高知市の北高見町にあったgraffitiで開催した同名の企画展を単行本した、タケムラデザインの原点ともいえる一冊。
高知の大切にしたい風景250カ所を写真で記録した一冊で、この手の本としては異例の7000部を完売。
その利益は藁工倉庫の西エリアにあった初代「蛸蔵」の改築工事や様々な書籍の発行に投資した。
あとがき 未来への一里塚
ノスタルジーからは何も生まれない?
たとえば歴史的、文化的な「遺産」をめぐる議論をする時、かならずといっていいほどにいわれるのが、『それはノスタルジーだ』という言葉だ。まるでノスタルジーが悪であるかのように、その言葉は強い否定の意味合いをもって放たれる。
たとえば行政や財界の人に対して、この本で紹介されているような「遺産」の価値を説得するのはむずかしい。費用対効果はどうか、納税者への説明責任は?彼らの論理は、往々にして強情で、容赦がない。
いま、そんな勢いある論理に負けて、多くの「遺産」が消えていこうとしている。いくらそれを大切だと思う人がいたとしても、経済性や安全性というお題目の前ではそれは単なる破壊の対象にしかならない。
そのいい例が京都の「町屋」だろう。若い世代では町屋に暮らすことがステータス化しているが、その一方で町屋は次々と壊されている。町屋なんかにしておくよりもマンションや駐車場にでもした方がよっぽどお金になるし、防災という面でも町屋にしておくよりは良い、というわけだ。つまらなくなった高知市
水害対策が一息ついた高知では、約10数年前から積極的な都市開発が推進されてきた。かつて高知市の基幹道路といえば数えるほどしかなかったのに、ここ数年で高知道や北部環状線などの開通が相次ぎ、その交通は劇的に改善された。
さらに、こうしたことを反映して2000年末には床面積で大丸、西武、ダイエーを足してもまだ大きいというイオン高知ショッピングセンターが出店する。同時期には中心部で「待望の」文化プラザかるぽーとがオープンし、西武百貨店が閉館し、それまでスパーしかなかったコンビニが一気に激戦区になった。
こうしたわずか10年の「激変」で、この街は確かに便利になった。昔、薊野や潮江は迷路のような土地で行くのは憂鬱なところだった。帯屋町で買い物をしようと思っても、道は渋滞、駐車場は満車でいつのまにか買う気が失せていたのに、市街地から車が減ったおかげで買い物もしやすくなった。それに、イオンができて選択肢が広がった。本とCDを見て、ごはんを食べて映画を見て、最後はジムで一汗をかく。そんなことが簡単にできるようになった。こんな本を出しながら、週に何回もイオンに行ってしまうのが実情だったりもする。
こんな利便性は、たとえば商店街を守るため古い街並みを守るためにといった「地域への愛情」や「ノスタルジー」にかられていたら到底実現はできなかっただろう。それよりは、直接的な経済効果を生み出す道路やお店が生まれた方が、都市の表面的な元気を保つ上ではなるほど確かに優れている。
しかし、この10年で高知は明らかにつまらなくなった。街のどこへ行っても薄っぺらい建築が建ち並び、きれいだけどどこまで行っても同じような道が続くようになった。かつてお世話になった本屋や喫茶店、写真屋さんはことごとくシャッターを閉め、店員さんに身の上話をうち明けるようなことも減ってしまった。アッという間に目的地に着くことができるようになったかわりに街の隅っこにあるような小さなお店や風景に目を奪われることもめっきり減った。近所のおばちゃんがやっているようなお総菜屋さんに行くよりも、ちょっと走れば突き当たるコンビニで用事を済ませることが多くなった。
そうなのだ。この街は便利さと引き替えに可能性を減らしてしまった。だからつまらない。楽だけど、つまらない。そのつまらなさは、町中の本屋を駆けめぐって一冊の本を見つけだす楽しみが、いまやネット上でクリックするだけで見つかってしまうのとひどく似ている。「団塊の世代」と「団塊ジュニア世代」
なぜこうなったのだろう。人はいつだってより便利に、より快適に暮らしていくことを追い求めてきた。新しい素材の発見、新しい技法の開発とともに古いものは打ち捨てられ、新しいものが歓迎されてきた。それでも戦前まではそのサイクルも遅かったので、古いものも新しいものも混在していた。明治から戦前における街並みや庶民生活の写真をみれば、このことは一目瞭然だ。
