BLOGOSの「コンテンツ産業の25%ルール」を読んで思ったこと。
Tumblrで書きかけたけどこっちに転記。
本文の内容とは意味が違うことを考えてみるが、高知県のコンテンツ政策はどんななんだろうか。まだ課もできてないからなんもわからんけど、下手な政策を打つことがあれば、きちんと商売してきたクリエータをつぶすことになりかねないと思う。
たとえば、クリエーターのリストを作るというが、その意義はなんなんだろうか。そのリストに掲載を希望しない人は、県からの仕事の時に小言を言われるのだろうか。県が主催する商談会に呼ばれることもなく、くりえーた扱いもされないのだろうか(まあ別にいいんだけど)。
こういう取り組みが起きると、なんでリストにのせられることを拒む必要があるのか、という意見も出てくる。まあ小心者なおいらはこないだリストづくりの受託者さんから送られてきたリストにいちおー内容を書いて送ったけど、別に送ったからといってレスポンスがあるわけでもなく、特に必要な意義がそこに書かれているわけでもなく、いまいち意味がわからなかった。
意味がわからない書類が送られてきたら、なんだこれは?と思って書き返す必要性を感じない人もいるだろう。そもそもそういうのが嫌いな人だっている。
それに、確実にリストから漏れる人は出てくる。おおきーな代理店やデザイン事務所と仕事をしてない人、高知に暮らしながら県外での仕事を主にしている人、まだ駆け出しのひと。そのへんはどーするんだろーか。だいたい、どうやってこのリストの送り先を決めたんだろうか。
目的も不明、方法も不明確、くりえーたの線引きも曖昧。そんなリストが今後の高知県のコンテンツ産業政策に重要な価値を持つのであれば、ちょっとこれは怖い。
また、一番危なっかしいのが、くりえーと部分で努力をしててなくても、たとえば政治力のある人物や役人に取り入って仕事を得ることにつながったりするのなら、かつての土建屋と同じことになるとゆーことだ。
もちろんそれも才能のひとつだとして、そんなこた本来ディレクターや代理店がやるべき話であって、そんなことに暇を割きたくないデザイナーやイラストレータはいっぱいいる。
漫画課だったらものすごく話はわかりやすかった。マンガ王国土佐といいながらいつまでもやなせたかし先生でもってるところがある黄昏の王国は、立て直すなら今が最後の時期だろーなと思うし、特に何もおいらはすることはないけど応援してる。
ただ、はりまや橋の件で明らかになったように、肝心の県は過去の漫画家顕彰がまず第一で、同じくらい重要な第二の戦略として地産外消戦略に基づいたキャラクタービジネスなどを軸とした産業化にばかり目が向きそうな感じが少なくとも現段階では拭えない。
また、まず疑問なのは、今産業として、コンテンツを輸出できるマンガクリエータがどれくらいいるんだろーか?ということだ。漫画家教育やその後も青柳裕介やくさか先生のように高知で活動してもらうためのドジョウ作りといったことを議論していく方が大切だと思うんだけどなあ。いや、してるのかもしれないけど、なんか売るものがないのに売ることばかり考えてる、そんな風にどうしても見えてしまう。
話は変わって、冒頭のブログにある、文芸家協会のような権利者団体は高知にはないが、逆にこうした動きでもそうであるように、権利者やその他非力な現場等を応援する、「応援団」的な団体は多くなってきている。漫画だけでなく、高知を代表する資源である森林、観光その他様々な場面で「コンテンツ」としての産業化を図ることを応援しよう(ああややこしい)とする動きが出てきている。
いずれもこれまでの権利者(わかりやすくいえば現場)の弱さを指摘して立ち上がってきたものであり、それがこれまでの高知の問題点のひとつだったことは明らかだから否定はできないけど、どうしてもなーんか禍々しさがちらつく。新規参入の除外の可能性、具体的な活動や資金運用の透明性、とどのつまりの目的。
関係者に問い合わせてもその点の説明をまともに受けたことがない。むしろ、参加してみなさいよと言われるばかりで、第三者としての人間が感じる「よくわからないなあ」感を解消してくれない。「応援することはすばらしい」的な恍惚感がそうした団体のHPやTwitterを覗いているとどーしても感じてしまう。
結局、やっぱりここでも思うのは、以前のログでも書いたけど、考える人・企画する人が多くて(もしくは異常に力を持っていて)、一方で作る人が高知は少ないので、こーゆーことになるんだろーな、ということなのだ(自分も含めて)。
やっぱそーなると、しっかりとした現場教育機関が必要だわなあ、でもまあ高知の人口じゃ無理だけど・・・とまたここでループに入ってしまうんだけど。