たぶん今までの沢マン記事の中でも一番沢マンを素敵に、そして一番確かに表現してくれた記事であったような気がする。これまでの沢マン記事って、だいたい建築としての面白さとかいかに変かとか、そういうところばかりに目線が向いていて、沢マンの中でおきている自然な人と人とのつながりとか、この場所にそうしたところで無い部分で惹かれて暮らしている人々にまで目が向いていなかったような気がする。まあある程度沢マン取材が飽和状態に至ったというのもあるかも知れないけど、正直そういうのには辟易してた。

どこが崩れるかとか何がおかしいとか、もはや4年も暮らせばそんなことはどうでもよくなる(崩れないと信じているから暮らしている)。だけど、そんなことばかり目が向いているから、沢マンになんで若い人たちが暮らしたいと思うのか、そこまで目線が向いていなかった。だから取材に来るのも芸人系がやたらと多かった。
ここは住宅。マンションだ。間違っても「アトラクション」ではないし、ラブホテルやイオンのような薄っぺらい「たてもの」とも違う。貸しテナントビルとも違う。人が暮らす「建築」なのだ。大きな長屋なのだ。
昨日の夜は、来月沢マンを後にする友人の送別会(リンカランp015参照)をやった。たぶんこれだけの住人(若手)が揃うことはないだろうな、というぐらいに揃って、こないだ小布施で買ったどぶろくも一気に空けた。んで、3年前彼女がやってきたころの、彼女本来の姿を引き出すのに成功。彼女の背中から(ケンシロウのような)オーラが見えた。そういえば、数日前には、来月沢マンで予定しているイベントの打ち合わせで、総勢20人くらいの住人がアロマルームに集って打ち合わせをしたりも。
ここで思ったのは、なんか最近いろいろな委員会的なものや飲み会の席でそんな話をするけれど、よっぽど沢マンで出る話やアイデアの方にこそ価値があると思う・・ということだった。沢マンという場所の意味を高めるために、自分たちの暮らしをより充足させるために、何が必要で何が不必要なのか、そのことをみんな普通にわかってる。だから、ぶれていない。そして、そんな小難しいこともちろん考えずにそれが普通にできている。そこがなんだかすごい。職種はバラバラ(医薬、コンサル、運送、土木事務、デザイナー、花屋、服屋店員、薬局、清掃会社、主婦、パン屋、公務員、記者・・・・)、年齢もバラバラ、学歴も育ちもみんなばらばら。なのにそれ。
色々な会で出会う人、話をする人というのは、大抵が「普通の人」じゃあない。何かの役を持っていたり、何かの肩書きを持っていたり、何かに一言あったり・・・。だけど、委員会慣れ、ワークショップ慣れ、アイデア会議慣れをしてしまうと、「普通」が何なのか、さっぱりわからなくなる。だから、どうしても変なアイデアしかでてこない。つまり、普通の感覚からは外れたものにしかならない。おいらは、そんなんにはなりたくはない。
たぶん、それは沢マンのみんなが「現場」に暮らし、「現場」に生きているからだ。この現場で何が必要なのか、当たり前にわかっているからだ。だから、変なアイデアは出てこない。本当に必要なアイデアしか出てこない。
話がずれまくり。
リンカランでは、沢田一家と住人5軒が登場しています。おいらもp17に登場。上じゃなくて下の方です。