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紙を漉く。漉きまくる。

伊野の土佐和紙工芸村で、のべ5日間(参加したのは4日間)の土佐和紙の紙漉研修に参加した。
まあ研修とはいってもやや非公開的なもので、一昨年やった紙の博物館での「使える和紙展」以来なんだかんだとお世話になってる紙漉の磯崎さんや田村さんに直々に手ほどきをいただけるもので、本当にありがたすぎる。

一日目

楮のチリトリ
今回自分たちが漉く分の和紙は、TOSAWASHI PRODUCTSや竹村活版室の商品としても使う。
なので、初めてだった去年よりも漉く量はずいぶん多くて、三椏5kg、楮のチリトリ2kg、楮のチリトリなし2kgを用意してもらった。それぞれ初期加工は磯崎さんの方でしてもらっていたので、実際に自分たちがやるのは薬品などでそれぞれの原料を煮込むところから。
煮込んだ楮や三椏はそれぞれ丸ごと大きな桶に放り込み、流水で30分くらい流すのだが、楮はある程度手荒く扱っても大丈夫なのに三椏はあんまりやると細かい繊維が流れてしまうとか、材料毎に気遣いするところが違っていて面白い(大変)。
午後は楮のチリトリ作業。今年の楮は吾北から仕入れたものだそうだが、皮を剥ぎ取る「へぐり」が丁寧だったらしく、チリトリもそれほどには大変ではない。 まあ今年は県立美術館のイベント関連で別グループの人たちとも一緒だったので、その方たちがたくさんやってくれたというのも大きいんだけど。
夕方前には、三椏をビーターにかける。ビーターは、流れるプールのような形の機械で、ここに三椏ならそのまま、楮なら「タンタン」という皮を叩く機械又は人力で叩いてほぐした繊維を投げ入れると、何周かするうちに仕込まれた刃で繊維がほぐれ、紙漉しやすい程度になるというもの。もとは洋紙の世界で使われていたもので、昔の和紙ならタンタンをしたらそれで紙漉の桶に入れ、棒などでかき混ぜる「ざぐり」をしてから漉いていたそうな。 

ビーター
ビーターでぐるぐるまわるうち、団子状だった繊維はどんどんほぐれていく。そして、このあたりからほぐれた繊維が服や靴にかかると、乾燥するとそこに和紙の塊ができるようになる。和紙がさっきまで乾燥していた楮や三椏なのだということをなんとなく認識する瞬間だ。

ビーターにかけ終わると、今度は「スクリーン」という機械にかける。これもプール状のステンレスの桶なのだが、底に0.1mmくらいの細いスリットが何十本も付いている。ここに先ほどビーターにかけてほぐれた原料を入れて電源を入れるとダンダンダンと激しく振動し、スリットから細かい繊維だけが通過して落ちる。

スクリーンの作業。棒で繊維を底のスリットになでつけるスクリーンの作業
この工程は今年全くはじめての経験で、まあ実際甘~く見ていたのだが、思いのほか大変だった。というのも、5kgの原料を通すにはそこそこ回数が必要ということと、投入したらそのまんまスイスイと三椏が流れていく訳ではなくて、木のヘラのようなものでスリットを強く撫でつけ続けないと流れてくれないのだ。さらに、ダンダンダンと激しく振動する中でその撫でつけをしないといけないので、ビチャビチャと濡れるわ、ちょっと高いところにある機械なのでビーターから下ろした原料を投入するにはバケツに小分けにしていちいちウンショとしないとダメだわで、なんだかんだと全身を使う。

ましてや慣れてないわそもそも普段運動してないわ塩梅も当然わからないわで、たぶん3人掛かりで1時間くらいかけてやっとこさ終わったような感じだった。ちなみに小柄のウチのスタッフの山中氏は顔じゅうビショビショで、服やエプロンにもあちこちに和紙の繊維がつく始末。おいらも初日は靴で行っていたので、足下に落ちた三椏が靴紐の合間に入ったりしてしまったりする。

まあビーターもスクリーンも、どれもこれも「機械」とはいってもほとんど人力なりいつでも人の目が必要な原始的なもので、ちょっと人間が楽になる(とはいえかなりの差があると思う)程度のもの、ということらしい。タンタンだけはかなり差がありそうだけど。

