昨日、はじめて阿波踊りを見た。
ひとことでいえば、すごい。
そして、懐かしい。
おいらは、夏休みを子供時分は毎年島根の安来で過ごしていた。その夏のピークが、安来の商店街で開かれる月の輪神事というお囃子の響く静かなお祭りだった。東京から高知へ戻ってからも、なんかこの地味な祭りが好きで、よさこいを取るか月の輪を取るかで悩んだ覚えがある。近所のお寺では盆踊りなんかもあって、踊るのは嫌いだったけど、少し高い櫓から太鼓が鳴り響き、櫓の上から電球の線が四方にのびるその風景は子供ながらに「既に懐かしく」、写真も残っていないのにはっきりとその光景が身体にインプットされている。
笛や和太鼓、鳴り物などのお囃子。その音の心地よいこと。これはいったいなんなのか。その単調だけどどこまでも続く音色で、ジワジワと身体の奥の方からトランス状態にもっていかれる、この不思議な感触。
阿波踊りから戻ってすぐTwitterで感想を書いていたら、@midoryza が「東北のお祭をみても、同じこと思うた。よさこいのこと。やっぱり生のお囃子の 音には本能的に反応してしまうね。日本人にとってのお祭の意味をいろいろ感じる。ほんで阿波踊り観にいきたい!と思った。よさこいの自由さは、土佐っぽいけどねぇ。」とRTしてくれた。
阿波踊りを見て思ったのは、「これは祭りだ」ということだった。高知でいえば夜須の盆踊りにこの成分は超色濃く残っているけど、お盆のこの時期に、何もかも忘れて(忘れさせられて)その音色に踊ったり、ただ心躍ったりすること、そのこと自体が祭りなんじゃねーのかと。夜須の盆踊りは会場が新しい公園になってしまって情緒がない感じにはなっているけど、盆踊り→花火という黄金コースは、まさにお盆の夜の「定型」のような気がする。
まあこれは、自分の安来でのお盆の体験も少しは関係しているのかも知れない。月の輪神事では、たぶんそれと同じ日に花火大会と灯籠流しがあった。対岸の米子の町の灯で照らされてその山容がくっきりと浮かぶ十神山と、その麓に広がる小さな港。球数控えめの花火は中海を照らし、幾つもの灯籠がその中海をプカプカと流れていく。お囃子と花火、灯籠流し。単調であったり静かであったりするけれど、その光と音の眺めっていうのは、10歳になるかならんかの子どもにとっても、なんか不思議な体験であり、なぜかいつまで経っても忘れられない風景になっている。まあ実際には相当暇でだだをこねていたんだけど、midoryzaの言葉を借りれば「本能的な反応」が30年近く経っても鮮烈な記憶として残っているようにも思える。
高知市内で暮らすようになってからは、周辺で盆踊りがあったような記憶もなく、お囃子の音を体験することは滅多になくなった。県内各地の神楽や農村歌舞伎で聞く和楽器の音色は一度見るとしばらく忘れれなくなっていたけど、祭りのお囃子とはどうにも違う。灯籠流しも、高知に来てからは見た覚えがない。
高知のお盆の文化ってなんなんだろうなとも、阿波踊りを見てしばし思ってしまった。高知へ戻ってきて以来13年、夏といえば「よさこい」で来ていたけど、そういえば死者を思う夜はあんまり感じたことがないや、とも。
お囃子の音はDNAを刺激する。本能を刺激する。徳島人は、この4日間のために働いているとよく言うけど、ほんまこりゃそうだわと思った。死者のことを思って踊っている人はさすがに少ないだろうけど、この祭りがお盆にあるということの持つ「意味」というものも、見ていてそこはかとなく感じた。そして、祭りとはこういうことを言うんだっていうのを、演舞場ではない路上で踊り狂う連の人々(演舞場のそれとは明らかに違う、やんちゃな音楽と踊り)、総踊りの後に人目も憚らずに踊る女子たちを見ていて、思ったのだった。