寝付けない。
初日、東京ではTOSAWASHI PRODUCTSの営業。三鷹の山田文具店、吉祥寺のサブロ、高円寺の道具屋、目白のポポタムなど。久しぶりに吉祥寺のサンロードではよく見たら25年前とぜんぜん変わってない看板を発見。
夜は池袋で大宮在住の夫妻の結婚式関連ツールの打ち合わせ。翌日は京都へ移動しイチハラヒロコさんと京都駅で打ち合わせ、終了後徒歩で河原町まで移動し、六角のかねよで夕飯。


2010.5.7-9 東京~鎌倉~茅ヶ崎
初日は横浜の築地活字で「文字のできるまで」を見せてもらう。昼からは銀座や八重洲あたりをウロウロ。夜は有楽町で焼鳥、銀座のど真ん中で銭湯堪能。翌日は錦糸町での吉岡さとるさんの写真展を見てから、鎌倉へ移動。鶴岡八幡宮など。夕方には茅ヶ崎に移動し、祖父と嫁初対面。
最終日は祖母の墓参りへ。空港へ向かおうと駅に入ったらJRが全線ストップしていて難渋。戸塚までタクシーで移動したところでJRが再開し、なんとか出発に間に合う。




 2010.3.6-7 芦屋~京都

美術館の河村学芸員と現地集合でイチハラヒロコさんと打ち合わせ。
夜はMeetsでみつけた「よし田」というお惣菜屋さんで晩飯。めちゃうま。翌日は漬物屋さんや「裏具」、「かねよ」など。



2009.10.13-25 Paris,Mainz,Freiburg,Muenchen
日本制覇してから!と思ってたけどついに初海外。思いのほか面白すぎ、2年に1度はどっかへいきたいと夢見るようになる。

2009.9.12-13? 芦屋~大阪~神戸
11月からの使える和紙展に備え、道具や参考品探しに大阪へ。帰りに神戸のIKEAに寄り思いのほかコーフン。

2009.5.16-5.17 倉敷~松山
松山でのyummydanceの「耳打ちせずにいられないことが」観覧にいく前に、遠回りして倉敷へ。三宅商店でメシ。倉敷は表通りよりも裏通りがはるかにいいことを知る。結構マニアックな店も多くて面白い。夜は松山入りし観覧、その後の懇親会にも出席することになり泊まることに。mama!milk清水さんやトオヤマタケオさんら楽団員も見に来ていて、いろいろお話。めっちゃいい人や~。
翌日は松山城でのイベントへ。全体的に、こういうクラフトやアート、エコ系のイベントの質は高知が異常にハイレベルだということを改めて理解。

2009.5.1-5.4 島根~鳥取
おいらのもーひとつの田舎、島根への小旅。出雲大社、松江城、お堀巡り、島根県美など。子どもの頃いくつ食べられるかが夏休みの絵日記のサブテーマにもなってた「八雲庵」の割子蕎麦も10年ぶりくらいに賞味。夜は新天地というビルのてれすこという店などハシゴ。翌日は安来の旧宅跡と飯島の本家へ。商店街ではちょうどお祭りをやっていた。また、こども県展で特選を取った絵を描いた清水寺の五重塔にもたぶん20年以上ぶりに登る。
米子では最近観光地化しているらしい駄菓子屋さんや皆生温泉の浜辺などに立ち寄る。帰りの高速は渋滞。疲れたの
で湯原温泉でイップク。久しぶりに射的なぞも。



