に投稿

働き者の港

 

高知県須崎市野見湾。リアス式海岸の続く須崎市でも特に広い湾が広がる。
湾の周囲には点々と集落が続き、港内にはたくさんの漁船やイカダが浮かぶ。
その合間を忙しなく漁船が動き回り、集落ではおばあさんたちが賑やかに働く。
静かだけど、活発。そんな不思議な風景がこの港には広がっている。


		
に投稿

坂。

高知は山の国なのに、坂のある風景が少ない。登るのは面倒だけど、その先にある風景を考えるとついつい登りたくなる。写真は本山町。数年ぶりの大雪の日に仕事で訪れたついでに撮影。
で、そんなことを思いつつ高知の街を車やチャリで走ってみると、案外細かい高低差があることに気づく。寿町から宝町を経て万々へ抜ける道も、超微妙だけど緩やかな高低差がついている。産業道路を東に走っていても、やはり案外微妙な地形。洪水ハザードマップでは高知駅周辺で南西から東北へ洪水流路が描かれているが、これももしかするとかつて瓢箪川が流れていたあたりの小さな谷地形を辿っているものなのかも知れない。
かつての地形の名残がありますよ的な風景としては、大丸前のこんもり盛り上がった橋の跡や、追手筋公園の南方にある土橋の跡の盛り土地形がわかりやすい。が、そうした地形は高知市中心部では案外少ない。
街を歩いて楽しいのは、ずっと変わらぬ風景の土台でもある地形の変化を長い時間や時代と共に感じることができることだと思う。その上で、例えばそこに広がる家並みや景観、店舗などが加わることで印象深い街歩きができてくるように思える。大阪の上町台地や京都の東山がそーであるように。ブラタモリが面白いのは、その重層的な街の構造をあっさりと分析して見せてくれるからで、結構過激な地形だった江戸東京ならではの番組といえるかも知れない。
に投稿

広島な夏。

もう一ヶ月くらい前になるけど、ほぼ10年ぶりに広島へ行った。
数年前まで同じ沢マンの屋根の下、暮らしていた友人元112号の結婚式。
高知からは大家さん一家のほか、タケムラ家(18号、17号)ほかsumica家(11号)、ukiki家などが参加。広島なのにちょっと高知くさい、結婚式なのだった。
112号は、7年くらいまえに沢マンにふらりとやってきた。

女子なのにめっぽう空手が強くて、当時沢マン住人が呼んだ肩書きは「あちょー」。
その後実際に広島から沢マンに移住してきて、ドMなおいらほか数人がよく「てごうて」は本気のケツキックをお見舞いされたりしていた。
だけどやさしい。
当時のログを見ると空手家なのにほんわか系で面白い、的な記述。いまもむかしも強くて弱くて、弱くて強い、なんかそんなフシギな人物なのだ。
当時の沢マン住人みんなの相談相手でもあり、その逆もまたしかり。沢マンを離れてからは特に定期連絡をしているわけではないけれど、それでもなんかいまもむかしも特別な人物のひとりなのだ。
とゆーわけで、おめでたう。
結婚式は昼すぎに終わったので、夕方から街に出直し。
もちろん広島焼。
さすがB級グルメの王様。うますぎ。
晩飯は笹木というお店へ。
広島の地酒をやりつつ小料理をいただく。
店員さんの心遣いがものすごく行き届いていて、
笑顔にいやされた。
また行きたいと思う店をみつけた、という感じ。


 

翌日は、広島観光。10年ぶりの原爆ドーム。
夏になるとアジアやアメリカからも含め、戦争についてのいろんな話が出てくるけど、もう都市がまるごと壊滅するようなことなんてのは、もうこの先やっちゃいけん、とここを見るたんびに思う。加害者だったのを忘れてんのとちゃう?とか、原爆落としたから被害が減ったんだとか、そゆんじゃなくて、もうここまでひどいことになるようなことはやめましょと。
最後は厳島神社へ。
ものすごく暑くて、鹿が海辺で海藻を食べたりしながら遊んでいた。

