高知へ帰ってきたばかりの98年の夏。お互いまだ知り合って間もない20代中盤のメンバー10人で「20W製作所」なるものづくり集団をたちあげた。

20Wとは、「弱い光でもいいから、光り続ける」20W電球がその語源。

メンバーは、南はりまや町のPOURQUOI、洞ケ島のSAIL、はりまや橋のThank!thank!といった当時まだオープンして間もない雑貨店のスタッフ、ファウストや柳町のエムツウなどのギャラリースタッフ、デザイン事務所所員、おいら(地域計画コンサルタント)、写真店店員などで、今思えば人数は少ないにもかかわらずかなり面白い顔ぶれだった。

そして、20Wでは設立当初からメンバーの自宅を共有アトリエとして借りあげ、紙/布/木/立体の4部門にわかれてそれぞれ作品/製品づくりに勤しんだわけである。まあ一人一人はまだまだ力がないけど、みんなで力を合わせておもろいことやっていこうというのが趣旨で、展覧会やフリーペーパーの発行、独自レーベルでの作品販売などを数年にわたり続けていた。ちなみにおいらは【紙】担当で、[Hai;e]などのFP、幻に終わったが「チョジュギガ」というこれまたFP、「A.C.P」なるポストカードなどをグループでつくっていた。

20W自体は各自が忙しくなってきたことや、一部メンバーが高知を離れたりすることで、2001年頃から活動が沈静化していく。そして、設立当初19歳〜26歳だったメンバーはいまやいずれも30歳前後になってしまったわけだが、それでも20Wを核に広がって行った友達の輪の中で頻繁に飲み会をやっているし、各々が各々の作品づくりや発表、仕事に取り組んでいる。

20Wは、おいら的には高知での活動のなによりの原点で、その後の活動の下敷きになった。8年前高知に帰ってきたときには2、3人しか友達はいなかったけど、会社以外での人の輪はすべてここからはじまった。大きくいえば、20Wがなければ高知遺産なんてもんもなかった(参加していなかった)かも知れないし、事実上休刊状態の「バイパス」などのフリーペーパーも出せなかったに違いない。そういう意味では、あまりにも20Wの存在は大きいのである。。。

20Wでは、いまでもまた数年後にそれぞれがもっと力を付けたら何か起こそうという話も出たりしている。まあ実際問題としてはなにをするかはまだまだ熟考する必要があるにせよ、そんな時のためにもいろいろと頑張ろうと改めて思う訳である。。。