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銀座で日曜市

銀座で日曜市。

土佐の日曜市はおばちゃんたちとの絶妙な掛け合いが面白い。
普通に居眠りしてたり、風が強ければさっさとたたんだり。
実際見ないと面白くないのが日曜市で、
実際見てしまうとその面白さにやられてしまうのが日曜市なのだ。
だけど、そんな日曜市がいつまでも「台無し」になっている。こたびの東西軸プランでも、日曜市が抱える後継者問題や空きコマ問題、店舗業種の均一化、距離が長過ぎること(昔より業種が均一化されたので、飽きてくる=長い)といった根本的な課題への抜本的対応がまだ不足している。そして広報PRも、たぶんどっかの代理店が受けてどっかのデザイナーがポスターを作って終わるんだと思う。
が、日曜市はデザインじゃ伝わらないんだよね、どうにも。数年前にあった日曜市のポスターなんてひどいもんで、それでわざわざ高知まで来るかおい?みたいなポスターだった。でも、実際作るのはすごい難しいなあというのもまたはっきりしてて、よさこいと同様にとっても「デザインしにくい」観光資源だと思われる。
だとすれば日曜市をみせるのはデザインではなく編集だろうと。かつてArneをきっかけに現在につながる日曜市の静かなるブームのきっかけが生まれたよーに、いかに編集でみせるか。いまでは当時のArneは古くさく見えるので、さらに次のステップにいかなあかんのだろーなあと思う。
そういう意味では、日曜市が本質的に持つマニアックさをより強く打ち出すこと、よかれ悪かれ急速にシェアをのばすTwitter的な口コミサービスに対応できるPR戦略を練ることが大切に思える。Arneは「センスのある人」の目を通したみせ方だったけど、今度はその裏側。普通の目線。
で、あと話題性という意味では、この時代「東京」の人々が受けないとどーにもならんという状態になっているので、東京をギャフンと言わせるか、ヘーと思わせるよーなことをしちゃらんと意味が無い。じゃないと媒体作ってもポスター作っても、「田舎らしい朝市があるんですね」と今まで通りいわれつつける。
で、とりあえずその第一弾としてすぐできそーなのが、銀座での日曜市。せっかく夏にアンテナショップがオープンするというのに、詳細情報が流れてこないせいかあまり話題になってない状態だけど、そこらへんの路上か裏路地でも借りて日曜市を銀座に輸出しちゃったら一気に話題になるんでないか?
日曜市のおばちゃんたちは当然朝が思いっきり早いから、毎週人を変えて朝いちばんの便で東京へ行ってもらう。できれば20店舗くらいは最低あって、服装もなんもかんも超普段通りで銀座の路上をちょっとだけ占拠する。
これは確実にテレビも新聞もネットも動くんでなーか。西の島国の、いつまでも龍馬龍馬と騒いでタタキをよく食べている謎だらけの、だけどなんか面白そうな高知から、これまた謎の集団がやってきたと。朝市ですか?いや、日曜市ですと。Twitterではどこの店が出る出ないとか、今日はキュウリが云々とか、しっかりツイ割りとかもやってですよね、おばあがTwitterやりゆ的な演出もしてったら面白いと思うんですよ。
当然「謎の高知」のアンテナショップにも人が入るだろーし、そこできちんとプロモーションできたら高知への観光客だって少しは増えるんでないか。んで、実際高知に来たら、リキシャが走っていたり商店街や郊外に並ぶマニアックな店を訪ね歩く楽しみを知ることができたりすると。
実現するにはいろいろハードルがありそうだけど、普通にアンテナショップをやってもなかなか百戦錬磨の他県には勝てないわけで、だったら高知最強、日本唯一でよそには真似ができない文化を日本のど真ん中に持って行ってしまおう、そんな話です。

 

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なぜ、人々は東京へ向かう

人々は、東京へ向かう。
◇高知に戻ってもう10年。そのあいだに、結構たくさんのまわりの人々が、高知を去って東京へ向かって行った。出て行った人々の多くは帰ってくることなく、もしかすると帰る機会も失ったまま、東京で暮らしている。
東京という場所に暮らすことは、何かを得ることにつながるはずだ。高知のような生ぬるい街では得られがたい経験やつながりが東京では得られるはずだ。しかし、なぜかそういうことを思う友達たちの口からは、意外とその他の都市や国のことを聞くことがない。
大都市だけで考えても、おそらく東京と大阪では学ぶことは見ることは全く違う。京大・阪大・神大の学生が、おいらの知る限り見事なまでに性格が違うように、京都・大阪・神戸の三都もまた違う。札幌や福岡、名古屋も、それぞれ九州、北海道といった地域を束ねる大都市ということもあり、関東関西の大都市よりもどこか深い、変な濃密さがある。そして、それぞれの都市が東京とは全く違う経験を与えてくれるだろうな、と思う。
だけど、この10年の間に、そんな東京以外の大都市を選んだ人は誰もいない。まあ関西は東京一人勝ち時代の構造不況に喘ぎ続けているから、行かないほうがまともなのかも知れないけれど、一人ぐらいそういう人がいてもいいものなのに、少なくともおいらのまわりではみかけない。