ここらへんは、去年の研修記録を兼ねて土佐和紙プロダクツのホームページでまとめてある。

 

んで、二日目~四日目。

昨日思っていたより早く原料処理が進んだということで、昼前から早速漉き始める。まずは三椏。小桶で5-6杯を漉き舟に入れて、漉き舟全体をかき混ぜる「ざぐり」をする。それからトロロアオイを叩いて漉したノリを入れて、ざらに棒でかきまぜる。

ほぐして後は漉くだけの三椏みるのはかんたん、こぶり。
この棒でかきまぜるのを「こぶり」というのだが、これもまた塩梅があって、ボートのオールを持つような感じで棒を持ち、手前に引く時だけ強く「ザブッ」と鳴るように混ぜる。なんとなーくできるんだけど、磯崎さんに言わせると「なんか変」とのこと。たぶん4日のあいだ何回もこぶったけど、どうにもなんか変のまんまだったようだ(ちなみに他の人たちは「もっと変」だったような)。

漉き舟は普段工芸村のお客さんが葉書を漉いたりする用の小さなもので、本職の紙漉さんからするとたぶん相当小さい。一回両手を広げても余るような漉き舟で流し漉きをやらせてもらった時は、桁一杯に紙料が入った時の重さにビックリした。これを本職は一日に何枚も漉く。

紙料を桁ですくって水を落とす一回一回裏返して重ねていく
今回おいらたちが漉いたのは、今後の商品活用もにらみ名刺やA3程度の和紙がほとんどだった。漉き舟も幅90cmくらいの小さなもの。桁も持ち手のところは体の幅くらしかないから、当然そんな重いものではない。が、それでも一日じゅう漉き続けていると最終的には全身が痛くて、帰ると超疲れて仕方がなかった。職人の世界はやっぱり体力と集中力がないと到底無理だ。そしてなにより探求心と。

紙漉の工程は、2~4日目の間、常時2桶で3-4人(おいら、活版室、スタッフ山中、吉岡氏のうち。4日目は東京からスーベニアプロジェクトの小池田夫妻にも到着してすぐに労働を強要)で漉きまくった。仕上がったのは三椏と楮チリトリで名刺を千枚ぐらい、金封などで使う用の薄めの楮の和紙を数百枚、その他葉書や封筒、ミニカードなどなど。なかなかいい紙ができたので、近々商品にも使っていく段取りだ。

 

和紙の研修も今年で2回目。全く何が起きるのか分からなかった去年よりも、全貌が分かっている分楽しみつつ、また実際に自分たちで漉いた紙を売るということもあってそれなりに真剣に漉いた。まあ本職からすると甘い紙だろうけど、なんとなく、ほんの少しだけ紙漉さんの気持ちが分かったような気がしないでもない。

そしてまた、いつも「高い高い」と言われ続けてなかなか売り込みが難しい手漉き和紙を、これからどうやってほんの少しでも普及させることができるのか、そのための明示的なヒントというのはなかなかまだ見つからないのであった。これだけの工程があったら高いのは当たり前。されど素人目には機械漉きとの違いは分かりにくいという現実。

従来通り、建物内装や美術修復、美術作品用としての路線は当然堅持しつつ、その180度反対側にある「暮らしの中へ」的裾野を広げていかないことには、紙漉さんはもちろんのこと、楮や三椏の栽培農家、その加工工程(楮蒸しや皮のへぐり)を担う人々への対価を支払うことは(高齢化の先にある、山村部の急速な人口収縮後に特に)ますます難しくなっていくだろう。

農業とか物産と同じで「顔が見える」戦法もありそうだけど、これはこれでそもそも限界を感じるし、またスターを生み出す可能性はあっても広がりは薄くなる。他の産地との連携、全くの異分野との連携。土佐の手漉き和紙全体の裾野をどうやって広げるのか、まだまだよく分からない。

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東京小旅2010-2011+関西

2010年から2011年にかけては、やったら東京へ行くばかりで、

あんまり旅らしい旅はしなかったのだった。

まあわかったのが、

商売人でもない限り、東京は年に1-2回行けば充分なのだということなのであった

(3回目は本当に行きたい所も用事もなくて、それが幸いして東北へ行けた)。

小旅総覧09-10の続きです

 


