前日の晩は、昼寝が効いたのか他のみんなよりも眠気の来襲が遅く、「もののけ姫」のアニメブックを完読。おもろいねーやっぱり。そして、乙事主は何を言っているのかわからんかったけど、こんなことを言いよったがやねーと一人感心。その後は11hが和ベッドに移動したことで2人分になった布団を思い切り占領して爆睡。

翌朝目覚めると、昨日の鯖が焼かれて出てきた。刺身もうまいが焼いてもうまい、感動の味。毎日こんなおいしいものが食べれたるなんて、やっぱり贅沢ですよ。いいなあ。

食後はしばらくのんびりして、いざ海へ。一応今日から10月だけど、沖の島など高知の西部ではまだまだ泳げる。今年は全然海にも川にも泳ぎに行っていなかったので、うれしい。。。しかも沖の島。
目指すは母島側にある「うどの浜」。だけどいまひとつ行き方が分からなくて、うどの浜近くと思しき石積の集落で道を尋ねる。どうやら道を一本間違えたらしく、母島集落の方からじゃないと入れないらしい。ここで島名物の落花生を少しわけていただく。なんでも息子さんだったか孫だったかにあげるためにつくっているのだとか。。。ちなみにこの落花生、激ウマ。
母島の集落は、弘瀬のそれとはまた違う構造。弘瀬が海に対して面的に屹立しているとすれば、母島は海からつながるV字谷に寄り添うように集落が奥へとのびている。同じ島でもきっと生活は少し違うだろうから、今度は母島で泊まってみたいものだ。
うどの浜へは、母島から南に折れて、海沿いの道をしばらくいったところにある集落(さっき落花生をもらったのはこの集落の上段の家だった)に車を止めてしばらく歩いていかなければならない。
この集落がまた素敵で、海に向かって長い石段の神社が立ち上がり、その中程に番犬のような犬がいたりする。まわりは全て瀬戸内の島々を思わせるベージュ色の明るい石積みに覆われていて、なんか模型にしたくなるような集落だ。
この集落から浜までは、歩いて5分くらい。でもシュノーケルとか弁当とか色々な持ち物があるので結構大変。途中蛇に遭遇。マムシ?
この道が意外と長い。そして、意外と楽しい。ちょっとした登山じゃないけど、ハイキング気分。途中、落葉が路面いっぱいに落ちていて、その陰などなどとにかく全面にフナムシがいそうな(1cm2あたり1匹)「フナムシ天国」ゾーン、もし足を滑らせたら海までそのまま落ちていきそうな「ちょっと断崖」ゾーンなどドキドキも。

うどの浜はまさにプライベートビーチ。波も穏やか。ちょっといったらすぐ深みになるので、おいらのようなカナヅチは必ず浮き輪を用意すること。間違いなく楽しめません。別に全くおいらも泳げないというわけじゃないけど、「足がつかない」と分かった瞬間に間違いなく溺れ出す。そういう環境に慣れていないんですな。おいらの水泳環境というのは、子供時代からどうもそういう深いところがないところばかりだったのです。
メインの泳ぎ場だったのは湘南海岸(神奈川)と皆生海岸などの浅瀬海岸、YSPプール(鳥取)や飯梨川(島根)などで、特に鍛えなくてもなんとかなるところばかり。従兄弟は子供時代にYSPプールに泳げない状態で放り込まれたりしていたので「足が着かなくても」泳げるようになったけど、おいらはプールなら足が着く状態で「1mでも遠く」泳げることを教えられた(でもやっぱり泳ぐのは苦手だった)ので、「足が着かない」なんていう環境を知らなかった。まあ普通は泳げるんでしょうけどね。カナヅチの言い訳です、はい。
何はともあれ、おいらは、今回浮き輪は17家にあった海難救助用を借りてきた。でもどうやらこの浮き輪、11hが気に入ったらしく写真撮影。

その後はTシャツのまま海へざぶざぶ。シュノーケルとか足鰭を付けて、おいらは浮き輪も付けて海へ。意外と浮き輪でもかなり十分楽しめるんじゃね。まあ男32歳が浮き輪なんかして〜とウダウダいう人がいないというのもあるだろうけど(そういう意味でもこのメンバーは異常に楽だったのう。高知はだいたい泳げないのがダメだみたいに言う人多すぎなのですよ)、海の中覗いているとなんか棒みたいな魚とか小魚の大群とか、色々な魚が水中漫歩しちょる。
このへんの写真はいずれsawaman room11で発表されると思うけど(水中カメラを持っていっていたので)、こういうのを見た瞬間、やっぱり高知はいいなあと再認識したですよ。まあ沖縄ほどじゃないかも知れないけど、お金もほとんどかけずにこんなんが楽しめるだなんて。わざわざ沖縄なんか行かなくても沖の島で十分じゃん。
1時間くらい海をたゆたい、17母の弁当タイム。昨日の余りメインだけど、麦酒とあわせて最高にうまい。そして石拾いタイム。瓶石がやたらと多くて感激。高知周辺じゃあ瓶石はあまり落ちていないけど、ここは瓶石だらけでした。
その後は、そうして拾ってきた石にタイトルをつけて見せあうコンクールをしたり、浜辺にぽっかりあいて洞窟のようなところを覗いてみたりしているうちに、帰宅期限の1時に。もっと遊びたいんですが。
ここから先は、帰りがちかづいてきてなんだか寂しいモードなので、あまり覚えておりません。しかし海水浴場から弘瀬に帰る途中で見える海の美しさには本当に驚いた。ここから見えているのは豊後水道で、はるか先には九州が見えているはずなんだけど、こんなに海広かったけかと思わず思うくらいでかいし、きれい。なんだか青が深いんよね。いやー絶対また、来年こなければ・・・
しばしの賑わいを見せた17家は再び施錠され、昨日着いた港へと歩く。なんだか昨日来たとは思いにくいくらい、長い2日間だったような気がする。。。
港は、秋の夕方のような強い日差しで、カーっと熱い! 車の陰でアイスを喰らいながら、しばらく待っているうちに巡航船が到着。たくさんの荷物が行きと同じように吐き出され、また積み込まれていく。
おいらたちは客室に荷物を置いてまっすぐに甲板に向かい、弘瀬の集落との名残惜しい別れを・・・とか思っていると、集落のあちらこちらから手が振られていることが分かる。弘瀬のてっぺんに近い家では、タオルをたぶん振っているんだろう。はしっこの方の家でも、下の方の家でも・・・。ちょうどお祭りの次の日の帰りの便で、17母・祖母のように久しぶりの里帰りの人もいるから、こうして手を振る人がたくさんいるんだろうという。

きっとこんな風景もこの巡航船では珍しくはないのだろうけど、もう言葉には表せないくらい、この情景には感激した。
そしてなぜか、かつて池川で神楽を見たときのことを思い出した。そのクライマックス的な場面、鬼面が子どもを担いでぐるぐる回る場面があるのだが、あまりにも子どもの数が少なすぎて、本来は担がないはずの中学生やら息子やらまで担ぎだし、果ては町長まで担ぎ出していたときの情景−。
地域の一体感だとか地域の変容の象徴的場面だなんだとか、まあコンサル的にこの情景をまとめるのは簡単なんだけど、いまだにこの情景、目に焼き付いて離れない。
もうひとつの沖の島レポは・・・
sawaman room11へ。