10月21日、高松TMOセンターで「高松アジト×高知遺産」のトークセッションに参加してまいりましたです。
東京→四万十→大阪→高松とこれで遺産話も4回目。高松は、ある意味クライマックスですな。

・・・てゆか、なんで県外ではこんなに呼ばれたり反響あったりするのに、高知は皆無なんでしょうかね??・・・・まあそんなことを思ったりしつつ高松入りしたのが夕刻。会場は片原町アーケードの「高松TMOセンター」。こういう拠点をTMOが持っていて、またスタッフに若い人もおってさらに玉石混合というくらい様々な人が出入りしていて、さらにさらに積極的な活動をしているの、うらやましいねえ、うん。なんか今日は高知と高松をとことん比較してしまいそうです。まちなかに「暮らす」という視点を改めて持ち込んでいこうと試行錯誤している高松、いわゆる「まちづくり人」だけでない人々の連携の萌芽がある高松。それにひきかえ高知は・・・うーむなんだかブルー。
会場内外には、東京にも出張した高知遺産の写真たちが所狭しと掲示され(写真右)、その対面には高松アジトのパネルが張られている(写真左)。しばし今回の席を用意してくれたHさんと腹ごなしにうどんを食し、会場へ戻る。
会場はにわかに慌ただしくなり、席が並べられる。。。なんか緊張。というのも、大阪の時は客席とまだ距離があったし、東京の時も視野に全員が入るような位置にすわれたんだけど、今回はどまんなか。全員を見渡そうとするとぐるっとみんといかんわけで。
定刻スタート。大阪のコンサル稼業ながらもうほとんどあなた高松人やないですかという勢いのIさんたちの挨拶の後、その真ん中の席へ。やっぱり緊張。大阪どころじゃない。そんなことをボソボソ喋っていると、酎ハイの差し入れ。これがあったら安心です(笑)
会場内からは「さすが高知人」とのヒソヒソ声も聞こえてきたり(笑
まあそれでも喋りだすと急に落ち着いてきて、スライドトーク40分の持ち時間を全く気づかず60分ほど喋っていた模様。今回のスライドは、高松用に新しく仕立て直していたわけだけど、やはり時間チェックはしとかんといかんと反省。今回は写真をみせてそれについてソラで喋ったりする時間を入れていたんだけど、そこで思いのほか喋っていたような気がする。。。
まあそれでもお客さんの反応はそこそこ上々だったと思いたい。高知遺産の原点となった新堀川や丹中山の惨状と遅すぎた市民の取り組み、より遅すぎる行政の取り組みの状況への苛立ち、これまた原点である比島という「おいらにとっては」原風景の喪失といったことから「高知遺産」の支柱部分ができていったあたりはなんとなく理解してもらえたのではないかという気がする。
問題はこれを今後いかにして高松が現在取り組んでいるようなまちなか再生に向けた取り組みへつなげていくかということで、その点はART NPO TACOなどの活動も通して徐々に実現していきたい旨などにも触れながら、まちなかで暮らす人々をカタログ化した「高松アジト」のような動きを高知でもしていきたいといった感じでしめくくったような気がする。
この会場、そしてその後の懇親会などで高松サイドから得られた反応としては、「高松アジト」が生まれた高松では、逆に「高知遺産」が指摘したような「原点」についての考察を抜きにして本を出してしまったので、ここから次にどこへいくのかが課題になるということだった。また、「高知遺産」のおいらとしては、先ほども触れたように「高知遺産」は逆にこれからこのまちをどうしていくのか、という提起の部分を欠いているので、そこをいかに具体化していくかが課題になるということを喋っていた。
行くまでは高知は課題だらけ、高松はその課題を乗り越えて云々だと思っていたけど、高知に課題があるように高松にも課題がある。しかもその課題は、以外と共有できるものもある。また、高知が課題にもなっていないようなところで、高松はそれが課題になっていたりするところもあったりするし。その逆もまたありで。そんなことを、高松の人々と話をしていたら強く思った。・・・ただとりあえず、高知は地価が高いねー。なにするにもそれがネックだね。
おいらのトーク終了後は、dodoのめがね店長をはじめとする「高松アジト」で紹介された人々とのトーク。おいらは基本的にはそんなに喋りなしで、沢田マンションについて軽く説明した程度。しかし面白かったのは、東京や大阪の会場でほとんどの人が知っていた沢マンも、高松では知名度がゼロに近いということだった。。。
夜は懇親会。ここでもとっても貴重な話がたくさん。高松の某官庁からみた高知から出てくるプロジェクトの見え方、高知と高松の連携その他いろいろ。
・・・気がつけば午前4時・・・