2010.11.4-6 オールライト工房3兄妹ご案内による東京活版巡り

初日は昼便で東京入り。渋谷の宿入りしてすぐに嫁は世田谷美術館などへ行き、おいらは三鷹の山田文具店などを訪問。夜は表参道で土佐和紙プロダクツの設置で相談中のお店など訪問。夜は妹真奈の放送作家で婚約者の四駆郎さんと初会食。
翌日は8月のイチハラヒロコ展で初めてお会いしたオールライト工房の高田3兄妹のご案内で、東京の活版関連のスポットを一日中ご案内いただいた。
江戸川橋の佐々木活字店では古い鋳造機からテープを読み込んで一気に文字を鋳造する大きな機械などを見学。それからどんどん地下鉄と徒歩を継ぎながら、親子で活版印刷機を回している清澄白河の東海印刷、銀座の中村活字、千駄木のPAPIER LABO、そして最後に鵜の木のオールライト工房を見学。かなり足の痛い一日だったけど、東京でもその灯がいつまで続くか分からない活版印刷を、どうやって次へつないでいくかを考えさせられる一日なのだった。
3日目は銀座のアンテナショップへ。地下一階の土佐和紙商品はいまひとつでため息。1階も四万十ドラマと馬路の物がやたらと目立つ格好で、それがかえって隣の沖縄と比べた時になんとなく高知県全体の商品力の弱さが引き立つ感じがして、これもまたため息。まあ始まったばかりで商品の数も少なかったりするのでなんともいえないけど、こういうお店って開店直後のイメージが結構重要な気もするだけに気がかりなのだった。
ちなみにアンテナショップにはウチもその後置いて貰うことになるが、売上げは芳しくはない。なかなかやっぱり物を売るというのは難しいのだ、ということを思い知らされることになる。理想と現実・・・

 

2011.3.7-9 東京ヒノキカグデビュー

東日本大震災直前の東京ひとり訪問。初日は東京ビッグサイトで行われる展示会に大正町森林組合が出展するので、その展示の手伝いへ出動。夜はスーベニアプロジェクトの小池田夫妻と初対面めし。TOSAWASHI PRODUCTSを軸に商品開発や販売計画を立てていこうというお話で、ついついいろいろ盛り上がって終電間際に。
2日目は目黒区美術館で「包む」展、庭園美術館で「20世紀のポスター」展、さらに飯田橋の印刷博物館、八重洲の雑貨店、蔵前の「カキモリ」へ。足はプルプル。夜は夏頃にイギリスに留学するべく準備中だという富士通のコンサル友達と根津で久しぶりに飲む。
3日目は渋谷。オンリーフリーペーパーを初訪問し、静かに話が盛り上がる。どうやって稼ぐかほんま課題ですな。ぜひ続けて欲しいだけに。。。それから久しぶりに渋谷中をウロウロしてみるも特に収穫はなく(この昼過ぎに東北で東日本大震災の前震)、午後は再びビッグサイトへ。
空港まではバス。その車中、こんなところで地震来たらいやだなあとか、この狭い街で地震来たらほんま危ないなあとか思っていたら、2日後にそれが本当のことになった。
この11日は、組合のメンバーも有明からでれなくなり、物産開発でたまにお手伝いさせてもらっているM君もちょうど東京入りしていて当日は東京脱出ができなくなったりした。

 

 

2011.5.7-10 東京・仙台

妹の結婚式。ライセンス司会のなか、やっぱりちょっと変わった結婚式なのであった。
ビデオメッセージはココリコなど吉本芸人が続々と登場。
こっちの仕事とは全く性格の違う仕事なんだなあと改めて思う。
2人が出会うきっかけとなったのは、よさこいで最近人気の「かなばる」でのこと。
従って、披露宴も二次会も、四駆郎氏がかなばるのダンスを激しく踊った。
どうも竹村家系統の結婚式では新郎が踊る羽目になるらしい(おいらもyummyと踊った)。

