この1週間前、木造建築の占有率を調査する仕事で尼崎をウロウロしていた。地区の多くの建築が古い木造で、地震が来たら危ないねえなどと一緒に調査した人と話をしたりしていた。
 
この前日には、近所の食堂で京都・大阪も地震の危険がある!という雑誌記事を読んだ。近畿は活断層の巣で、吉田神社から京大グラウンドを通って北へのびる断層や西山の断層が動いたら大変だということ。今出川通り沿いのその食堂は吉田神社のすぐ真北で、まさに活断層の真上だった。シャレにならん・・・と話をしていた。

 
当日、京都は震度5。ゴーという地響きが揺れの間ずっと続いて、今まで体験したことのない揺れだった。途中一回弱くなったかと思ったら、途中からさらに強く揺れだして、気付いたら叫んでいたらしい。
第一報は京都震度5。神戸の震度が出ていなかったのが、すごく不気味だったのを覚えてる。窓をあけて今出川通を見ても、車は普通に走ってる。それがまた不気味だった。
 
それからしばらくして、テント村の避難者調査に出向いた。ついでに三宮も立ち寄ってみると、街は埃っぽくて、いまだに傾いたビルや潰れたビルがあちこちに建っていた。駅北のアーケードも人の気がない。
長田区の方まで行くと、瓦礫はだいぶ整理されていたけど焼けこげたアーケードやマンションがまだ残っていた。写真はアーケードの跡地。おそらくここにはお店が並んでいたはずで、露地に商品を並べた仮設のお店がパラパラと並んでいた。
 
そんなこんなからもう14年。短いような、長いような。いま、神戸に行っても震災直後の面影は当然にない。だけど、たまーに神戸に行っても未だに当時のことを思い出す。まだたったの14年なんよね。