なんかクリスマスあたり以来極めてだらだらと仕事を続けていてしょーがない。
集中力が一回落ちるとなかなか奮起できないこの癖はどーにかならんもんか。
今朝新聞を見ると、とさのかぜがついに終わることが出てた。
創刊が12-13年くらい前だから、おいらが高知へ戻ってくる数年前からはじまってたことになる。まあそこらへんの記憶は朧げだけど、とりあえずおそらくは京都から帰省してどっかで初めてコレを発見したときには興奮し、まだその段階では自分の中で曖昧だった「高知っておもしろいジョ」ってのをはっきり見せてくれた~!となんか嬉しかったのをなんとなしに覚えている。
それから高知に戻ってきて、県庁に行く度に県民室で新しい号を心待ちし、何の号が欠けているのかどうかを調べては取り寄せたりもしていた。秀逸だったのは「チョット違うなあ」(タイトル曖昧にしか覚えてない)という別冊子。
これはとにかく「物事斜見よ」というのを改めて教えてくれた一冊で、その後おいらたちが仲間と出した「高知遺産」なんてのはこの本がなければもしかしたら出すことはなかったかもしれないぐらいのインパクトがあった。正直こんな本が出せることに(まあ税金とはいえ)驚き、ものすごく勝手に勇気づけられた。これが今から7-8年くらい前。あまりに面白いので何冊かもらってきて県外の友達にも送ったりしてた。
んで、5年前にはそんな流れも含みで高知遺産を出して、3年前から2年前にかけては、おいらもこの本の編集や取材にかかわることになった。
しかし、なぜかその頃にはかつてのムンムンな熱気というか激しすぎる面白さはなんか無くなっていて、実際に関わりながらもとさのかぜがかつて教えてくれた「高知っておもしろいジョ」の性質が変わってきたような気がしていた。携わっている人はそう変わってないはずだけど、なんか違うことを伝え始めたような感じがあった。
まあそれは、実際に自分でも本をつくれるんだっていうのを知ってしまったこともあるだろーし、現実的にネット上の情報の速度や密度が急速にこの間に高まったこともあるだろう。実際に高知に暮らしていろんな人と出会う中で、なぜかこの本に出てこない人や物事の多さにも自然と不思議さを感じるようになってしまったのもあるだろう(これはその逆も然りで、誰が作っても、いわんや自分が作っても、必ず誰かがそう思うことで、それ自体は仕方がない問題)。
そんなこんなで、かつてとさのかぜ独自の視線の情報という感じがあったのが、なんか既視感のある情報にいつの間にかなってきてしまって、自分が携わりはじめた頃からはわざわざ手にとることも人に勧めることもなくなってしまった。
むろんこれは自分が初期とさのかぜの姿勢が一方的に好きなだけで、号数を重ねる中で性格変化をしていったことと合わなかっただけの話。とさのかぜ自体が県民に向けてというよりも県外に向けてという変化をしたのかもしれないし、実際に初期に掲載していたほどのネタが払底してしまったのかもしれないし、はたまた自分が年をとっただけなんかも知れない。
そんな一抹の思いを抱かせるとさのかぜ廃刊。自分の中ではそんなわけで少し役割が終わりかけていた感じはあるけど、こういうメディアが消滅するというのもまたかなり複雑な気分。県が出す必要はもーないでしょと思うけど、県が出さなきゃこんなメディアは成立しにくくもあり、ここもまた気分的に複雑。Tさんはまた違う論点のメディアを提案しているけど、それは県が出さない方がバランスが良さそうだったり(県だと変なバランスが働いて面白くないものになっちゃいそう)、さて次の展開はどうなるものか、ビミョーに勝手に迷うところ。
なにはともあれ、次号最終号はたのしみ。初期とさのかぜのような、猛々しくて清々しい(ナウシカみたいやな)、びっくりするような風だったら、個人的にはうれしいですな。
追伸
「勝手に重要文化財」や「去りゆく技」はぜひとも一冊の本にしてほしいですね~