ちょっと桃源郷っぽい。 

に投稿

鞆の浦架橋白紙

広島の知事が変わって、鞆の浦の架橋計画が白紙になる見込みなのだとか。
もし橋が架かっていたら、この写真のちょうど船が写っているようなあたりに橋がかかることになっていた。
こんなきれいなところだけど、裏に入ればこんな感じ↓
とりあえず超狭くて大渋滞。
こんなんじゃ観光シーズンとか地元の人の暮らしはどーにもならん。
てゆうことでとにかく橋を!いやトンネルを!みたいな感じで揉め込んで、地元は二つに割れてしまうわ裁判沙汰になるわ宮崎駿がちょっと神様目線で論評してしまうわでニッチもサッチもいかなくなってしまっていた。
まあこういう話はよくあるけれど、観光で喰わないのなら別に橋を架けてもいいんだろーなとは思う。実際鞆の住民の多くは賛成だというし。
でもー。
以前、幡多の方のある町で仕事をしていたとき、バイパスが通る前と比べたら車の通行量が激減して、地元の商店の方たちが車を呼び戻すべく動いているとか、なんとかせいと役所に文句を言われると嘆いていた。開通当時はみんな喜んでいたのに、一年も経たないうちにそんな状態ながですと。
他の町でも似たような話をよく聞いたけど、バイパスができたら車が減るのは当たりまえ。目の前の車が大変→バイパス事業に賛成→減ったら減ったでまた新しい問題発生→活性化を要求っていうのはなんかおかしい。そんなん想像の範囲内のことで、過去の数多の事例を紐解けばすぐにわかるじゃんかと。
それで、その町はまた新たに起債して小さな公園を作った。合併前にやれることやっちゃえ状態で。だけど、そんなんでヒトが来るはずが無い。その後数年してその町では面白い取り組みが芽生えつつあるけど、たぶん普通の商店は正直辛い状態が続いてるんじゃないだろーか。
で、鞆はどうなるんだろう。おそらく、今よりさらに寂れるとしか思えないんですが。
バイパスって、そういうもんですからな。伊野に西バイパスができたらほぼ間違いなく寂れちゃうだろうなーと素直に想像できちゃうのと同じで。
に投稿 3件のコメント

ガンバ土電

土佐電鉄の社員さんが、沿線の住宅に全社をあげて営業に出ているという。

沿線人口は減っているわけではないだろうし様々な努力もしているわけなんだけど、それでも乗降客は年々減り続けているのが現状で、営業職も役員さんも労組も関係なく回っているのだそうだ。

土電が〝どぶ板営業〟

 午後の住宅街。土佐電鉄(高知市桟橋通4丁目)の取締役や労働組合の委員長、社員らが一軒一軒、民家を回っていた。「土電です、電車に乗ってください」―。利用客が減り続ける中、10月から始めた戸別営業だ。1904(明治37)年の開業以来、初の〝どぶ板営業〟だという。

で、こういう話題に接すると、ブログ書きの一人として「頑張ってトデン!みんなも乗ろうや」的なこととか言ってみたくもなるわけだけど、

ブログで記事をアップしました

しばらくは「私も乗りました。いいものですね」なんてゆーコメントが付いて

1か月もたてば乗らなくなる、てか忘れる

ようになるのが当然なオチなわけで、こういうところにテレビや雑誌、新聞はもちろんのこと、ブログやtwitterがマーケティング手段として有効に働く飲食や小売と決定的に異なる公共交通の難しさがあるねえと改めて思う。

結局公共交通は「移動」のための手段であって「目的」ではない。「移動」の先に「目的」が設定できれば当然良いわけだけど、その「目的」も商店街が衰退しビジネス街も分散している高知ではなかなか絞りきれない。

「トデンに乗ろう」というキャンペーンを振るっても、ただ乗るだけになっちゃうから当然その行為は続かないわけで、町全体の構造や公共交通全体の枠組みが変わらなければ現実に乗る機会が増えることになんかならない。

蓮舫が大ナタを振るう流れの中で公共交通関連の補助が減額なんていうことになれば、高速無料化で打つ手が無くなるJR四国と共にトデンが数年以内に無くなるなんてことも絵空事じゃないような気がする。