◇東京は甘酸っぱい。「東京で暮らす」というだけで、何か自分が大きく変わることができるような、そんな甘美な響きがある。だけど、正直いってそんなに事情は甘くはない。多少は物事の見方が広がるであろうにせよ(たぶんそれはどこに住んでもそうだ)、高知にいようと東京にいようと、その人自身は案外「東京へ行く前」といつまでも同じ悩みを抱えたままであったり、「東京で見るもの・知るもの」の楽しさの呪縛にハマってしまい、高知がやがて「見るもの・知るもの」がないところに思えだす。
東京が楽しいのは、与えられるからなのだ。いつでもどこかで何かが起きていて、与えられることでお腹が一杯になってしまう。イオンモールを歩いているとついつい買い物がしたくなる(?)ように、目の前にたくさんの餌がぶらさがっているから、単純にいって楽しい。目の前の餌が不味ければ次の餌が隣にある。その点でいえば、高知はそんなに餌が並んでいない。探さなければ餌にありつけない。「見るもの・知るもの」は、「見に行くもの・知りにいくもの」になる。
◇だけど、おいらが思うに、高知をはじめとする地方に、それほど「見るべきもの・知るべきもの」が少ないとは思えない。むしろ、東京は単なる坩堝、美味しい野菜やフルーツを掻き混ぜすぎて一体何が入っているのかさっぱりわからんミックスジュースのような感じがする。美味しいけれど、なんなのかよくわからない。
しかし、時代はミックスジュースなのだ。ハリウッドがアメリカ政府の御用映画を作るのと同じように、日本のメディアは東京の御用番組をせっせとつくりだす。地方の民も、できれば地元素材のぶっ濃いジュースを飲みたいけれど、とりあえず安くて美味しく飲みやすいミックスジュースについつい手が伸びてしまう。他所の町のジュースにはなかなかありつけない。
そして、地デジ導入で疲弊した地方局は、広告収入の減少もあってますます地産地消ジュースを作る力を失い、この傾向はますます強くなっていく模様。数十年後、地方局という存在はなくなって、「地方らしいニュース」を東京から“流してもらう”ためのキー局の支店になっているかも知れない。
90年代まで、テレビ番組では関西制作の番組が結構あって、それはもう面白かった。特に90年代中盤のEXテレビ(日本テレビ)は、週5日の放送日中2日間が関西制作の「EX OSAKA」で、とことん東京に対抗意識を燃やす上岡龍太郎や紳介がそれまでのテレビの常識をぶち壊す企画をどんどん立てていた。その勢いは三宅裕司が司会で進めるトレンドや時事情報をアーカイブする「EX TOKYO」を遥かに凌ぎ、いまでもEX OSAKAから派生した番組として「行列のできる法律相談所」や「なんでも鑑定団(テレビ東京)」が残っているほどだ。
だけど今、関西制作の番組はずいぶん少なくなったようだ。ワイドショーで「情報ライブ ミネ屋」が急速に勢力を伸ばしているほか、目立つのはEXテレビの影響を何となく感じる「たかじんのそこまで言って委員会」や「M-1グランプリ」などほんのわずか。関西が一番勝負できる価値であったはずのお笑いも、東京式の1-2分の短くて分かりやすい「効率的な」ネタしかやらせてもらえないから、ダウンタウンや中川家のような本物の芸人が育たなくなってしまった。また、雛壇芸人が重宝されるように、やっぱりここでもミックスジュース化がすすんでいる。「EX OSAKA」のような地産地消なぶっ濃い番組は、もはや受けないのか、やらせてもらえないのか。
テレビ以外にも本社機能の流出など大阪の地盤沈下はよく喧伝される。このことがますます「東京へ行きたいの」症候群を加速させているような気がする。「東京」を考える手前で、同列で比較できる対象物がなくなってしまったというか。
◇東京とは、そう思うと進行した農耕民族型社会というか、はたまた進化した社会主義型社会のように思えて来る。どこかへ何かを探しに行く前に、目の前の集約化された畑で収穫できたものを食べられる。必要(そう)なものは与えてくれるし、特に考えたり動かなくても、一応飢えることはそうそうない。むしろ、お腹が一杯。EX TOKYOは、その点で典型的な番組だった。
で、田舎は逆。自分で何かを探さなければ面白くない。目の前にあるのはホントの畑で、情報の畑はないから、とりあえず狩りに出かけないといけない。必要なものは探さないとみつからないし、そうしないとつまらなくて仕方がない。不満がたまってお腹が一杯になる一方。仕事量の面でも同様で、失業率だけで考えると帰って来るのは二の足を踏んでしまう。その点で、EX OSAKAは、そこをどう楽しむか・切り開くかに命を張っていた番組だったし、良心的なブログやタウン誌はそういうことを探し回っているような気がする。
なぜ東京へ出た人が帰って来れないかというと、いったん農耕民族社会に慣れてしまうと、そこでわざわざ狩猟民族に戻ろうとしても、そこで必要な技術や生き方がずいぶんと異なるからじゃないかと思う。逆に、わざわざ東京を捨てて高知へやってくる人もたまにいるけれど、そういう人たちの東京時代の生活を聞いていると、狩猟する必要がそれほどない東京型社会に鬱憤がたまっている「自分で探したほうがおもしろいや」な猟師タイプが多いようだ。
東京へ出て行った人々の一人でも帰って来ていたら、たぶんこんなことは思わないんだろうなあ。だけど、現実に一人も帰ってこないというのは、しと悲しい。まあ、実際に求人がないから帰れない、とも聞く。それも大きいね・・・と言いたくもなるけど、じゃあなぜわざわざ東京から高知へ来て仕事にフツーに就いている人がいるの???と思ってしまうわけで。結局はその人次第、ということか。

