あれよあれよという間に郵政法案が参議院で否決され、小泉首相が「これは小泉内閣への不信任である」として衆院が解散された。
おいらは、今回不勉強もあって郵政法案そのもののことはいまだよく理解できていない。世に倦む日々の記事群はなかなか秀逸。へーと思うことがいろいろとわかりやすく書かれていた。
また、今回参院否決で衆院解散という荒技に出た小泉内閣の総評は田中宇の国際ニュース解説がおもしろい。田中宇は最近ちょっと覇権論で少し
偏りすぎの感はあるんだけど、それでもやはりそうなのかもと思わせる迫力がある。

さてところで今回、自民・民主を問わず、郵政法案反対派の言葉でよく出てきたのが、「郵貯が外資に食い物にされる」ということと「郵便局のユニバーサルサービスを担保できない」ということだった。中でも後者は地方の悲痛な声だと。そして、その理由をとうとうと述べる折々で触れられたのが、ATMではそのかわりにはならない、窓口があるからお年寄りは毎日通うし、そこで地域のコミュニティも云々みたいな話になっている・・・ということだった。なるほどこれは間違いない。今すぐに郵便局が地域から消えるというのは、おいらも反対。高知の山奥の郵便局とか、実際賑わっているもんね、年金受け取りのお年寄りとかで。。。
でも、それを30年、50年という長いスパンの中で考えると、そのことを盾にするのはおかしいんじゃないかとも思える。30年後の高齢者とは、すなわち今の団塊jr世代である。今の高齢者は当然機械にはなれていないからATMへの抵抗感からも窓口のある郵便局を望むが、自分たちぐらいの世代が高齢者になったとして、むろん人とのふれあいはほしいとしても、ATMに抵抗があるかというとそれは間違いなくないだろう。ましてや30年という歳月はいやでも技術革新を押し進めているだろうから、ATMというもの自体が全く違う形になっているかも知れない。そして、コミュニティの在り方も全く変わっている可能性があるし、郵便という概念だって大きく変わっている可能性がある。
おいら的には、郵便局のユニバーサルサービスの担保が必要と思われるのはせいぜい向こう15-20年。その先は今の時代に殊更目くじらをたててまで担保する必要はない。むしろ、その担保が地域にとって邪魔になる可能性だってある。