石巻は、少し市街地に入っただけで目を背けたくなる状況だった。
だいぶ片付けも進んだと聞いて行ったのだが、実際に石巻駅前付近から川沿いにかけて裏通りはほぼ被災直後のままのような風景で、表通りの店もほぼ全てが「深刻な」という言葉では言い表せないような被害を受けていた。また、少し低い場所にある路地は今も乾いた泥に覆われている状況で、信号も動いていない様子だった。この先はもうとても行けない。まともに降りることもできず、すぐに仙台へ引き返した。この道の先には街が消えた三陸がある。
今回の小旅で訪ねた仙台、松島、石巻。
これが高知だったらどうなんだろう。若林区の風景は南国や高知空港付近の地理条件と似ているし、石巻は高知市や安芸市、三陸は須崎や中土佐などと相通じる。もし連動型になったりすれば、救援の手は今回よりもずっと遅い。どー考えても、静岡や愛知、大阪などを優先せざるを得ない。そして高齢化も今よりずっと進んでいるだろうから、逃げ遅れる人がたくさん出てくるのは間違いない。また、県内の土木建築業界も相当小さくなっているだろうから、復旧の人役自体あまり工面できないかも知れない。2030年頃の想定人口は、県がほぼ60万人、高知市が30万人。その高知市も中心部~東部が石巻のような被害(地盤沈下と長期浸水)を受ける。
高知の人間に限らず、今回の震災の被災地は見ておくべきだと思う。今回の仙台訪問、実際問題化していた「ただの野次馬」と同じかもと思い、行くか行かないかちょっと迷った。だけど、やっぱり実際に見ないと分からない。また、こと高知だと今回の震災はあまりにも遠い出来事だ。むろん間接的な影響はあちこちに出ているけど、放射能も含め「実感」していないことには、なんか「始まらない」ような気がした。実際、見てはじめて、被災地の余りの広さも、本当に何もかも根こそぎ奪っていく津波というものも、やっと実感できたような気がする。実感してなんなんだ、とも思うけど、実感せんとどうしようもないと思う、妙な感覚。
新幹線では、福島や郡山を通った。通っただけだけど、車窓から見る福島の風景はきれいで、もちろんたくさんの人が行き交っていた。街の東には山並みが見えて、その先には原発がある。何も普段と変わらない風景なのに、小学校のグラウンドは掘り返さないといけない。その山の向こうには、家があるのに家に近づくことができない人がいる。原発に近いところでは、もう山の管理をしばらく諦めないといけないところもあるという。これはなんなんだ?と思いながら、流れる風景を見ていた。