前々回のログで、いつまでも龍馬じゃ~龍馬じゃ~と唸っているのは古い!と書いた。
これを今回は自分でもう少し考えてみる。おいら、龍馬が行くもおーい!龍馬も読み込んでしっかり育って来た龍馬大ファンだ。子どものころはベッドの横に龍馬のポスターを貼っていた。だから、へさべさの大河ドラマ登場で胸が躍るくらいだ。
だけど、なぜあえてそう書くかといえば、結局リョーマがなんたるかも大して考えずに、てゆか大した知識も持たずに騒ぎすぎる行政・経済・観光・メディア関係者の多さに辟易してるからだ。
「来年は龍馬伝の年だから龍馬をフィーチャーせんといかん」
何度この言葉を耳にしたか。
挙句のはては
「高知の観光の命運はコレで決まる」
やと。
で、そのフィーチャーで何を取り上げるの?と聞いても特に返事は無い。
いろいろ碑めぐってもらおうとか、美味しいもんたべてもらおう(それで出て来る店もいつも一緒)とか、そんなんばっか。
結局なんか龍馬だ、龍馬伝だといっておけば、観光客は寄って来るし、お金になる、その程度しか彼らは考えていない。「フィーチャーせんといかん」とか言いゆう人たちも少なくとも再来年ガクンと人が来なくなるのはみんなわかってるのに、その再来年以降のことを考えれない。とりあえず来年楽しければいい、みたいな。
なんかよさこい国体のときを思い出す。当時はおいら建設系に身をおいていたので、2002年までは結構たくさん仕事があるといわれていて、2003年からはどうなるかわからんと言われていた。でも、とりあえず2002年にどればあ仕事をするかよ!みたいな感じで適当に2002年を迎えることになった。そう、2003年から先をそれほど深刻には考えずに。で、終わったら実際仕事量はジワジワと減って行って、いま当時やっていたような仕事が出ているかというと壊滅状態。
たぶんこのままアホみたいに龍馬伝の年を迎えたら、その先は安楽死ですよ。その頃にはETC1000円も終わり(民主党が政権とったらどうなるかわからんけど、もし全国一律無料になったらなったで高知の価値は落ちる)、龍馬以外にみるものを育てることができなかった高知になんぞ来る人はますますレアに。しかも東京ばっか相手にしようとしてるから、近場の関西や九州といったところからの客はぜーんぶ徳島や香川で終わり。
龍馬の国土佐じゃきに~とかいいよったら、まあーそらー寄ってきますよいつまでも多少はね。でも、他所の人は、高知はいつまでも龍馬だ龍馬だ龍馬だ龍馬だ龍馬だ龍馬だ龍馬だ龍馬だ龍馬だ龍馬だ龍馬だと言い過ぎだろと思ってますよ。最近は四万十がこれに加わってますけど(JTBだっかの調査では行きたい率では全国でも高い方だけど、一回来た人がまた行きたいですか率では全国でも低い方になるのが四万十。龍馬と同じで、なんかイメージばかりが先行しているらしい)。
鹿児島が今でも西郷西郷言ってるか?山口は今でも奇兵隊とかいいよるか?高知ぐらいですよ、150年前の偉人が最大の観光資源になると思ってるところなんて。
おいらが思うに、高知県人がこの50年近く愛しすぎた「龍馬」のお陰で、自由民権運動発祥の地としての高知は知られることがなく、中岡慎太郎や武市半平太はじめ数多の幕末の志士たちの評価や知名度はいつまでも低く(こないだの日曜日に武市生家の近くを通ったけど車一台いない!)、山内家もいまひとつ土佐鶴のCMが印象的なぐらいで、城下町としての風情がある部分はどんどんぶちこわされ、結構いろんな店があって楽しい店巡りや市めぐりといった街歩き観光はいつまでも軽視され、もっと客数がのびてもおかしくない電車もバスも客数がのびず・・・と、高知のいいところはいつまでも観光にも値せんものとして扱われ続ける。
まさに龍馬の弊害。
石油とかと違って「龍馬利権」なんてものはまさか存在しないだろうから、利権争いでこうなっているわけでもないだろう。好きな人ができたらその人以外のことが眼中に入らなくなるのと同じように、高知の観光資源は竜馬しかないんじゃ~とか思っている人々が多いのだろう。
で、そのことが結局高知の観光を潰していく。実際観光系の人々と話しをしていても全くかみあわない。街や田舎を歩きもせず、夜な夜なスナックばっかなんだろーな・・・と悲しいながら思ってしまう。
一方、龍馬をもっときちんと知ってもらうというか、もっと別の視点から伝える工夫もいる。龍馬記念館を中心に、いまひとつ趣旨がわからん生まれた町記念館、もっとヒトが入ってもよさそうな慎太郎館や山内家資料館に歴民館、さらには本物が揃ってる京都国立博物館とかと連携した企画とか、誰も知らない龍馬の素顔が見えるよーな、そんな試みをぜひ。