こないだの土曜日は、かつてコンサルとよばれる仕事に就いていた、もしくはいまも就いている人々たちの集いだった。
いうたら、2−3年前までは企画書やら入札やらで仕事の取り合いをしていた人々の会。
この数年でみんな見事に三々五々したけれど、ここでこのままバラバラはまずかろう!ということで、珍しくおいらが幹事になって呼びかけた会なのだ。たぶん、そゆの人生初。

この数年で一気に高知の景気が悪くなって、地元のコンサルで働いていたみんなは、それぞれ退職して新しい仕事に就いた。
だけど、みんなコンサルという仕事は離れたけれど、大小さまざま、分野さまざまながら、古い建築の再生、ビジネスづくり、交通再生、園地再生などなどどっかコンサルティング的な仕事に就いていたりするのが面白い。

コンサルは、いろいろな意味で嫌われる。
杓子定規なプランをたてたり、予算に縛られたプランをたてたり、はたまたどっかのを丸写しのプランをたてたり。
行政の楯がわりだったりもするしねえ。
だけど、この種の仕事はなんだかんだと冷静に、もしくは客観的に物事をみることができる役回りだ。
たくさんは要らないだろうけれど、要らないことは絶対にない役回りというか。
こういう立場の人間ってやっぱり地域にゃ絶対いるんじゃないか。
そんなことを地域の現場にたつとよく思う。

地域の現場の最前線で頑張っている人は、その頑張りゆえにどっかで盲目的になっていく。
おいらがかかわっているNPOでもそうだ。
なにより、自分自身NPOの活動ではどうにも盲目的だ。
「客観」が大切なことは分かっていても、どっかで深みにはまってく。

そこで一歩引き下がる。

引き下がって考える。

それがないから、今の高知って、どっか全体的にどうもねえ、という感じなんじゃないか?

学生不在の女子大論議とか、その典型だったりもするし。
そして、おいらたち若めの元コンサルが「引退」すると同時に、東京くんだりのコンサルが入ってきてずいぶんと高知の地域計画を食い荒らしてるのだとか。
おいおいそんなのどーしよーもない計画しかできるわけないじゃないの。
よくいえば深謀遠慮なことしかできるわけないじゃないの。
とかまあそんな話もからめつつ、2次会ではスペシャルゲストとして村岡さんにも登場願って、かつて重倉のコンサルで同じ釜のメシを食った3人と村岡さんは三次会まで転げて飲み続けるのだった。