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[東京小旅・夏]鉄道博物館初訪問なのだ

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東京小旅2日目は大宮の鉄道博物館。
あまりいろいろ書くと別のブログになってしまうので細かくは書かない。
だけど、思ったことはいくつか。

むかしの車輛は全鋼製だ。なので、車体全体が色に覆われる。写真の101系なら全面がオレンジ色だし、寝台車は青、交流機関車か赤と塗りわけられる。そうすると、全景写真を見てもわかるように地味だけど案外いろいろな色味が出てくるようになる。顔つきもそれぞれの配属先や用途にあわせて工夫があるし、思いのほか多彩な感じがする。いまの時代は、どれもこれもがステンレス。色があってもせいぜいシールで細い帯を付けるだけ。東京地区ではJR・私鉄間で鉄道車輛技術の共有化もすすみ始めているくらいだから、車輛ごとの個性はこの先どんどんなくなっていく時代になりそうだ。
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そういうことも含めて、この博物館は技術やデザインに関してなんとなーく感じることがいくつかあった。駅名板や車輛形式銘板などで使われていた鉄道フォントのなんともいえない柔らかさや、いまや無くなって久しい食堂車のご案内シート。ちょうどポスター展をやっていたんだけど、プロパガンダポスターにも通じるなんともいえない力強さ。また、女性の方が興奮気味にグッズを漁るミュージアムショップ。
そして、ちょっと驚いたのは、女の子だけのグループが結構いたり、カップルが案外多いということだ。そして、意外とみんなテンションが上がっているらしい、ということ。
もしかすると、男ぐらいしかムンムンこない歴史系の博物館やイケてない観光施設とかでも、鉄道博物館の仕掛けがヒントになるところがあるんじゃないかと。たとえば、鉄道博物館ではほとんどの「資料」に乗ることができ、運転シミュレータや模型鉄道、モータ駆動実演など、いくつかの体験型プログラムが用意されている。また、飲食施設がいくつも館内にあって休憩がしやすく、見学経路も特に決まりがなくて自由に動けたり、押し付けがましい観光協会やガイドの蘊蓄を聞く必要がないことのも実は意外と新鮮だ。さらに、ちょっと暗めの照明であるとか、かなりでかい施設ゆえ相当歩かないといけない・・・というのも、もしかしたらテンションアゲに何か関係しているのかも知れない。
それにしてもこのポスターはどうかと。ちょっと怖いです、このお姉さんは。
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[東京小旅・夏]朝っぱらからDESIGN BUSSAN