結婚式の翌日3日目ははじめての仙台へ。
牛タンを食べたいというのと、やはり一度は見ておきたいということと。
しかし今考えると、地震から2ヶ月後という結構早い時期で、よく余震に会わなかったものだと。
仙台の記事は「仙台小旅」「石巻・福島。」へ。
2011.7.17-19 関西強行軍

前日は四万十市で@sakanayamaさんと@shin9さんと飲み。
翌日から久しぶりの松山経由関西小旅。
嫁は芦屋の姉宅に先乗り。
おいらは松山でyummydanceの「ドロップス」を鑑賞してから、全速で芦屋に向かうも、途中姫路の少し手前でダウン。
昔ならもっと走れたはずなのに、3時少し前になるとやっぱりどうにもならない模様。
結局四万十〜松山の疲れも溜まってたらしくドップリSAで寝てしまい、芦屋に着いたのは昼過ぎ。
それから京都に入って「かねよ」で昼飯を取り、恵文社やガケ書房、裏具など毎度の訪問先を訪ねる。
ちなみに夜は寺町のスタンドと六曜社など。
祇園祭が終わった直後だったのだが、まだ囃子が新京極に出ていたりしてうれしい。
最終日は大阪で活版印刷に取り組む明晃印刷へ。
イケイケドンドンなまさに大阪商人で、東京で活版に取り組むメンバーとはまた違った迫力。
帰路は台風の嵐の中をいつ橋が止まるかヒヤヒヤしながら、明石鳴門経由で四国入り。
が、高松道に入ってしばらくすると嘘のように風も雨も止み、夕焼けが広がり出した。
なんでだ、おい。目の前に台風あんのに。

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壁を塗り、庭をつくり、店をつくる。

2月2日、竹村活版室がいよいよ本格的にはじまる。

これからは、店頭で実際にスタッフ(よめ)と相談をしながら、紙を選んだり文字を選んだりしながら直接活版印刷の受付ができるようになる。
で、まあ大々的に広報してるわけでもなんでもないので、きっちり間に合わせる必要はないんだけど、その準備作業ものんびりながら、そこそこ着々進んでいる。
先週のよめの東京出張中は、おいら担当エリアの庭を整備。たまに高木を切りにきてくれる庭師さんから「ずっと昔はきれいな苔庭だった。もともと和風の庭だし」という話を聞き、ちょっとだけ苔庭に改造した。これまでの3年間もいろいろと育ててきたけど結局枯れたり消えたりする草花ばかりだったので、もしかすると苔が一番合っているのではないかと。あと、安来の叔父宅から引き取ってきた灯籠もあるし。というわけで、日曜市や木曜市、ネットで苔を手配して、石組みも半分近く動かして3段の庭へ。定着してくれたらいいんだけどどうなることか。
ほんで、一昨日は壁塗りと照明の設置。壁は塗る予定はなかったんだけど、ちょっと汚くなっていたので元通り白く塗り直した。夕方からはよめがだいぶ前に買っていた照明を天井からつるす。で、今日は使わなくなっていたスチール机(必要な人、少し汚れてますがあげます)とかを外に出して、什器類を並べ替え。
これだだいぶ店らしくなってきた。
あとは看板、表の小庭、小物の棚とかをつくったらとりあえず環境整備は終わり。細かい作業はおそらく今週末の話でしょうな。
まあまだDMもほとんど出回ってないのであれですが、2月2日以降の水曜~土曜は基本的に店を開けて作業しているので、注文を考えている方や興味のある方はぜひにご来店を。
竹村活版室(2月2日オープン)
高知市宝町27-1
088-879-4088

takemura.kappan@gmail.com

http://takemura-kappan.com/ ←いつのまにかブログもスタートしております
地図
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土佐和紙プロダクツ、リニュ。

