ついに京都の旅も最終日。あっという間の3泊4日間だったのだ。
今回の旅では、C氏からチャリを貸してもらったこともあって、また車で来なかったこともあって、じっくりとチャリや歩きで街を堪能した。C氏宅が御池柳馬場という一等地にあることもあって動きやすく、寺町界隈なんかはこんなにじっくりとうろついたのは多分10年ぶりくらいになるはずだ。

でも、なんか京都はいつきてもそう思うんだけど、いつきても今も住んでいるかのような錯覚に陥らせてくれる。ましてや今回のように、実際に住んでいた時代と同じように自転車や歩き、鉄道、バスとかを使ってうろつくと、その感慨はひとしおなのだ。

多分どれだけ風景が変わっても根本的な風景・・・たとえば東山の嶺や寺、鴨川の流れは絶対に変わらないし、街並みだって行き過ぎたリノベが目立ちすぎる他は変わったという印象がない。
これが約2年間働いていた大阪や心斎橋だとそうはいかない。心斎橋なんて、今行っても「ここで毎日働いていた」という実感がないくらいに変わってしまいーたとえば会社から心斎橋駅までの5分ほどの道のりですらー記憶を辿ることのできる、もしくは記憶を呼び覚ましてくれるような風景や印象と出会えなくなってしまっている。
記憶の風景がいかに残されているか。その風景は、その街と自分との共有項であり、その街と自分との距離を測る物差しだ。「高知遺産(おかげさまで売れ行き好調です)」で考えていた暮らしの中で記憶してきた「大切な風景を記録する」という行為は、たぶん今回おいらが京都で感じたことが高知ではできなくなりそうな予感があるから生まれたんだろうなとも思った。記憶を辿ることのできる風景を失うと、その途端にその街と自分との距離は離れてしまう。たぶん、加速度的に。
京都はいま、東京や大阪といった巨大資本やメディアに消費される一方だ。もともと消費される都市ではあったのが、昨日の骨董屋のおばちゃんではないが「よりひどくなってきている」。京都にそれまでなかったはずのもの、京都らしくないものや行為が「京都らしいもの」として観光客や地元の若者に消費され、一方でずっと大切に形を変え品を替え残されてきたはずの京都本来の風習や風景がないがしろにされようとしている。むろん全てにこれが当てはまるというわけではないけれど、そうして京都が大阪化、東京化していくのはあまりにもつまらない(「おばんざい」ひとつとっても、大阪や東京で「おばんざい」屋さんが受けたから京都に逆輸入されたという考え方すらできそうだ)。
ただそれでも京都はあまりにも「記憶の風景」としての資源が膨大だから、10年ぶりでも「今も住んでいる」かのような錯覚を覚えるのだろう。そしてまた、だからこそこの都市に挿入された「京都らしいもの」にどこか疑問を感じてしまうのだろう。これからもたぶん毎年のように京都には行くんだろうけど、どうかいつまでも京都は京都であってほしい、そんな気がした。
まあ夏はイヤだけど。