で、悲しいかな、今現在の問題として土電が無くなって超不便という人は少ないのかも知れないけれど、バスやJRがそうであるように、土電が無くなって困るという人は確実に存在する。

で、なぜ使われないかというと不便だからであって、なんで不便かというと公共交通の連続性が高知には全くないからに他ならない。

まだレポートをよう書いてないけど、人口20万人足らずのドイツの小さな町では公共交通が異常なまでに充実していた。よく知られるフライブルグはもちろん、フランクルフルト近郊のマインツでも、いずれも公営のトラムやバスが元気に走っていた。

フライブルグでは5本のトラム線が市内を軸に東西南北に走り、その末端にバス路線が設定されている。そして、ヨーロッパでは標準という信用乗車制で、乗りたい人は車内の自販機などでチケットを買って自分で刻印をし、改札も何もなしで乗り降りする。トラムとバスの乗換でチケットを買い替える必要もなく(パリのメトロも同じ)、5人まで使える一日乗車券や各種回数券も充実していた。

フライブルグの公共交通は赤字だが、その他の市民へのサービスと同列で公共交通が位置づけられているのだろうか、様々な経営改善策を打たれながら徐々に数値も良くなっていると聞いた。

まあこれと同じことは高知ではできない。県庁にそこまでやる予算と気概はなさそうだし、高知市からそういう話を聞いたこともない。トデンと県交通も仲があまりよろしくない印象があるし、なによりかにより、公共交通へ投資なんかすると県民が黙っていそうにないのもある。

ヤレ東には高速がないだの、うちの前の道は狭いだのなんだかんだ。全くもって東には高速がないしうちの前の道は狭いのはそうなんだろうけど、高知市近辺の活力が無くなれば高知県全体の活力も確実に削がれるのもまた高知県の現実だ。平等にってのもまあ分かるけど、その平等のレベルを維持するためにも中央部の政策は勘案されるべきなように思う。

中心部の公共交通の整備は都市居住の快適性を上げて行くこと、観光客の流動性を高めることにつながる。全県人口の半分がいる高知市の衰退は高知県の衰退にそのままつながる。こう書くと東京と地方の関係になぞらえられそうだけど、高知市と高知県の関係は東京・神奈川と千葉・埼玉や山梨あたりの関係に近い。東京と高知の関係とは全然違う。

高知の町は、かつて電車通りを軸にした東西に細長い形から北環状線や各バイパスを軸としたまさに典型的なドーナツ型の町の形になってしまっている。最近でこそ都心回帰の流れが出て来て善くも悪くも街中にマンションが目立ち始めたが、まだまだ外部ドーナツの圧力は強い。

現段階で一番理想的なのは、複雑怪奇な経路ばかりのバス路線を整理して南北系統と東西系統、循環系統に整理して、トデンやJRとの接続を良くすることだけど、おそらくこれだと「確実に収支改善」するかどうかわからない賭けになるので、特にバス会社が反対しそうだ。傍目に見る分に
は、今よりは売上げ上がると思うんだけどねえ。

んで。

たとえばデザインとか編集の仕事をしていると、まずターゲットって誰なんだ?ってのを設定する。で、できるだけその人の立場にたって物事を考えることから作業に入る。その人が喜びそうなこと、楽しんでくれそうなこと、来てくれそうなことを言葉にし形にし、チラシなら置く場所を設定し、部数を考えて行く。で、うまくいくときもあればハズスときもあるわけだけど、今の公共交通政策にこういう感じがあるかというと無いような気がするわけです。

で、このターゲットが現在の公共交通では「今使ってくれてる利用者」にのみあるっぽい。しかも、安全パイ的になんかそうなってる感じ。

だけど、それでしばらくやってきたけど、冒頭のトデンがそうであるように乗客の減少に全く歯止めがかからない。たぶんバスも似たようなところかと。つまり、これまでの既存顧客を少なくとも離さないための安全パイ戦略ではもううまくいかない。既存利用者はお年寄りがメインで、当然これから減り続けて行くわけだから当たり前の話で、だからこそトデンの社員さんが動き出した。