先月、なんか変な仕事ですっかり調子が狂って以来、どーにもやる気が復活せずにきてた。
まー二日酔いの日がとにかく多かったというのもあるんだけど、そゆときは、とにかく懸案を一つ一つ片付けて行くことだと思いつつ、まあそれすらも先月はなかなか進まない感じになっていて、なかなかしんどかったのだった。
ほんで懸案のひとつだった土佐和紙プロダクツのホームページを大晦日あたりからようやく手入れ開始。写真はd.d.officeで撮影(一部ウチ)し、webの構成や「土佐和紙ができるまで」の記事などはウチで担当。
とりあえず新商品としては、かなり買いやすい値段になったd.d.officeの「領収書ミニ」を新たなアイテムとして追加。飲食店とかカフェとかで使うのにちょうどいい感じの大きさなので、その系のお店の方はぜひにご注文を。
引き続き、1月20日頃からは便箋や封筒、帳面、一筆箋なども一気に投入予定。帳面は紙漉職人の磯崎裕子さんや北岡広文さんの手漉き和紙を表紙に使用し、活版でロゴを押した一冊一冊ごとに全然風合いが異なる小さなメモ帳。A7くらいの大きさなので、どこにでも入れて使える。
一筆箋は白い和紙に青い線が入っただけのシンプルなもの。和紙の一筆ってだいたいウザイ模様が入りすぎているので、その真逆路線のアイテム。大正町森林組合で作ったヒノキの箱に入れておくと、ヒノキの香りがほんのりと移ってくるしかけです。
このあたりは、今日印刷発注。
ある程度アイテムが揃ったら、今度は営業活動、なのだ。。。
土佐和紙プロダクツ
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手で刷る、手で漉く。その共通課題。

最近は活版室の見学の方も増えてきた。本格的に活版印刷の受付をスタートするのが1月末。現在はその下準備として、技術と機械のパワーアップが続いている。

んで、竹村活版室には手キンという、ひとまわり大きな手押しの活版機が到着。これまではアダナという小さな活版機でやっていたのが、この手キンの導入でだいぶ進化した。鉄筋ラウンジ工作所謹製の台もいい感じに出来て、これまで事務机の上で無理矢理やっていた作業もスムーズに進むようになった。

なんかウチでこうして活版印刷に取り組む嫁を観ていると、手漉き和紙の現場に立つ職人の友達たちとだぶる。

一枚一枚、

手で「刷る」か、

手で「漉く」か。

そのために、たくさんの準備すべき工程があって、守るべき技術があって、守るべき職がある。

和紙なら楮や三椏等の素材栽培にはじまり、皮はぎやへぐりの人役あたりまではある程度分業化している。それで、ある程度基礎的な処理のされた素材を購入して、そこからまた煮たりチリを取ったり色んな工程を経て(この工程は、先月4日間伊野で職人の友達にミッチリ仕込まれたので、ゆっくり書くつもり)、ようやく紙になる。

職人と話していて重大な問題となっていることを知ったのが、この素材供給部分の問題だ。楮農家は高齢化している上、へぐりまでの処理をする人も減っている。イベントで楮蒸しをしても黒皮をへぐる作業まではやらないので、実際にはメッチャ使える素材、ということにはならないらしい。

活版も同様。これも先月東京でオールライト工房の皆さんに東京の活版印刷屋さんや活字屋さんをたくさん案内してもらったのだが(これもゆっくり書く)、鉛を溶かして活字を作る活字屋さんは東京でも数えるほどになっているうえ、そもそも活字の原本ともいえる母型を作る人自体がほぼ無くなってしまっている。こちらはなんとか自分たちでも栽培できないことはない楮よりもある意味危険水域に達していて、あと数十年もすれば「活字」で印刷する活版印刷自体がなくなりかねない。

和紙も活版も、そうした伝統系の産業に共通する根深い問題を抱えているわけだ。

残念なのは、こういう活版や和紙をはじめとする伝統回帰の流れが最近はあるけれど、案外こういうのを「ただの流行」や「メッチャビジネス」でやろうとする企画屋が多くて、だいたいそういうバックボーンまでは考えていないことが多いことだ。「活字」自体はなくなってもしゃーないんちゃう?アートでいくしかないんちゃウ?とか言う人も会ったことがあるけど、それじゃあただの版画だ。また、薄利多売的な考え方でやっても、そもそもの活版文化の基礎部分を破壊することになりかねない。・・・てか、そもそも高知は手に職のない企画屋が幅を利かせすぎだ。活用方法の話をしてたら何でも守れると考えてるんじゃないか?まあおいらもそっち系なので恥ずかしいけどw