しかし、戦後消費社会ではこのサイクルが加速する。昭和20年、日本の都市の多くは焦土と化し、高知市も旧城下の大半が燃えた。古いものへの情緒はここで途切れ、多くを「新しい」ところからはじめなければならなくなった。そして、昭和40年代にかけての高度成長期、平成のバブルへと向け、経済は一時を除いてはおおむね拡大をし、都市もまた成長を続けてきた。古いものよりも新しいものへ、新しいものよりもさらに新しいものへ・・・。古いもの、風格のあるものが悪者扱いされるようになった。
この時代の傍観者として、また主役として生きてきたのが、いまこの街の先頭にたつ「団塊の世代」だ。何もないゼロの時代に歩みをはじめ、常に「つくる」現場にいたこの世代にとって、開発や創造の風景は、何もない焦土の風景と同じように強く原風景として刻み込まれている。また、お金は消費するものという意識がその後の世代に比べると強いようにも見える。
一方、これらの世代がうみだした「団塊ジュニア世代(25〜32歳)」は、おおよその特徴としては団塊の世代をはじめとする上の世代が汗水をたらしてつくりあげた「つくられたもの」を享受することに慣れた世代であり、その原風景はモノに満ちあふれた時代にある。つくることに対する意欲はかつての団塊の世代に比べるとあまりにも小さく、つくられたものをいかに使いこなすか、いかに楽しむかに精力を注ぐ側面が強く、開発よりは利用、創造よりは無関心の傾向が強い。このことは団塊ジュニア世代以降になるとより一層強まっているかにみえる。
高知遺産は、このスキマにうまれた。団塊の世代が牽引する「開発」のなかで、いまもって多くの風景や場所が消えていこうとしている。「利用」に慣れきったジュニア世代にとって、これらの風景や場所が開発によって消えていくことは、すなわち原風景の消失に他ならない。この本がもしひとつのノスタルジーとして団塊の世代から片づけられるのであれば、それはこの価値観の違いによるものといえるのではないだろうか。冒頭に記した京都の町屋をめぐる動きなどは、これを象徴するものといえる。失う前に、もう一度
開発に原風景を求める団塊の世代は、より快適に、より大きくを目指して地域づくりを進めてきた。この約10年間で高知市が一気に「都市化」したのはその大きな成果ともいえよう。また、そのツケとして一気に財政状態が悪化しているのも、結論からいえば消費が美徳という意識もしくは経済は拡大するものだという意識が背景にあるといえはしないだろうか。
しかしいま、経済は団塊の世代自らがリタイア世代に入ることで縮小の局面を迎えようとしている。従来のように快適さをいたずらに求める必要も、また大きさや数を求めることも、そもそもの「頭数」が減る以上必要がなくなっていく。人口と経済の縮小時代にあっては、これ以上新しい道路を通して都市拡大を進めるよりも、人が減って空き家ばかりになっている中心市街地にいかに暮らしを呼び戻して都市を小さくまとめるかといったことや、薄っぺらい建物や街並みをつくることよりも古い建物を補強したり作り替えたりしていく方が良い。
この本で私たちが伝えようとしたのは、便利さと経済性が支配する社会の中で、私たちが忘れてしまいかけている街の様々な場所にもう一度目を配らせようということだ。そして、そのなかで、破壊や開発だけが街の進化ではないということ、往々にしてノスタルジーで片づけられる「過去の遺物」こそ「未来への一里塚」なんじゃないのか? ということだ。
私たちは、この本をつくりながら「高知は面白い」と改めて思うようになった。しかし、その面白い場所が、つくっているうちにも次々と消えていった。「失う前に、もう一度」。この言葉すら、今の高知では少し空しい。
(2005)
2005
- Creative Director
- 信田英司
- Designer
- タケムラナオヤ
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Photographer
Author - 堀内晃、井戸宙烈、尾崎誠一、タケムラナオヤ他30名