スタッフ紹介
◎特定非営利活動法人蛸蔵 理事長(2011~)
◎TOSAWASHI PRODUCTS 代表(2010~)
想像を絶する田舎に思えた、30年前の高知
実は案外豊かな高知を、もっと楽しく暮らせる場所にしたい。
そう思って京都から高知に戻ったのは1998年のこと。
以来20年以上、その思いは基本的に何も変わっていません。
子ども時代の8年間は東京でした。夏休みに里帰りする先は母の田舎がある島根であり、8年のうち高知に帰ったのはわずかに1度。物心がついた頃には高知はどこか縁遠いフルサトでした。
85年の春、中学進学と同時に高知へ帰郷。事実上初めて見る高知の街はあまりにも田舎臭く愕然とするばかり。最寄り駅は市街地にあるのに土を盛っただけの無人駅で、民放もたったの2つ。中心商店街のアーケードも公園も薄暗いわ観光地はショボいわ高速道路もひとつもないわで、しぜん初めて抱えた将来の夢は「商店街をもっと立派にして、公園をもっときれいにして、観光も盛んにして」と、「高知を都会にする」ことでした。
鉄道を通じて覚えてしまったワークフロー
中学時代は言葉の壁にぶちあたったこともあり、逃避するように「青春18キップ」片手の汽車旅に没頭。旅が終われば、ノートに乗った車両や停まった駅名標の写真を貼りこみ、旅の途中で見たことや思ったことを喜怒哀楽も交えながら綴り、その時きいていた楽曲の歌詞を挿入しました。
「写真を撮り、文章を書き、読者が飽きないように編集し、物語感を持たせながらレイアウトする」という今の仕事へとつながるワークフローを覚えたのは間違いなくこの時です。
そして高校時代。鉄道から卒業して街をブラブラするようになると、馴染みの姉さん兄さんがいる雑貨屋さんさんやずっと立ち読みしていられるような本屋さん、紫煙まみれで珈琲も美味しくないけどとても落ち着く喫茶店、蛍を眺めながら一服できる小さな橋と小さな川、その他あちこちに「居場所」を発見。将来おまんどーするがなという質問が容赦なく浴びせられる高校時代、自分なりに得た解答は「ゆくゆくは高知で仕事をしたい」ということでした。
京都で編集の沼へ
卒業後は美大進学を目指して東京の予備校へ。しかし、東京では「高知での仕事の参考」になることが何もないと思うようになり、景観論争が最高潮に盛り上がっていた京都や魔境的魅力があった大阪へ関心が移行。
で、92年には京都造形芸術大学の環境デザインコースへ入学しますが、夢中になったのは本業の「設計」よりも「写真」。部長を務めた写真部では毎年1回の写真展の開催のほか、写真を語る小冊子「Camera Talk」を発刊し、部長=編集長として同誌の特集の計画や差配、原稿の督促やとりまとめに取り組んでいきます(この活動は以後2003年頃まで継続→カメラトーク友の会)。
大学時代は知床でしばらく暮らしてみたり、阪神大震災で被害を受けた神戸のテント村の調査に参加したり、岡山で恩師が手がけた「自由工場」での持ち込み企画に少しだけ携わってみたり、自分で焼いたモノクロ写真を構成した写真帖を友人と見せ合ったり展覧会をしたり・・・と自由気ままに活動。本業の設計の方はおろそかになっていましたが、この4年間は都市と地方それぞれの面白さや価値観、課題を考えるきっかけを多く得たかけがえのない時間であり、現在に続く全てのベースを築くことになった時間だったと思います。
公園の設計から地域計画へ
卒業後は大阪のランドスケープ設計事務所でCAD引きを担当し、98年には「高知で公園設計ができる」現場として高知の建設コンサルタント「相愛」へ入社。以後数年間は香美市の甫喜ヶ峰森林公園 のキャンプ場などの設計をてがけていましたが、そもそも設計案件は滅多にあるわけでもなく、やがて地域計画から環境調査まで幅広く担当していくことになります。
また、この時期は社外活動も活発で、高知市内の雑貨屋さんや作家さんと共に紙・布・木などの部門からなるものづくり集団「20W製作所」を立ち上げたり、土佐の九龍城こと「沢田マンション」に暮らしながら住民たちとライブカメラ付きのサイトやイベントを企画運営したり、凄まじい勢いで変貌を遂げる高知の残したい風景を記録した書籍「高知遺産」を発行してみたりと、高知を面白くする活動、高知の面白さを再定義する活動を仲間と行っていました。
いざ、デザインへ