かつて和紙や活版が主役だった時代と違ういま、和紙も活版も原料から製品までの一貫する流れや工程を保持してはじめて価値があるのではないかと。和紙の原料が全部中国産で、活版の版はぜんぶ樹脂版とかで、なんていうのは、やっぱなんか変だもん。ふつうに。だけど、そんなふつうは、伝えようとしなければ誰も知らないまんまだ。そこにある価値をどう伝えるのか、というのはものすごい難しい。

守るべき技術と、守るべき職。

ちなみにこの手キン、刷ってみると文字の出方が全然違うので、名刺やショップカード、DMも出来のメリハリが全然違うのが良くわかる。特にスミがきれい。

んで、一個一個新しい印刷が上がるたび、その都度口角の緩み切った嫁を見ることになるのだ。


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活版室も、土佐和紙も。

昨日今日はホームページいぢりの日。
活版室は価格表を掲載。
土佐和紙は、d.d.officeからの新商品を新たに掲載。
タケムラデザインのページもアチコチ変更です。
のんびりとスタートした竹村活版室。ホームページも実は先日立ち上げました。
オフセットなども含め「量をはける」印刷所に比べるとどうしても単価ははるけど、デザインの相談から提案、やりとり、印刷、納品まで、きちんと一本の筋を通して心を込めてやってます。嫁が。
どうしても技術的に難しかったりサイズが大きい印刷の場合には、ずっとお世話になっている活版の師匠から手ほどきを受けながら進行。いつも長話になりながら、徐々に技術を受け継いでいるところなわけですな。
こないだ東京からオールライト工房3兄弟が見えた時も、やはりそうした「師匠」から学んでいること、長話になりやすいことを話してました。もはや絶滅しかけていた活版の世界に飛び込んで行く若い人たちと、技術を受け継いできた年長者の関係ってのは、たぶんどこも同じなんでしょう。秋には東京のオールライト工房を訪問して、いろいろと探検させていただきにいくつもりとのこと。
が、今はアダナ8×5という小さな機械一台だけ。
技術が付いてきたらどこかでもう少し大きな機械がほしいところで、活字も含め、もし印刷所で活版印刷機の処分などを考えている人がいたらぜひご一報を。
活版室のホームページでは、近日仕事を紹介するページも追加する予定。市内の店舗のカードや名刺がメインですが、京都の音楽家mama!milkさんのグリーティングカードやエッと驚く大作家さんの会社の名刺なんかも刷ってたりするんで、フシギなもんです。
土佐和紙プロダクツ http://tosawashi.shop-pro.jp/
こちらものんびり進行中。なかなか営業に行く時間が取れず扱い先の拡大がままならぬまま2ヶ月が経過。その一方、試験的に商品は徐々に増加中。今日はd.d officeからお勘定書など4商品、うちから一筆箋が登場。一筆箋は間もなく四万十ヒノキの専用箱も登場します。
こちらはまあのんびりと。
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オールライト工房。

昨日は昼過ぎから美術館でイチハラヒロコさん、オールライト工房のお3人ととーくしょー。

そもそも人前で話すというのがとても苦手なおいらにとって基本この手の時間はヒジョーにしんどい時間。
そもそもイチハラさんともオールライト工房さんとならんで喋るとゆーのも月とスッポンとゆーか、なんでおいらはここに座っているの?状態で不思議な時間でありました。でも、立ち上げて3年目になるオールライト工房の取り組みの全貌もわかり、イチハラさんの弾丸トークも目の前で聞けてシアワセです。
先月も土佐駅弁学会のフォーラムで尾崎知事学会員らと人前トークがあったわけですが、基本おいらはアタマの始動がきわめて遅いタチ。回転が遅いから文章の方が好きという感じで、文章で書けることも口ではうまく伝えられないと。でも出なさいといわれても断れず、みたいな。
あと、この手の仕事に移ってからとゆーもの、コンサル時代のように言葉で物事を処理したり、設計時代のようにCAD的に組み立てたりするよりも、絵とか模様とかで脳内処理することが増えたようで、ますます口で伝えることの難しさをヒシヒシと感じるようになったわけで。
で、最近気がついたのは、おいらの脳は基本的に回転がゆっくりで、何か刺激があるとそこから超ゆっくりと回りだし、90分くらい経過してきたらかなり早くなる(酒があると20分)ということ。そこらへんまで来るとだいぶ喋れるんですが、まあだいたいの場合そこらへんまでに終了してまさーな。
まあそれはそうと、夜開かれたgraffitiでのパーティでは、活版工房を開いた嫁とオールライト工房さんに引っ付いてたくさん話を伺いました。まずは3兄妹のキャラの違いに驚き笑い(お兄ちゃんがとにかく濃い。同年齢で親近感)、また活版印刷の魅力やこれからの課題など、イロイロたっぷり。
活版がつなぐ人とのつながり。活版だからこそできるつながり。実際おいらもオフセットから入って様々な人々の影響を受けながら活版や和紙に近づきつつあるけど、デザインとかそこらへんの行動が忘れ始めてる大事なことがそこらへんにあるのではないかと思う次第。
ちゅーわけで、東京の訪問先がまたひとつ増えた。秋に訪問予定。
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高知で活版印刷! 「竹村活版室」まもなく始動。

