朝起きてしばらくのんびりして、10時頃に重い荷物を抱えて街へ。かき集めた資料や本は全部昨日郵送したんだけど、それでもまだま重いこと重いこと。

なれど京都を離れるのはなんだか寂しくて、阪急河原町駅に荷物を置いてしばらく河原町辺りをうろついてみる。この小旅ではじめての小雨模様で、ちょっと歩きにくい。

12時前には移動を開始。ひさしぶりの阪急で十三乗り換えで三宮まで一気に移動。やっぱり新快速とかと比べるとなんかのんびり走っている感じで、ちょっと安心。大阪で勤めている時、おいらはずっと京阪で五条から淀屋橋まで50分近い通勤をしていた。その間、売店で買った新聞を読みながら京阪売店名物?の爆弾おにぎり1個を食べ、淀の車庫を過ぎた辺りから寝る。そして寝屋川市あたりからは起きたり寝たりを繰り返しながら淀屋橋へとすべりこんでいた。まあこれは出勤時間が10時過ぎだったので特急も空いていてのんびりできた、という部分もあったんだけど、毎日がちょっとした旅行的通勤で楽しかった。

でもJRはなんか嫌いだった。ごくまれに京阪に乗り遅れそうな時とかはJRで帰ることもあったけど(それすら乗り遅れたら会社支給で京都までタクシーで帰ったりしていた)、JRはいつも混んでいてなんか座りにくいしよく揺れる。まさか宝塚線の事故のようなものが起きるなんてことは想像もしなかったけど、なんだか不安感をいつも抱えていた。

話がどんどんずれていくが、たとえ毎日の通勤であっても、もう少しのんびり(といっても5分長いとかね)したっていいんじゃないだろうか。多少の遅れ、それによる乗り換え不能があったって、それは仕方がないで済ませたらいいじゃないの。宝塚線の事故は、JR西日本自体の企業体質に問題があるのは間違いがないけど、それ以上に「時間にうるさく」「なんだかせせこましくて」「対価としてのサービスにうるさい」関西人(あくまでイメージ的な問題でもあるけれど)の体質が生んだものといえるんじゃないのか。少し遅れただけで文句をいいにくる人の数も京阪神はものすごく多いという。なんでそこまで時間に厳密である必要があるのかよく分からないが、「18分」の通勤時間を「480円」でわしは買うとんのや!という感覚なんだろうか。

今やJRに完全に負けた恰好の京阪や阪急は、たとえば京阪であれば2階建て電車やテレビカーなどのサービス面で勝負をしようとしてきた節があるし、阪急とかはかなり早い時期からラガールカードとかで改札の利便性を高めようとしていた(今はスルッと関西?)。これは、うちらがお客様にお返しするのは、そうした乗り心地とか快適性ですよ、という意思表示ともいえるだろう。だから、あんまり京阪とかだったら遅れても文句とかなさそう、な気がする。

対するJRは線路に余裕があることもあってか、電車自体の乗り心地とかゆったり感というものをそれほどには重視せず、スピードでとにかく阪急・京阪・阪神あたりを圧倒する方向へと走った。速く行きたければやっぱりおいらも京都時代はJRを選んでいた。結局JRはスピードであり、関西のうるさ型の客はスピードのために乗っているから遅れたら無性に腹が立つ。JRはますます焦る。乗り心地よりも軽い車体の電車を飛ばした方が良いと。そしたら本当に飛んだと。

誰が一番悪いのか分からなくなってくるよ。マスコミの「オーバーランは今日は○回」という報道はますます運転手を追い込むとしか思えない。ダメ客は駅員を蹴ったり「死」と書いた紙を運転室に貼り付けてみたりしてますます追い込む。運転席の後ろにじっと立ってメーターをにらみつける客。速度超過やオーバーランに異常にうるさくなる一方で、遅れにも異常にうるさくなる。苦情の電話が何万件と鳴る。そして蹴る。死の紙を貼る。駅員をホームに落とそうとする。去年の自己責任じゃないけど、なんかちょっとおかしくないか。もっともっとJR西日本がこうした競争に突っ込んでいった背景を考えるべきじゃないのか。鬼の首取った状態の馬鹿なマスコミ、関西人の厳しい?対サービス感覚。国鉄民営化等々。

なかなか神戸まで辿り着けません・・・