コンサル時代にてがけた領域がとても広かったこと、社外活動で得た知識や仲間から得た刺激が大きかったことが、結果的にデザインという世界に飛び込むことになったきっかけになりました。さまざまな現場に行ってわかったことは、「高知が〜」といくら語ってみても、最終的には「伝える」ということが大切ということでした。
2006年、梅原デザイン事務所に入所。コンサルとデザイン事務所では求められる「語彙」も「頭の動かし方」も「手の使い方」も全く違い、何をどうやったら「デザイン」になるのか、さっぱりわからないままに2年間が過ぎていきましたが、全国各地の仕事の供を務めるなかで、デザインという仕事の深さだけはこれでもかというほどに教えてもらえたような気がします。
2008年にはフラフラのまま退職をし、しばし充電の後タケムラデザインアンドプランニングを設立。以後は活版印刷の良さを伝える「竹村活版室」や土佐和紙の素材の良さを商品にのせて伝える「土佐和紙プロダクツ」、古い藁蔵を再生したミニホール「NPO蛸蔵」、四国各地の仲間と四国の隠れた情報を発掘発信する「ウエブマガジン四国大陸」を仲間と共に立ち上げ、現在に至ります。
高知の良さは、いまだよくわかりません
今思えば、高知に帰った98年の段階では「高知の良さ」は全くわかっていませんでした。20年が過ぎた今でもなんでこんなに好きなのか正直よくわかりませんが、魚や肉、野菜に米と美味しいものがとても多いということ、長短あいまみれる「郷土の歴史」を誰もが溺愛していること、このふたつは高知の個性をかなり形作っているように思います。
メシがうまくて誇れる歴史がある。
これは、とても単純なことなれど「郷土愛」まみれる人間を養成する最大要素のように思えます(その証左として、郷土愛の控えめな地域では食文化が凡庸で往々にしてB級グルメに走りやすかったり、江戸時代に複数以上の藩や国に分かれていた歴史があって「郷土史」が細切れになっていたりする気がします)。
おそらく、高知の良さとは、単純にこのことのような気がするのです。
というわけで、オチが非常に弱いのが気がかりですが、これからもこんなよくわからない「高知の良さ」に少しでも何がしかの広がりをもたせていくために、「楽しく美味しく暮らせる高知」という場所を維持していくために、そしてこの話にもいつかオチをつけていくために、デザインの仕事をしていきたいと思っています。
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高知遺産(ART NPO TACO・共著)
2005年発行 -
マッチと街(マッチと街出版委員会・共著)
2018年発行 -
JPN47 にっぽん絵図(講談社・共著)
2021年発行 -
アヴァンギャルド高知(東京ニュース通信社)
2023年発行
掲載書籍
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おもしろい地域には、おもしろいデザイナーがいる
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d design travel KOCHI
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活版印刷コレクション
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地域人 第43号
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POPYE No. 866
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とさぶし 28号
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デザインノートNo.81
最新デザインの表現と思考のプロセスを追う -
進化する! 地域の注目デザイナーたち
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CasaBrutus 特別編集
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マップマニア -デザイナーのための地図のデザイン
タケムラデザインアンドプランニング
交通案内:JR土讃線 高知駅より車で5分