▲小布施 栗の小径
なんでもかんでも壊してなんぼ。
なんでもかんでも忘れてなんぼ。
高知はそんなのが多い。
新しいものをつくることが、忘れることだけが前進と思っている人がやたらと多い。
後ろを向くことをやたらと否定する。

言い換えれば、一歩戻る勇気がない。
前に進むのは、たぶん簡単なのだ。
芸人の世界では、若い師の「芸」の多くが他人を揶揄するものばかりになっているといわれる。
計算された芸ができる芸人さんは実際少数派で、
100年経っても笑える笑いは、今の芸人さんにはできないなどとも。
新しい笑いを求めた結果として今の笑いがあるにしても、
100年後に笑えない笑いは実際「道」としての笑いたりえない。
そんな感じのことが、今の高知という街でも起きているのかも知れない。
実際には、一歩戻るのは難しい。
ハードをするのでもソフトをするのでも、
今までのやりかた、標準のやり方とは違うから、中途半端になりやすいのだ。
その街にしかないもの。その街らしさを築くもの。
それは新しくつくることや壊すことからは産まれない。
いや、新しくつくることで産まれることももちろん多い。たくさんある。
だけど、それはある程度緻密な計算がなければどうにもできないものなのだ。
はりまや橋のたもとの川が埋められて初代の公園ができ、その後今の新しい公園ができた、
その流れをもう一度振り返ってみれば、あの公園はこういうことの典型例なのだと思う。
あの場所があの場所たる本質が失われている今、何をやったって無駄なんだけど。
去年訪れた小布施(年間120万人がくる)、今年訪れた豊後高田(取り組み開始6年で25万人)。
数年前に訪れた石見銀山。ほんで、高松のumie。
こういう場所を「ただ昔の建物使ってるだけでしょ」という風に見る人もいるだろうし、
ありがちなノスタルジーだとか三丁目の夕陽だとかいう人も居る。
だけど、実際に訪れてみればそんなことではないことがすぐ分かる。
昔のママ使うのはどこでもできる。要は、それをどう使うかだ。
なんにせよ、その場所の風景を壊すことにどこまでも「無感」な街よりはよっぽどましだ。
そういう街に、anpanman museumどころじゃない数の人が訪れる。
そんな風景に魅力を感じて、はるかに多くの人がお金を落としていく。
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なんだ観光かい〜とかいわれそうだけど、
観光に魅力がなけりゃあ住んでても面白くない。
見たいまち行ってみたいまちは、住みたい。
行ってみていいまちは、やっぱり住みたい。
見たくもないし、行きたくもないまちは、住みたくないのだ。
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はて、高知にそんな場所があるだろうか。
全国に唯一通用するブランドである四万十川ですら、あちこちにへんなものができておかしくなった。
高知の街では、そんなことを語れる場所すらほとんどない。
せっかくあっても、古いから暗いから汚いからと、次々と潰してる。
まあ、強いていえば「安芸・田野・奈半利・吉良川+モネの庭」、「日曜市と高知城」
は頑張れば40-50万はいける底力が余裕であると思うんですが。
だけど、安芸は街中を壊したし、時計も事情が事情だけになんともいえないけど止まってるし、田野は岡御殿だけで他の町並みへの関心はゼロ?  だしねえ。
吉良川も、なんだかいろいろ欠けている感じ。
土居廓中は今のままでもいいけど、吉良川と同じで、やはりもうひとつ何かがいる。
結局は、やる気とセンス・・・ということか。
小布施には小布施堂があり、豊後高田の商工会には金谷俊樹さんがいた。
石見銀山には松場夫妻がいたし、umieには柳沢さんがいたわけで。
■参考
※日曜市は毎回市民を中心に3-4万人が訪れるので、年間では140万人程度。
ただ一般的な観光資源ではもちろんないので、観光客だけを抜き出した統計は当然ない
※参考 中四国各県の観光地
島根県・・・出雲大社210万人/しまねワイナリー 112万人/日御崎 97万人
鳥取県・・・皆生温泉 152万人/境港 140万人/大山 130万人
岡山県・・・倉敷 300万人/蒜山 270万人
広島県・・・宮島 133万人/平和記念資料館 107万人/鞆の浦 106万人
山口県・・・防府天満宮 150万人/・・・秋芳洞 97万人(龍河洞は17万)
徳島県・・・渦の道 81万人/かずら橋 46万人/脇町うだつの街並 30万人
香川県・・・与島 300万人/金比羅さん 286万人/善通寺 114万人
愛媛県・・・道後温泉入浴客 128万人/松山城 89万人/とべ動物園 50万人
高知県・・・アンパンマンミュージアム 20万人/高知城19万人/モネの庭18万人