「高知遺産」の24pでも紹介し、微妙に人気があった「椿荘」が取り壊された。
ここは5年くらい前に比島界隈の街歩きの会をした時にはじめて発見し、以来なんだか好きで近所の「栄田市場」や細路地と共にたまに訪れていたところだった。
なんでそんなに惹かれたかといえば、内部に曲線を使った階段があったりアパートの銘版が浮き文字になっていたりと意外と洒落ていて、「沢マン」「大虎」と並ぶ高知三大アパートと勝手に思っていたぐらいのところだったのだ。

高知駅北東部で進む区画整理事業は順調に進んでおり、残るは「栄田市場」(これも24pに掲載)などわずか数件になっている。ちなみに、市場についてはもう1ヶ月もしないうちになくなりそうだ。高校時代好きだった人が通っていた学校も跡形なくなり、おいらが昭和町に暮らしていた子ども時代に通っていたスーパーも間もなくなくなりそうな気配。また、高校時代に眠れなかった日の夜明けに遊びに行っていた産業道路のゲームセンター前の瓢箪川の橋跡なども間もなく埋められる見込みだ。
とにもかくにも子ども時代と高校時代にこの界隈は腐るほどに走り回ったところだったから、現在の新しい区画を見ているとなんだか頭がついていけなくなる。今はまだところどころ「昔の痕跡」があるからいい。たとえば、水路の跡や、大きな木の跡、電信柱。
されど、これらの痕跡だって、たぶんこの冬が暮れるまでに消える。
新堀川だってそうだ。いま、江ノ口川を渡る橋台の下になってしまった場所は昔製材所だった。予備校の帰りには、この製材所と川との間の狭い堤防のところでよく「一服」していた。付近は古い家も多かったから、プロパンガス屋さんを撮影したりもしていた覚えがある。
今や「かるぽーと」の下になってしまった四ツ橋は、大学時代の卒業制作でこの川を意識した文化施設+公園(これはこれで時代錯誤だが)を構えた場所だったし。
まーなんでこうも思いのある場所から消えて行くかなー。
事業をいちいち云々するつもりはないけど、ただただ寂しいですな。