佐世保という町の構造

佐世保は、強烈である。佐世保はジャパネットたかたの本拠地であると同時に、横須賀、呉、舞鶴と並ぶ日本四大軍港のひとつである。だから、この街では普通に街の真ん前の港に護衛艦が停泊しているし、米軍のでっかい空母のような船が停泊している。まず、この光景が四国の人間にとっては強烈である。
佐世保の街の構造もまた強烈である。させぼみなとI.Cを降りて自衛隊の港と米軍基地の間には民間のフェリーターミナルがあり、道を挟んで反対側には真新しい佐世保駅がある。駅の向こうは細長い中心市街地で、背の高いマンションやホテル、商店街が所狭しと林立する。また、港沿いの道をまっすぐ走ると米軍基地の正門があり、佐世保重工のドック群を経て急な斜面に這いつくばるように拡がる住宅地へ、それが途切れたかと思うと牡蠣の養殖が盛んな漁村、九十九島という無数の島が浮かぶ景勝地を望む展望台(なぜか展望台の手前でヤギに自由に餌を与えることのできる不思議コーナーがあるのでオススメ)へと至ることになる。

この街の主要産業は、海軍工廠の流れを受け継ぐ佐世保重工を中心とする造船業であり、ハウステンボスや九十九島を中心とした観光である。目立った主要産業のない高知市からすれば羨ましい限りだが、景気をモロに反映する業種ゆえ経営破綻したりすることもあり、その都度佐世保経済は揺れに揺れてきた。そういう意味では主要産業が無いってのもえいもんだねなどと悠長なことを思ったりもするのだが、前回の波佐見の職能都市と同じで、やっぱりこういう「なにかに依存する町」というか、運命共同体を抱える町というのは、高知からするとやっぱりちょっと「青ーく」見える。しかも、この町の場合は自衛隊と米軍が大きな基地を構えている。恐らくは、市民の多くは佐世保重工と基地にどこかで関連する職業に就いているだろうし、特に飲食を中心とする地場の商業においても客層の多くを占めるのは間違いない。

この感覚は、少なくとも高知市では感じることができないものだ。

緊張感とブルースカイ

そのことを一番感じることができるのが、佐世保の夜だ。夜、この町を歩くと、スケボーに興じる学生のヨコを、はたまた派手な化粧をした水商売の女性たちのすぐヨコを、果ては酔っ払ったサラリーマンたちの群れのすぐヨコを、見るからに屈強な米軍の軍属たちが普通に歩いていく。地方都市で見かける外人さんの多くはだいたい教師が多いものだが、7年前に来た時はまんま水兵さんのような格好をした人まで見かけた。この地方都市にあるまじき「意外感」は、やはりこの街の特殊性を強く感じさせる。
そして、今回の旅の目玉にしていた「佐世保バーガー」の存在だ。狭い市内にはいくつもの佐世保バーガーの専門店があってそれぞれにお客が付いているのだが、まあ高知でいえば鰹のたたきのような存在感でハンバーガーが幅を利かせているわけだ。これもまた、慣れてもやっぱり「意外」なのである。
ちなみに、私のお気に入りはなんといっても「ブルースカイ」。ここは商店街の少し外れにある2坪ぐらいの小さな店で、4-5席のカウンターがあるだけの簡素な造りのお店なのだが、とにかく研ぎ済まれた・・・と表現して良さそうな「緊張感」が店内に溢れている。
その緊張感の源は、店主のおばちゃんだ。今回訪れた時も、扉を開けると既に先客がいるのに、店内に響くのはジューッとパティを焼き上げる音だけ。しかもその先客はカウンターには座らずに、店内で起立したままだったりするから、(ほぼ一見の私たちが)注文を自由にできるような雰囲気はなく、私たちのすぐ後にやってきた客と共におばちゃんがこちらを一瞥してくれるのを待つのみという状況に「追い込まれた」。
待つこと数分。先客のバーガーが出来上がり始めると、ようやく「ご注文は?」とひと言。私たちも入れて6人の客は全員立ったままで、なんだかあまりの迫力に思わず声がうわずってしまうほどだ(そして次の客も引きずられたのか、うわずった)。そして、また静寂。淡々とおばちゃんは仕事を続け、6人の客はただおばちゃんの一挙一動を見つめるのみとなる。