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だいたいなんでJALもANAも同じような時間に飛ばすかね。
それも、朝の7時15分に東京行きが2本出たら、そのあとは昼前というのはどういうことよ。
眠いじゃないの・・・
おいらはホントに朝が弱い。
子どもの頃は夏休みのラジオ体操がホントに大嫌いだった。6時半にわざわざ公園まで出向いて出席帖にハンコを押してもらい、ほんの5分体操して家に戻るその行為が、とにかくしんどいわアホらしいわで大嫌いだった。義務と権利とはいうけれど、子どもにとっちゃあまりに世知辛い義務じゃねえかとすら思っていた。
中高時代は、遅刻するくらいなら休んでしまえという合理的な考えを持ってしまい、2年生の頃は遅刻したらまっすぐ友達の家に飛んでいってのんびりしていた。大学時代、1コマ目を取らないようにしてみると、一般教養が4年まで続き、卒業できるかどうかとって〜も不安な日々を過ごすハメになった。

そんな男が東京出張で飛行機を使うと、一日中不調が続くことになる。せっかく朝一番で銀座入りし、松屋の開店と同時にDESIGN BUSSAN NIPPON展を見に行ったというのに、大して気分が盛り上がることもなく、むしろどっか冷めた気持ちのまま会場を後にすることになってしまったのだ。
会場はものすごくステキな感じ。真っ白な四角い台の上に、47都道府県から本展のディレクターであるナガオカケンメイさんがチョイスしてきたデザインの利いたブッサンが並ぶ。だけど、なんだか「デザインでっせ!」という感じの張り切り感が微妙に伝わってきて、ちょっとだけそこで疲れる。
また、なんというか、思っていたよりも既視感の強いチョイスであることも、ちょっとばかし残念だった。ホントに良く探したのかな、と。たとえばタウン誌など地域雑誌の選択もかつての書肆アクセスとかで見つけたんかな・・・とちょっと穿ってしまうくらいハイハイそうですねという感じだったし、パッケージ物もだいたい年鑑とか図集で見たことのあるようなものばかりだった。
まあそれでもこれだけの「デザインの利いた」本物を見れるというのは滅多にない機会だから楽しいことは楽しいんだけど、朝から続く眠気がどうにも心の琴線をぐいっと掴んでしまって震えることがない。
これは、後日高知へ帰って来てから図録をパラパラとめくってみても引き続き思うことだった。なんというか、この図録に並ぶいろいろなBUSSANが、結局はデザイナーが選ぶと「たぶんこうなるな」という感じのチョイスに見えてしまうというか。・・・なんというか、もしかすると一般人とデザインやっている人の間に横たわる乖離ってここなんでないかとすら思ってしまう。
おいらは、デザイナーに上手いねえと褒められるデザインよりも、そこらへんのフツーのおじさんおばさんに興味を持たれるデザインの方が、ずっと好きだ。DESIGN BUSSANに並ぶ作品の数々も、もちろんすごいなあと思うものはたくさんあったけど、ごく一部に前者ぽいものがあって、それがなんだかおいらの中で勝手に「全体の印象」に悪影響を及ぼしていった感じがした。
そう、眠いと、こうなるのだ。やっぱり9時台の東京行きを設定してほしい・・・

