WORKS

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』
『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

『マッチと街-マッチがあった頃、高知の街はずっと元気であった。』

高知の街の1950-1990年代を彩った数多のマッチコレクションが一冊の本に。


激動の昭和、そして平成初期にかけての「あの頃」、高知の街は今よりもずっと元気でした。

東京へはYS11が一日数便しか飛んでいなくて、瀬戸大橋も高速道路もまだまだ遠い未来の話。スマホもネットももちろんなくて、テレビも民放が2局しかなかった時代。

だけどそのぶん、今よりもずっとたくさん、街には人の「居場所」がありました。珈琲を飲みたいと思えば純喫茶や音楽喫茶があり、お酒を飲みたいと思えば居酒屋はもちろんのこと、カクテルバーやジャズバー、スタンド、スナック、ラウンジ、キャバレーと、今ではあまり聞くことのない業種も含めさまざまなスタイルのお店が、お客さんを待っていてくれたのです。

人口30万人たらずのコミュニティの中で、あらゆる用事はこの街の中で済ませることができました。街は、今よりもずっと濃かったのです。もちろん、今でもたくさんのお店が高知の街にはあります。街並みははるかにきれいになりました。だけど、「あの頃」に比べると、街はずいぶん大人しくなってしまったのではないか、とも思うのです。

この本には、高知の街の「あの頃」を偲ぶことができる、たくさんのマッチを掲載しています。そのデザインは決して洗練されたものばかりではありませんが、数多の商いがこの街の活気を支えていたことを窺い知ることができます。

ひとつひとつのマッチの向こう側には、たくさんの物語があったはずです。いかにも小さい店構えであったであろうスタンドで、いつまでもクダを巻く酔客に手を焼くママ。1ドル360円のまだまだ海外が遠かった時代、ヨーロッパへの憧れいっぱいの店名をつけたマスターと、その雰囲気を楽しむお客さん。喫茶店で、バーで、毎日繰り返されるたくさんの色恋沙汰に、終わることのない議論、果てしないケンカ。

いまやマッチ自体が時代の遺産になりかけていますが、当時を知る人には、「あの頃」のことを思い出してホロリときてほしいです。当時を知らない人には、「あの頃」の高知の街のことを想像してニヤリとしてほしいです。

本書で紹介しているマッチの大部分は、ギャラリーgraffitiの信田英司氏が2009年10月1日から12日までの期間に開催した「高知遺産 マッチと町」展で展示されたものです。長崎雅代さんから寄せられたマッチや信田氏がコレクションしてきたマッチを中心に展示し、会期終了後まもなく書籍化の話があがりながら、こうして一冊の書籍にするまでに9年もの歳月が経ってしまいました。

2018年12月1日発行
発 行:マッチと街出版委員会
企 画:信田英司
進 行:町田律子
文・編集・デザイン:タケムラナオヤ(Takemura Design & Planning)
文:高橋さよ
写 真:武吉孝夫、井戸宙烈(studio.ZONE V)
特別協力:金高堂書店

書籍

2018

Client
マッチと街出版委員会