「長生きするばあやったら早う死にたい」
杖なんて使いたくない、そこらのおばあちゃんみたいに腰を曲げてまで生きたくない、白髪なんて絶対見せたくない。とにかく恰好をつける祖母だった。足腰は確かに弱っていたが、それでもどうみても若い、着物が本当に似合うかっこいい祖母だった。
そんな祖母が倒れたのが2年前。今、祖母は海の見える病室で、しずかに暮らしている。あの日から祖母は言葉を失った。ふくよかだったはずの祖母はいつしか白髪になり、すっかり痩せてしまった。やや固くなった手は、ぎゅっと握ると軽く握り返してくる。

病室を訪れても、ただただつらい。会えば会うほど、昔の祖母がどこか遠くへいってしまうようで、だから数ヶ月に一度しか自分は病室を訪れない。行く度にまたすぐ来るからねとは祖母には言う。最後に祖母に会ったのが春のことだから、もう半年も会わないでいる。
母方の島根の祖母は、八年前に癌で亡くなった。病室の祖母は日に日に力を失っていくのが目にみえて、やがて自分では起きあがれなくなった。そんな感じの祖母と病室で話をしていたら、発作がはじまった。見ていれなくて、何も言えずに病室をあとにした。変わり果てゆく祖母の姿。その夜、祖母は死んだ。
死は、唐突であれ予測されたものであれ、それまでの記憶を掻き乱す。死によって記憶は死の瞬間よりそこにとどまっていく。もしくは、死に臨む姿を見ることでかつての記憶をひとつひとつ潰してゆく。
本当なら、できるだけそばにいてあげるべきなんだと思う。返事がなくても話をしたり、ただ手を握ったりしているだけでもいいんだと思う。
でも、自分は日曜市でばったり会って写真を撮ったり、祖母の部屋でお茶をたててもらったりしたあの頃のままでいたい。きっと祖母もそうだと勝手に思いこんで、いけないままでいる。
祖母に昔自分が祖母に宛てて出した手紙が出てきたと伝えると、泣き出してしまった。なんで言ってしまったのかわからなかった。
それから、もう半年以上祖母には会っていない。最近、祖母は元気だそうだ。
Idletalk第6号(1999.11)所収
この後、2001年に祖母は亡くなりました。結局、亡骸になるまで、会う事はできませんでした。
このテキストは、カメラトーク友の会から引用したものです。