4月6日。旅も最終日。皇室なみのスケジュールで今日までやってきたが、最終日こそきつい!スケジュールで動いていくのであった。

本日は朝6時起き。結局前の日2時過ぎまでゴロゴロしていたのでそりゃ眠い。朝飯は6時半から。昨日の夜とはうってかわってかなり豪華な朝食。湯豆腐まで付いている。

8時過ぎのフェリーで高松から直島へ一時間の船旅。結構大きなフェリーで、積み込まれた車は土木用の作業車や産廃処理の車が多いように感じられた。

宮ノ浦到着後、ベネッセアートサイトへ直行。途中やけに立体的な安全人形や草間弥生の南瓜を発見。いいねえ。のどかだねえ。やっぱり草間さんは最高だねえ〜

最初に覗いたのは地中美術館。安藤忠雄設計の真新しい美術館だ。あまり事前に情報を入れずにいったのだが、ここもイサムノグチと同じで写真は一切厳禁だとビジターセンターで変なトレーナーを着たお兄さんに指導を受ける。建物も、作品も、何もかもすべて。撮っていいのはビジターセンターだけ。建築まで規制するというのはなんかおかしいと思うんですが。

それでなんだか釈然としないまま地中美術館まで少し歩かされる。左手にはまだ自然になりきっていないビオトープが。あとで調べたらこれはモネが愛した植物を配した庭園なんだとか。

はじめに見せられるのは、「チケットもぎり」ボックス。作品でもなんでもないチケットもぎりの人が入るための箱だが、1M×1M÷2の三角形の中に人が入っていて、チケットをもぎってくれる。どうみても苦しそう。どうみても荒行。どうみても変。この先の道程に否が応でも心が躍る。この先、どんだけ変なのか。

スロープをあがり、エントランスへ。しばらくは安藤建築独特のコンクリートの通路を往く。すると右手にトクサの植えられたドライガーデンがあらわれ、この周囲を回りながら2Fへと入る。背の高いトクサの周囲には羽虫が少しだけ群がり、なんかラピュタの操作室でムスカが「はぁ〜うぁっ」とか言いながら虫をはねのけゴリアテをおとすシーンを思い出す。「見ろ、人がゴミのようだ」

この間、安藤忠雄的コンクリートの壁に囲まれた空間を往く。無機物と空の対照は自然と人との関係を喚起させ・・・なんていう言葉はあまり響かない。なんだかただただ無機的。そして今度は石が敷き詰められた三角形の広場へと出る。無の広場という感じ。

そしたらいきなりサティアンの映像で見たことがあるような白い服をまとった無愛想な女子がそこに突っ立っている。どうやら展示室らしい。第一室、デ・マリアの間。広い空間に大きな階段、中央に漆黒の御影石。周囲によく分からない金色の物体。まるで聖廟。音のない空間に光が射し込み、足音がやけに響く。無愛想な白衣の信者に向かって御影石の巨大な玉をころがしてやりたいが、たぶんそんなことをしたら変なトレーナーを着た信者に怒られそうなのでやめておいた。空虚な権力を象徴するかのようなこの空間に出迎えられることで、見る者はこの美術館の「異常性」にいきなり引きずり込まれる。

次にジェームス・タレルの間。まず見るのはなんかよく分からない光が壁に照射されているさま。これは意味がわからん。次に通されたのがお墓の中。白い光が台形の石室に柔らかく射し込み、思いの外暖かい。ここに30分もいたら、きっと頭がおかしくなる。最後に通されたのが、青い光の間。ここだけは白衣の信者はいなくて、なんだかそこらへんを歩いていそうなオシャレなお兄さん。信徒じゃないらしい。青い間は3〜4人ずつしか入れないようになっていて、しばらく暗いベンチで待たされる。なんだかキャバクラで席待ちしているかのような錯覚を覚えるのはどうしたことか。青い光の間は、死への光。死への空気。死へと向かう道。なぜか信者に「真ん中を歩くように」としつこくいわれながら御影石の階段をのぼり、青い光が支配する空間に立つ。あまり奥に行き過ぎると警報が鳴る。その警報線の向こうには立体感覚のない壁が。触りたくても触れない光。

それにしても警報がうるさい。昨日のお笑い番組で中川家が「マクドナルドでポテトをつくる人」の物まねをしていて、ハォワ、ハォワという仕上がったというお知らせブザーが鳴る様をしていたことを思い出す。どうにもおいらは雑念が入りすぎらしい。ちなみに、警報のセンサーをまたいでみたりするが、やっぱり鳴る。

脱力感を覚えながら、信者とすれ違いながら最後の室、モネの間へ。床に敷き詰められた白い1cm角の大理石は柔らかく、少しだけ地上を浮いて歩いているような感触がある。部屋はそのすべてが白い空気に包まれ、すっかり見飽きたはずのモネの睡蓮もなんだか生き生きとして見える。あるブログでは「瞬間と永遠」とこの室を表現していたが、なるほどその通りだ。

おいらには地中美術館は「死と生の美術館」に感じられた。作品を展示しているのではなく、まるで死生観を展示しているような感じ。作品はむろんこれを直接間接的に表現し、見る者にそれを喚起させる装置として機能する。そして、これを取り巻くスタッフはオウムの信者のように白い衣装に身を纏い、あの事件に深い衝撃を覚えたおいらにはこの空間を一つの宗教施設かのような錯覚感を与えてくれた。無愛想なのもまたこれを演出する装置なのか。何を言っても馬の耳に念仏っぽいところもそう。たぶん彼らは、決められたことしか言わない。というか言わないでほしい。笑ったりしないでほしい。「地中カフェ」もまるで斎場の休憩室のように、整然と机が並び、その上に整然と水差しが並ぶ。「いらっしゃいませ」とか言わず、静かにお茶と落雁を出してくれたらいいのに。