掴むべきはまず沿線住民。個別訪問されて時刻表を配ってくれたら、何もしないより絶対お客さんは増えるはずだ。

でも、もちろんこれだけだと弱い。トデンが走る沿線はかつての中心部=高齢エリアだから、やがては放置しておけばまた衰退する恐れがある。

だとすれば、かつての阪急の真逆で、郊外団地に住む人々を街中に誘導する戦略も持つべきだと思う。中心部でのマンションや団地開発に投資できなくても、たとえばそのマンションに路線図や時刻表を貼るとか、無理だろうけど「ですか」のチャージャーを設置するとか、はたまたチャリアンドライドができるように沿線の空き屋や空き地を借りてほんの少しでもいいからチャリ置き場を設けてその利用権を家賃に含む形でサービスしてもらう。要はマンションの付加価値としてできそうなことならなんでもする。そういう形で、自動車が当たり前になってる郊外団地暮らしの団塊世代を街中に(あと数年すれば車にも乗れなくなるかもと)引き込むことを狙う。

観光客向けにも、今日の新聞に高速バスに190円分の初乗り運賃を付加することがでていたけど、幸いにも主な観光地的なものはトデン沿線にほとんど固まっているから、たとえば日曜市を楽しむにも蓮池町通から入ってお城まで行って高知城前からまた乗って戻るとか次に行くとか、そんな使い方の提案ができるはず。190円といわず500円チケットをプレミア付けて売ってもいいんじゃないだろうかね(東京線なら12000のところ12400円で一日乗り放題とかにしたらいいんでないかと)。

アレですよ、東京モノレールの切符を関空や千歳だったかで買えるのと同じで、先取りチケットにしちゃえば、少なくとも全然乗ってくれない今よりははるかにいい。

で、そんなことを考えだすと、さいさいこのブログでも百足館でも書いていた路線図っしょやっぱってことになる。高知はバス停に行っても路線図がないところがほとんどだけど、これじゃあ観光客や新しい客を断っているようなもの。新しく利用を考える人間からすれば、「どこ走ってんのかわからん」バスには乗りたくない。

パリではメトロの路線図グッズがオシャレーにな形で売られていた。まあそんなことにはならんにしても、路線図があるかないかで全然使われ方は変わる。たぶん路線が複雑すぎたり事業者の調整が難しかったり余りにも大変すぎるってのがあるんだろうけど、これをやらなければバスはホントに乗る機会・・・てゆか自信がないですよ。

バスに乗る時、まるでヨソの町でバスに乗るのと同じような緊張感を強いられますからね、高知では。

あと、やっぱ路線番号。路線図作る時に作ってしまえばそれで終わり。できれば、路線整理もしてからの方がいいですけどね。

 

に投稿 4件のコメント

宝町犬とマリちゃんユキちゃん

小さな段ボール箱の中ですんごい小さくなって
白目になりつつ歯ぐき出しつつ
寝ているその寝顔があまりにも可愛い宝町犬
毎日のように前を通るも、
毎日なんか虚ろに寝ているその姿。
リサーチしていくと
お向かいの干物屋さんの愛犬ということまでは分かっていたが、
その詳細まではよく知らずにいた。

で、今日干物を久々に買いに行くと(ここの干物はなかなか美味しくて最近オキニ)、

宝町犬が元気に「なでてなでて」とやってくる。
段ボールの時とは大違い。
きちんと愛想も振りまきつつ犬らしく行動。
名前はマキちゃん
14歳のおばあちゃんだ。
もともとは、ある日お店に入り込んで来た迷い犬。
それを見た、近所にある附属小学校に通う
マリちゃんとユキちゃんが「飼いたい!」と親御さんを説得するも失敗し、
二人の名前を合わせて付けた名前なのだという。
しかもこのマキちゃん、
宝町に来てから初めて出会った訳ではなかったということも判明。
こちらの干物屋さんは日曜市にも出していて、
昨年くらいまではマキちゃんもお店に「ご出勤」していたのだ。
日曜市に出していることは知らなかったのだが、
日曜市のこの店にはよく行っていた。
そして、マキちゃんご出勤の風景も余りに可愛いもんだから撮影していた。
向こう側に見えるのが干物屋さん、
手前は別の野菜を売ってるおばちゃんの店で、
マキちゃんが寝ているのはこっち。
いうたら、全然関係のない店。
そう、マキちゃんはいつも干物屋にいない。
日曜市ではお隣さんの台の下で、
宝町ではお向かいさんの軒先で寝ているのだ。
そして、飼い主がとっても近所にいるときは元気。
ちょっと離れているとふて寝。
もうマキちゃんは日曜市にはいない。
規制づくりが大好きな役所が、動物を置いたらあかんとか言いだしたらしい。
こういう子がたまにいることがその場の楽しさもつくるのに、ねえ。
マリちゃんとユキちゃんは今どうしているのだろう。
たぶん今頃20代。
高知にいるんだろうか?大学や就職で県外、はたまた海外にいるんだろうか。
マキちゃんとマリちゃんとユキちゃんの感動の再会。
探偵ナイトスクープで小枝に来てもらって、西田敏行にぜひ泣いてもらいたい。
に投稿

