なぜこの島で暮らすのか。その答えを求めに、四国の本をつくる。

四国ってのは、なんか変な島で、魅力があるんだかないんだかよくわからないところなのだ。

でもただある種の人を引きつける力はあるようで(まあそれをいえばどこの地方も同じことだ)、九州や北海道とは全然違う色の、なんだか明るいんだか暗いんだかよくわからない、未来があるんだかないんだかもよくわかならい、そんなアンニュイというか、悪く言えば中途半端というか、だけどそんなところがギスギスしちゃった都会の人たちには妙に光って見えてみたり、はたまたただの暗い九州の手前の島扱いになったりと、やっぱりひとことでいえばよくわからない島なのである。

そんな島で、そんな島に暮らす人間たちだけでそんな島のことを本にすることになった。
言い出したのは高松でROOTS BOOKSという事務所をやってる編集者小西さん。2005年に「高松アジト×高知遺産」というイベントを高松でやって以来の飲み仲間。何か四国でやろうと挨拶のように言い続けて6年の仲である。昨年、ついにそれが動き出した。双方ともなぜか「徳島」だけは知り合いが少なくて困っていたところ、ある日突然活動的な徳島の面々が現れてしまい、ついにゴロゴロと唸り始めてしまったわけである。
去年の秋は一回目の顔合わせを高知で、二回目の真面目な編集会議は小松島で開いた。そしてこないだはコアメンバで新宮で小会議。

小松島での話は、どんな言葉がキーワードになるかだった。
高知に限らず、香川徳島愛媛を何度も往復していても思うこととしては、この島には「大したもん」はほとんどないということだ。四国は日本の3%経済といわれるように、また観光客数などの統計をみても、四国はほんとうに普通なのだ。てか、今の日本で考えたら普通以下かも知れない。この島にあるのは、凡庸な普通の暮らしがそこにあるということ。その暮らしの先っぽがちょっと地域性なるものをキラキラさせていて面白いということだ。

暮らしというのは、朝起きて働いてご飯食って仕事をし、買い物に行ってたまに旅して、遊んで酔っ払って寝る、そんなことの繰り返し。
四国に暮らすということは、そんなただの日常の繰り返しを、この島で送るということ。
結果、ふっと出てきた言葉が「生業」だった。「業」を生きる。単にそれがあるからここにいる。

大したもんはない普通の島。なのに、なんでそこにわざわざ生きているのか。たぶん、ここでわざわざ生きているのは、そこに「業」があるからだ。仕事があるからだ。つまり、超単純なことなのだ。 人に仕事があるから、他の人にも仕事がある。社会とは、たぶんそんなことの連鎖でできている。空気が好き、のんびりとした感じが好き、そんな理由でこの島に暮らしている人もいるだろう。だけど、結局遊んで暮らしているわけにはいかない。人は暮らすためには働かないといけない。働くために生きて遊んでいる。

最近は、ちょっとした田舎暮らしブームだ。特に311以降は、東京から田舎への回帰がたぶん戦後初めて真面目に進み始めた。だけど、なんか最近の「田舎」とか「暮らし」という言葉はどことなくフワフワしていて、ちょいと居所がわるい。それはなんでだろうかと思ってみると、結局は都会との繋がりの中でしか生きていけない、そんな感じの田舎に向かうニュアンスがどっかにあるからなんじゃないかと思う。むろんそんな役割を担う人がいてもいいしそれがないと人々の「暮らし」の集合体たる地域は成り立たなくなるわけだけど、そんな人やコトばかりになったらやっぱりそれはそれで気持ちが悪い。そんなんじゃ、都会がダメになったら田舎も道連れで潰れてしまう。でも、なんとなくここんとこの田舎はますますそんな方向に向かってる。311前の状況をひきずりながら、311後を模索している。こないだどーしてもなんか信用ならない東大地震研が東京で4年以内にM7が起きるとか言い出したり(実際には昨年9月までの余震が多い時期までのカウントを元に出した話で、なんとなく情報の正確性が曖昧で眉唾な感じが強くてしかたがない)したけど、東京の消費意欲が失われたら高知なんて一発でダメになっちゃうんじゃないかと心配になる。

実際、土佐和紙プロダクツも去年の3月11日まではそこそこ出るようになっていたのが、11日を境にぱったりと出なくなった。回復には数ヶ月かかり、しかも東京への出荷が中心だった傾向も弱くなった。食品とかじゃない、いわば「暮らしの余裕」部分の商材なので当たり前ではあるんだけど、おいらがやっているような仕事って、結局暮らしの「のりしろ」のような、余裕部分だけを担っている仕事なんだねと思ったもんだった。実際いま一番の不安は、いずれ南海地震がやってきて高知が壊滅的被害を受けたとして、その後に自分の仕事ってあるんだろうかということだ。少なくとも2-3年は用事がなさそうだとすら思う。

話を戻す。東京から田舎への回帰が進むのはいい。ここ20年が60年代と並ぶ東京への集中が進む異常期だっただけだと思う。だけど、その20年の間に、田舎はずいぶんと東京がないと持たない構造になってしまった。都会がないとやっていけない。こと高知は超高齢化県で県土が広いっていうこともあって、都会の儲けで道路を作って貰ってその工事費が回り回ってウチらのおまんまになっているようなもんだ(高知は金がないだなんてとんでもない。自分らの稼いでいる分の3倍近い金を東京や大阪から回して「いただけている」身の丈以上に金がある県だ)。他の四国三県は二次産業が高知ほど酷くないにしても、まあ全国の中でみればドングリの背比べ的なもんだろう(まあ高知は愛媛がクヌギなら高知はシイくらい小さなドングリだけど)。

そんなことを考えていたら、やっぱりこの島に暮らす人々から、理由を聞きたいと思うようになった。カタログをつくりたいということになった。千差万別の、この○があるから仕事がある人、この○があるから仕事を作った人。そんな数多の生業の先に、数多の生きる理由がある。それをまとめたら、なんかフワフワしぎみな四国ってものの、もうちょっとはっきりとした輪郭が見えるのではないかと。