高知市の文字通りセントラルパークである中央公園が地下駐車場付きの公園に改築された折り、なんとも貧相な樹木と温もりのなさすぎる灰色の広場に失望し、漠然と「高知の街をどうにかしたい」と思い出したのが、87年(中学2年)。
以来、まずはじめは行政から変えるのが筋なのかと思い政治経済学をめざし(高校1年)、あまり勉強ができないことを思い出して(高校2年)いつのまにか公園設計や建築設計を志すように(高校3年)なり、勉強するなら東京だと思って行った東京が思いのほかどうしようもなくて(浪人)、京都に居着いたという流れがあります。
んで、京都を選んだ理由が、当時盛んだった「景観論争」の舞台だったから。京都ホテルや京都駅の高層化を控え、仏教会が拝観拒否をして大問題となったアレです。まあ間違いなく4年おれば「景観論争」の顛末をみることはできるわけで、ランドスケープや建築というのを漠然と考える上でこれ以上ない土地だと思った訳です。高知では「景観論争」なんてものは21世紀になった今でも特に論じられることがないわけですが、開発と保全のせめぎあいというのは、将来の高知においても課題になるのではないかという思いもありました。
まあそれをおいても京都はなにより庭園が山ほどあるし、地震もない(しかし95年には京都や関西は関東以上の地震の巣だということを思い知る)。大阪や神戸といった全く異なる都市と隣り合って個性を競い合うところも、四国のそれとどことなく似ている。もうこれ以上ない土地だったわけです。
で、今。ランドスケープの仕事はもうやっていなくて、最近は本やウエブのデザインを通して「高知をなんとか」という方向に移ってきています。自分の中では一切矛盾はないわけですが、まあ10年前には想像していない方向へやってきておりますな。。。
まあそれはよいとして、高知のランドスケープデザインは、相も変わらず貧相です。県庁所在地では降雨量が最も多い都市であるというのも大きいでしょうし、なぜか建築系や純粋土木系コンサルが公園を設計したりしていることも多かったりで、中心部における公園はまともに「ランドスケープ」として括れるようなものはありません。建築についてはまあ土建天国ということもあって公共施設を中心に有名建築家による名建築が結構あるわけですが、なんでここまでしょぼいのかフシギですよ。牧野植物園だけは違いますが。
たぶん、「ランドスケープ」という言葉の意味もほとんど理解されていないというのが実情でしょうし、そもそも必要としていないのかも。いや、その必要性が理解されていないのかも。
そんななかでやったのが、先月の高知駅前広場のランドスケープや交通政策に関する市民提案でした。基点は高知市民会議というNPOの公共交通部会で検討されてきた交通政策に関する提案にありましたが、おいらは交通政策やまちづくり政策をも含むランドスケープデザインを本来やるべきではないかという考えをもっていました。また、サイン計画やガイドなどに関わるグラフィックデザインともあわせ、まさに「デザイン」という緩くも明確な指向性を持った括りを与えるべきではないかと。
デザインという言葉が万能だとは思いませんが、「デザイン」という言葉を抜きにして物事を考えると、結局そこには無味乾燥な裸の「機能」だけが残るに過ぎないと思います。もしデザインをはしょったり適当にしたりして裸にしたとすれば、イニシャル/ランニングコストはいくらか下がるはずです。しかし、服を着せてあげることで得られるはずの利益まで下がって行くというのでは元も子もない。寒い工場で工員に1万円の暖かい作業着を与えて働かせるのと、必要最低限の2000円の薄い作業着を与えて働かせるのでは、得られる成果が全然違う・・・そんな感じ(強引)。
さて、話がずれてきてますが、もう少し高知のこれからを考える上で、デザインの効能というのはもっと考察するべきではないのか。ただの批判ではなく、批評を重ねて議論なりなんなりをするのも必要なんじゃないか。そんな印象を持っています。まあこんなブログでシコシコと書いていてもまあ限界はあるわけですが、とりあえずはできることからというわけで。
で、まずはランドスケープをシリーズで。いずれは「やな○たかし」と「馬○村的デザイン」一辺倒になりつつあるデザインの近辺についても、考えてみたいのですが、こちらはまだちょっとまとまっていないので後日開始ということで。。。