園芸は愛に始まり愛に終わる。しかし、その愛が足りないのか、愛の注ぎ方が中途半端なのか。なんぼ収穫の時期や開花の時期がこようとダメなものはダメなのだ。
今を遡ること一年前の春、とある友人に請われてアトリエの庭掃除と庭づくりを共同でやることになった。それで意気揚々と土から種、手袋から草引き鎌、はては石灰に至るまでを買い込んで30平米はあろう庭を隅々まで友人と掘り返し、種を蒔き、そして苗を植え込んだ。

それからは成長が気になって毎日のように庭に通い続ける。芽が続々と息吹く。雑草は発見次第根引き、成長が悪ければ肥料をやり、成長の度合いを写真に収め・・・。この上ない愛情を庭の草花たちに注いだつもりだ。至福の時間は休憩時間の茶とタバコ。心地よい風を浴びながら、もういつの間にか園芸家12ヶ月の気分。
やがて、梅雨。冷房のないアトリエは牢獄と化し、至福の時間はどこかへ逝った。木造築30年のアトリエはゴキちゃんたちの巣になった。草花たちは膨らみに膨らんだ妄想に比べると控えめにしか伸びず、庭はやがて一面の雑草に覆われた。
過剰な愛は続かない。些細なことで突然終わる。たかが梅雨、たかがゴキブリ。しかしそんなたかがが庭から足を遠ざける。
自分はいつもそうだ。4年前の幸せな春は確か枝豆を育てようと張り切っていた。そして夏。大量発生した羽虫のためにあれだけ夢見た枝豆ご飯にありつくことはできなかった。緑の仕事をしているのに、草花の名前を覚えられない。第一育てきれたことすらない。こんなんでいいのかと自問自答する。他の園芸家たちをみていると、彼らは本当に心根から草花を愛している。自分は種を蒔くことはできても、それを育ててゆく術を知らない。過剰に愛を注ぎすぎて枯らしていく。
彼らはいつだって庭に一歩距離を置く。自分はその距離の置き方が分からない。いつだってはまってしまう。そして、大体の場合虫という天敵に抗しきることができずに撤退し、育てきれなかった悔辱の思いだけが傷跡となって残る。
いつになったら自分は収穫の日を迎えることができるのだろうか。結局、虫を倒せということか? 誰か、教えてくれ。
Idlealk第5号(1999.4)所収