このサイズの万博は日本でも20年ぶりで、子の親になってから初めての万博で、海外に行く用事もアテも当面なくて(台湾は行きたいけど)、しかもたぶん生きてる間にこの規模の万博は国内ではもうなさそう、となると訪問しないわけがない。
1日では到底見足りないとの先達たちからのハナシも聞いていたので、1日目は夕方4時から、2日目は朝9時から入る1.5日コースに。ただ、パビリオンの予約はほとんど落ちていたので、基本はフリー入場のパビリオンを覗きながら、人気パビリオンでも行列が短ければ並び、あとはメシとビールをしこたま投入しながら楽しむというプランを描いていざ入場。
USJにしろディズニーにしろ、こういうイベントごとはアプリやサイトを使いこなす者の方が勝ち。予約できていたのは飯田G×大阪公立大学だけで、あとは夜の地球、サウジアラビア、コモンズA/B/C、チェコ、ポーランド、いのちのあかしよしもとのカラオケライブ、日本館あたりをフリーで覗き、アラブ首長国、カタール、中国、クエート、オーストリア、ウズベキスタン、ポルトガル、トルクメニスタン、いのちの未来、null2あたりの万博建築にゾクゾクとする二日間となった。






印象に残ったのは、その4割近くが高知県産の木材でできているともいう大屋根リング(Geminiによると福島浪江の木材も多いのだとか)。見るまでは実際巨大すぎる清水の舞台みたいなものかもと思っていたし、確かにでっかいだけで無駄要素多いかもしれんと思っていたし、まあひと言でいうともう少し会場内の平面計画のやり方があるのではなかろうかなんてことを思っていた。

が、実際に会場内のパビリオンを移動をしたり休憩したりといったことをしてみると、見方が変わった。大屋根リングは建築というよりも屋根付きの公園のようなものであり、縦横無尽・自由自在に会場内を蠢く何万人もの来訪者の動線を上下二層で捌く道路のようなものであり、どこに移動するにもリングに戻ると自分の位置が把握しなおせるランドマークだった。
その一端に立つと反対側が霞んで見えるような気がしてしまうくらいでっかいけど、理由のある「機能」しかここにはなくて、建築というよりも橋梁やトンネルのような土木みが強い不思議な構造物でもある、というか。

2日目の夕方、涼しくなった頃あいを見てリングの屋根へ向かった。屋根の上はのっぺりしたただの通路みたいなものなのかと思っていたら、広くなったり細くなったり分かれたり、緩やかな坂があったり草花の間を抜けるような道があったりと絶え間なく変化があり、インドやイタリアあたりでは賑やかな音楽が聞こえてきたり、ドイツや韓国のあたりはまるで賑やかな街の中を抜けるような雰囲気があったりして、足が完全に棒になっていることも忘れ、45分ほどかけて一周してしまった。

一方で、残すほどの建築かどうかというとそれは違うとも。そもそも期間限定の仮設建築なんだし、ほんの一部残したところで太陽の塔のようなシンボリックさも残らないだろうし、むしろランニングコストの方がかかるばかりでいつまでも揉める糧にしかならなそう(最終的にはエキスポタワーの二の舞にしかなりそうな気がする)。報道では一部残す方向になりつつあるみたいだけど、それでまた改築費にお金をかけるぐらいなら、基本的には役目を終えたあとのリユースやリサイクルの道筋をきちんと明らかにして畳むのが「循環」をテーマとしていた日本館の展示を見て正解なんじゃないかと思った。
補足)会場全体のランドスケープを設計したのは、京都の大学をでて最初に勤めたランドスケープの設計事務所でバリバリ気を吐きながら設計の仕事をしていた忽那裕樹さんとE-DESIGNの設計によるものだった。一歩引きながら全体の景観や建築を調和させる役割に徹しているのは、さすが。
そして、会場中央にある「静けさの森」がすごかった。毎日10万とか20万近い人が蠢く会場全体の中心にあるこの森の、さらにその中心にある池は人の姿もまばらで、周囲の喧噪が嘘のようだ。来たい人でなければ来れない場所がこのわずかな距離の中で実現している驚き、そして本当に森の中にほうり込まれたかのような錯覚すら覚える驚きは新鮮でもあった。これは終わって壊すのはあまりに勿体ないし、大屋根リングよりもむしろこの万博のシンボルとして未来へと残すべき存在だと思うけどどうなんだろうか。

@tdp_takemura