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明日は東京。路線図みてたらふと思うこと


明日からまたもやトキョ。
ブログではあまり書いてないけど、なんじゃかんじゃと数ヶ月に一度はトキョ巡りの機会を得ている。で、今回はNPOに去年度助成してくれたある財団の報告会への出席するため。プレゼン用のkeynoteをつくって、備えてみる。
それにしても、トキョはいつも行くところに困る。いろいろとあるようで意外とない。少なくともメシは期待できないし、期待しているのは書店くらい・・・展覧会とかでも、京都や大阪の方が見たいものがあるよーな気がする。いつも行く度にトキョってなんなんだろうと思う。
前回は国立のつくし文具店や国立本店、下町のアノニマスタジオとかを回ってみた。じゃあ今回はというと、ちっくら鉄道博物館へ行ってみようかと思っているのだ。ついでに王子あたりから都電にも乗ってみようかと。さいきんのところ、鉄成分、20年ぶりの勃興。たまにゃそういう旅もいい。
で、その下調べをしながらふと思ったこと。東京や大阪じゃあ「路線図」はイヤというほど見る機会がある。メトロもJRも、見たことがない人はいない。車内に掲示された路線図をボーッと眺めてみたり、切符売り場で探してみたり(まあ最近はカードなんであまり見る用事もないわけですが)。だから、どこにどんな街があるのか、どこに行くためには何線に乗るのか、ということを普通に考えるトレーニングができてくるし、乗ることを意識できる。
むろんそれは乗った先に目的地があったり、渋滞ばかりの車よりも公共交通の方が便利というそもそもの大きな違いがあるわけだけど、逆にいえば路線図があるから行動を促しているようにも思えてくるわけで。
今から何十年も前に国鉄が取り組んだ路線別カラー(中央線はオレンジ、山手線は緑とか)の導入や、当時はまだシンプルな路線網だった営団地下鉄の路線図はインパクトがあったという。事業者側が「乗ってくれ」と思ったことがそのまんま形になったものなわけで、複雑で混乱しやすい「乗り方」を分かりやすく整理してくれた作業そのものだったはずだ。
じゃけど高知の公共交通ではそれがない。まともな路線図がないから、常連さんじゃあない限り「乗ること」を考えるきっかけもできない。こないだ書いたエントリのコメント欄を見ていると、事業者さんもそのことにあんまり気付いていない気配。
そうなんですよ、高知の公共交通は京都の料亭なんです。一見さんお断りなんです。常連さんじゃなきゃぶぶ漬け食べていかれます?と言われるわけです。だけど常連さんはお年寄りか学生さんだけ。長い目で見れば決して上顧客とはいえない。むしろおいらたちくらいの世代が乗るようなものにせねば。
たぶん、カードをつくったり、乗り場環境をよくしたりところで、やっぱり路線図がなけりゃあダメなんじゃないか?  その路線図に所要時間や平均ヘッド、又はQRとかで主要停留所毎のダイヤへリンクしたりとかすれば、もそっと便利になるかも知れない。それに、料金だって市内は一律で200円ですよとなれば「釣り銭」の心配もなく乗れるようになる。初乗り190円ならおいらは200円の方がいい。下車時に「釣り銭を作る」のは、ホントに意外と面倒いのだ。
路線図。変に難しい御託を考えてみたりするより、これがあればずっとわかりやすいし、ワクワクする。印刷も込みで100万もかからん。助成金を引っ張ってくればなんとかなりそうだし。
そんなことを、トキョの路線図を見ていたらふと思った。やっぱり基本はワクワクさせることでしょう・・・やっぱ作ろうかね、勝手に。
参考■ロンドンの路線図はかっこいい

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東京小旅 新宿やら六本木やら

いったん書かなくなると書かなくなる。
文章から離れたらいかんなあと思いつつ、ここ2ヶ月完全にブログ離れしてましたな。
さて。8月は半年ぶりの東京。
今年の2月、3月の東京は横浜とか池袋とかだったので、今回はかつての東京時代によく遊んでた新宿を本拠に活動。
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とりあえず、高速バスは朝早くに着きすぎる!ということで、新宿駅到着後は10年ぶりにゴールデン街方面へ。開発の噂を聞いていたので、もう無くなったかと思ったら全く昔と変わらぬ佇まいなんですな。
こういう空間って、貴重ですな。吉祥寺の横丁はそのまま残っているらしいけど、最近の東京は何処行ってもなんだか大開発ばかりで、こういう人のサイズのところが徐々に消えて行ってる。新宿の西口の横丁も消えるとかいうし。