ずーっと文字が好きで、
思いを刷り上げる活版印刷が好きで好きで、
少しずつ備品や文字を買いそろえてきた嫁が
ついに先日仕事を辞めた。
そして間もなく、竹村活版室が始動。
しばらくは小さな活版機しかないし、技術もまだまだ未熟。
師匠からのてほどきを受けながら、日々勉強中です。
だけど毎日毎日活版印刷機と向き合いながら、
うまくいかないところがあればうまくいくまで
じーっと機械と向き合っている姿を見ると、
「印刷職人」にこの先少しずつなっていくのだろうなと。
そのうちインキまみれの嫁になるんだろーなと。
一枚一枚の名刺やカードに思いを込めて、手刷りで仕上げる活版印刷。
ある意味でほとんど版画とも言えそうなその印刷の仕上がりは、
インキの盛り上がりや版の跡、一枚一枚ちょっとずつ違う仕上がりなど、
オフセットとはぜんぜん違う、優しい魅力があります。
それゆえ、手にした時の迫力もぜんぜん違う。
正式スタートはもう少し先だけど、ここで営業案内。
当面の取り扱いサービスは、名刺やショップカードの小ロット活版印刷。
その他のサイズの活版印刷物も提携印刷所とリンクして制作可能なので、
印刷物制作の相談からデザイン、印刷まで一貫してお受けすることが可能です。
また、先日のden祭で登場した便箋の作成サービスなど、
こだわりのアイテムも徐々に増やしていくことになるかと。
さらに夏までには一坪にも満たない小さなお店スペースもオープン。
数はわずかだけど若干の雑貨や紙製品などを取り扱い予定。
直接印刷やデザインの相談をお受けしたり
極小ロットなら目の前で印刷したりするようにしていきます。
タケムラデザインとd.d.officeで準備中の
TOSAWASHI PRODUCTSのアイテムも販売したいと思っています。
というわけで、「デザイン+編集」のタケムラデザインアンドプランニングは
「デザイン+編集+活版印刷」のちょっと変わった業態の事務所になりますので、
また今後ともよろしくお願いします。
竹村活版室
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活版でDM

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シルバーウイークも結局毎日仕事だったのである。

なぜかというと、来月の仏独旅行に備えいろいろな仕事が前倒しになっているのだ。
嗚呼恐ろしい自営業で2週間近い休みだなんて自殺行為かもしれんw
とはいえ折角休業するからにゃあとことん楽しまねばならぬ。
パリーでは先月高知を去ってしばらくヨーロッパ滞在中のミヨシカメラ夫妻と合流予定。
ドイツのフライブルグではyummydanceの観劇とビール。
つまりヨーロッパまで出かけて愛媛県人と会う、そんな旅行なのだ。
それはそうと、今日ようやく「使える和紙展」のDMができてきた。
土佐和紙と、ハーフウエアという洋紙の2種類で活版印刷。
えい感じの仕上がりです。
展示まで気がつけばあとたったの1か月ばかし。
その間に旅行も挟まって、さてどこまで精度を上げられるのか、少々不安。
おひまならぜひ→→→