気がついたら4時でした。Mさんから「今日来るんじゃなかったでしたっけ?」と電話があったときには、POURQUOIでのんびり珈琲をすすっておったわけです。
が、電話の向こうのMさんはどうにも「怒っている」感じ。聞けばなんでもとんでもないシンポジウムだったとか。
それでその会の事後報告を聞きに、まちなかで合流。もともと誘ってくれていたのは「高知まちむら創報室」のよ輔氏。ほかお二人の女子と5人で珈琲でございます。

まあとにかく「残念」だったもよう。なんでも「市民の声」を聞くというお題目のものだったのが、「市民の声」なんて一切聞く場面もなくて、ただ「先生」たちがいきなり檻の中に放り込まれた女子高生たちとお話をするのを延々3時間聞かされただけで、市民の疑問には一切答えてくれなかったんだそうです。
まあおいらはその場にはいないのでよくわからないのですが、その後複数の方(5-6名)から聞いた話でもだいたい同じ感じで、と・に・か・く「市民を馬鹿にしている」と怒っている人が多い。ちょっとこれはただごとじゃないですよ。そこまであの会に行った人全員が怒っているなんていう会、見た事ありません。丹中山、新堀川に引き続き、また行政は市民無視の「市民重視」行政をやろうとしているのでしょうか。

まあこんだけみんなが怒っているのを見ると、だいたいどんな会だったかは想像がつきます。そして、その理由もだいたいいつものことで想像がつきますよ。
とりあえず、お堀越しの「縄張り争い」でつまらん駅をつくるのはやめてほしいですね。あと、JRも電車もろくに使わないような、東京やヨーロッパばかり見ている「大学教授」の話だけを真に受けるのも、会の進行をミスったという理由で市民の声を聞かないのも、いかんでしょ。
まあ同時に、下手をすれば市民がただのエゴ(市民の権利)を丸出しにしてしまう可能性がこういう場面では考えられるのも問題ありですが。最近は「公共」と「私」の関係が曖昧になってきているので、ますます難しい。「私」が市民の権利をむき出しにしすぎても、それはそれでおかしくなる。そこには全く違う立場の「私」だっているわけですから。。。
まあこのままいけば、第二の「はりまや橋公園」ができそうな気配ですので、ちょっと今回ばかりはなんかせんといかんと思っております。今日はそれで何人かの人とお話をしてきました。。。
ま、それは近々。
しかしなんで高知はこんなにいっつも無策になってしまうんでしょうね。
もっときちんと話し合う場面があれば、少なくとももっといい街になるのにねえ。
もったいない・・・
まあきっとまたシンポジウムやってくれることでしょう!
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