いろいろなブログを「高知」とかで検索していたら、高知は娯楽施設がないとか、廃れてきている(要は空きビルが増えてきている)とかそんな記事が最近めにつく。また、高知は店も少ないからつまらんとかそんな声もよく聞いたりする。でも、そんな人々たちって、ほとんど街もぶらついていないような人たちなんじゃないだろうか。

最近あまりにもそんな声が多いのでちょっと辟易だ。
つまらないとか少ないとかいう前に、なんで現状を楽しもうとしないんだろう。数や大きさ、みかけにずいぶん騙されやすい人たちだなとしか自分には思えない。表層にばかり囚われているというか。
娯楽施設って多い方がいいのかな。娯楽施設がないかわりにパチンコ屋ばかりが目に付くというけれどそうなんだろうか。その横に流れる川は?山は?小さな小さなお店は?むしろそういう箱にしか目がいかないということに問題がないのか。

空きビルが埋まらないから廃れてきている? おいらには街の規模が対人口・対年齢構成に対して適正化されていく過程のように見えるので、無理して埋める必要ないんじゃないかと思える。東京は汐留や品川の再開発で一気に空きビルが増えたじゃないか。その一部はリノベーションという形でもてはやされているが、それと何が違うのか自分にはわからない。
高知はつまらないという。高知は店がないという。でも、蓋を開けて見ればただ知らないだけだ。だって高知には洗練された、お洒落な、いい「店がない」と思っているから、探そうともしていない。知ろうともしていない。そうこうしていたら、東京や大阪のメディアが高知の片隅の金物屋や雑貨屋を取り上げている。むろん、そんな店、彼らは「知らない」。

東京や大阪の色のついた眼鏡でモノゴトを見るように教育されていると、地方都市はどこへ行ってもくすんで見える。