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そこからダラダラ歩く。
新宿、なんだかずいぶんこぎれいな街になった印象。石原知事がずいぶんと張り切って安全な街・新宿に仕立てたというけれど、なるほどと納得。そういや93年頃、東京に一週間くらい滞在して、「東京悒景」という写真シリーズを撮ったことがあったんだけど、その頃はちっと東京の中でも大阪のような猥雑さがあって面白かった。雨上がりの街に晴れ間がぎゅーっと差し込んで、光と陰がずいぶんと強調された写真たち。
その頃は南口もまだ再開発途中だった。松坂屋までの道沿いには赤線の名残のような建物がちらちらとあって、南口の広場もなんかとりとめもない空間でしかなかった。だけど、今はずいぶんサイケデリック。改札から大きな階段がおりてきて、その先ではミニスカートのお姉ちゃんが団扇やティッシュを配ってる。
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まあ夜の宿も新宿に取っているので、目的地である六本木の東京ミッドタウンへ。
ここミッドタウンはなんつかちょっと六本木ヒルズよりもお高い感じと聞いてはいたけど、商業ゾーンとかは思ったより狭くて、意外と拍子抜け。
とはいえ入っている店は高知じゃまずお目にかかれないような高級店(値段が)ばかり。まあでも触手の動く店はそうそうない。むしろ静かにムカーとくるのが、地方の産品でデザインが「とんがってる」のばかりを集めたお店。ミッドタウンの中でも結構賑わっている方のお店だったんだけど、妙に地方産品もこういうところに媚びてしまうとつまらんなあと感じてしまう。
唯一興奮モードになったのは、小泉誠や柳宗理のキッチンアイテムを集めたお店。本でしかみたことなかった小泉誠の箸置きなど欲しい! だけどまあ実際には箸置きはそうそう使わないので、小泉誠のケトルを購入。
んで、昼〜夕方まではJAGDAの写植のトークを傍聴。面白いけど、実際に写植をできるようなところはもう高知には皆無なので、いまひとつ実感できずに消化不良。
夕方からは青山ブックセンターの六本木店で書籍アサリ。デザインやら地域やらの本を探すけど、思ったよりいまひとつで、そういや高知にゃ洋書をゲットできる店がないなあ・・・などと思いつついくつか洋書などゲット。
まあ洋書は別にそんなにおいらも需要しないけど、書籍系の充実してなさは地方でも高知はピカイチかも知れませんな。
そもそも公共交通の発達してない高知では、本を読む時間がないもんねえ。
東京や大阪とかなら、通勤通学のちょっとした合間に読書の時間が取れるけど、そういう時間を持てるのって、実際高知じゃ高校生だけというか。
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その後、東京でコンサル勤めしている友人と合流。この方は九州出身だけど、東京を拠点に四国やその他あちこちの地域計画をやっている人だ。今年はじめ、経産省の知り合いの人から街なか活性化の関係で話をしてやれいとの電話が縁のはじまり。高知のコンサル仲間が全滅した中で、いろいろと興味深い話がきけるのだ。
んで、麻布十番の蕎麦屋で氏がたまに行くという蕎麦を食らう。氏も地元九州へいずれ帰るかどうかの迷い時らしく、田舎は田舎でしんどいぞーという話など。
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そして新宿。12時を過ぎてもこの人の波。高知も金曜の夜は人がたくさんだけど、なんで12時にこんなに人がいるんだ!とちょっと呆れてみたり。
東京はまめにくるべきだとは思うけど、なんだかくるたんびに「高知やばいっしょ」と思うのはなんでだろう。
最近までは、東京をみても「高知はいいねえ」と思っていたんだけど、ねえ。

に投稿 2件のコメント

東京画 Tokyo-ga

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おいらのバイブル的映画。
荒木経惟がなにかの写真集でこの映画のことに触れていて、はじめてみたのが10年くらい前のこと。
小津安二郎の「東京物語」の世界を見たくてやってきたヴィム・ベンダースが、
小津の描く東京とは絶望的に違う「今」の東京の光景を呆然と撮りつくす。
ベンダースが一歩も二歩も離れて撮った東京は、あまりにも異常で、
まさに「光景」とでもいうべき風景の連続だった。
そんな感じの映画。
「東京物語」で笠演じる老夫婦が東京で受けた冷たい仕打ちが、
そのまま形を変えてヴェンダースへ向かったような。
映画後半の小津に仕え続けたカメラマン厚田雄春への淡々としたインタビューもいい。
厚田の小津への慕情や尊敬の念、小津の厚田への信頼の念。
それがしんみりと伝わってくる。
厚田は、小津のことを延々と語り続けた後、最後に言葉を詰まらせる。
「もう勘弁してください」
そして、そのまま「東京物語」のエンディングへ。
妻亡き後、笠がぼんやりと家で過ごすシーンだ。
Tokyo-Ga
監督:ヴィム・ベンダース
出演:笠智衆ほか
1985年

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この映画に写る東京は24年前の東京だ。
ちょうどおいらが東京で思い切り子どもだった時代(78-85年)で、なんとなく懐かしい。
こんなにもパワフルな街にいたのかと思うと同時に、なんと空々しい街におったんだろう、とも。
最近はなんだか半年に一回は東京へ行っているけど、
この街の力強さと空々しさはもうずっと、東京物語の時代から何も変わっていないのかも知れない。
何度訪れても楽しいしちっとは住みたいなあとか思うけど、
二日も経てばどこか空しくて、どこかつまらない東京にうんざりしはじめる。
だけど、なんでこの街はこんなに絵になるんだろう。
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