高知県では、弱体化した県財政の問題もあり、「住民力」を高めることを大きな政策の柱にしているように見える。
「住民力」とは、県財政の極端な悪化のなか、地域住民と行政が知恵と力を合わせて、介護、子育て、自主防災、健康づくりなどの各面で「支え合う」仕組みをつくっていこうというもの。要は官のサービスを従来通り行政で行なうものと地域で行なうものをさび分けし、官民で支え合うという仕組みだ。

今の段階では声かけだけに終わっているがいよいよ来年度から本格化するといわれる、だけどいまいち誰も実態がよくわからない「アウトソーシング」、無批判無節操な施設放出が文化大革命ばりの文化危機と雇用危機を招く予感もある「指定管理者制度」、南海地震に対する自主防災会の組織などもそのひとつになる。
ここで問題になるのは当の「住民」である。現段階としては「力」以前の状況にあるのが実態で、NPOについても先日のフォーラムがそうであったように経済「力」なきNPOが頑張ってギリギリの線で活動をしているのが実態だ。そして、その弱さを補強するために送り込まれているのが総勢60名におよぶ応援団の皆さんだ。実行力や企画力はあるが、経済力が伴わない。いや、伴えない社会構造とでもいうべきか。
また、だいたい危なっかしいのが指定管理者制度でもアウトソーシングでも、県側がこれをただの「安く済む外注」程度と考えて従前の4-5割とかで予算をつけてくる可能性が強いということで、どこかの公園の指定管理者制度では実際にそんな吃驚するような数字を出してきたのだとか。むろんそんな非常識かつ都合のいいものが全て許されるわけではないけれど、請ける側が「クレクレ君」になってしまえば、元も子もない。それでもいいでーす!と手を上げてしまえば、そしてそれで落札されてしまえば、その数字は標準値になる。
これじゃあ官本体は年数パーセントの給与削減で済むかも知れないけれど、NPOや住民活動で身を挺して「住民力」を実現しようとしている人々はまさに「負け組」的な経済の底辺に置かれたまま激務を果たさなければいけないことになる。事実、NPOスタッフの大半はヒルズ族の月給程度、下手をすれば日給程度の年収しかないのではないか(w
たぶんこれではみんな貧乏になる。なにより、ある程度懐に余裕のある団塊世代がリタイア後、NPOや組織をバカバカと立ち上げて行くのは間違いないわけだけど、「余裕」があるあまり仕事を「安く」請ける可能性があるのも恐ろしい。これでは「次の世代」が育たない、いや育てない。
ART NPOの領分で考えても、たとえばやなせたかしさんが無料でロゴを創ったりすれば、当然どこかに皺寄せが行く。デザイン事務所からすればある意味迷惑かも知れないし、将来を考えると「何もかもやなせたかし」というのは「なんでもかんでも坂本龍馬」と同じで個性が没個性化していく第一歩につながりかねない。だけどやなせさんの無料という部分や、検証もしていないのに「訴求力がある」という理由でポンポンと似たようなキャラクターが県内に続々登場している。悪くはないが、良くもない。いや、はじめはよかったんだ、だけど今は・・・という話だ。
まあ話を戻す。
なにはともあれ、「住民力」とはつまりは行政と民間のワークシェアリングだ。その方向性は特に不満はない。なんでもかんでもやってくれる親切丁寧な官を解体してNPOや市民といった民の「結い」で地域を運営していくというのは、なんてことはない、ほんの120年くらい時計の針を元に戻すだけの作業なのである(田舎だけの話/トーキョーは別)。人口もその時代との均衡へ向かって収縮していくのだから、120年後の未来を思えば仕方が無いわけである。
ただ、ここには財源のお話が含まれていない。税金はあくまで県が握ったままで、仕事だけ一緒にやろうというわけだ。これじゃあ国対地方の構図と何も変わらない。
「地方は地方らしく、共助の精神で暮らせ」
これが今の「東京政府」の考え方。要は東京の足を引っ張る田舎は「みんなで助け合って、貧しく静かに暮らしなさい」ということだ。だから財源なんてほんのわずかしか譲ってくれない。
むろん高知でいわれる「住民力」はそんな短絡的なものではないだろう。まあそもそもの財源が東京政府から借りてきているものに等しいから変なことは言えないんだろうけど、知事がそこまで旗を振って「お仕事譲りますorお仕事一緒にやりましょう」というなら、「財源」も一緒に「ちょっとだけでも」譲ります・・・そんぐらいの方が一緒にやる気になるというものだ。てゆか、やっぱりそれがないと「住民力」は育たないのではないか。
ちなみに、千葉県の市川市では「1パーセント条例」という政策を実行している。これは、市民が納税額の1%を応援したい団体に寄付をすることができるというもの(むろんしたくない人はしなくてもよい。ここもミソ)で、寄付をしたい住民は役所に納税通知書と寄付先を明記した申込書を出せばよい。
まあこれは自主財源比率が70%を越える市川市だからこそできる技という側面もある。だけど、森林環境税に続く地域内自主課税を地域のくらし保全政策へとつなげる税制として、これを高知流にアレンジした上で導入してみることを考えたらどうだろうか。高知はNPO活動も比較的盛んな土地柄だし、理解は一定得られるのではないか。
この条例は、ある意味「公益信託高知市まちづくりファンド(市)」や「こうちNPO地域社会づくりファンド(県)」で実現している部分もある。これらのファンドは基本的には行政が資金を拠出し、その運用益などで?市民活動を支援するというもの。いうたら税金ですよね、使っているのは。だけど、間に宿命として選定過程がわかりにくい審査員や審査会があるので、市民の選択権は実質ない。そこが違う。・・・まあそこらへんをかえることができれば、これらの資金を新税制とリンクさせることも考えられそうです。
・・・いや、すいません詳しい税制のことはよくわからずに書いている部分があるので不適当なところがたくさんありそうです。
まあなにがいいたいかというとですね、もっと社会がNPOや市民活動というのを本格的に市民そのものが主体的に後押しできる構造が必要なのではないか、ということです。