最近、本業のデザインだけでなく、伝統工芸系の立て直しとか、とある物産店の経営改善といった、デザインじゃなくて「考える」「とりあえずアイデアを出す」という仕事が2、3入って来てる。いずれも現場に行って、現場の人たちと話しをしたり見せてもらったりして、現場にずっといると「見えなくなる」ことを見つけるしごと。まあ実務が少ない分費用的にはボランティアに近い部分はあるんだけど、これが案外おもしろい。脳みそをソコソコ回転させて、とりあえず思うことをどんどん出して行く。不思議だなあと思うこととか、こんなんあったらいいのにとか。

「デザイン」という最終のアウトプット行為よりもずっと前の部分をどう考えるか、これって実はかなり重要なことだ。たとえば何かイベントを仕掛けるでも、売り物を売るでも、それが果たしてどんな内容であっても正直デザインはできる。でも、イベントの中身が薄かったり、売り物を売るにも販売戦略的なものを持っていなければ、どんなにおもろいチラシができたとしたってうまくはいかない。

この一年のあいだにいろいろとデザインのしごとをさせてもらってきたけど、それなりに上手くてきたロゴやらラベルやらができたってダメになるものはダメになっていくし、逆にパパっとつくったものが残って行く気配を持っていたりもする。要はデザインという「最終の行為」の「ずっと手前の部分」がどれだけ充実しているのか、それが重要。店ならば店員の対応や雰囲気。商材ならどこで売るか、誰が営業するか。イベントなら広報先の選定や手法はもちろん、その内容の魅力。ひとことでいえば「やる気」とか「戦略」とか。

デザイン屋としてそこまで踏み込むことも当然できるし、しようともしてみる。
だけど、そこはコンサル時代の癖なのか、「やっぱり最後はあなたの問題ですから」という考え方になって、強くは踏み込まないようにしている。
また、NPOとして活動しているとよく思うことなんだけど、「他者からみればできそうなこと」でも、実際にその「中心に立てばできないことも多い」という経験則が、なんとなくそこで踏み込まないひとつの要素としてあるような気がする。事実、自分が立ち上げたり関わったりするイベントでも、絶対どっかで何かを避けてしまったり、面倒くさがって理由もつけずにやらないでおいたりすることがある。

デザイン屋というのは結局いつでも所詮は請負業であり「他者」なのであって、依頼主たる経営者や主催者の置かれている立場とは全然違う。他者からみれば、すなわちデザイン目線でいえば「●●したら簡単にこうなるんじゃないか」と言えるけど、現場目線からすれば「その前に■▲せな、そんなことできん」というすれ違いが発生するのだ。だったら、もーデザインという行為はもーかなり外において、「■▲」をもっと考える・知る練習をせんとなあと思っていた。

いまのデザインというのを見てたら、「●●」の提案も別にでてきそうにない、とりあえず形ばっか追いかけてるデザインが多いよーな気がする。デザイン屋の一人遊びというか。まあ自分がそうでないともまた当然思えないわけでそこがかなり「痛い」んだけど、デザインもコンサルも同じこと、■▲がわかるような仕事ができるよーになりたいものだ。

まあこんな感じで人のところの■▲の前に、ずっと大きな問題は開業以来はじめて仕事がちょっと途切れそうな7月をどう乗り切るか、なのだが。自分自身の組織だから、●●したらえいに、というのもわからんw