テレビの音だけが響く店内で、おばちゃんは淡々と仕事をこなす。パティが焼き上がると逆さにしたパンに乗せ、チーズ、タマゴ、ベーコン、厚切りの生タマネギ、これまた厚切りのトマト、レタスを順に乗せ、最後にパンで挟んでギュッと押して、袋で包む。店内で食べることを告げると、飾りっ気の一切ないコップで水が与えられた。
そして実食。もうひと言、ただただ美味い。普段食べているマク○やモ○の力不足を感じ、四国各地のご当地バーガーのパンチの弱さをイヤでも感じざるを得ない。これが、60年という伝統の違いなのか、緊張感の中だからこその味なのか(ちなみに翌日も含め他に2つ佐世保バーガーの店を回ってみたのだが、やはりここブルースカイには正直全くかなわない)は分からないが、おそらくこの美味しさの秘訣は「狙っていない」からなのではないかと思うのである。ひたすらシンプルに素材の良さと味のバランスを追求しているだけで、佐世保カラーを出してやろうとか、変わり種を作ってやろうとか、地域の素材にこだわってみましただなんていうことを売りにするような、野暮なことを考えていない。そんな気がするのである。
そして、店内を見渡してみるとわかるのだが、この店には余計な造作がない。きれいに磨かれた棚に並べられたのは少々のお皿と、少々の調味料だけ。一番大事な鉄板もA3カッターマットぐらいの小さなもので、おばちゃんはその鉄板とすぐ横のカウンターだけの、半径60cmの範囲でしか動いていない。この無駄のなさとハンバーガーの極み感の正比例っぷり。どうしてもすぐに装飾や笑いに走りがちな我が高知は少々見習うべきなのかも知れないなとつい思うのである。

「佐世保は米軍あっての街だけん」

バーガーで腹一杯になったところで、次は佐世保と基地の共存関係を一番感じることができる外国人バー街へと足を運んだ。狭い路地に英語と日本語が仲良く並んだお店が並び、カラオケではなくKARAOKEの歌声が流れてくる。軍人らしき人もいればその家族っぽい人もおり、また普通のサラリーマンみたいな人も歩いていて、不思議な感覚だ。
今回は、ここもまた7年ぶりの店「ウェスタナー」に入った。その名の通りウエスタン調のごついカウンターがあり、壁面には使い古しのアコーディオンやらアメリカの地図やらが掛けられていたり、ロデオマシーンがあったりと何もかもがなんだか目新しい。
そして、カウンター越しでは、カントリーハットを被り皮ズボンをはいた4人のおばちゃんが忙しなく接客に勤しんでいる。4人のおばちゃんは、ここが開店して以来40年以上にわたってずっと一緒にこの店を守ってきたという。年の頃なら60とちょっとということになるが、みんなカントリーだからか、なんだか若い。ここに若い娘が入ってしまうとたぶん微妙なエロスが出てきてしまうところだが、そんな野暮なこともせず、なんだかみんなどこかで青い時代を引きずったまま今日を毎日迎えている、そんな感じがする。もちろん英語もペラペラ。すぐ隣りの米軍の軍人と楽しそうに話をしている(何を話しているのかはサッパリ)。

さて、おばちゃんとバーガーや波佐見の話をひとしきりした後、佐世保に入ってはじめに見えた強襲揚陸艦の話になると、自然と米軍や自衛隊の話になっていった。
「(軍と街は)みんな仲がいいし、米軍がいなかったら大変なことになる。佐世保は、米軍あっての街だけんね」
とおばちゃん。さらに、中国や北朝鮮との情勢が特に微妙な時期だったこともあって、「米軍がすぐそこにいる安心感があるんだ」とも。
カントリーなおばちゃんのこのひと言は、なんだかとても新鮮なものだった。もちろん、この街でもいろいろな意見はあるだろうと容易に想像はつくし、外国人バーという特殊性ゆえの言葉という側面もかなり大きいだろう。だけど、高知にいると、こうした感覚はまず(良くも悪くも)育たない。どちらかというと軍というものへの嫌悪感や、軍人が街を闊歩しているというなんだかミョーに不穏な感じというのをなんとなく勝手に想像してしまう。こと高知や愛媛は岩国基地の米軍機の訓練空域になっていたりすることもあって、まずこんな言葉が出てくる理由がない。
軍隊というものへのなんとなくの嫌悪。だけど、それに守られている、守られてきたという現実も、特に震災から最近のアジア情勢の変化の中でやっと感じるようになってきていた。日本はもう戦争なんて金輪際関係ないなどとなんとなく思ってきたけど、どーやらそうとも言い切れないかも知れないということをやっとこさ感じ始めた私に、この言葉はあまりに強烈なものだったのだ。

ここ佐世保は、波佐見と同じように、限られた職種によって支えられた街だ。佐世保の場合、その一つがたまたま「軍」なだけの話。だから、それを支えようとするのもまた当たり前のことであり、リスペクトするのもまた当たり前のことだ。そんなことがここまではっきりと見えるのも、「青くみえる」わけではないがある意味でちょっと羨ましく思えた。高知市に、こういうのはやっぱりないもんなあと。

最後に。ウェスタナーでは、訪れた客にヒゲを描かれ、ハットを被らされて記念写真を撮影してもらえる。滅多に記念写真を撮らない私たち夫婦も、2人してヒゲの変な写真を撮って貰った。

ウエブマガジン四国大陸(2013.5.30)所収