マッチと町

20091006_1452687

珈琲は決して美味しくない。
換気も悪いからタバコの煙がいつもモクモクと立ちこめる。
カウンターのお姉さんも胸元に微妙に注目がいく感じの服だったりすんだけど、
なんか微妙に色気が無い。
椅子は完全にバネが抜けていて、座るとテーブルが胸の高さ。
そんな懐かしの、高校時代に思い切りハマった喫茶店「ポーの部屋」。
今でも大切に一個だけ手元においてあるマッチなんだけど、
その色違いと20年ぶりの対面。
20091006_1452667
graffitiで「マッチと町」展がスタートした。
昭和40-50年代の喫茶店や居酒屋、キャバレーとかに置いてあったマッチを何百個と展示したもので、かなりの見応えだ。あれからもう5年!にもなる「高知遺産」シリーズの続編として、オーナーのシノッチが企画したもので、展示もなんか学究的で楽しい。
それにしてもこんなマッチ達を見ると、最近の暖かみのないデザインと違って、昭和のデザインはなんか気が抜けてて楽しいなあと改めて思う。近い将来は本にしたいもんですな。
しかしこれだけのマッチを見ると、思い出すのがおいらのマッチコレクション。北海道や東京、関西のモノを中心に100個くらいはあったんだけど、ハプニングでなくなってしまった。やはり大切なコレクションは手元においておかねばなあと反省中。
10月12日まで。必見。
本日ドシドシアップデー→→→
に投稿

rusk

Decembreのビルの横の小径を抜けると、
パーッと白い空間が広がる。
rusk。
先月オープンしたての、
大阪から最近移って来た夫婦???が営みはじめた小さな雑貨屋さんだ。
雑貨屋王国高知に新たなるシンプウ。
パリにもしばらく住んでいたとのことで、
さっそくパリ情報を少々仕込む。
なんかすごい好きな感じのパーカーとかもあって、
旅行前に買うべきか買わないべきか迷いどころ。
いやあ、やっぱ高知って静かにおもろい。
に投稿

魚梁瀬森林鉄道跡

土佐はもともと山の国。
されどそれは自然とは言い難い、人工林の山。
森林に占める自然林率はわずかに35%程度で、
全国でもトップレベルの人工林率なのだ。
かつてそんな山を支えたのが森林鉄道。
良材をガタコトと安田や田野の土場に運んで、
そこから海に積み出していた。
古い写真を見ると、人命を保証しないという条件付きで旅客運送も行なっていて、
この山奥の鉄橋のさらに先の集落には映画館まであって賑わっていたという。
最近では、山奥の現場でレールも見つかったという。
こんな鉄道が賑やかだった時代に戻るのはもはや無理。
だけど普通に木が消費されて、普通に現場が賑わう時代をもー一度見て見たいのだ。
に投稿 3件のコメント

宇津野の景

家からチャリで約10分、車でいけば約5分、こんなところに渓流が。
夏になれば、小さな滝壺では川ガキたちが永久機関の如く飛び込みをし続ける。
大人が泳ぐには浅すぎるし小さすぎるけど、
滝壺から奥にのびる遊歩道沿いには明るい林が続き、
散歩するには丁度いい。
こんな川が近所にあるってのは、小さな街ならではの楽しみ。