おいらは作品を見るとき、いつも何かと対照させながら見る癖がある。自分の価値観や記憶と対照させながら、その作品と自分との距離感を計り、理解をしようとする。なんだかいい見方だとは思えないけど、ラピュタやオウム、斎場といった記憶(しかもかなり俗的でチープでごめん)とあまりにもぴったりとくる、そしてそれ以上の何者もないほどに死生観や宗教といったことを心の奥底から感じさせられた。ものすごく強い脱力感だ。

さっきはなんかよくわからなかったモネの庭も、終わってからみるとなんかラピュタの庭園みたいに見えてくる。「すべて」が終わった後の庭園で、ロボットがその命の続く限り手入れを続ける、そんなイメージ。そう、ここをロボットがピコピコいいながら歩いていてもおかしくない。通りがかった時は丁度園丁が庭の手入れをしていたが、彼を見ながらS氏とラピュタの一節を思い出しながら喋ってみた。

「動いていない!」

「ずっと昔に、止まっていたんだ」

爆笑。おっとこんなところで爆笑していたら、ビジターセンターのトレーナーさんに怒られる。

ここから道を戻り、ベネッセハウスへ。地中美術館の異常さにすっかり頭をやれているので、何を見ても響かないし面白くない。基本的に「高校美術」の教科書を地でいくような基本的な作品が多く、きわめてノーマルな美術館のすがたを示しているような感じだ。おいらにはちょっとつまらない。地中美術館とベネッセの美術館、見るならこっちから見ないとつらいかも知れない。

でも、柳幸典のバンザイコーナーには感動だ。今回は柳の代表作に2つも出会えて、うれしい。ここはつまらなかったので20分もたたずに退場し、キャンプ場で珈琲を飲んで一休みして、宮の浦へ戻る。

宮の浦には何カ所か食べるところがあるが、選んだのは「ふじ食堂」。ずいぶんと小さなコンクリートの箱がそのまま食堂になっていて、いかにも「島的食堂」。入ると小さなおばあちゃんがせっせと準備をし、奥で補聴器をつけたお爺さんが鼻をかんでいる。ヌードポスターが壁に貼られ、その向かいには神棚が。お爺さんとお婆さんは仲がいいのか悪いのか、たぶん耳が悪くて少し耄碌しつつあるお爺さんに苛立つのか、お婆さんが何度も怒鳴るのも微笑ましい。カレーライス(500円)はジャガイモがなくなるくらいに煮込まれていて、うまい!

 次に家プロジェクトと屋号プロジェクトをやっている本村地区へ。宮の浦とはうってかわってなんだか大きな家や仕舞のきちんとした家が多いのが印象的な集落で、この町並みの中に「南寺」「角屋」などのアートスペースが散在する。ただ、町歩き好きのおいらにとっては、思ったより「普通」の町歩きに終わる。サインもかわいらしいし、町並みもキレイなんだけど、逆に発見して楽しい部分は少ない。サインがきちんと付いていることで、むしろその家への探求心が失われるような部分もあった。町歩きという面では、意外と宮の浦の方が良かったりするかも知れない。

ただ、集落を見下ろす高台にある八幡神社は良かった。これは屋号でもなんでもないのだが、大きな楠の下をくぐりぬけて上がっていく参道は素晴らしい。少しだけくねくねとした道成に山門があらわれ、これを抜けていくと突然本堂へ到達する。本堂の裏を入っていくと「家プロジェクト」のひとつである「護王神社」があらわれる。

そして「南寺」。本当に光も何もない、真っ暗闇の部屋の中で5分ほど待機すると、朧気に光が見え、その光へと向かう波紋が見えてくる。自分には音も聞こえてくるような感じがした。狭い空間のはずなのに、無限の広さを持つ空間のようにいつの間にか錯覚し、方向感覚の一切がなくなった。恐るべしジェームス・タレル。

最後は「角屋」へ。原美術館以来の宮島達男との再会。なんかこの人の作品は言葉にしがたい。柳幸典と宮島達夫はやっぱり好きだけど、好きに言葉はあまりいらんのかも。

さて、そういうわけで思ったより早くに直島の全行程を見終え、3時過ぎには港へと戻る。しばらくお土産などを買い込んで、4時の宇野行きのフェリーに乗り込んで本州上陸。結局ここからだと高松にまっすぐフェリーに乗ろうが、宇野経由で瀬戸大橋に乗ろうが、それほど値段に差がないのだ。それに4日間も旅を共にするとさすがに別れがあまりに寂しいので、S氏を岡山駅まで見送ることにしたのだ。

それに、94〜96年に岡山の大供交差点にあった「自由工場」の跡を見に行きたいというのもあった。この場所では、間もなく取り壊されるビル全体をアートの実験場としていた場所。唯一の恩師で現京都市立芸大の井上先生が主催していたプロジェクトで、ビルと一緒に消えゆく作品を展示したり、ビルの欠片を使った作品をつくったりと、たくさんのアーティストたちが自由に、様々な方法で作品をつくっていた。おいらやS氏も94年にB氏と一緒に来たことがあって、自由工場の写真を建物に埋め込んだりしていたことがあった。

でも、もう当然ながら跡形もないし、どこにあったのかももはやわからない。11年という歳月はこんなにも!と思えるのだった。

そして、疎遠になったり近くなったりしつつ、11年以上もご縁が続いているというのも不思議というかうれしいねえと話したりしつつ、S氏を見送って小旅行は終了!